すし弁当
お弁当とは、外出時の食事として持参するもので白飯と副食という組み合わせだと定義されているようですが…白飯と副食とを組合わせ、単なるおにぎりなどと比べると手のこんだ弁当が「幕の内弁当」と呼ばれるようになったのは、江戸時代後期からだといわれています。
この頃、料亭などができ弁当を製造販売するようになったようで、弁当は芝居茶屋と呼ばれる観客を接待する店舗にも提供され、芝居の幕間(まくあい)・幕の内に観客が食べるものなので、いつしか「幕の内弁当」と呼ばれるようになったと言われています。
これ以外にも、「幕の内側で役者が食べるから」「相撲取りの小結が幕の内力士であることから"小さなおむすび"の入っている弁当を幕の内弁当と呼ぶようになった」などの説もあるようです。
明治以降になってからは、幕の内弁当は駅弁の様式のひとつとして広まりました。
現在駅弁は、地方色が強いもの、特定の食材を重視したものなどへの傾斜を深めていますが、幕の内も依然根強い人気があり、コンビニエンスストアなどでも多様な弁当が売られるようになりましたが、その中でも幕の内弁当は一定の勢力を維持しています。
このように幕の内弁当は、弁当界の本流です。
【菊一弁当(茶碗蒸し、汁物付き)…2,500円】
本来の幕の内のご飯は、俵型のおにぎりが並べて詰められ黒胡麻を散らし、梅干を載せたものですが、炊き込みご飯・まぜご飯などを使った幕の内風弁当があり、当店では「
すし弁当」として、ばらちらしや握りすしを使ったお弁当をお作りしています。
白飯を使った
幕の内弁当や
松花堂弁当もご要望に応じてお作りしていますのでお気軽にご連絡下さい。
松花堂弁当とは…
松花堂弁当は、中に十字形の仕切りがあり、縁の高いかぶせ蓋のある弁当箱を用いたお弁当で、仕切りのそれぞれに刺身、焼き物、煮物、飯などを見栄え良く配置したものです。
中の十字形の仕切りは四ツ仕切ですが、最近は六ツ切仕切とか九ツ仕切も珍しくはなく、松花堂用サイズの和食器を入れて組み合わせて使います。仕切りを外せば重箱としても使えますが1客ずつ独立してるのが松花堂弁当箱です。
盛り分様式としては、ごはんと数種類のおかずを組み合わせたものであり、幕の内弁当に似ているとも言えますが、その源流は、幕の内弁当が本膳料理の流れを汲む江戸時代に遡るものであるのに対し、松花堂弁当は懐石料理(茶料理)の流れを汲み昭和になってから誕生した様式であり、歴史は大きく異なります。
「松花堂」の名は、江戸時代初期の石清水八幡宮の社僧であった松花堂昭乗に因むものであり昭乗は、農家が種入れとして使っていた器をヒントにこの形の器を作り、絵具箱や煙草盆として使用してと言われています。
その入れ物が松花堂弁当に発展したのは、それから数百年たってからで、昭和の始め頃だとされ、代々式部卿を務めた貴志宮家の大阪(桜宮)邸内の茶室「松花堂」で茶事が催された折、日本屈指の名料亭である大阪の「吉兆」の創始者である湯木貞一氏が、貴志家の当主、貴志奈良二郎(二代貴志泉松庵)よりこの器で茶懐石の弁当をつくるようにと命じられ、後にその事が話題となり、松花堂弁当の名が広まったと言われています。十字形の仕切りがあることで、見た目が美しいだけでなく、互いに味や匂いが移らないと考えたためだそうです。
基本形は汁気の無い、揚げ物・漬物・煮物、などを多品種少量組み合わせ、焼き魚・玉子焼き・練物(蒲鉾等)を定番とします。
そしてご飯、物相でも特に幕の内型と呼ばれる押し型で俵型のおにぎりを作って胡麻を振るという形でこれの原型は握り飯でしょう。
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