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2011年10月31日

晩秋の食宴

今年最後の酒の会が決まりました。

今回は相模湾産の高級魚、クエの刺身やちり蒸し、気仙沼産フカヒレをスープに使用した
海鮮しゃぶしゃぶなど、晩秋の旨味がぎっしり詰ったメニューを用意いたしました。
地元の酒蔵、花の舞酒造さんに協賛していただき「大吟醸3年古酒」「新酒純米しぼりたて」
「初搾り」をご用意させて頂く事ができましたので当店の料理と供に食宴をご堪能して頂ける
と思います。

さらに、余興として東京のマジックバー「都々,S Bar」のオーナーによるテーブルマジックと
ショータイムもありますから愉しい時間を過ごして頂けるではないでしょうか…。 



献立
食前酒(鯛骨酒)
クエの刺身(重ね盛り)と旬の刺身の盛り合わせ
海鮮しゃぶしゃぶ(東北気仙沼産フカヒレを使ったスープで…伊勢海老、鮑…最後に氷見うどん)
花の舞の酒粕で漬けた、金目鯛の焼物
東北宮城産生牡蠣もしくは磐田豊岡産海老芋のオーブン焼き(フォアグラソース)
クエのちり蒸し(クエは相模湾産の30k弱の大物です)
クリームチーズの酒粕漬けと三河産フルーツトマト
のし梅と酒粕の天婦羅
御凌ぎで塩釜産バチ鮪他旬の握り

地元の食材はもとより東北地方からも食材を取り入れ少しでも復興支援になればとも考えて
います。

日時、11月17日(木)19時開宴
場所、千歳きくいち
会費、8000円

人数に限りがありますのでお早めにご連絡お申し込み下さい。
  

Posted by きくいち at 08:55Comments(0)大将

2011年10月30日

友達の力って、不思議なもの*

この頃、学生時代のオトモダチが、顔を出してくれます…

というのも、偶然入ったお店!と言った雰囲気で、『アレ〜?!もしかして?!』

という皮切りに…(*^-')bだって、何にもかわってなく、昔の面影を残しつつ、ダンディーになっちゃってました…

私に向かって、『ふとったらぁ!?』と
言われ、イヒヒヒヒと、お返ししました。

中学時代は、彼は頭がよく、テニス部で、あんまし喋らんかったけど…なんだか、現在は、なれなれしく、喋ってまぁすO(≧▽≦)O

なんだか、何でも言えちゃうから、不思議のもの…*


(中学の卒業アルバム…)

一郎くん、いつもありがとっ♪


〈新米女将〉

  

Posted by きくいち at 09:57Comments(0)新米女将

2011年10月29日

若竹おんな泣かせ(純米大吟醸)

男も泣かせる女泣かせ…元祖静岡幻酒「おんな泣かせ 純米大吟醸
この酒を女性が飲むと、酔ってしまうまで飲まずにはいられないと言われることからこの名前がついたとか…。味の良さとユニークなネーミングで一躍有名になった純米大吟醸酒ですが、純米大吟醸酒としてお求め安い値段だったことも大きかったと思います。



ほのかに漂う吟醸香、口当たりが柔らかく、スッキリとした喉ごしの中に深さとまろやかさを備えた旨みのある酒です。
  
「越すに越されぬ…」と詩われた大井川。天保3年にこの大井川の伏流水を使った大村屋酒造場の酒造りは始まったと言われています。以来東海道・島田宿の盛衰と共に歩み続ける蔵ですが、良質な水に恵まれたこの地には、以前は10数軒の造り酒屋があったようですが、現在はこのお蔵だけとなってしまいました。

静岡のお酒も今では全国的に有名になりました。穏やかな香りで優しく丸みのある味わい、そして切れの良さが最大の特徴で、静岡のどの蔵元のお酒も品質的にはずれがないことも理由のひとつです。

静岡酒は磯自慢・開運・初亀といった御存知銘柄が全国区でありますが、その火付け役ともなっのが、この元祖静岡ブランド酒「おんな泣かせ」です。

吟醸酒ブーム以前から登龍門的存在であり、吟醸酒ブームの時には前年から予約しなければ、飲むことのできないお酒であまりの美味しさに女性だけでなく、男も泣かせるおんな泣かせと評されましたが、私ども飲食店でも、なかなか仕入れることが出来ないことから、商売屋泣かせとも呼ばれていました。  

毎年11月の上旬に出ますが、たった一度限りの入荷で名前と雰囲気と格安感から吟醸酒ブームの時から元祖静岡幻酒として君臨しています。

春に搾った純米大吟醸が秋まで熟成させての登場です。
純米大吟醸らしく、香りが甘く感じさせるおんなっぽいお酒。一度は飲む価値ありです。
  

Posted by きくいち at 10:01Comments(0)

2011年10月28日

みぞれ鍋

皆さんはみぞれ鍋をご存じですか?
雪鍋、深雪(ミユキ)鍋、あわ雪鍋ともいうのですが…。
みぞれ鍋とは大根卸しを鍋に入れ、火が通って半透明になった姿が「ミゾレ」に似ていることからそのように呼ばれるのです。 

みぞれ鍋の決め手は何と言っても大根卸しです。
食べたことのない方にはわからないと思いますが、大根をすり卸してただ、鍋に入れただけでは甘い味の鍋になってしまうからダメなのです。 
そこで、通常の卸金を使うよりは、鬼卸しと呼ばれる竹製の卸器を使って粗く卸したほうが早く、口に入れたときにより食感が良いのです。

土鍋に卸した大根を入れ、少量の塩を加えて火にかけます。沸いてきたら一口大に切った豆腐を入れ、温まったところでポン酢などで食べるのです。大根卸しの中で豆腐を煮るとなぜかスが入らないと言われています(同じ理由でよく湯豆腐に刻んだ大根を入れます)
また寄せ鍋などの最後に大根卸しを加えて食べるものをみぞれ鍋と呼ぶ場合もあり栄養的にはこちらの方がビタミンの破壊が少なくてすむと言われています。

卸した大根はそのまま火にかけると「たくあん」のような匂いがするので、いったん絞ってから水にさらし、大根に含まれる硫黄成分を抜いてから使ったほうがよいでしょう。
大根は消化を助ける酵素を含むため、飲み過ぎなどで胃腸が弱り目のときにも美味しく食べることができます。


(通常のみぞれ鍋は鶏肉を使いますが、今回を牡蠣を使ってみぞれ仕立ての鍋を作りました…
11月のコースメニューの一品)
 
みぞれ鍋の作り方…  続きを読む

Posted by きくいち at 10:27Comments(0)コース料理

2011年10月27日

和紙とうだつの街(美濃)

昔の姿そのままに、歴史を体感できる、伝統の街並、歩いて辿る和紙とうだつの上がる町並み…
それが美濃です。見上げれば、そこはまさしく歴史遺産です。

美濃市街地には江戸時代中期から明治初期の「うだつ」の上がる家を中心とした古い町並みが
保存されています。「うだつ」とは、屋根の両端を一段高くし火災の時の類焼を防ぐ防火壁の事で
後に装飾が施され富の象徴と言われるようになりました。 


うだつ上がる町並み…「うだつが上がらない」の語源です。 


松久家住宅うだつ
旧今井家のうだつより少し発達したうだつ軒飾りです。屋号を表す鬼瓦が少し立派になり
破風瓦の下に簡素な懸魚もついています。 


紙の街(番屋前広場)


紙の店
美濃手漉和紙をはじめとし、風合いの異なる数々の生紙、またそれらの特性を生かした
小物などがある…生活空間に和紙のぬくもりを取り入れられる提案をしている。


上有知湊(川湊灯台)

明治末期まで美濃町は「上有知(こうずち)」と呼ばれていました。
金森長近は、関が原合戦の功によって徳川家康からこの地を拝領し、長良川畔に物資輸送の
玄関口として「上有知湊」を開き経済の発展を目指したのです。
江戸時代から明治末期まで流通、交通の中心として栄え船着場までの石段、舟の安全のために
奉祀された住吉神社、石灯籠などが昔の名残をとどめています。


美濃橋(国指定重要文化財)

長良川を渡る真っ赤な橋は現存する日本最古の近代吊り橋です。
大正5年に竣工されたこの吊り橋は日本最大級の支間を実現した吊り橋として歴史的価値の高い
近代建造物です。橋長113m支間116m幅員3.1mで人と自転車しか通れませんので安心です。
緑深き山々と澄んだ長良川を眺めながらゆっくりと楽しめます。


小倉公園
金森長近が徳川家康より美濃の地を拝領した時、小倉山城を築城しました。
小倉山は標高159mの小さな山で、現在、小倉公園として市民や観光客に親しまれています。


春には約1,000本もの桜が咲き誇り、さくらまつりで賑わう人気のスポットらしく当日は地元の
若者のミニコンサートが…城ファンとしては言いようのない気持ちで…


小倉山城

小倉山城は現在では小倉公園となっています。
城郭の規模は明らかではありませんでしたが、公園の上の広場が本丸、下の広場が二の丸、図書館のある所が三の丸であったと考えられます。
上の広場への石段の左側の石垣上に時鐘を釣った櫓があったということで、その鐘は小倉山城が取壊される時に揖斐郡に持ち去られ、現在は揖斐川町の松林寺に現存されているようです。
小倉山の山頂には、天守閣風の三階建ての展望台があり、東には佐藤方政の居城があった鉈尾山城が見えると聞いていましたが今回は残念ながら時間がなく、長良川の流れと美濃市街の眺望はお預けでした。

(注)小倉山城は、山腹に本の丸を置き、石垣の上には二層模擬櫓が建てられ、櫓横の二の丸から
本の丸への石段があり山腹から山頂までの遊歩道の各所に曲輪跡と思しき削平地と僅かに残った石垣が見る事が出来る(城の雑誌から…) 

小倉山城の歴史…   続きを読む

Posted by きくいち at 09:05Comments(0)趣味

2011年10月26日

おすそわけ、してもらいました( ^^ゞ

お好み焼★、
ピカタ★、
ハッシュドポテト★、
里芋のにっころがし★、



たくさん、作ったから、食べて〜と頂きました(^^ゞ

お好み焼は、タクワンと紅しょうがが入っていて、おつまみ感覚★

ピカタは、意外と素朴なかんじ★

ハッシュドポテトは、食べやすい大きさ、息子が絶賛★

里芋のにっころがしは、優しい味付けで、ホッとするぅ★


いっぺんにこんなにたくさんのおかずを頂いて、わが家の食卓は、賑わいました★★★★★

息子が、『今日は、お母さん、どうしたの!?』
なんて、おどけてた〜


実はこのお客様、大将のいとこさんです♪
なにか、私も出来ることで、お返しをしなきゃ!!



〈新米女将〉
  

Posted by きくいち at 08:09Comments(0)新米女将

2011年10月25日

松茸のコース

昨日はお客様のご要望で松茸のコース料理をお出ししました。
特に当店のメニューにあるわけではないのですが、旬の食材を楽しんで頂き、お値段に関係なく
本物を思う存分に使わせて頂ける料理を作れるのは料理人として最高の喜びです。

まずは和え物(焼き松茸と春菊の和え物…ザクロの実)


松茸の土瓶蒸し(10月11日のブログに土瓶蒸しの食べ方を載せてあります)


焼松茸と銀杏の塩煎り(同じく旬の銀杏も…)


御凌ぎで握り(焼松茸と旬の白身の握りをアンデスの岩塩と酢橘で…)


揚げ物は松茸のフライと天婦羅(ローズソルトと天汁で…)


そして最後は松茸御飯(勿論おこげも…)


「次回は何を食べさせてくれるか楽しみだよ」…お客様の一言が職人としての
仕事の活力になります。今回も有難う御座いました。
   

Posted by きくいち at 09:51Comments(0)コース料理

2011年10月24日

金細工師が3冠達成

昨日京都競馬場で行われた中央競馬の3歳クラシックレース最終戦、第72回菊花賞で期待の
オルフェーヴルが3冠を達成したことは皆さんもご存知だと思います。

 

3冠は2005年のディープインパクト以来6年ぶりで41年セントライト、64年シンザン、83年ミスターシービー、84年シンボリルドルフ、94年ナリタブライアン、05年ディープインパクトに続く史上7頭目の栄冠です。無敗の3冠馬、皇帝シンボリルドルフがこの世を去った同じ月に新たな3冠馬が誕生したのは何かの因縁かも…そして、池江調教師の父、泰郎氏はディープインパクトを管理した元調教師で、過去に例のない調教師2代での3冠制覇ともなったのです。


(写真はネットケイバコムから)

以前のブログにも書きましたがオルフェーヴルは私の大好きな栗毛の馬でしかも父親が、以前ファンだったステイゴールド(母の父はメジロマックイーン)。そして馬名の意味もフランス語で「金細工師」と勝手に職人の自分と近い存在だと思ったりして…ニコニコ

デビュー戦、中盤の位置から直線差しきり初勝利を挙た時、オルフェーヴルはゴール後に池添騎手を振り落として放馬してしまい、ウイナーズサークルでの記念撮影も中止となるアクシデントがありましたが、昨日も同じようにゴール後、騎手を振り落としてしまいました。 
まだ3歳で気性の荒いところもあり、レース中かかるところもあるようですが、これで重賞は5連勝、他の3歳馬とはポテンシャルが違います。今後は古馬との闘いになるでしょうが、心配された左回り(皐月賞)、不良馬場のダービー、そして距離が問題だった今回の菊花賞…。全てを後続に2馬身以上の差をつけて圧勝したのだから…ナイス 

菊花賞を勝った馬は本当に力のある馬と言われていますし、暮れの有馬記念などに古馬に勝つこともあります。今年の古馬はかなり力を持った馬が多く、そんな馬たちに新ヒーローがどう挑んでいくのか…今からワクワクします。今後のオルフェーヴルの活躍が楽しみですちょき
   

Posted by きくいち at 09:08Comments(0)大将

2011年10月23日

日本最古の木造模擬天守のある城

郡上踊りが有名な郡上八幡は、城下町情緒たっぷりの街です。
  

郡上古い街並み(八幡町の至る所から八幡山山頂の城が良く見えます)
 
街から吉田川を渡り、城山公園になっている郡上八幡城に向かうと城山には、美濃大垣城の天守をモデルにした模擬天守が建っていました。殆どの模擬天守が鉄筋コンクリートで建築されていますが、この天守は珍しいことに木造天守なのです。天守からは、長良川・吉田川と城下の町並みが手に取るように見えて、城主気分が味わえます。
   

郡上八幡城(本丸桜の丸西側下の帯曲輪より天守南面を見る) 

戦国時代末期、郡上一円は篠脇城を居城とする東氏によって支配されていました。その後東氏は郡上八幡の町を挟んで反対側にある東殿山に東殿山城を構えましたが、永禄2年(1559年)八幡山の上に砦を築いた遠藤盛数により滅ぼされた。遠藤氏は東殿山城を奪って郡上一円を支配したもののこの城を好まず、東殿山城を攻撃した時の砦跡に城を築きこれが郡上八幡城の起源と言われています。



盛数の長男慶隆が城主となりましたが、本能寺の変後羽柴秀吉と対立する織田信孝の傘下に属していたため追放され、慶隆追放後一時稲葉貞通が城主となり、この際に天守や二の丸などが建造されてたようです。その後関ヶ原の戦いの功により再び慶隆が城主となり、以来廃藩置県まで郡上藩の藩庁となります。5代藩主常久まで遠藤氏が城主となり、以下井上氏2代、金森氏2代、青山氏7代と城主が変遷。青山幸宜が藩主の際に明治維新を迎え、廃藩置県により廃城となり廃城の翌年、石垣のみを残し取り壊されたのです。


天守閣(かつて、天守閣は存在しなかったので、この模擬天守は史実に沿ったものではありませんが、木造復元としては日本最古です)

郡上八幡城は通称 積翠城、郡城とも呼ばれ、水清らかな奥美濃、郡上踊りで有名な郡上市に位置し山間に開ける吉田川と小駄良川の合流点の八幡山に築城されたこの地は、美濃・飛騨両国を結ぶ要衝でした。城は山上と山下から構成され、山頂に旧本丸である桜の丸・松の丸を置き、山下に旧二の丸(江戸時代の本丸)、さらにその麓に侍屋敷地(江戸時代の三の丸)が配されていて江戸時代には、この山下部が実質的な城郭機能を果たしていたようです。山上には美濃大垣城を模した木造模擬天守や隅櫓などが建てられて観光地化してはいるものの、石垣はほぼ旧状を残しています。
 

郡上八幡城櫓と石垣
(山上部の曲輪は、全て石垣によって築かれ、帯曲輪が巡らされていて南東方向に伸びる
尾根上には、階段状に腰曲輪が段々に築かれています)


天守城門(本丸桜の丸への石段と城門手前右奥に入城券売所・売店があります) 


天守5階から南西方向を見ると中央の高架が東海北陸道、川は吉田川 右中央の山裾向こう側の、吉田川と長良川との合流点付近に郡上八幡駅および郡上八幡ICがあります。


山城で城から見下ろす城下町のたたずまいは大変美しいです。
天守から見た本丸桜の丸西南角にある隅櫓(模擬)と城内側(本丸桜の丸内側) 


海抜354m(比高130m)の売店のところから見た東殿山


東殿山城跡…山頂東(左)側には、遠藤盛数に落城滅ぼされた東常慶の東殿山城跡
山頂西側には東氏旧城の赤谷山城跡があるそうです。


隅櫓、石段…急峻な斜面を利用して石垣が築かれたため、自ずと2~3段の構造となっていて
この松の丸には、比較的古い石垣が残されています。


首洗いの井戸跡
本丸松の丸北側にあたる無料駐車場は本来、北方尾根を切断する巨大な堀切だったようです。


一豊夫婦像(旧二の丸跡に建つ「山内一豊と妻の像」で旧二の丸跡には土霊水井戸跡も
ありました。  

城下町情緒を満喫でき、最古の木造模擬天守を見て私にとってはとても癒される時間でしたナイス
  

Posted by きくいち at 10:03Comments(0)趣味

2011年10月22日

少しだけの静養(美濃、郡上八幡の旅)

商売をしているとなかなか休みが取れなく、休んでも半日が精一杯なのですが、先日の料理人の集まりで出合った、友人の誘いもあって思い切って休みを取り先週の日曜日、美濃と郡上八幡に行って来ました。
考えてみれば9月4日以来約一ヶ月半ぶりの休みで…休みが嫌いなわけでは決してないのですが、貧乏性と言うか…今回もある会の集まりがあり半分はそちらの用事も兼ねての旅でした。
時間の合間に観光…勿論、お城は寄って来ました。
お城、観光はまた改めて書きますが今日はまず料理から…


美濃で立ち寄ったお蕎麦屋さん
(刻み大根と柚子の香りが蕎麦にピッタリで心がホッとする味でした)

古風な料理旅館…「風に揺れる木々の葉音が届く山の宿」


まずは前菜から

7点盛り(川海老唐揚げ、いか沖付け、バイ貝、クリームチーズの酒盗のせ
生ハムレアチーズマリネ、もずく、枝豆)


飛騨牛の刺身(綺麗なサシ脂でした)


天然鮎の塩焼き(天然ものは味が違います。時期に来れば冷凍ではなかったのですが…)


地元寒天豚の豆乳しゃぶしゃぶ(脂質に優れ柔らかくコクと甘味のある豚肉でした)


鰻茶碗蒸しのお粥博多(カダイブに南京、人参のチップ、いくら)…発想の面白い料理で
とても美味しかったです。


鮎のフライ(マンゴーソース?とフランスパン…)


鮎雑炊(天然鮎の完璧な出し汁)


デザート(グレープフルーツのシャーベット、プリン、フルーツ各種)


当館は天然郡上鮎取扱店に認定されていました


鮎の投網(時期には天然鮎がたくさん獲れるようです)


朝食(山菜の漬物が特に美味しかったです…)

料理のレベルも高く、開放的な窓から見える郡上の山々の自然溢れる光景と、川のせせらぎを
愉しみながら、温かみの溢れる和の空間でした。
少し歩くと別館に情緒溢れる岩風呂があり窓の外には、美しい緑が生いて、自然に触れながら
静かに時間の流れを感じ、久しぶりで少し静養ができた気がしまた。

そしてもう一つ、本館から岩風呂に行く間に城跡が…これは嬉しかった…ニコニコ


旅館の付近の山側に入ると登り口で城址標柱が立っていて地元の話によると、昔は道の整備を
していたようですが、現在はしていないとの事でした。城址標柱のとなりに木越城跡の概要が
たっていて城史に、よると、遠藤盛数の兄胤縁が築城したと言われています。

木越城の役割案内板

 
15世紀末に、篠脇城主東元胤の末弟・遠藤盛胤が長良川の押さえとして築城しました。
以後、遠藤氏が代々居城したが、天正16年(1588)、豊臣秀吉の不興を被り、加茂郡に移封され
木越城は廃城となりました。
遠藤盛数の長男・慶隆は木越城で生まれ妹・千代(山内一豊の妻)もこの木越城で生まれたかも…

唯一の心残りは、日頃の寝不足で早く寝てしまい、旅館の敷地内に併設された、昭和の香り漂う
木造の蔵(古くから使われてきた日本の家屋を移築した蔵をBARとして利用してあった)で お酒を楽しむ事が出来なかったことです…。

こちらはまたの機会に…ひみつ
   

Posted by きくいち at 10:55Comments(0)大将

2011年10月21日

赤の発色が強く味のいいクマエビ

クマエビ(隈海老)が入りました。地方名・市場名は アシアカ(足赤)、アカアシ、アカエビ(赤海老)と言われ浜名湖でもおなじみの海老です。



体長は13センチ位になり色は黒褐色から茶褐色で脚が赤いのが特徴です。
大型のクルマエビの仲間で、関東以西の内湾などに生息していて熱を通すと赤の発色が強く味がいいので高級なエビのひとつにあげらています。
流通するものは総て天然もので国内では主に西日本でとれ、中部以東の東日本では少ないようです。近海でとれるものはわずかで、市場に出回っているほとんどが輸入もので熱帯太平洋域やインド洋、アフリカ東岸などから冷凍輸入され、様々にパッケージされ市場に出回っています。(東南アジアで養殖されているブラックタイガーはこの種類です) 
 
産卵期は初夏か初秋で旬は冬から春です。 
赤の発色が強く、肉はしまってほどよく繊維質で甘み、エビの風味、旨みともに豊かで調理法としては 揚げる(フライ、天婦羅)、焼く、茹でるなど幅広く使われます。勿論鮮度のいいものは刺身で食べますし生でも茹でても鮨ネタとしても最高です。

殻つきのまま茹でると赤の発色がよく、身はよく締まるり甘み、旨みともに十二分にあり、エビの風味がたってとても美味しいです。塩焼きは小振りのものを振り塩して炭火などで焼くと(短時間に強火で焼くのがいい)エビの香りが高く、身にはほろっと甘みがあって美味しく、小振りのものは天婦羅にすると熱を通すことで、ほどよく赤く染まり、見た目にも美しく揚がります。
海老フライは日本の洋食の代表的なメニューで天婦羅よりも厚みのある衣であるために熱を通すとしまる身はより豊潤でエビの香りも高くその上パン粉の香ばしさがさっぱりした味わいを生みます。 

好んで食べる地域…    続きを読む

Posted by きくいち at 10:24Comments(0)旬の魚

2011年10月20日

2011年11月のコース

早いもので今年も後2ヶ月ちょっと…忘年会の事もぼちぼち頭をよぎるのでは…
早いところでは11月に済ませるところもあるようで…?そんな中お得で豪華な「きくいちのコース」を
ご利用してみてはいかかがですか…?
今月とは違う調理法で蟹料理を楽しんでいただけると思います。
さらに旬の食材に手間をかけ本格的料理に仕上げましたので、皆さん是非ご利用下さい。

【5000円コース】
 

タラバ蟹の蒸籠蒸し(原木椎茸、小松菜)
牡蠣鍋みぞれ仕立て(芹、焼き葱、春菊、焼き豆腐、舞茸)
海老芋パイ包み焼き(蒸しウニ、海老、銀杏)
静岡育ち和牛ペッパー焼きフォアグラソース
   下仁田葱のオーブン焼き(ガーリックバター)梨ワイン煮、フルーツトマト、ミニ大根
車海老と帆立のフカヒレ餡かけ
旬の握り、汁物、デザート

【4000円コース】
 

ズワイ蟹の蒸篭蒸し(原木椎茸、小松菜)
天蕪、和牛のホホ肉の小鍋仕立て(芹、紅葉麩、焼き葱)
海老芋柚子味噌田楽(春菊と菊花の和え物酢橘釜)
下仁田葱の天婦羅(車海老、舞茸、うに醤油)
旬の握り、汁物、デザート

【3000円コース】


ズワイ蟹の蒸篭蒸し
牡蠣のすき鍋
旬の素材の揚げ物
旬野菜と海鮮グラタン
日替わり鮨屋のまかない丼

  

Posted by きくいち at 10:13Comments(0)コース料理

2011年10月19日

酸味が無く酢飯にバッチリ合う…もくあじ

福田の「もくあじ」が入りました…。(黒潮流れる太平洋側(特に西日本)では普通の食用魚ですが見た目の悪さから関東の市場にはあまりでないようです。この辺ではもくあじといいますが正式名称は沖鯵でところによっては泥鯵、銀鉄などとも呼ばれます…)
見た目が鯵科の他魚に比べてすがしさに欠け、ボテっとした感じで、薄汚れて見えるのでその分、値段的にも安く、庶民的な魚ですが初夏から秋にかけて、鮮度さえよければ、これほど美味しい魚も珍しく「もくあじ」の握りは脂があって、その脂が甘く、酸味がほとんどありません…これが酢飯にバッチリと決まっていい味わいなるのですナイス
 


産卵期は3月〜8月で盛漁期は秋。
白く上質な身質ですが鮮度が悪くなると身がすぐに白濁します。
刺身にして味が酸味が少ないのでよく酢飯との相性が抜群で食感は柔らかいのですが旨味脂がありますから握りはお勧めです。後は脂があるので塩焼きも美味しく煮付けてもしっとりしています。
またオリーブオイルなどでフライパンで塩コショウして焼くとふわっとソフトに焼き上がります。
他にはフライ、唐揚げなどフライ、ムニエルなどにもむくと思います。

魚は見てくれで判断しないようにしましょう…ニコニコ
  

Posted by きくいち at 11:52Comments(0)寿司ネタ

2011年10月19日

甘くビターな味わい…青酎(あおちゅう)・麦

人口約200人、日本で最も小さい自治体である伊豆諸島の東京都青ヶ島村が焼酎ブームの波で人気に火がつきテレビなどで幻の焼酎として紹介され「青酎」が大人気になっているそうです。

「青酎」は江戸末期、約68キロ北にある八丈島の流人が青ヶ島に伝えたとされ、1周9.4キロの島は、高さ200~250メートルの断崖絶壁に囲まれていて、冬になると強風で外部との交通が1か月以上閉ざされることも度々だったらしく、そんな時に島民がたしなんできたのが青酎だったと言われています。
もともと島の家庭で作られていた一種の密造酒のようなもので、島外では飲むことができなかったそうです。その後島民による「青ヶ島酒造合資会社」が設立され、毎月数百本ほどが出荷されるようになりました。その焼酎が人気に火がつき、そのあおりで島民の手には入りにくくなり、島民の間では「島酒なのに、遠い存在になった」とも言われているようです。 



青ヶ島産の青酎は大変稀少な焼酎です。
島で採れるサツマイモに麦麹を加え、「野性味のある味わいとコク」の芋焼酎が人気ですが今回は25度青酎麦を紹介します。三年間貯蔵された麦麹を使用した麦焼酎「青酎麦」はやわらかで、芳ばしい麦の香りが楽しめる麦焼酎です。
お湯割りで麦の甘さが際立ちます。なめらかな麦の甘さと余韻が良くロック・水割り・お湯割り・お好みで楽しめます。

麦焼酎「青酎麦」の35度バージョンもあり、こちらは7年間じっくりと貯蔵された麦焼酎です。 
「35度青酎麦」も香りは麦らしい芳ばしさを楽しませてくれながらも、どこかパッションフルーツやココナッツ・そしてチョコレートのような香りが混じりあっています。口に含むとキリッとした口当たりで、麦麦しい香りと、後から来るほんのりとした甘くビターな味わいが程良く心地良く楽しめます。

こちらもロック・お湯割り・水割・お好みで楽しめますので是非一度、皆さんも喉を潤してみて下さい。
  

Posted by きくいち at 10:48Comments(0)

2011年10月18日

じっくり煮込んだ白濁スープの水炊き

朝、晩だいぶ肌寒くなってきました。今日は10月のコース料理から一品「水炊き」を紹介します。
水炊きは日本全国で食される鍋料理ですが、元は主に福岡県博多の郷土料理で「博多水炊き」は、慶応年間にその起源を持つ別名「博多煮」とも呼ばれ博多を本場として各地に広まりまったものなのです。


(10月のコース料理から…三河地鶏の水炊き)
当店では鶏の水炊きのスープを取る時は鶏ガラと骨付きもも肉のぶつ切りし、それにお米を一緒に炊いてスープを取ります。(お米を入れることで柔らかくまろやかなスープに仕上がりるのです)

この水炊きですが料理法は似ていますが、博多とその他地域では違いがかなりある料理です。
皮や骨付き鶏肉(主にもも肉)のぶつ切りを用い、鶏肉や骨から出る旨味を生かすために、他の調味料を使わずに水から煮立たせるのが本来の調理法のため「水炊き」と呼ばれます。ただ現在お店によっては、味を安定させるため最初から鶏がらのだし汁を用いたりしている場合があり、博多以外の地域では、追加の出汁として昆布を鍋底に敷いたものもあります。煮汁に味を付けることは基本的にはせず小皿にポン酢や柚子胡椒等を入れて味を付けて食べるものです(唐辛子のみ、または追加調味料として辛味をつけることはある)

普通、鶏肉の他に水菜、白菜ないしキャベツ、長葱を入れ、好みでキノコ類、しらたき、春菊などを入れます。また鶏肉以外に牛肉や豚肉を単独で、あるいは豆腐や海鮮類(カキやタラ)などを一緒に煮炊きする場合も水炊きと呼ぶこともあります。(残っただし汁にうどんを入れたり、ご飯を入れて雑炊にする場合もある)博多の郷土料理が起源とされていますが、鶏の鍋焼きは江戸時代から全国的にあり、明治以降になって鳥鍋として盛んに行われるようになったようです。
また、長崎に生まれた林田平三郎が西洋料理のコンソメと中国風鶏のスープをアレンジし、博多水炊きを完成させたのが起源であるという説もあるようです。

博多水炊きは「がめ煮」とともに福岡県の郷土料理として郷土料理百選に選ばれています。

がめ煮…    続きを読む

Posted by きくいち at 09:18Comments(0)コース料理

2011年10月17日

タカサゴはグルクン

鮮度のいい「高砂」が入りました。
魚に詳しい人は「グルクン」ではないかと思うでしょうが、実は同じ魚で、我々は高砂の呼び名の方が馴染みがあります。独特の色合いに黄土色の明瞭な縦筋があり尾鰭の先端部に暗色斑紋ある綺麗な魚です。


(傷みの早い魚なので刺身で食べるにはかなり鮮度のいいものでないとダメですが今回のものは充分刺身にできるほどいいものでした)
 
「たかさご」は東京、小田原での呼び名で「たか」は漁村用語で岩礁のことで、「さご」は「細魚」、「小魚」のことですから「岩礁帯にすむ小魚」の意味だそうです。 
南日本。~西太平洋の岩礁域に生息していて昼間は岩礁やサンゴ礁域を群れで遊泳し、餌となる動物プランクトンを捕食し夜間は単独で、岩の陰などに潜んでいるすんでいるようです。
 
沖縄では、釣りの対象魚、もしくは漁業の主要対象種のひとつで、追い込み網などにより漁獲されます。身は白身で淡白、唐揚げや塩焼きが良く知られていますが刺身も美味しいく沖縄県では、県魚に指定されていて標準和名よりも「グルクン」で知られています。 

新鮮なら刺身やたたきにして美味しく特に沖縄では安くて味がいいために代表的な惣菜魚(大衆魚)で丸揚げにもして良く食べられているようです。練り物材料としてすり身などにして蒲鉾などが作られますが、タカサゴの蒲鉾は以前、食べたことがありますが意外に美味しかった記憶があります。
他には煮付け、塩煮(塩味で煮て、酢醤油で食べる)、フライなどにしてもいいでしょう。

機会があったら、皆さんも色々な魚を食べてみてください。
 
   

Posted by きくいち at 08:05Comments(0)寿司ネタ

2011年10月16日

信州原木椎茸

このところ放射能問題で伊豆の乾燥椎茸が騒がれていますが、今日は椎茸について書きます。

菌床椎茸栽培」は効率的な方法により、今では椎茸の消費量の9割以上(中国産を含む)を占めると言われています。一方、重労働で自然環境に左右されやすい「原木栽培」は、年々生産量は落ち込み、後継者もほとんどいないという状態です。また中国産の輸入椎茸(菌床栽培)の登場によって、価格競争は激しさを増し、益々原木椎茸の生産者は減少してまいりました。生産効率のよい菌床椎茸の登場により、確かに食材としての手軽さはありますが、その反面、椎茸本来が持つ「香り、歯ごたえ」に大きな変化をもたらしたのです。


(信州産の原木椎茸…肉付きのいい原木椎茸の歯応えと香りを是非楽しんでみて下さい。)

●原木椎茸
山から樹齢20~25年たったナラやクヌギなどの広葉樹を1mほどに切り出し、椎茸の菌を接種。
250日から300日間、自然の環境を利用して培養し、その後ハウスで椎茸を発生させる栽培。
原木1本(5~10kg)を1日に2000~3000本動かすのは大変重労働。自然の気候や天気に左右されやすく、年間の安定生産が難しい。 

●菌床椎茸
短期間、低コストで大量生産できる菌床椎茸は、おがくず、栄養剤、水を混合し、一辺が20cm
ほどの大きさのブロックに整形。殺菌処理後、椎茸菌を接種。 空調管理された施設内で90日ほど培養。その後椎茸を発生させる方法。1ブロックが2kg前後と軽量で、施設内に収容できるブロック数が多く、かつ栄養剤の豊富な栄養により高い収量が取れる

椎茸は昔からありましたが、栽培は不可能で自生したものを採集していたようです。その一方で精進料理において出汁を取るためには無くてはならないもので、道元が南宋に渡った際に現地の僧から干し椎茸を持っていないかと問われた逸話があるほど高価な食材だったそうです。

江戸時代から、原木に傷を付けるなどの半栽培が行われ始まったようで椎茸菌が原木に付着して椎茸の生育が見られるかどうかは全く不明で椎茸栽培は成功した場合の収益は相当なものでしたが、失敗した場合は全財産を失うほどの損害となるため一種の博打だったと言われています。

人工栽培の方法は20世紀に確立されたようで、最近では原木栽培または菌床栽培されたものが市場流通品の殆どを占め2006年10月1日からは、商品に必ず原木栽培品か菌床栽培品かを表示する事が義務付けられました。現在では人工栽培の方法が諸外国にも普及しているものの、日本産干し椎茸は本場ものとして台湾、香港などで人気があり、各地の業者が輸出をしています。

原木栽培とは天然の木を用い木材腐朽菌のきのこを栽培する方法で、伐採し枯れた丸太に直接種菌を植え付ける方法で丸太(原木)をそのまま使うことから原木栽培と言われています。 

親戚が山で椎茸を作っていて植菌した原木をもらってきて栽培したことがあるのですが1年だけ原木ををダメにしてしまいました。なかなか素人では何年も続けて栽培する事は難しいのですが、作り方を聞き、調べましたのでよかったら参考にしてください。

原木椎茸の作り方…   続きを読む

Posted by きくいち at 08:58Comments(0)季節の野菜と果実

2011年10月15日

石鯛の仲間…石垣鯛

石垣鯛は石鯛の仲間で高級魚として取り扱われています。
魚体に黒い斑点が「石垣」に見える事からこの名前がついたようで、この魚は老成魚になると黒い斑点が薄くなり、雄に限って消えて無くなります。
口の部分が白く残り、その事から別名「口白(クチジロ)」と呼ばれるようになり石鯛は反対に老成魚になりまと、口の部分が黒く残り「口黒(クチグロ)」と呼ばれます。

 

旬は夏ですか寒い時期の石垣鯛も美味しく冬場は大型よりも小型〜中型のものがオススメです。



石垣鯛は石鯛に比べ暖かい海に棲息している事が多いようで南方の場合、シガテラ毒による食中毒が確認されています。日本では南西諸島(九州の南方から台湾にかけて)が中毒域にあてはまるそうです。

刺身が美味しく薄造りにして醤油、ポン酢などで食すと堪りません。
「あらい」にすると身が引き締まり、とっても美味しく食べられます。
この魚の不思議なところは寒い時期には小振りのものでも脂がのって美味しく大小で非常に値段の開きがあるので寒い時期の小型魚は狙いです。

石鯛と同じように調理出来ますが石鯛と同じようにこの魚も少し磯臭さを感じる事があります。
そのような場合はハーブを使い「香草焼き」などにすると美味しく食べられます。 
カルパッチョやサラダにしても美味しくムニエル、ポワレ、煮付けなどにしますが、加熱すると磯臭さがあり好き嫌いが出るので田舎っぽく醤油辛い味付けがむいていると思います。
   
あまり食する事がないでしょうが石鯛同様その食感と磯の香りを一度味わってみてください。
   

Posted by きくいち at 09:17Comments(0)寿司ネタ

2011年10月14日

秋の味覚の代表…栗

秋はいろいろな楽しみがあります。
読書の秋にスポーツの秋・・・でも、やっぱり「食欲の秋」ですね。
秋刀魚煮、松茸、柿…どれも美味しいけれど、お料理にもスイーツにも使えて美味しいのがです。
栗の炊き込みご飯に栗の甘露煮、栗きんとんにモンブランなど様々。
栗の皮はむくのが面倒で、なかなか調理しない方も多いんじゃないでしょうか…?買ってくる天津甘栗はあんなに甘くて美味しいのに、家でそのままゆでてもパサパサしてあまりおいしくなかったりすることがあります。今日は栗の種類や特徴について少し紹介します。



秋の味覚を代表する栗は、大きく分けて4つの種類があります。国内で一般的に売られている日本栗、天津甘栗でおなじみの中国栗、マロングラッセなどに使われるヨーロッパ栗、そして日本ではあまり見かけないアメリカ栗です。見かけはあまり変わりませんが、それぞれ地域に合った特徴があるようです。

日本栗は野性の芝栗を品種改良したもので、果実が大きく風味が良いのですが特徴で、甘みがやや少なく渋皮がはがれにくいのが難点です。(栗の種類は筑波、丹沢、銀寄、石鎚、利平、国見、岸根、、伊吹など)平安時代に京都の丹波地域で栽培され始め、徐々に地域が拡大していきましたが丹波では現在でも栗の栽培が行われていて「丹波栗」はブランド品として有名です。
一方、中国栗は甘くて渋皮もむきやすいのですが、果実が小さくて栗の害虫である「クリタマバチ」の被害を受けやすく、日本では栽培されていません。「天津甘栗」の原料としてよく使われているのは「板栗(バンリー)」という品種だそうです。

ヨーロッパ栗は小ぶりながら渋皮がむきやすいのが特徴です。しかし、こちらも病気や害虫による被害を受けやすいため日本では栽培されていません。アメリカ栗は果実の品質が良く、また大きくて強い樹が木材として使われるほど利用価値の高いものでしたが、「栗胴枯れ病」の被害によりほぼ壊滅したといわれています。現在でも一部の地域で栽培されていますが、病気に弱いので日本で栽培することはできません。 

さて栗の見分け方ですが、果皮に張りと光沢があってずっしりと重みがあるものが良く。古い栗は水分が減っているので重みがなく、味も風味も落ちています。当然ですが、傷が付いていたり黒っぽく変色していたり、穴があいているものは避けましょう。ちなみに栗の実(毬果:きゅうか)はイガで覆われ、食べられる果実部分は「鬼皮」というかたい果皮と「渋皮」という種皮に覆われています。果実は種子が発達したものなので栗は「ナッツ」の一種です。 

栗はかたい果皮に包まれていますが保存はあまりききません。時間が経つと水分が飛んで実が収縮して味が落ちたり、虫に食べられたりするので購入したら早めに食べるようにしましょう。保存するときはビニール袋に入れるか新聞紙に包んで冷蔵庫の野菜室等で保存して下さい。また0度に近い温度で約1ヶ月間冷蔵保存すると甘みが増します。 

また、多少風味は落ちますが冷凍すれば半年間ぐらいは保存することが可能です。この場合はよく洗ってから水気を切り、ポリ袋などに入れて冷凍庫にいれます。食べるときはそのままゆでればOKです。むき栗を保存するときはアク抜きをし、水の中に入れて冷蔵します。ただしこの場合は最低でも3日以内に食べてください。むき栗を長期保存したい場合は、かたゆでにしてから冷凍保存します。
 
栗の栄養価
栗の主成分は、糖質でブドウ糖やショ糖を多く含むため甘みがありご飯やパンの代用としてカロリー源になります。ビタミンB1、C、食物繊維が豊富に含まれており、疲労回復、風邪の予防、整腸、便秘、肌の老化防止等々に効果的です。消化吸収が良く体内で他の食物と合わさり栄養素の吸収を助けます。

栗の皮むきの方法
沸騰したお湯で2~3分湯がくと鬼皮が柔らかくなりむき易くなります。  

栗料理は(ゆで栗、むし栗、焼き栗、栗のから揚げ、栗の甘露煮、栗かのこ、栗の茶巾しぼり、栗ごはん、栗おこわ、栗の渋皮煮)など数え上げたらきりがありません。詳しくはまた次の機会に紹介しますが今回は美味しい栗の茹で方だけ付け加えておきます。

美味しい栗の茹で方…   続きを読む

Posted by きくいち at 11:00Comments(0)季節の野菜と果実

2011年10月13日

女将のスタミナ源

うちの女将は朝に夜に、寝る間もなく小さい身体でゴム鞠のようによく働きます。

 

そのスタミナ源は食欲か…?ニコニコ今日は女将の手料理を紹介します。
夜食に作ってきてくれたチキンドリアです。



ドリアは皆さんも家庭でよく作ると思いますが、お米を使った料理のひとつで一般的な調理法としては、バターを塗った耐熱容器にバターライスまたはピラフを盛り、ベシャメルソース(ホワイトソース)で覆い、その上から削ったパルメザンチーズをふりかけ、表面に焦げ色がつくまでオーブンで焼きます。エビやイカをいれたものはシーフードドリア、鶏肉をいれたものはチキンドリアと呼ばれるなど、具材によって様々な呼ばれ方をされます。
 
確か、ドリアは横浜ホテルニューグランドの初代総料理長が創作した料理だったと思いましたが、女将の作ったものはそのときのシェフがいれば多分ビックリしたぐらいの出来栄えで、フランス人やイタリア人も驚くと思いますニコニコ

女将は料理を作る事は好きなようですが家庭と仕事の事で色々悩みもあると思います。さらに時間も不規則なのにつらい事を出さず毎日笑顔で働いてくれる事は頭が下がる一方です。これからも美味しい物をたくさん食べて元気で頑張って欲しいと思っています。女将のスタミナ源は食欲ですからねラブ 

もう一つ…朝の特製お弁当も…朝から今日も元気ですちょき



チキンドリアの作り方…   続きを読む

Posted by きくいち at 10:18Comments(0)大将