外国の料理を日本風にアレンジ!意外と知らない「レストラン」の秘密
かつては、海外の食文化から発展した料理すべてを「洋食」と呼んでいましたが、現在における「洋食」とは、オムライスやハヤシライスといった特定の日本の料理を指し、それらの洋食メニューを提供する店を「レストラン」と呼びます
今日はレストランについて
洋風の日本料理、洋食
近年では、「西洋の料理」=「洋食」と呼ぶことはほとんどなく、それぞれの国ごとに「フランス料理」「イタリア料理」「ドイツ料理」などと呼ぶことがほとんどです。洋食の定義は様々ありますが、特定の国から影響を受けたものではありません。代表的な意見には「外国の料理を日本風にアレンジしたもの」「西洋の調理法に日本的な要素が含まれたもの」などが挙げられます。
レストランのはじまりは江戸時代末期
日本におけるレストランのはじまりと言われているのは、江戸時代末期の1863年(文久3年)に長崎・出島で誕生した「良林亭」です。それまで、西洋人が営む西洋料理店は存在していましたが、良林亭は日本人シェフが看板を出した日本で最初の西洋料理店であり、そのことが「レストランのはじまり」と言われるゆえんです。
その後、良林亭のシェフであった草野丈吉は、1869年(明治2年)に現在の大阪府西区本田にホテルを完成させて料理人を務め、1876年(明治9年)には京都府の祇園二軒茶屋に外国人向けのホテルと西洋料理店を開業しました
現在の良林亭
良林亭は、自遊亭、自由亭へと名前を変えたのちに閉店。現在は、自由亭の店舗を長崎県グラバー園内に移築し、「旧自由亭」として多くの人の目を楽しませています。2階は喫茶室になっており、オランダ人が考案した「ダッチコーヒー」などが楽しめます
洋食の広がりは、肉食解禁にあり
日本の歴史をさかのぼると、6世紀前半に仏教が日本へと伝わった際、殺生を嫌う風潮が世の中にできあがりました。7世紀後半に天武天皇が殺生を禁じたことで、牛や馬の肉を食べることが禁止されてしまいました
鴨や猪、鹿などは食べられていたとの文献も残っていますが、表向きでは、1,000年以上にわたり肉食の禁止が続きました。1868年(明治元年)に「神仏分離令」が交付されたことにより、肉食が解禁となりました。それにより、肉料理が中心であった西洋料理が日本人に受け入れられていったと考えられます
西洋料理としての洋食から、日本料理としての洋食へ
1872年(明治5年)には、欧米賓客を応接できるレストランホテルとして「築地精養軒」がオープンしました。この頃は宮内省に洋食を作れる部門がなかったため、宮内省へ料理を収める「宮内省御用達店」としても名を馳せました
1883年(明治16年)には、明治政府によって西洋料理店「鹿鳴館」が開設され、その後、西洋料理の店が次々と増えていきました。1895年(明治28年)頃には、東京に約1,500店舗のレストランがあったとされ、世の中に洋食ブームが訪れていたことを感じさせます。明治から昭和にかけては、カレーやトンカツ、デミグラスソース、コロッケなどが次々と誕生し、日本料理としての洋食の地位を確立。現在も、街のレストランには、ハンバーグやハヤシライス、オムライスといった洋食メニューを求めて、多くの人が訪れます
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