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2017年03月12日

天神さまと太宰府天満宮

豊かな自然に囲まれながら、福岡市中心部から車や電車で30分ほどとアクセス利便性も高い太宰府市。その中でも、ほとんどの人が最初に訪れる場所は、ここ太宰府天満宮です(私は27、8年ぶりでしたが当日はちょうど梅花祭ですごい人でしたびっくり…す)

天神さまと太宰府天満宮

太宰府天満宮に祭られている菅原道真公は一般的に「学問の神様」として有名だが、単にそのひと言では語れない。学者としてだけでなく、詩人に教育者、政治家とマルチな顔を持ち、日本の歴史に非常に大きな影響を与えた人物でした。

太宰府天満宮に祭られている菅原道真公は、平安時代のすぐれた学者、教育者であり、政治家でした。忠臣として時の天皇に仕えるも、左大臣藤原時平の陰謀によって「大宰府」へ左遷されてしまいます。その後、汚名は注がれないまま逝去。弟子たちは道真公の無念を思いながら亡骸を運びました。この際、棺を引いていた牛が現在の太宰府天満宮の場所で動かなくなったため、「これは神になった道真公のご神託だ」と考えた弟子たちがその場に亡骸を葬り、廟を建てたのです。

つまり、太宰府天満宮は道真公の墓所。全国には道真公を祀る神社が1万2000社ほどあり、そのなかで太宰府天満宮は天神信仰の聖地とされています。これが、数多くの参拝者が訪れる理由の一つだと思います。道真公のご神徳にあやかりたいという人々の願いがここに足を向けさせるのでないでしょうか…!?

天神さまと太宰府天満宮
天神さまと太宰府天満宮
天神さまと太宰府天満宮

ほかに福岡市内から近く気軽に来られること、安土桃山時代の日本文化を目の当たりにできること、梅や紅葉など四季折々の自然が楽しめることなどが年間700万人もの参拝者が訪れる理由でしょう…。またアジアとの交流史の紹介や多彩な特別展を行う「九州国立博物館」と合わせて訪れる人も大勢いるようですスタコラ汗

天神さまと太宰府天満宮

今から1150年ほど前に京都で生まれた菅原道真公。当時は学問がとても盛んで、学界が大きな力をもった時代でした。抜きんでて学問ができた道真公は、中国語が堪能であったことから外交の際に万葉集を中国語に翻訳して唐に贈ったといわれます。

道真公は、日本で最初の百科事典と考えられる『類聚国史』の編纂も行いました。これは私の考えですが、中国の漢字を日本の仮名の中に訓読みとして振り分けていったのも道真公ではないかと推測します。なぜなら、あの時代に道真公ほど中国語を使いこなし、学問に秀でた人はいなかったのですから。

そういう意味で、彼は「日本文化」の基礎を築いた人といっても過言ではないと思います。およそ800年後の江戸時代に天神信仰ブームが起こったことからも、道真公がいかにすぐれた人であったか、また、いつの時代も人々に尊敬されていたことがうかがえます。

道真公については、趣味もわかっています。子どものころからずっと菊が好きだった道真公は、虎が口を開いたかのような大輪菊をつくっていたのだとか。大宰府に来てからは自分が書いた本を売って、少年から菊を買っていたそうです。道真公の人間性が伝わるエピソードだと思いませんかはてな

天神さまと太宰府天満宮

神社を訪れたら、まず手水舎でお清めをしますね。太宰府天満宮の手水鉢は一枚岩でできていて、約6メートル×約4メートル×約2メートルの大きさは日本最大級。宝満山の御影石を使った立派な鉢です。それから楼門をくぐって本殿へ。この楼門は本殿に向かって前から見ると二重門、裏から見ると一重門。一般的に楼門は前後左右対称につくられるので、非常にめずらしい造りといえます。

天神さまと太宰府天満宮

本殿は天正19年(1591)に、小早川隆景によって再建された五間社流造の安土桃山建築。参拝したあとは右側の欄間を見てください。そこに彫られているのは、中国に古くから伝わる登龍門伝説です。「鯉が黄河を登っていく途中に龍門と呼ばれる場所があって、そこに滝が流れる。その滝を登りきった鯉は龍になる」というもので、鯉に乗っている道真公の姿が描かれています。

天神さまと太宰府天満宮
道真公を追って飛んできたという「飛梅」…道真公が左遷されることを知った梅の木が主人を追う気持ちが高じて飛んで大宰府までやってきたという飛梅伝説も有名ですね

化粧樽には川の神をあらわす瓜紋、海の神をあらわす三つ巴、道真公をあらわす梅紋が刻まれ、これらは本殿を火災から守る役目を担っています。一つ一つの構造や造られた背景を知るとおもしろいですよ

天神さまと太宰府天満宮

梅花祭…2月25日は天神さまの御神忌(ご命日)にあたりご縁の深い重要な日です。
道真公がこよなく愛された梅の花を神職が冠に挿し、お供えとして梅花と古来より伝わる特殊な神饌をご神前に捧げて御神霊おみたまをお慰めする祭典が斎行されます。また、24日、25日の両日ともに「飛梅講社大祭」が斎行され、天神さまをお慕いする多くの飛梅講社員の方々がお参りになり、家運隆昌と無病息災をお祈りされます。

梅ヶ枝餅の由来とは

平安時代、菅公こと菅原道真は太宰府に左遷され、罪人同様の生活を強いられていました。毎日の食事にも事欠くという暮らしぶりを見かねた近くの老婆(浄明尼)が、梅の枝に粟餅を巻き付けて菅公に差し入れたといわれています。
太宰府天満宮参道の門前町では、この故事にならい”梅ヶ枝餅(梅が枝餅)”が作られるようになり、太宰府といえば
”梅ヶ枝餅(梅が枝餅)”と言われるほど名物土産となりました
天神さまと太宰府天満宮

この梅ケ枝餅、今では百貨店や通販でも売られているようですが、やはり太宰府の参道に並ぶ店で焼かれているものは違います。
お土産などでもらう梅ヶ枝餅は、もちもちしているのですが、焼きたては、外の皮がパリパリで中がモチモチなんですよね。
この食感は、現地じゃないと味わえない、現地に行った人だけが味わえる特権です。
それぞれのお店で焼いている梅ヶ枝餅は、見かけも味もあまり変わりないようですが、お店ごとに特徴や薀蓄があるようなんです。

そういうことで、いろんなお店の梅ケ枝餅を食べてみたいと思います
太宰府天満宮の名物といえば、「梅が枝餅」びっくり

この定番の「梅が枝餅」、毎月25日だけ「よもぎ」入りが販売されていることをご存じですか?
25日は、太宰府天満宮の祭神・菅原道真公の誕生日(845年6月25日)と命日(903年2月25日)にちなんだ「天神さまの日」。よもぎ入りの梅が枝餅は、この「天神さまの日」限定の特別メニューなんですびっくり

天神さまと太宰府天満宮

梅づくしの太宰府で、よもぎ餅が食べられる「天神さまの日(25日)」
太宰府天満宮で有名なものと言えば梅ヶ枝餅。 焼き立ての梅ヶ枝餅はそれはそれは美味しいものです。
その梅ヶ枝餅が25日になると、よもぎ入りの梅ヶ枝餅になると言うのです。
これは菅原道真の誕生日6月25日と命日である3月25日という25日にかけて
毎月25日は「天神さまの日」と設定されているらしく月に一度ヨモギ入りの梅ヶ枝餅が販売されるという事でした。

お店には「毎月25日販売 よもぎ入り梅が枝餅」の張り紙が張ってありました
もちろん普通の梅ヶ枝餅も売られています
早速一つ購入してみましたが、 緑色の梅ヶ枝餅というのは何とも不思議な感じです。
熱々を頂きましょう。あんことよもぎの良い香りがして、焼き立ては美味しいですね。

天神さまと太宰府天満宮

色々なお店を比較してみましたが、 同じ梅ヶ枝餅でも焼きたてを紙で包んであるのや ラップで包んであるのを渡されたりとそれぞれです。
焼き立てが欲しいと言うと、焼き立てのを出してもらえますので やはり現地でしか楽しめないパリパリの皮の梅が枝餅がオススメです。
緑と白の2色焼きが見れるのも25日ならでは。

天神さまと太宰府天満宮

こちらのスタバは建築家 隈研吾氏が設計された木組み構造を用いた珍しい建物ですニコニコ


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Posted by きくいち at 16:04│Comments(0)趣味

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