なぜ、握り寿司は、二個ずつ出てくるのか?

きくいち

2013年07月24日 11:39

握り寿司の起源は、今から180年程度前の江戸時代の文政の初めの頃と言われています。寿司は、江戸時代に現在のファーストフード感覚で食べられていたものですが、当時は大きく握っていたので食べづらく、またネタ数も少なかったことから二つに切って出したそうです。その名残りで今でも2貫で出すようになったと言われていますが、今日は「なぜ、握り寿司は、2個ずつ出てくるのか?」についてもう少し考えて見ます。

 
 
昔、寿司は大工や左官ら力仕事の職人さんの食べもので、ネタも大きくシャリもお握りのようだったそうです。江戸時代に食べやすいように小型化、洗練し、2個に分けられたという説を聞きます。
けど…それならば単に小さくすれば良いだけで、なにも2個揃いにすることはないだろうと言う否定論も存在します。それは、「日本の伝統的食習慣のタブーは、肉食と一膳飯だった」つまり、寿司もこの「一杯忌避」の延長ではないか?というのです。このタブーが何に由来するかというと、いずれも仏教的な忌避。死人の枕飯(まくらめし)が一膳盛り切り、出棺の前に近親者が食べる出立飯(でたちのめし)も一杯限りだったからだそうです。

確かに昔は1貫が大きく食べづらいからという説があるというのは事実です。一杯忌避説や昔は握りの技術が確立しておらず、小さくすると倒れたから2貫にしてお互いに支えあうようにしたのがきっかけではないかとも…?
 
ただ本当にそうなのでしょうか…?1貫が大きすぎるので切ったからというのはやってみれば判りますがなかなかできるものではありません。一杯忌避説2貫ずつ出すようになった江戸末期~明治初期という仏教が弾圧された時期とは合わないのでは…?
1貫だと倒れるというのも置くときに上から少し押さえつけるだけで解消しますし…。
 
それでは、なぜかと推測しますと、今でも本当の寿司屋では行なわれていますが、同じネタを別々の楽しみ方をできるように別の仕事を施せるようにしています。つまり鮨職人の腕を見せられるように、お客さんはネタの新鮮さと職人の腕前と両方を味わえるのです。それに加えてネタの多くがちょうど2貫分で使いきれるからです。例えば赤貝なんかがそうですが貝の殻をむいてヒモで軍艦、身を握りというのは普通の寿司屋で今でもやっていることです。小魚も半身で丁度2貫位の大きさです。この2つが重なって2貫ずつ出すようになったのではないのでしょうか…?(今時仕事のできる鮨職人が少なくなったからその理由が隠されてしまった)
それとお客さんからしてみると2貫ずつ出てきてネタが古い場合、1貫だけ食べてもう1貫を食べないまま次に別のネタを注文するという無言の抗議ができます。そういったこともお客から支持された理由ではないでしょうか…?

2個ずつ出される理由
有力説…当初は大きめのものを1つ。それを客の要望で2つに。
「一杯忌避」説…1杯(碗)はタブーなので2つ出す。
(他に、1つでは立たない説、勘定を簡単に説など様々あり)

その他にこんな説も…昔は屋台でひとりでやっていたため面倒くさかったので「握り飯大」の握りずしだったようで「あがり」の湯呑みが大きいのもお茶のお代わりが面倒なのがもともとの理由でこれと同じだと言われています。
しばらくはそのままの風習が残っていたのですが、やはりお客さんから食べづらいからこれを2個に切ってくれと言われることがあまりに多くて半分のサイズになったそうです。でもやはり注文受けるのも面倒なのか2個ワンセットとなったようです。売り手側の面倒から始まった商慣習ということで、マクドナルドがハンバーガーを1個分を出すとき食べやすいように半分に切ってきたのと同じことですね。

2貫づつ出すようになったのは戦後になってから戦前は1貫しか握らなかったと聞きます、2貫出しが当たり前になったのは、お客さんの要望というより、店側の都合もあり手間も省けるという理由からと、また、ネタ重視の風潮が支配的になり、握り1貫の寿司飯の量が少なくなったことも関係しているのではないでしょうか…?
 

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