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2016年03月01日

ちらし寿司の由来・歴史について

ひな祭りは、毎年3月3日に女の子の健やかな成長を祈る行事です。 食べ物も、古くから伝わるお祝い料理があります。 食材には春の旬のものが使われ それぞれの料理や色には、縁起のいい意味が込められています。

ひな祭りといえばちらし寿司びっくりと言うくらいに定番の食べ物として浸透しています。が… このちらし寿司、元々祭礼の日の料理として作られる事が多かった物でちらし寿司そのものにいわれはありません。

えっびっくりじゃぁなんで…はてなと、思われるかもしれませんが、 ちらし寿司は、使われている具材に意味があるのです。

ちらし寿司の由来・歴史について

ちらし寿司の具は地方によって異なったりもしますが、よく使われている代表的な3つの具の意味を紹介しておきます。
1.海老…長生きが出来る様にと願いが込められています。海老の様に腰が曲がるまで丈夫でいられるという意味だそうですよ。ちなみに、海老の赤色は魔よけいの色とも言われています。
2.豆…仕事が上手くいく様にと願いが込められています。「健康にマメに働く」というごろ合わせです。
3.蓮根…先見が上手く出来るようにと願いが込められています。「穴が開いた蓮根は穴から先のことを見通せる」このような意味から願いがきているそうです。

また、「すし」は、一般的に「寿司」と書かれますが この漢字には「寿(ことぶき)を「司(つかさど)る」という意味があり縁起がいいもの、お祝いの席で食べるものという意味を持っています。

ここで、ちらし寿司の由来・歴史について少々…ちらし寿司が生まれた由来ついては色々な説があるのですが、一番メジャーである「一汁一采令」の説を紹介しておきますね。

1664年に備前(今は岡山県)で大洪水があったのですが、その当時の藩主である池田光政公はいち早く災害から復旧する為に、「一汁一采令」と言う、汁物一品と副食一品以外を禁止する倹約令を出しました。この倹約令により庶民の食生活は質素なものになりますが、そんな中なんとか美味しい物を食べたいと誕生したのがちらし寿司です。

ご飯の桶の底に出来る限りの具材を敷き食べる直前で桶をひっくり返す。庶民はこの混ぜご飯で小さな幸福を噛みしめて苦境を乗り越えたのですが、その時の混ぜご飯が現在のちらし寿司の原型になったと言われています。

混ぜご飯(ちらし寿司)は藩令的にはいけない事でしたが、池田の藩主にはこうした庶民の遊びに寛容の人が多かったので、暗黙の了解で許されていた様です。

ちらし寿司がひな祭りに食べられるようのなった起源は、ひな祭りの風習が根付き始めた平安時代頃からと言われています。と言っても、その当時はちらし寿司ではなく、海老と菜の花を具として使ったなれ寿司が使われていました。(なれ寿司はこんなお寿司のこと、今だとサバのイメージが強いですね。)

ひな祭りの際に食べるなれ寿司には海老と菜の花など、色が華やかで具自体に特別な願いが込められた食材が多く使われてました。しかし、時代の流れと共に見た目がきれいで具沢山なちらし寿司も使われるようになり、長い年月を経て気が付くと「ひな祭り=ちらし寿司」のイメージが定着していたそうですよ。ちらし寿司はなれ寿司の立場を乗っ取ってしまったのです。にっこり

ちらし寿司には先に紹介した具材以外にも、今後の成長を願った芽を出す野菜や木の枝のおひたしや、願いがかなうと言われている蛤や浅利の貝類など、縁起が良い具がまだまだ沢山使われているのです。ちらし寿司は見た目が鮮やかなだけではなく本当にありがたい食べ物なので、ぜひ子供の為に用意してあげてくださいね。ニコニコ

最後にちょっとした雑学を。実は6月27日が「ちらし寿司の日」と言われていますが、ちらし寿司の誕生のきっかけとなった藩令「一汁一采令」。この藩令を出した池田光政の命日が6月27日なので、それにちなんでちらし寿司の日が制定されたそうです。



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Posted by きくいち at 10:52│Comments(0)寿司ネタ

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