北鎌倉・縁切り寺、花のお寺として有名な東慶寺

きくいち

2023年05月29日 09:04

週末、久しぶりの家族旅
コロナでしたから、皆が揃って出かけるのは4年ぶりかなぁ
今回の旅は鎌倉・横浜そして川崎に
名所、グルメじっくりと、紹介しますね

先ずは北鎌倉
歴史の深い寺院が多く、古都の趣がある北鎌倉エリア。落ち着いた雰囲気の場所で、ゆっくりと散策するのにおすすめのスポットです

臨済宗円覚寺派のお寺「東慶寺」北条時宗夫人が出家して開山した、北条氏ゆかりのお寺で縁切り寺、花のお寺として有名です



明治時代の後期までは縁切り寺、駆け込み寺とも呼ばれていて、数多くの女性を救ってきたお寺でもあります。現在は縁切り寺としての役割は終え、花のお寺として整備され、多くの参拝者が訪れています

東慶寺の創建や歴史
東慶寺は、弘安8(1285)年に覚山志道尼(北条時宗夫人)が、夫である北条時宗を弔うために開山したお寺です(開基は子である北条貞時)5代目には後醍醐天皇の皇女が住持となり、鎌倉御所、松ヶ岡御所と呼ばれ、格式の高い尼寺になりました。江戸時代には豊臣秀頼の娘が入山し、その後、明治35(1902)年まで尼寺の歴史が続いたそうです。

その後、東慶寺は廃仏毀釈の影響で存続が危ぶまれましたが、釈宗演禅師が入寺し、荒廃したお寺を復興。明治38年に臨済宗円覚寺派の禅寺になり、現在に至っています。東慶寺では明治後期に至るまでの600年間、駆け込めば夫と離縁ができるという女性のための寺法が引き継がれていました

江戸時代には徳川家康が縁切り寺法を制定し、幕府公認の駆け込み寺に。東慶寺に駆け込み、足掛け3年で縁が切れることになっていたそうです。幕府公認の縁切り寺は、東慶寺と群馬にある満徳寺だけだったそうです
明治4(1871)年になると寺法が廃止になり、東慶寺の縁切り寺・駆け込み寺としての任務は終わりました。ただ、縁切り寺として有名なため、現在でも縁切りの祈願に訪れる方はいらっしゃるそうです

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