四国旅行最終日…本日は松山から、香川、瀬戸大橋を渡り岡山にてレンタカーを帰し新幹線で帰路の予定です
それでは、香川県に向かいます…その前に、途中下車、川之江に寄ります。
8年前高松から高知に向い、更に愛媛に移動したときに、川之江のJCTを通った覚えがあります。(川之江JCTは、高松自動車道・松山自動車道と高知自動車道とを接続するJCTで、愛媛県・香川県のみならず川之江東JCTと連携し、徳島県・高知県との交通においても重要な役割を果たしており、四国各方面における交通の要衝です)
愛媛県の東端に位置し、四国の他の3県(香川県、高知県、徳島県)に接している川之江市は2004年(平成16年)4月1日に伊予三島市・宇摩郡土居町・宇摩郡新宮村と合併して現在は四国中央市に生まれ変わっていました。
この街に寄った理由はただ一つ、川之江城です。
川之江城(別名…仏殿城)は川之江港を見下ろせる城山の上に築かれていました。城山には車であがることも出来るという事だったので簡単に登城が可能と思いきや…工事中で駐車場は使用禁止、仕方なく歩いての登城となり、細い道をうねうねと坂を上って行きました 所在地: 四国中央市川之江町、城山公園
【歴史 】
模擬天守ですがやっぱり癒されます
「川之江城跡案内板」より
南北朝動乱の頃(約650年前)南朝方、河野氏の砦として土肥義昌が延元2 年(1337)鷲尾山(城山)に川之江城を築く。
興国3 年(1342 )北朝方、細川頼春が讃岐より7千の兵を率いて攻めてる。義昌は出城の畠山城主由良吉里と共に防戦したが破れ、城を落ちのびて各地を転戦した末、武蔵国矢口の渡で戦死する。細川氏の領有後、河野氏に返され城主は妻鳥友春になる。元亀3年(1572)阿波の三好長治が攻め入るが、撃退している。
土佐の長宗我部氏の四国平定の力に抗しきれなかった友春は、河野氏に背いて長宗我部氏に通じた。怒った河野氏は河上但馬守安勝氏に命じて城を攻めとらせる。天正7年(1579)前後のことと思われる。河上但馬守は轟城の大西備中守と戦い、打たれたという話も残っているが、天正10年(1582)長宗我部氏の再度の攻撃に破れ、戦死落城している。その時、姫ヶ嶽より年姫が飛び込んで自殺したという悲話伝説も残っている。
天正13年(1585)豊臣秀吉の四国平定に破れ、小早川、福島、池田、小川と目まぐるしく領主が替り、加藤嘉明の時最終的に廃城になった。数々の攻防は川之江が地理的に重要な位置にあった為の悲劇ともいえる。
戦国の世も終った寛永13年(1636)一柳直家が川之江藩28600石の領主になり城山に城を築こうとしたが寛永19年(1642)病没。領地は没収されて幕領となり、明治に至ったため、わずか6年の「うたかたの川之江藩」で終った。
どこかで見たことのある天守がここにもあった… 天守は犬山城風な模擬天守ですのでそれだけ撮影すればOKかもしれません 私には同じく模擬の櫓門が結構よく作られているのに感心してしまいました。
川之江城は、峠を越えれば阿波池田、 長曾我部元親が伊予に進入した時、真っ先にこの城を目指しているのも頷けます。今も昔も変わらない。高速道の高松・松山・高知への分岐点は、この川之江にあるのです。
川之江城は、燧灘が北面を洗う小山の上に築かれていますので、それだけに、瀬戸内海に浮かぶ島々などを城跡から見る風景は絶品です。
最上階からは瀬戸内海が一望出来ます。
現在、城跡は「城山公園」となっていて、いずれも模擬建築ですが、三層の天守、櫓門、隅櫓が建てられています。
◆復興建物がズラリ
時間レンタルが可能らしい涼櫓(1987年復興)
涼櫓は2時間程度の目安で貸しきることができるとか。昼間が千円、夕方から夜(21時まで)にかけては二千円になるようですが、何に使うんでしょうか…?すごく気になりますが、私同様気になる方は四国中央市さんに問い合わせてください
川之江城 櫓門 (1987年復興)
虎口
本丸天守台の下と本の丸南側(一段下の腰曲輪)の2ヶ所に、本来の仏殿城の石垣が今も残っている。
川之江城 天守閣 (1987年復興)
中は100円で入れる資料館。 城内は病院の待合室(廊下)のような感じです。 階段は学校の階段みたいで、声が響きました。中には誰もいなかったです。館内写真OK!
ちなみに復興とは…史実に基づいて建てられたわけでなく、ほとんどのケースは史実より立派に作られている建物のことを言います。グレードアップして再現されているのが多く、ここは復興建物がコンパクトにまとまっていて、良い雰囲気でした。
【たった6年しか存在しなかった川之江藩の川之江城】
戦国時代は河野氏や長宗我部氏など、目まぐるしく城主が変わりました。
636年、川之江藩が誕生しますが、藩主に任命された一柳直盛が川之江に赴く途中、亡くなってしまいます。直盛の次男直家が継ぎますが、程なく直家も病死(1642年)。直家に嫡子がおらず、領地を幕府に没収。結果、川之江藩は消滅してしまいました。たった6年しか存在しなかったのです。ある意味、貴重な藩のお城です。
滞在時間、1時間弱、続いて向かうは本日の観光の目玉…丸亀 目指せ丸亀城