どぜう鍋と柳川鍋…柳川風

きくいち

2014年02月09日 16:06

泥鰌(ドジョウ)といったら柳川鍋、正確にはきちんと開いて骨を取った泥鰌を使いますが、開いていない物も「柳川風」として扱ってもいます。

柳川鍋は、泥鰌を使った江戸生まれの鍋料理でどぜう鍋と同じく泥鰌の鍋料理ですが、基本的には開いた泥鰌と笹掻きにした牛蒡を味醂と醤油の割下で煮て鶏卵で綴じたものです。バリエーションとして、一緒に葱や三つ葉を用いる場合もあり、肉類などを柳川と同じように、笹掻き牛蒡と共に甘辛く煮て卵で閉じたものを「○○の柳川」あるいは「柳川風」と呼ぶこともあります。  



濃いめの味付けで、浅い土鍋にグツグツいいながら目の前に出される柳川鍋はとても美味しいです。 少し悲しいのは泥鰌の大きさが年々ほんの少しずつ小さくなったように感じられること…

江戸時代には泥鰌も牛蒡も精の付く食材とされていたため、柳川鍋は暑中に食べるものとされていました。(俳句の世界では「泥鰌」は夏の季語(「泥鰌掘る」は冬の季語)となっている。泥鰌は鰻に劣らない滋養があり、しかも安価である事から、江戸の庶民に好まれていた) 


 
小振りの鍋に並べた、丸のままの泥鰌を使うどぜう鍋。あっさりした甘めの出汁や割り下で煮ながら、上に長葱を山ほど乗せるというのが正当派。また味噌ダレで下煮するのものもあり、この場合、味醂をほんの少し多めにしますが、入れすぎると、くどくなりますから注意して下さい。

贅沢に大きめの泥鰌を使うと、骨が硬くて頭やエラとか骨がガサゴロと口に残って食べにくいのが難点といえば難点ではあります。困ったことに、熱い鍋など食べたくない真夏ほど骨は柔らかく、おまけに、長葱の一番美味しい時期は冬なのでベストな組み合わせで食べるというのはなかなかに難しいですね。しかし、小振りな泥鰌とセリを組み合わせる裏技もあります。

さて、各種調理に欠かせないのが泥臭さを消す葱と牛蒡。この組み合わせが決め手です。この二つが無かったら「イマイチ」ですね。三つ葉を散らすのは、臭み消しというよりも、引き立て役として扱いたいものですし、山椒の強めな七味唐辛子が有ればなお良いでしょう。 

旬は本来どの季節かは人によって色々に言われていますが、「体を暖め、生気を増し、酒をさまし、痔を治し、さらに強精あり」と、薬膳効果が書かれている本があり、冬にはもってこいの食材でもあります。しかし、夏バテにももちろんのこと効果は「大」であるので、一年中美味しいということか…。

小振りの泥鰌の丸のままの鍋なら冬。なぜならば、水田の堀上げに潜り込んで冬眠している泥鰌は腹にほとんど泥が入っていない。ただし、痩せてしまう前に捕る(掘る)のが正解。また、泥を食っていないものを狙うなら、産卵期の子持ちのメスを狙うこと。
 
豆腐との黄金コンビのドジョウ汁も忘れてはいけません。この場合も牛蒡と葱が欠かせない。多くの地域で真夏の料理として親しまれてきました。(過去形に限定しないが、現在は少ないようです)
土用の鰻よりも、土用の泥鰌といった感じがするほどよく食べられていたといいます。その証拠になるかどうか、ドジョウ汁には茄子を入れるところがほとんどで、今では季節感もないかも知れませんが、茄子は基本的に夏野菜です。(夏の栄養補給には、もってこいのメニューに違いありません)

ドジョウ汁の場合も、あまりに大きな泥鰌は好まれないようです。(泥臭い、骨やヒレが口に残って食べづらいから…)味付けは、味噌仕立てか醤油仕立てで泥鰌の焼き干しを2、3本いれると、味わいが強くなります。  

泥鰌の鍋料理の歴史… 
泥鰌の鍋料理の歴史は、まず、浅草駒形で越後屋が泥鰌を開かずにそのまま使った鍋料理を創始したとされ(「どぜう鍋」のうち「丸鍋」「まる」と呼ばれる)、その後、泥鰌を背開きにして牛蒡と一緒に調理した鍋が生まれた。(「どぜう鍋」のうち「ぬき鍋」「抜き」「裂き」と呼ばれる)

最後に卵でとじる柳川鍋が誕生したのは諸説あり、骨抜き泥鰌を売っていた人物が屋号を「柳川」としたとされていて、その「柳川屋」と言う料理屋が始めた料理であることから、「柳川」と呼ばれるようになったと言う説、使われた鍋が福岡の柳川焼であったからとする説、鍋に泥鰌を並べた姿が柳の葉に似ているからという説、柳川で作られたからという説などがあるようです。

柳川丼…柳川鍋をご飯に載せて丼物に仕立てた料理もあり、柳川丼という。舞子丼という呼び名もあり、これは泥鰌の別名であるオドリコ(泥鰌の身をくねらせる様が踊り子のようなので)に由来する。

どぜう鍋は、泥鰌を煮た鍋料理。

丸鍋…泥鰌を開かず丸ごと調理した鍋。
生きた泥鰌を酒に入れてすぐ蓋をします。最初は暴れますが、やがておとなしくなったところで小さな薄い鉄鍋に並べます。甘辛い割下を注ぎ、煮込み、葱を大量に載せ、山椒や七味唐辛子をかけて食べるのです。「丸鍋」(あるいは単に「まる」)と呼ばれるもので東京下町の名物とされています。(文化元年(1804年)に浅草駒形で越後屋が創始したとされる)

ぬき鍋…丸鍋とは違い、泥鰌を背開きにして牛蒡と一緒に調理した鍋で、文政年間に江戸で誕生した料理とされるが、その起源については、南伝馬町の萬屋説と本所石原の石井説の二説がある。「ぬき鍋」は単に「抜き」あるいは「裂き」とも呼ばれる。

柳川鍋…開いた泥鰌を割下で煮込んだものを、牛蒡と共に卵とじにしたもの。

名前の由来…泥鰌を「どぜう」と表記するようになったのは、駒形どぜうの初代当主“越後屋助七”の発案であるというのが定説だそうです。ドジョウは泥鰌、鰌と書き、旧かなづかいでは「どぢやう」あるいは「どじやう」が正しいらしく、四文字では縁起が悪く、三枚ののれんに書けないという理由から、発音の近い「どぜう」の文字を使用したとされているとか…?

駒形どぜうは享和元年(1801年頃)の創業で、「どぜう」の表記は文化3年(1806年)から用いるようになったようで、老舗の名店がこの表記を採用したことから、幕末近くには江戸の町中でも定着し、他店も「どぜう」を看板として用いるようになったそうです。なお、字面は「どぜう」であっても発音はあくまでも「どじょう」なのです。



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