大福寺に代々伝わる、徳川家康も愛した味
今日は地元で古くから愛され続けてきた浜名納豆を紹介します
納豆といっても、馴染みの糸引き納豆ではなく、ぽろぽろ乾いた濃い味噌色の柔らかいおまめですこの種の納豆は「浜納豆」という名称で遠州・三河地域で販売されています。
大辞林で浜納豆を引くと「遠江国の大福寺で作り始めたという」と書かれています。大福寺納豆の製法は門外不出とされ、代々受け継がれながら今でも寺一族手作業で作られています
1300年ほど前、唐の高僧が京都の禅寺へ塩辛納豆を伝え、そこでつくられていた塩辛納豆が浜名湖畔のお寺に伝わり、「浜納豆」として広まった、という説があります大福寺納豆の製法は、室町時代から受け継がれ、この製法の納豆は足利・今川・豊臣・徳川の代々の将軍に献上されたといわれています。特に、徳川家康は好んで食したとされ、ある年の献上納期が遅れた際に「浜名の納豆はまだ来ぬか」と、納豆を待ちわびて言ったことから「浜名納豆」とも呼ばれるようになったともいわれています
大福寺…875(貞観179年、教待上人が富幕山に幡教寺を開創し、1207(承元元)年に現在地へ移された際に大福寺と改称された。境内には宝物館や、室町時代の観賞回遊式庭園がありますお堂の境内に敷き詰められた豆、豆、豆。大福寺で、冬になると見られる光景です茶色く発酵した大豆を、天日干しして水分を飛ばし、乾燥すれば、郷土の名物・浜名納豆の出来上がりです
「から皮の猫にあらねば三味線の糸をも引かぬ浜名納豆」…江戸時代の文人・蜀山人が詠んだように、浜納豆は糸を引かない納豆です。元々は「唐納豆」と呼ばれ、修行僧の栄養源として重宝された
お寺の宝物館には、浜名納豆を献上した御朱印が残っています。好きな人にはたまらない味で、お酒のアテやご飯のおかずに使われています
大福寺の浜名納豆には、山椒の中皮が薬味として使われていて、これも昔から代々伝わる、寺ならでは味です
国産の大豆と遠州産の山椒を使ってつくられている大福寺納豆。そのまま食すと塩辛い豆粒の中に旨味とこくが凝縮されていて、日本酒にとてもよくあう味。また、お豆を少しつぶして調味料として使えば、天然素材でありながら独特のこくを加えて、いつもの料理にアクセントをつけることができます
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