懐石/会席料理を知る(御飯)
今日はコース料理のご飯について
「会席料理」は、会話や酒を楽しむことを目的としているため、最後にごはんが出てきます。そして「懐石料理」は、全部で3度、ごはんを食べるタイミングが設けられています。
懐石料理における「ごはん」
「懐石料理」では、1度の食事の中で3度ごはんが提供されます。1度目は、食事の最初。このときには、まだ蒸らされていない、炊きあがったばかりのやわらかいごはんが小さな椀に乗り、汁物と同時に出されます。これは、店側の「今炊きあがったばかりですが、ひとくちだけでも召し上がって下さい」という気持ちをあらわしたものです。
2度目は、少し蒸らしが進んだごはん。3度目は、じゅうぶんに蒸らしが進んだごはんが出されます。2度目以降は、お櫃に入ったごはんも出てくるので、お代わりをしたい人は自分で椀につぎます。
懐石料理は、ごはんを炊き上げるタイミングも決められている
茶事は、定刻前に一通りの儀礼を終えたあとに懐石が始まりますが、料理人は、ごはんがぴったりその時間に炊きあがるように計算しなければなりません。懐石料理のごはんは、基本的には白飯を提供するのが本来のルールです。
茶の湯をたしなむ前の「儀式」
茶事の中でも、午後12時から開催される「正午の茶事」はもっとも正式なものだとされています。招かれた人は、定刻の15分前にはうかがいます。到着した人は「寄付」という部屋に通されたあと、白湯を頂きます。その後、路地に出て、もてなす側の人(亭主)からの迎付を受け、茶室に入ります。
会席料理における「ごはん」
会席料理の場合、ごはんと汁物、香の物は最後に出されます。宴会では、酒を楽しむのも目的のひとつなので、先付や揚げ物をつまみにして酒を存分に楽しんだあと、ごはんを頂く、というスタイルです。白飯だけでなく、炊き込みごはんや混ぜご飯、寿司が提供されることもあります。
懐石・会席料理が登場する以前の「ごはん」
懐石・会席料理のもととなったと言われる「本膳料理」では、ごはんと汁物はメインの膳である「本膳」に置かれ、客人の目の前に配されるものでした。本膳料理にて生まれた「ごはんはとても重要な食べ物である」という流れは、その後の懐石にもつながっていったことがうかがえます。
武家社会の正式な料理形式として広まった「本膳料理」
「本膳料理」とは、客の一人ひとりに対し、数種の料理が乗った膳がいくつも用意される食事スタイルで、武家社会における正式な料理として広まりました。宴会の規模により膳の数が3、5、7膳のいずれかであったことから、「七五三膳」とも呼ばれることもあったようです。本膳料理は、見た目には大変豪華な食事風景であるものの、実のところ膳の多くは観賞用の料理であり、実際に食べられる料理の数は多くなかったようです。あくまでも儀礼的な側面が強く、豪華な膳の数々を目の前に並べ、能や狂言などの芸能に興じる、といった楽しみ方をしていました。
室町時代の中期には、本膳料理専門の料理人も登場し江戸時代までは発展を続けてきました。昭和の初期ごろまでは婚礼披露の食事として用意されることもありましたが、時代の流れと共にその数が少なくなり、現在では、岐阜県飛騨地方の一部のみで実施されています。
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