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2020年06月06日

寿司の歴史NO1…神に供えるすし

先月は色々な寿司の種類や地方の寿司を紹介しましたが今月は寿司の歴史に関するお話を紹介します人差し指まるとく

滋賀県の三輪神社に古来から氏子の人たちによって神饌としてどじょうのすしが供えられています。
琵琶湖の南端にあたる滋賀県栗太郡栗東町の大橋というところにあるのが三輪神社です。社伝によれば、建立は天正16年(744)、奈良・東大寺を開基した良弁僧正が大和の三輪神社から分祀して、大橋村の鎮守としたといいます。言い伝えでは、ある時この神社に白い蛇が現れて村に疫病が広まったことから、これを鎮めるべく人身御供の代わりにどじょうのすしを供えることになったといいます。それがいつ頃からは定かではありませんが、およそ千年以上もどじょうのすしが神に供え続けられているのです。どじょうのすしは日本各地にあったそうですが、現存するのはこの大橋村1箇所だけです。

寿司の歴史NO1…神に供えるすし

由緒書き(三輪神社とドジョウ寿司の由来が書かれています)
この神社はオオナムチのミコト(大物主命)を祀っている。また三輪神社という名は第59代宇多天皇に仕え、この地(大橋)出身の伊賀守源信という者が三輪神社に御参りして子を授かり三輪若丸と名付けたが建武元年に死亡この地に葬ったことに基づく。
この神社の神の使いは白蛇であり、例祭に人身御供を要求したことがあり、その代わりに今では「生きたドジョウ」を漬けこんだドジョウ寿司を神饌として捧げることになったようです。

寿司の歴史NO1…神に供えるすし

<ドジョウ寿司のできるまで>
スシツケ・カイドリ(漬け込み):9月23日
三輪神社に続く南北の道を挟んだ東西2戸が「当家」(=当番)となり、それぞれこの日に、ナマズと「生きたドジョウ」の漬けこみが行われます。
塩をした生きたドジョウ、乾燥させた蓼を混ぜたご飯、それとナマズを順に桶に重ねていき、最後に「神」と刻まれた石の重しが置かれます。そして、桶にはコモが巻かれ、しめ縄がかけられます。
口開け:5月1日
初めて蓋が開けられる日です。できあがったドジョウ寿司をまず神前に供え、その後,宮世話を交えて東西の当家と濃い親戚のみで試食が行われます。

寿司の歴史NO1…神に供えるすし

春祭り:5月3日
昭和36年までは、5 月10日でしたが、現在は5月3日に固定されてるようです。
この日に準備されるお膳を左上写真に示します。方形の膳の中央にミゴクと呼ばれる四角形の型で押したご飯が置かれ、豆腐2丁、芋を串刺しにしたもの、干し鱈を串刺しにしたものが置かれます。 この他、田作り2匹、大根、大豆を載せ,ドジョウ寿司が置かれます。なおドジョウ寿司は土器に盛りつけ、ワラ縄の鉢巻きをし,上にナマズの切り身が乗せてあります。祭り終了後、拝殿での直会(ナオライ)で、氏子の皆さんでドジョウ寿司を頂きます。


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Posted by きくいち at 08:45│Comments(0)雑学

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