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2011年12月31日

無事1年終わりました

やっと終わりました…。
今年は、東北の震災後、生産者の災害、物流の混乱、さらに世の中が自粛ムードになり浜松祭りなどのイベントの中止、節電、製造業の土日操業、秋には浜松に台風が上陸し、タイの洪水と我々飲食と取り巻く環境も厳しい1年でした。
そんな中何とか無事に1年を終る事が出来たのは、今年の漢字「絆」ではありませんが、お客様皆様との心のつながりがあればこそだったと思います。改めて人とのふれあい、関わりを大事にしていくことの重要性を肌で感じました。来年も勇気と希望もって、皆様と一緒に当店を盛り上げていくつもりです、なにとぞ皆様方には変わらぬご支援とご鞭撻を宜しくお願いします。
1年間本当にありがとうございました。

 

千歳きくいちは本日(12月31日)より1月3日までお休みを頂きますが、私を含めスッタフ全員は
本店にて、皆様をお迎えするようお待ち申し上げています。

菊一本店…12月31日
     (出前のみ予約営業)誠に申し訳ありませんが当日は予約で込み合っています。
     1月1日から3日まで(休憩なしの21時まで営業)
     (当日の出前も承りますが予約多数の関係上、配達時間はご考慮下さい)
     1月4日から通常営業
遠鉄きくいち…1月2日から通常営業
  

Posted by きくいち at 04:00Comments(0)大将

2011年12月30日

今年の最後はやはり東北のお酒で…

色々あった今年1年、特に東北の震災は私たちに色々な教訓を与えてくれました。
今年ほど物造りの素晴らしさを力強さを感じた年はありませんでした…東北の粘り強さと頑張り。
やはり最後は東北のお酒で今年を〆たいと思います。

浜千鳥純米酒 

 
浜千鳥、出羽桜 
「浜千鳥」の由来は、国立公園に指定されている風光明媚な陸中海岸の浜辺に群れなす千鳥をイメージして名付けられました。岩手県の豊かな自然に育まれ、さらりとした口当たり、味わい深く後切れが良いのが特徴で陸中海岸で獲れた新鮮な海の幸、北上山地で採れた山の幸によく似合うお酒に仕上がっています。

穏やかな飲み口であきがきません。常温からぬる燗でどうぞ。
アルコール分15.4%、日本酒度+1.0、酸度1.5、原料米(吟ぎんが)精米歩合59%

桜花吟醸酒(火入)


フルーティーな吟醸香と、ふくよかな味わいが特徴。  吟醸酒の普及に貢献した、地酒界を代表するスタンダード吟醸酒。冷やして楽しめるお酒です

日本酒度+5(辛口)酸度1.2(淡麗)アルコール度15.5% 使用米、こうじ 出羽燦々他
掛米 山形県産米、精米歩合50% 使用酵母(小川酵母)

特定名称酒と呼ばれている純米酒や本醸造酒の中で、お米を60%以下に精米して使用し低温でじっくり発酵させるなど、特別に吟味して造ったお酒で、果物を思わせる香り、すっきりした飲み口、のど越しのなめらかさが特徴です。 

乾坤一(けんこんいち)大沼酒造店 (宮城県柴田郡)


土蔵造の商家の建ち並ぶ町並み、村田(宮城県柴田郡)は「みちのくの小京都」 とも呼ばれる歴史ある町です。かつては伊達家の直轄地で、また蔵王山麓に位置 し泉韻豊かな自然に恵まれた地でもあります。大沼酒造店はこの地で酒造りを業としました。 

大沼酒造店の全てのお酒はなんと「仕込み1トン以下」普通の蔵なら「大吟醸」 を醸すような小仕込みです。まさに小さいからこそできる丁寧な酒造り。できたお酒はお米の旨味を感じながらも、キレのあるしっかりした味わいなのです。
 
使用米、ササニシキ55%、日本酒度+4 酸度1.4
飯米のササニシキを使用、飯米のお米でここまで上手に造っているお酒はまずないのでは…と思います。お米の旨味がとけこんでいるという言葉がぴったりです。柔らかい口当たりでキレのよい食中にぴったりのお酒。

萩の鶴 純米酒

  
冷での印象は、すっきり、米の甘みと、後味もさらりとのどを優しく過ぎていきます。 ただこれを少しおき、お燗につけると米のしっかりした旨みがさらに増してしっかりとした味わいになります。どんな料理も引き立ててくれるボディーがありしかし爽やかな優しさも兼ね備えた貴公子です。 

原料米(宮城県産米)精米歩合 60%、アルコール分15~15.9度、日本酒度+3~+7、酸度1.5~2.0
   

Posted by きくいち at 10:42Comments(0)

2011年12月29日

貢献度抜群、第四の調理法…真空調理

今日で市場が終わります。正月用の仕入れが山のようです…キャー
こんな時に力を発揮してくれ、正月の仕込みに欠かせないのが真空包装機なのです。


  
真空調理法は「焼く」「蒸す」「煮る」に次ぐ、第四の調理法とも呼ばれフランスでフォアグラのテリーヌの調理のため開発された調理法のひとつです。

下処理を施した食材と調味液をフィルム袋に入れて真空密封し冷却後、冷蔵、冷凍保存します。そして必要に応じて材料あった時間と温度設定をして湯煎や電子レンジ、スチームコンベクションなどで再加熱して調理します。

真空調理は真空パック中で調理、調味が行われるため材料の風味や旨味を逃さず均一に調理することが可能です。空気は水より熱の伝導率が悪いため、真空にすることにより熱の伝導率が向上し、浸透圧により少ない量の調味液が均等に浸透するため、低温で長時間加熱することにより肉類なども柔らかく仕上げることができるのです。これは、タンパク質の分水作用温度が68℃であることによるもので、タンパク質は63℃から凝固を始め、68℃から水分を分離し始めます。真空調理法の特徴は、この分水作用が始まる温度以下で調理することが可能なで真空調理法は、別名“低温調理”とも呼ばれています。

 

日本国内ではセントラルキッチン方式を採るファミリーレストラン、居酒屋チェーン店が採用して広まりました。調理の効率性や簡便さはもちろんのこと、肉じゃがなどの時間が掛かる煮物料理を中心に老舗料理店以上の味が出せるとして味覚の点からも評価を得ています。 
 
インターネットの普及により毎年着実に市場を拡大させている、食品通販市場でも商品を安全に管理し流通する為に真空パックは最適です。
事前に調理した料理を安全な状態で管理・流通できるため、店頭での販売はもちろん、インターネットなどでの通信販売も可能です。真空パックが販売形態の幅を広げ、売上アップに貢献しているようです。
 
真空調理の利点…   続きを読む

Posted by きくいち at 11:33Comments(0)大将

2011年12月28日

やっと出来上がった自家製カラスミ

2ヶ月間かかってやっと、カラスミ(唐墨、鰡子)ができました。
中々乾かず時間がかかりましたが自家製のカラスミの完成です。



皆さん良く知っているカラスミは、ボラなどの卵巣を塩漬けし、塩抜き後、天日干しで乾燥させたもので、雲丹、このわたと併せて日本三大珍味と呼ばれ、ねっとりとした塩分の濃いチーズのような味わいは、高級

日本には江戸時代の初期に中国より長崎に伝来したと言われていて、豊臣秀吉も食したとも言われているようです。中国からの伝来当時はサワラの卵で作られていたらしいのですが、その後長崎県・野母崎方面でよく捕れるボラの卵で製造することを案出したようです。 
名前の由来はその形状が中国製の墨、すなわち唐墨に似ている所から付けられたというのが定説になっています。
 

ぼらの卵(ぼらの腹を注意深く切り開き、卵巣の膜を切らないように取り出す)

血抜き(血管を一つ一つ丁寧に掃除します)

血抜き後(丁寧に水洗いします)

塩漬け(卵巣に食塩を塗りつけ、3日から1週間ぐらい漬けます)

塩抜き(水洗いし、真水を満たしメンキに入れ塩抜きをします。一昼夜後に水中で揉んで軟らかさを確かめ、どの部分も軟らかになっていれば塩抜きは終わりですがこの時の塩加減が味を左右するといわれ重要です。

加圧(斜めにした板の上にならべ、その上に板を載せ、5段ほどにして加圧する。水気を抜いて翌日日乾しにし、夜間は再び積み重ねる

天日干し(表面に浮き出る脂を拭き取りながら、10日から2週間ほどの天日干しを繰り返し仕上げます)

完成したカラスミを真空包装します。 

出来上がったカラスミは薄く切り分けてオードブルに供したり、すりおろして酢を混ぜてからすみ酢にしたりして使用します。薄くスライスして軽く炙って大根に挟んで食べれば酒には最高です。
 
台湾では「烏魚子」と言って表面の薄い膜を剥ぎ取ってから、酒を表面に軽く塗り、弱火で裏表を一、二分ずつ繰り返し火あぶり、表面が白くぶつぶつになるまでかりかりに焼き上げる。出来上がったら、薄くスライスして食べる。大根またはニンニクの芽と一緒に爪楊枝で刺して食べられることが多く私が数年前に行ったときに焼いたものを夜市の屋台でも売っていたのを記憶しています。

イタリアでは、カラスミを卸したりほぐしたりして、パスタにあえ日本のたらこスパゲッティように食べるようです。最近では日本でもカラスミパスタは人気のようです。

皆さんもカラスミの重厚な味をお楽しみ下さい。
  

Posted by きくいち at 11:22Comments(0)お酒のつまみ

2011年12月27日

軽くお通しで呑みなおし…2次会

小料理に入り軽くお通しでいっぱい…なんて光景は少なくなりました。

最近は色々な形態のお店が多く「小料理屋」という言葉をあまり聞かれなくなりました。
居酒屋も小料理屋も特別な区切りがあるわけではないのですが小料理屋は、女将さん1人または板さんと2人などの少人数で運営し、あまり大きくない店舗で主にカウンター席のみで営業している店です。特に、料理に凝ったものを用意している場合が多く、居酒屋さんより小料理屋さんのほうが少し手の込んだ料理でその代わり価格が少し高いと言ったイメージです。(一方割烹とは、本格的な日本料理、あるいは本格的な日本料理を出す店です) 

店に入ってお酒を注文すると、他に何も頼んでいなくても最初に小皿や小鉢に入った一品料理が出てきます。これは「お通し」もしくは「突き出し」と呼ばれるもので、「お通し」とは、お客さんが注文した料理などを帳場・板場(調理場)に通し、それを板場が応諾して、間違いなく注文を受けた印として、店側がお客さんに対して最初に酒の肴を出すことから、注文を間違いなくお通ししましたの意味を込めて「お通し」と呼ぶようになったのが由来と言われています。


(宴会の後の、少し飲み足らない、話し足りない方…当店の2次会セットはいかがですか…?
口取り代わりの盛り合わせに軽いお食事で時間が尽きるまでお過ごしください)

突き出し」は日本料理、いわゆる本膳料理とか懐石料理などの最初の前菜のことを言う言葉で厳密にいうと、「先付」・「突き出し」はあらかじめ献立の中に組み込まれている料理で、「お通し」は、注文をしなくても出てくる料理です。
「突き出し」の語源は、二つあって、ひとつは、お客さんの注文の有無にかかわらず先ず突出すとの意。もうひとつはずいぶんと色気ある解釈で、遊郭で太夫など上位の遊女が側に置いて使う見習いの少女=禿(かぶろ)が成長して遊女として初めてする仕事、或いは素人がいきなり遊女になってする最初の仕事等を「突(き)出し」と表現していたようですから、遊郭言葉が転訛して初めて出す物にも遣われるようになったとも言われています。  

先付け」は、単純に主菜より先に出されることからと言えますが、本来は食事主体である(茶)懐石料理等では「向付け」「汁」「飯」が最初から出されることから、「向付け」の言葉に対応させ区別する意味で「先付け」と呼ばれるのかも知れません。

フランス料理でのオードブルや中国料理での前菜に当たるのがお通しであり、会席料理で「お通し、先出し」は食欲をそそるためのもので、季節感のある素材が選ばれます。関東地域では「お通し(口取り)」、関西地域では「突き出し」と呼んでいます。またオランダの喫茶店ではコーヒーを注文するとお通しならぬクッキーなどのお茶請けを出す店があるようですし、日本でも西洋居酒系の店がお通しにパンを出すところもあるようです。

また別の意味合いで、お客様をお席に「お通し」する、という意味から「お通し」と呼ばれるようになったとも…お客様を御丁寧におもてなしするという日本人の心が込められた素敵な言葉なのかもしれません…。「先付け」とは、「先(ま)ず、席に付いてから時間をもてあまさないよう…」という心配り「突き出し」には、その言葉そのものに「地位に付く、席に付く」という意味があることから、まずお席について、軽く出される料理っていう意味で用いられるようになったとも言われています。 
                        
お通しは一品主体の関東でできあがり、突き出しは懐石料理の本場京都を中心に誕生したらしいのですが、両者で全く正反対の言葉を同義語として最近ではごちゃ混ぜになって使ってしまっているようです。
  

Posted by きくいち at 10:30Comments(0)大将

2011年12月26日

ひとときの気分転換(美術館と博物館)

年末年始は何時もの事ながら休みがなく、体も頭も疲れが溜まってきました…。特に今年は遠鉄の新館オープンや従業員の欠員も出てかれこれ2ヶ月休みなしで老体に鞭打ってるといった感じです。そんな中少しだけ時間が開いたので先日、気分転換に美術館と博物館に行って来ました。



市制100周年記念特別展 戦国の覇者徳川家康と浜松展



戦に明け暮れた若き日の徳川家康がその後の体制の礎を築いた浜松は、2代将軍・秀忠の出生の地でもあり、徳川将軍家とは深い関わりがあり、浜松城在城時の若き日の家康、浜松生まれの二代将軍・秀忠を中心に家康・秀忠・家光をめぐる浜松ゆかりの人々歴史的史料などがたくさん展示されているのです。 


 
日光東照宮宝物館、久能山東照宮博物館、徳川記念財団、岡崎博物館などの所蔵の史料が一同に揃っていて見ごたえはありました。中でも重要文化財に指定されている「本多忠勝像と具足」は個人所蔵の物で直にその物を見ることができ感動しました。本当はもっとゆっくりしていたかったのですが…。 



浜松城公園を少し歩きました(私は元城小、中部中出身ですからこの辺は子供頃から良く知っていて庭のような物です。以前は動物園に市営プールがあり幼い頃の思い出がいっぱいありますが、何十年ぶりに来て見るとその姿は随分変わっていました…)


当然のようにお城にも…中に入ったのは学生の時以来、数十年ぶりです。

浜松城は別名、「石垣城」。旧名は「曳馬城」。「出世城」という異名もあります。
天竜川以西の遠江を統治する上で、軍事・交通の要衝となる地に位置し佐鳴湖東部の丘陵を利用した、平山城です。

今川貞相が築いた、曳馬城がその前身で久野越中守築城説もあります。戦国期には、今川家の武将、飯尾氏が治めていましたが、桶狭間の戦いによって、今川家は衰退し武田家との、駿・遠分割盟約により、徳川家康が遠江に侵攻し、曳馬城を攻略します。その後、大々的に改修を加え、浜松城と改名したのです。


 
浜松城における、構成上の最大の特徴は、石垣の「野面積み」です。
石垣の構造については、江戸期の儒者、荻生徂徠の「鈴録(けんろく)」によれば
野面積み  ・・・自然石を上下に積み重ねたもの。
打ち込みはぎ・・・自然石に手を加え、隙間のないように組み合わせたもの。
切り込みはぎ・・・自然石の表面を平らにし、石垣表面も直線状(または曲線状)にしたもの

浜松は徳川270年の礎を築いた土地であるとも言われ江戸期は、5万石前後の譜代大名の居城でした。歴代浜松城主は、幕府中枢の役職に任命されるという、今で言う、ジンクスのようなものがありそのことも、「出世城」と言われるゆえんではないでしょうか…。特に有名なのは、「天保の改革」で知られる水野忠邦で、肥前唐津城主だったのですが、自ら浜松移転を願い出、在城中に老中となったと言われています。
 



帰りに博物館にも足を伸ばしました。



市制100周年記念として、先月浜松市で開催された全国山城サミットと連携し、浜松城をはじめとする城絵図が展示してあり城絵図から、国を守り町を作っていった、戦国時代の武将や近世の城主の思いを探って来たのです。

気分一身これで、年末年始も頑張れますちょき
  

Posted by きくいち at 09:39Comments(0)趣味

2011年12月25日

押し寿司でクリスマス…?

香川県のさぬき市鴨部(かべ)というところに、江戸時代から伝わる「カンカン寿司」という郷土料理があるのを知っていますか…?

塩と酢で漬けたサワラを、砂糖や塩を混ぜた米の上にのせ木枠に入れ、木づちでカンカンとたたくことからその名がついたとされているようで、かつては農繁期で食事する間もない夫に、妻が食べさせたそうです。「郷土料理の良さを知ってほしい」と地元の農漁業の女性らでつくる団体「さぬきうまいもんネットワーク」が県内の道の駅で売っているようです。
 
このように各地で食べられる寿司には様々な種類があり、何れの地域以外ではあまり見られないものも多くあります。伊達巻寿司、島寿司、柿の葉寿司 、めはり寿司 、鯖寿司 、ふなずし 、松前寿司、温ずし、ばら寿司 、酒寿司など、数え上げればきりがありません。

これらのお寿司は江戸前の握り寿司でなくほとんどが関西の押し寿司に近いものです。寿司のルーツや歴史は皆さんも何かの本で読んだりして多少ご存知だとお思いますが、原型は「なれすし」から来ています(また時間があるときにゆっくり書きますが…)

こうした郷土料理の代表的なものが江戸前寿司に対して一番の違いがある大阪寿司です。
本来大阪寿司は、江戸前寿司(にぎり寿司・早ずし)に対して、箱寿司(押し寿司)を指しますが(酢締めの押し寿司バッテラのことを言う)今では、ばら寿司(五目寿司)、巻き寿司等も含まれるようになり、にぎり寿司以外を指す言葉となっているようです。
(近畿の郷土寿司となっている場合が多い)

バッテラの語源はポルトガル語の(バテイラ=小舟・ボート)かららしく、明治の中頃に大阪の寿司店がコノシロの片身を開き舟形にした物を使った寿司を考案し、その姿がボートに似ていたことからバッテラと呼ばれるようになったと言われています。その後コノシロの価格が急騰したため鯖を使うようになり現在のバッテラが完成されたようで、現在のバッテラは酢飯に酢締めにした鯖を乗せ、さらに白板昆布(バッテラ昆布)を重ねた押し寿司のことです。

酢による処理で保存性を高めつつ生臭みを押さえ、昆布が旨みと食感を加えるのです。鯖の半身を使うため完成品は細長い形となり、切り分けて食べます。また、押し寿司の舟形の木枠用具がボートの形に似ていたのでこのように呼ばれるようになったとの説もあるようです。
 
 

押寿司器は以前はどこの家庭にもあった台所道具の一つです。
四角い箱型のケースに海老やカニ、錦糸玉子などを敷き詰めて、寿司めしを詰めて、上蓋でグッと押せば押し寿司の出来上がりです。押寿司器さえあれば、誰でも簡単に、本格押寿司を作ることができるのです。特に天然木の押寿司器ならベタつかず、ふっくらしたきれいな押寿司が出来上がります。

パーティーにお弁当に使い出すと違った押寿司のイメージがふくらんで、出番がどんどん増えそうですね。クリスマス、あまりお寿司は縁がありませんが押し寿司を使ってケーキ風の細工寿司などを作ってみては…?形良し、味良し、見栄え良し、皆さんも是非ご家庭で料理の楽しさを再発してみてはどうですか…?
  

Posted by きくいち at 10:53Comments(0)寿司ネタ

2011年12月24日

メリークリスマス★2011

 メリークリスマス★★★★★

クリスマスといえば、ポインセチア*12月、誕生日なので、プリンセチア*を頂きました。見た目は、ポインセチアのミニ版!
でも、花びらがピンク*

 
 
 このプリンセチア*サントリーが開発した花でピンクリボン(乳ガン撲滅)に売上金の一部が寄付されるみたい。

今年は、少し、店のお手洗いに飾りしてみました(^-^ゞ

なんとも、和風なんだけど、風呂敷サイズにリースや、ツリーが描いてあって、ぶっちゃけ、一目ボレしちゃいました〜★

そして、もひとつ、観葉植物にも、トッピングしました…

超手作りで、恥ずかしいものですが…X-<



お正月バージョンは、どうしようか悩んでおります☆

実は、私、トイレの空間、大好きなんです…
なんか、ホッとできるの…






皆さん、楽しいクリスマスを…♪

最後に浜松のイルミネーションを出前中に撮りました。



きっと、二人で歩くと絵になりますね〜★★★



〈新米女将〉
  

Posted by きくいち at 14:23Comments(0)新米女将

2011年12月23日

常連さんの手造り

もう30年以上も当店を可愛がってくださる常連さんが手造りの山葵漬けを持って来てくれました。
凄く食通の方でイクラも時期になると自分で漬け、自宅の庭では家庭菜園もしてるとか…?
前回来店されたときに山葵を数本欲しいというので、どうするのか聞いてみると、山葵漬けを作るという事で、出来上がりを楽しみしていました。


他のお客さんたちにも振る舞い皆さんビックリ…プロ顔負けの味でした。
 
山葵漬けは、粕漬けの一種で静岡県の名産であるのは皆さんもよく知っていると思います。
(静岡市の駿府公園には山葵漬け発祥の地の碑もあるくらいですから…)

山葵を加工するという技術は、江戸時代中期頃から向上しはじめ、酢漬け・ぬか漬け・どぶろく漬けなど多種多様な料理が考えられたと言われています。現在の酒粕に漬けるようになったのは、清酒が出始めてきた、江戸後期に府中(現静岡市)の商人が考えたとされています。(当時は山葵漬けだけではとても商売はできず、副業として製造していたようです)

山葵漬けが世に出回り始めたのは、明治22年に東海道線が開通し、静岡駅でお土産品として販売されてからで、特に昭和23年から30年かけては爆発的な人気を誇り、お土産として全国区になりました。そして「山葵漬けといえば静岡」と言われるようになったのです。
現在では、酒粕を使った山葵漬けだけではなく、山葵海苔、山葵味噌、数の子入りなど、多種な山葵商品が販売されていますが、技術の進歩によって合成の添加物で製造してしている山葵商品が多く流通してしまっています。

山葵漬けは、山葵の根、茎をみじん切りにし、塩漬にしてから、熟成させた酒粕に和えて食塩、砂糖などを練り合わせて作りますが、新粕(白い色)で山葵漬けを造ると、全くといっていいほど、辛味・風味がのらず苦味や後味の悪さだけが残ります。
熟成酒粕(薄い桜色)で作る事が重要ですと、これで作ると山葵本来の味を引き出してくれますし、ほのかに口に残る甘さがなんともいえません。熟成した塩漬け山葵を混ぜますと、薄い黄色っぽい色に変化します。

山葵の鋭い香りと辛味が酒粕の甘みによって和らげられ、口当たりを良くしている山葵漬けはご飯のおかずとしては勿論、酒の肴としてそのまま、あるいは蒲鉾などに和えて食べると相性抜群で、納豆と混ぜて食べると納豆の臭みも消え、食べやすくなりますし、暑い夏場では、サンドイッチにして朝食に食べるのも意外にお勧めです。

皆さんも手造りの山葵付けに挑戦して、色々な食べ方を試してみてはどうですか…?
 
山葵漬けの保存方法…密封容器で冷蔵、もしくは冷凍で保管して下さい。山葵漬けは、高温・乾燥・光線焼けが天敵です。長期間で食べたい場合は、食べる量を小出しにして、なるべく常温におかないように気をつけて下さい。
   

Posted by きくいち at 10:17Comments(0)大将

2011年12月22日

札幌の味、再びここに

札幌の味を思い出しました…。

皆さんご存知通り「さっぽろラーメン横丁」は味噌ラーメン発祥の地として、全国に「札幌ラーメン」の不滅の伝説を作り上げた名横丁です。その歴史は、昭和26年に札幌市の東宝公楽横で「公楽ラーメン名店街」と親しまれたことから始まりました。

百貨店に出店する前に北海道に行き、札幌の市場や小樽の南樽市場を見学してきた事があります。その時に立ち寄ったのがラーメン横丁にある「特一富屋」です。
旭川ラーメン特有の麺は、水分が少ない細麺、スープは魚だしの香りが効いたスープで未だに記憶に残っている味でした。

実はそのとき一緒に行ったのが、当時百貨店の食品担当の課長さんだったのです。出店後も色々お世話になりデパ地下を出店する時も東京のデパートを色々歩き回ったこともありました。
定年になりしばらく連絡が途絶え気にしていたところ、ラーメン屋を始めたことを知り、直ぐに店に行って来ました。

ビックリしました、まさしく札幌で食べたあの味だったのです。



豚骨・鶏骨・サバ節のバランスの取れたコクの深い風味のある味に仕上げていてあの食味評論家 山本益博氏が選ぶラーメン・オブ・ザ・イヤーをラーメン横丁で唯一受賞した「特一富屋」の再現でした。



醤油ラーメンはお勧めでラーメンの美味しさを引き立てさせるラードは特一富屋とこのお店でしか味わう事の出来ない自慢のオリジナルラードです。

さすが「食」に長く携わっただけのことはあり、脱サラとはいえ脱帽でした。
何か以前より輝いて見えたのは、同じ料理人の匂いを感じたからかもしれません。
(朝ラーもやっているらしいです)
麺屋みちの 朝7時開店、20時まで休まず営業
  

Posted by きくいち at 10:36Comments(0)大将

2011年12月21日

引佐町渋川に歴史の跡が・・・

女将が「広報浜松で見たけど引佐に凱旋門があるの知ってる…?」と私に尋ねてきました。

凱旋門といえば、フランス・パリのシャンゼリゼ通りの最西端にそびえ立つフランス軍の象徴であるエトワール凱旋門(1806年、アウステルリッツの戦いに勝利したナポレオンは、凱旋門の建設を命じます。しかし、門が完成するのはそれから長い年月を経た1840年。ナポレオンはこの時既に生きておらず、遺体がこの場所に運ばれ落成を祝うことになります)しか知らず、直ぐに調べて見ると、日露戦争終結時、日本各地に凱旋門を作ることが流行したようで、東郷平八郎一行を迎えた凱旋門など、都内にも新宿、浅草等に巨大凱旋門が作られたらしいのです。そして現在、国内に残っている凱旋門は2件だそうです。

そのひとつは、鹿児島県姶良町の山田集落にあるらしく、そちらは有名だそうで、もうひとつが引佐町にある凱旋門だという事が分かり、もう気持ちは納まりませんでした。
時に今、NHKで「坂の上の雲」をやっていますから…秋山兄弟に思いを寄せて…。

予約の比較的少ない日を探し何時もより早く仕入れ仕込をしてすっ飛んで見に行って来ました。
(好きなものを見るときは寝不足の平気ですニコニコ


引佐の凱旋門は、この地にある六所神社参道の入口に築かれていました。
(平成14年に国の登録有形文化財に指定された)



この凱旋門、正式名称は、凱旋紀念門といい日露戦争が終った明治38年の翌年の39年3月に建設された煉瓦造りの門で、幅3.2m、高さ3.6mのは小ぶりなものでした。当時の鎮玉村から日清・日露戦争に出征した人たちの生還を記念して建てられ、レンガは側面の大きな面と小さな面を交互に出す「フランス積み」という物で明治後期のもとしては珍しい積み方だそうです。最上部は石材が使われていて石柱には日露戦役従軍者の名前が刻まれていました。

勝ったとはいえ、日露戦争で犠牲者になったのは日本全体で約85000人にも達したらしくこんな小さな村からも、これだけ多くの犠牲者を出したのです。


 
日本は明治維新を経て、明治27年、初の対外戦争である日清戦争を経験します。そして明治37年には日露戦争勃発します。日清戦争も日露戦争も、戦況は終始厳しく、かろうじて大国を破った事で帰還する兵士を迎え、、国を挙げて、各地に凱旋門を作って大歓迎したのでしょう…江戸時代、日本には藩しかなく、国という意識はほとんどなかったはずです。ところが、日清・日露戦争で初めて外国と戦争したことで、日本人は初めて「国」という意識を覚えました。まさに「国民」が誕生した瞬間で、凱旋門はその意識を最高に演出してくれたのはないでしょうか…。
 
ただ多くの尊い犠牲の上に今の日本があることは忘れてはならない事です。
日本で唯一現存する石造の凱旋門(鹿児島県姶良町山田)には西南の役、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争で亡くなった英霊1200柱が祀っているそうです。歴史に触れ国を支えるという事の重大さを改めて考えさせられました。   

Posted by きくいち at 10:46Comments(0)趣味

2011年12月20日

酢漬けが最高の赤なまこ

酢の物として食べることが多く、味よりはコリコリとした独特の食感を楽しむ食べ方をするのが「ナマコ」です。生子(ナマコ)は海鼠又は海参と書きますが、海参は「海の人参(朝鮮人参)」と言う意味で、中国では特に乾した「乾海参」は超高級品です。また漢方薬としても古くから滋養強壮薬、皮膚病薬として用いられてきたようで癌の治療薬としての効果もあるらしいです。 
 
青ナマコと赤ナマコが、食用として用いられ、冬が旬です。赤ナマコは岩礁(外洋)に、青ナマコは砂地(湾内)に生息しています。赤ナマコのほうが美味しいのですが長崎の大村湾周辺や五島灘や橘湾から漁獲される内海物(特に青ナマコ)は身が軟らかく美味しく長崎では、正月料理として欠かすことができないようです。
 

 
語源の由来ですが古くは単に「こ」と呼ばれていました。干したものを「干しこ」、「いりこ」というのに対して、「生こ」とされたようで漢字は形態がネズミに似ているからではないしょうか?(地方名・市場名…別名、タワラゴ(俵子)、タワラ、上方(関西)ではトラゴ) 

産卵期は3月から9月頃で産卵後、餌をとることをやめ、深場に落ち冬に活発に餌(泥とともに珪藻類、海藻、貝類、アマモの破片などを食べている)をとり、活動します。腸や身体を再生することができ危険を感じると内臓を出して、敵の目をごまかすのです。
 
味わいとして筋肉は微かに渋み、苦みがあり、これが持ち味で食感があり、硬いのですが適度にかみ切れます。意外に消化はよく腸、生殖巣なども独特の味わいがあります。またナマコが持つ、ホロトキシンというサポニンの一種には水虫を起こす白癬菌の成長を抑制し、殺菌効果もあるとも言われています。
 
いりこ(煎海鼠、海参)、きんこ(金海鼠)は加工品・名産品として有名ですがなんと平安時代から作られていたようです。塩湯でして、干したもので現在では高級中華食材として珍重されています。
このわた(海海鼠)はウニ・からすみ(ボラの卵の塩漬け)と並んで日本三大珍味のひとつで、内臓(腸)の塩漬けで独特の渋みと風味があり、くちこ、このこ、ほしこ、ばちこは生殖巣の塩辛でくちこは干したものをよく使います。からすみと並んで珍味佳肴のたぐいで軽く焙って食べるのですが、非常に濃厚な旨みを持ち、独特の風味があり炙り物の最高級品です。  
 
ナマコは無脊椎動物の中では大きくなる方で、攻撃手段を持たず、動きも遅いため捕獲が容易であるため、日本や中国では古来より、ナマコを食料として利用してきた長い歴史があるようです。生食が中心の日本に対し、中国では乾燥させた干しナマコとして利用するのが一般的で内臓を除いて薄い塩水などで煮た後に乾燥させたナマコを煎海鼠、海参(いりこ)と言います。煎海鼠は、日本でも古くは体内の虫殺し、肝臓への薬効、痰の除去などに効果があると言われ、諸国からの貢納品として挙げられていたようです。その形がネズミに似ていることから「鼠」の字が用いられたと伝えられ、江戸時代には米俵に似ているということで豊作に通じた縁起物としてお正月のお雑煮の具(上置)に用いられたり、長崎貿易においては「俵物」として清などに輸出されたらしいのです。 

江戸時代には、ナマコは中国(清)への主要な輸出品で干しナマコ・ふかひれ・干しアワビは特に多く輸出され、「俵物三品」と呼ばれナマコを外貨獲得の手段として重要視していた幕府は、一般市場でのナマコ流通を禁止し、漁師に対しては増産を厳しく迫ったとのことです。

ナマコのさばき方…   続きを読む

Posted by きくいち at 09:56Comments(0)旬の魚

2011年12月19日

生活の知恵から生まれた温(ぬく)寿司…?

今年も残り少なくなってきました。師走の京都で「美味しいもの」といえば、かぶら蒸し、芋棒、にしん蕎麦、かも南蛮、すっぽん鍋など例を挙げたらきりがありませんが「温(ぬく)寿司」も冬の京都の風物詩です。温ずしは蒸しずしと呼ばれる近畿以西、中国、四国地方に伝わる温かいバラ寿司の事で同地方共通の方言「ぬくい」は「温かい」の意味でこの方言が通用する地方の冬季限定メニューです。

バラ寿司の酢飯に焼き穴子、海老、白身魚、錦糸卵、絹さや、銀杏、桜でんぶ等を色鮮やかに盛り付け、蒸籠で蒸して食べるもので、発祥は大阪(または京都)とされ明治時代からあり現在は大阪市、京都市、岡山市、尾道市、松山市などの関西方面も寿司屋で郷土料理として12月から3月頃まで食べられます。

どんぶりに盛り付け蓋をして蒸籠で蒸す店と一人前の蒸籠に盛り付けて蒸す店があり、これはどちらかというと寒中によく出す料理でわっぱという器(1人用の蒸篭)に入れて蒸したものを「わっぱ飯」と言うところもあります。
 

(当店では以前から遠鉄店でメニューに取り入れていましたが今回は1月からのコース料理の最後のお食事でお出しする事にしました)温めるので寿司飯の酢が抜け、まろやかな味わいになります。

蓋をしているので、酢が蒸している間に飛んでしまうことはなく温かいのですが、ちゃんと酢が効いて、とても美味しく冬にはとてもいい料理だと思います。
 
作り方はいたって簡単。まずは酢飯(当店の酢飯は少し甘めですので丁度いい味になります)をどんぶりか蒸篭に盛り、その上に錦糸玉子を乗せ、砂糖と醤油で甘く炊いた帆立や椎茸や高野豆腐、かんひょうなどを細かく切って乗せます。焼き穴子や海老、三つ葉などを乗せて蒸し器で蒸すと出来上がり。いってみれば、蒸した散らし寿司のようなものです。本当のところは関西人は一見、華やかに見えても実は節約家で、残ってしまった冷たくなったバラ寿司を再利用するために生活の知恵から出来上がったものではないのでしょうか…?

また京都では、固くなった鯖寿司を火鉢の上で両面をこんがりと焼いて暖めなおして食べることがあるようですが、少し日がたった〆鯖も同じように軽く炙ると鯖の脂身が滲み出て、これはこれで充分に美味しく意外にお酒のつまみになります。
  

Posted by きくいち at 08:52Comments(0)寿司ネタ

2011年12月18日

年賀状(夢にあこがれる辰歳)

早い物で今年も年賀状を心配する時期になりました。



15日に受付が開始され25日までに投函すれば元旦には届くようです。
さて来年は辰年です。私事ですがうちの父親が7回目の年男で来年は84歳になります。
元気で毎日を過ごしてくれていて頭が下がる思いです。

 

辰年について調べてみると、辰年の人は、力強い存在のようです。
タツは干支の中で、実際に存在しない動物です。唯一存在しない龍にが干支に選ばれたこともあってか辰年の人は、現実性のない夢にあこがれる傾向があるとも言われています。そして、頭で思う夢を求め、実際に行動に出るのがたつ年生まれなのだそうです。目標のためなら、弱い物でも心を痛めずに排除するとも…?努力家でもあると言われる辰年は、周りからは、ほめられる事もしばしばあります。

龍は地から天にあがる瞬間が一番力強く表現されます。辰年の人も同様、目標に向かっている時が、一番力を発揮し、周りからも、一番力強く見えるのです。
一度天まで上がると、目標を失った辰年の人は、そのまま地に落ちてしまう事もよくあるようで、燃え尽き症候群、空の巣症候群になりやすい傾向があるのだそうですが、ストレスに強いたつ年は、落ちたと思ったら違う目標に向かって這い上がる切り替えの早さがあるようで、ここまでの事を当てはめるとまさしくうちの親父がそのものズバリです。

また、辰年の人はリーダー的な存在だそうで集団にいる場合、その集団が自分の目標に向かっていれば、常に先頭の方にいたがる傾向があるようです。集団を安全に目標に向けて行動するよりも、どちらかというと、自分が目標に早く到達する事を第一に考えるようです。

怒ると手のつけようがないのが、辰年の欠点でプライドが高いので、少しでもプライドを傷つけられると、すぐに顔に表れるのも特徴の一つだそうです。

辰年と相性が良いとされるのが、サル、ネズミ、ヘビのようで、サルとはサルにない力と行動力を欲しがり、仲良く目標に向かって行動するとのこですが、私がサルで親父がタツ…言われてみるとそうなのかも…?
ネズミは、相手の気持ちを察する能力に長けているらしく、タツの暴走に注意を促す事ができ、ヘビは頭が賢いので、例え現実性のない目標でも、最善のアドバイスをしてくれるそうです。

相性が悪いとされているのが、ウマとイヌと言われ、ウマは心変わりが激しいので、始めは同じ目標に向かっても、すれ違いがよく発生し、タツの目標に向かって行動する妨げになるからだそうです。またイヌは平和主義、現実主義で輪の平和を乱す、タツの力に恐れをなし、現実性のない夢に向かって行動する事が、イヌには理解しがたいようです。 

あくまで年占いですから全てこの通りではないと思いますが、意外に当っているところもあるので、とりあえず頭に入れておいてもいいのかもしれません。 
辰年…年男でなくても夢にあこがる1年でありたいですね。
  

Posted by きくいち at 10:50Comments(0)大将

2011年12月17日

新たな年も「きくいちのコース料理」で…

新年1月のコース料理が決まりました。
新らしい年を迎えるにふさわしく豪華で彩のよい美食コースです。
来年も「きくいち」のコース料理で1年のスタートを飾ってみてはどうですか…?

【5000円コース】


蒸しタラバ蟹
鯛のしゃぶしゃぶ、抹茶豆乳で…
牡蠣のクリームパイ包み
和牛静岡育ち網焼き、寒大根ソティー
甘鯛中華蒸し、香り油掛け
締めの食事
旬の握りもしくは五目蒸し寿司
汁物、デザート

【4000円コース】


蒸しズワイ蟹
寒ぶりのしゃぶしゃぶ
牡蠣の朴葉焼き
三河地鶏のパン粉焼きバターソース、浜松蕪添え
締めの食事
旬の握りもしくは五目蒸し寿司
汁物、デザート

【3000円コース】


蒸しズワイ蟹
寒ぶりのしゃぶしゃぶ
旬の素材の揚げ物
旬野菜と海鮮グラタン
日替わり寿司屋のまかない丼

新年会、同窓会など皆さんが集まる席にどうぞお気軽にご利用下さい。

   

Posted by きくいち at 09:53Comments(0)コース料理

2011年12月16日

葱料理、全国食べくらべ (ネギサミット)

しばらく前に「下仁田葱」のことを書きましたが、今の時期、鍋料理に欠かせないのが
白葱(太葱)です。



先日、東北から関西まで長ネギ自慢の全国11産地から集まった12の葱を堪能できる「全国ねぎサミット2011」が、埼玉県深谷市仲町の仲町商店街で開かれたのを知っていますか…?

特産品を核に、地域おこしを図ろうと深谷市が昨年から始めた催し物らしく、葱の即売に加え、葱を使った地域色豊かな料理に人気が集っまたようです。(白神ねぎを加えたきりたんぽ鍋や深谷ねぎの煮ぼうとうなど)

「生産者の高齢化や輸入自由化による価格低下に加えて、TPP環太平洋パートナーシップ協定の問題もあるものの、これらを乗り越えるために連携して農業のグローバル化に対応できる足腰の強い産地を目指し日本の農業を強くする」などとした「全国ねぎサミット宣言2011」を発表し、当日は物販の他に各地のネギ生産者のトーク、「ふかや野良着コレクション」と題したファッションショーも行われたようです。

このような食のサミットならぬ地域産業の活性連帯化を目指す催し物は全国あらゆるところで行われています。貿易の自由化はともかくとして、消費者は生産者よりよいものを作れる環境を整えてもらえる事を多々願うのではないでしょうか…?地場の特産品が無くなっていくことのないように…。

各地特産の葱を使った料理…それぞれの味の違い…出来る事なら私も参加して葱三昧したかったです。


(白葱を使った当店の伊勢海老の味噌鍋です)
 
参加した団体の葱を使った郷土料理…   続きを読む

Posted by きくいち at 09:47Comments(0)大将

2011年12月15日

神戸生まれの焼ドーナッツ

先日、あるお菓子屋さんの社長さんが来店してくれました。
色々お話を伺うと、全国展開をしている、焼ドーナツのお店で今回、遠鉄百貨店新館、地下に静岡では初出店したとの事です。もとはケーキ屋さんのパティシエだったらしく…私もデパ地下のテイクアウトの寿司を手がけたことがあり、その時にかなりの廃棄や包材費に苦労した覚えがあります。

揚げドーナッツも同じよに廃棄が多くケーキなどは包装用の箱にもかなりの無駄が…そして考えられたのがこの焼きドーナッツ。今ではポピュラーな焼きドーナッツですが、焼きドーナッツの歴史は
神戸生まれのこの「ミエル」から始まったのだそうです。



ミエルとはフランス語で蜂蜜という意味だそうです。
油で揚げず、オーブンで焼き上げた、ふんわりとした軽い食感のドーナッツで、ミエルの焼きドーナッツは大きな機械で大量生産するのではなく、生地の仕込みから焼成まで全ての工程を毎日手造りで焼き上げているようです。

焼きドーナッツは通常のドーナッツと違って揚げていないから酸化することがなくヘルシーで、時間が経過するとバターケーキのようにしっとりします。すぐに買ってきて食べましたが食べる前に軽く温めてると焼きたてフワフワが楽しめ、子供の頃初めて出会ったホットケーキの味を思い出しました。

種類は8種…プルーン、ココア、きなこ、シナモン、ラムレーズン、焼き芋、クッキーショコラ、大納言
 


mielのdonutの基本はすべてこのプレーンだそうで…バターの風味を感じながら、しっとり感が楽しめました。(焼きドーナツならではのソフトな軽さです) 

ココア…季節に応じてヨーロッパ各地のココアパウダーを使い分けているようで、バターの風味を残しながら、贅沢にココアパウダーをコーティングしてあり深い味わいでした。 

きなこ…厳選したきな粉をまぶした初代ミエルの和テイストドーナツだそうです。意外にもバター生地にきな粉にあっていました。

シナモン…プレーンドーナツにシナモンシュガーを全体にコーティングしてありバターとシナモンは相乗効果抜群のコラボですね。 

ラムレーズン…ラム酒につけ込んだレーズンを生地に練り込だドーナッツでお酒の風味を抑えてありアルコールの苦手な方でも食べやすいと思います。
 
焼き芋…噛むとゴロゴロとサツマイモが口にひろがり、黒胡麻が芋のの甘さを引き立ています。胡麻のプチプチした食感も最高でした。

クッキーショコラ…ココア風味のドーナツ生地にチョコレートクッキーとチョコチップを練り込だドーナッツ。女性、子供が好む味かな…?

大納言…抹茶ベースの生地に大粒の小豆を練り込み、仕上げに青大豆粉まぶした日本風ドーナッツです。

普段あまり甘い物を口にする機会がないのですが、年末、仕事に追われ疲れた時には、甘味がなぜか恋しくなります…。
  

Posted by きくいち at 09:53Comments(0)大将

2011年12月14日

梅や桃の香りがする上品な味…純米蒼天伝

全国にいくつかある男山の銘柄の中で今回は、気仙沼男山、地米酒「蒼天伝」を紹介します。



蒼天のような爽やかで澄んだ味わいを特長とし、柔らかい口当たりと繊細でありながらも
凛とした旨味を持っています 。

蒼天伝ブランドは、気仙沼の青い海・青い空が広がる素晴らしい自然環境の地で醸され
お酒で常温・燗・冷やで十分に楽しめるお酒です。

ほのかに梅や桃の花の香りがして、さらりとして流れるような口当たりのお酒です。
仕込み水のやわらかさに、上品なお米の旨甘味が乗っています。燗や常温がオススメの
飲み方ですが、冷や12℃位で最も味わいが締まります。

料理との相性も良くそばや山菜など、山の幸に向いていますし白身魚の刺身も、魚の淡い
旨味を引き立てます。宮城県産 蔵の華を原料米とし精米歩合:60%、日本酒度:+4、
酸度:1.5、アルコール度数:15度です。
 
兵庫県産山田錦を原料米とする純米蒼天伝も、さらっとした味わいの中にほんのりした
旨みを含み、非常に心地よい飲み口のお酒で甘味と酸味のバランスが良く、口中に感じる
繊細な味わいと、余韻を残さない、とても切れの良い辛口の味わいが特長です。

上槽後一切の濾過を行わず、そのまま壜詰めしたものを低温で管理してありリンゴや桃など
フルーツのような芳香さと澄んだ味わいが特徴で、まろやかな甘味と穏やかさを与える酸が
調和しています。
 
こちらのお酒はどちらかと言うと肴との相性として、魚の炭火焼、カニ・海老などの強い
甘旨味を持つ海鮮とよく合います。お薦めです。
(原料米:兵庫県産 山田錦、精米歩合:55%、日本酒度:+2、酸度:1.6、アルコール度:16度)

このお酒も今、私が気に入っている1本ですニコニコ
  

Posted by きくいち at 09:57Comments(0)

2011年12月13日

お城も今は切手で楽しむだけ…

何時もながらこの時期はほとんど休めず、大好きなお城ともしばらく縁切りです。
そんな中、女将が切手を買って来てくれました。
手にとって見るとなんと「近畿の城と風景」の切手でした…
 

奈良(郡山城)、滋賀(彦根城)、兵庫(姫路城)、大阪(大阪城)、和歌山(和歌山城)

今は切手を眺め、城に思いを寄せる毎日です…しょんぼり

この中で行ってないのが「大和郡山城」…大阪城も子供時で、姫路城も遠い昔、高校の修学旅行ですから共に記憶は薄れていますが…

大和郡山城の見どころ

「菜の花の中に城あり郡山」と許六が詠んだ大和郡山城は今でこそ菜の花は見かけないようですが、ここの桜は見応えがあると言われています。

城跡には、梅林門、月見櫓、大手東隅櫓、多聞櫓が復元されていて小振りで武骨な櫓や城門らしいのですが、豊臣秀長築城当時の城の姿を思い浮かべるにはもってこいのようです。
本の丸天守台北面の石垣には、たくさんのお地蔵様が組み込まれているらしく、中でも「逆さ地蔵」が有名で、平城京羅城門の礎石も石垣に転用されていると聞いています。

南門外の郡山高校グランド西側にある永慶寺(柳沢氏の菩提寺)には、唯一現存する建物の遺構である城門が、移築されているとのこと…。 

筒井順慶が織田信長より大和一国20万石を与えられ、筒井城から郡山城に移り、砦規模の城を本格的な戦国城郭へと修築を開始しし、豊臣秀長に続き、そして最後は増田長盛が、城の修築を続け外堀(総堀)を普請し、この城を完成させます。  
幕府直轄後は、本多・松平・本多氏と城主は替わり、最後は柳沢氏が代々居城して明治維新を迎えたのです。
 
来年は西日本のお城が賑わいそうです。西日本にはいいお城がたくさんありますが、来年はどれくらいのお城を見に行けるのでしょうか…?
  

Posted by きくいち at 10:14Comments(0)趣味

2011年12月12日

進化する焼きそば

焼きそばほど馴染みある食べ物はないではないでしょうか…?
皆さんも良く知っている「B-1グランプリ」でも常に上位にランクされるのが焼きそばです。

秋の風物詩となった、全国各地のB級グルメの祭典、B-1グランプリが今年も11月12・13日に兵庫県姫路市で行われたことは記憶に新しいと思います。今年の第6回大会の優勝は岡山県真庭市の「ひるぜん焼きそば」となり、第1回からのグランプリを数えると、富士宮やきそば、富士宮やきそば、厚木シロコロ・ホルモン、横手やきそば、甲府鶏もつ煮、ひるぜん焼きそばの順となっています。  


(週末に女将が夜食に作ってきてくれた特製のソース焼きそばです)

焼きそばは、皆さんご存知の通り中華料理の炒麺を元に日本で様々なアレンジが加えられて発展した日本の麺料理です。茹でた中華麺を、豚肉などの肉類やキャベツ・もやしなどの野菜と共に油で炒め、調味料で味をつけて作りますが調味料の違いにより、ソース焼きそば、醤油焼きそば、塩焼きそばなどの種類があります。(同様の調理法で、麺にうどんを用いた「焼きうどん」、ビーフンを用いた「焼きビーフン」もある)
 
単に焼きそばと言う場合にはソース焼きそばをさす事が多く、その起源は戦後の屋台で安価なウスターソースで味付けした焼きそばが作られたのが始まりと言われています。(ソース焼きそばは薬味に青のり、付け合わせに紅生姜が添えられるのが定番です)

日本では非常に一般的な軽食として良く知られていて、縁日や高速道路のサービスエリア、パーキングエリアの売店やスナックコーナーなど(デパートの屋上や競技場・催し物場のメニュー等)でもよく売られています。鉄板を使ったバーベキューメニューとして作られている事も多く地域によって具材や調理法に特色があり地域おこしのためのご当地グルメとしてPRしているものも少なくありません。

ではなぜこんなに焼きそばは人気なのでしょうか…?
その理由は、焼きそばを出す店舗が地域で生き残ってきた系譜と関わりが深いのではないでしょうか…?

焼きそばは、戦後の屋台に起源を持つと言われ、各地方の工場労働者や子どもたちのお腹を満たしてきました。そしてB-1に出場するような「ご当地焼きそば」のさらなる進化で「太く長く」愛されていくはずだ。ちなみに今年上位に入った、ひるぜん焼きそば、なみえ焼きそばは、ともに太麺です。

飲食店経営では、どんなに小規模でもキャッシュフローを回すのが絶対条件です。食材原価+人件費の比率は重視されますが、焼きそばのように原価が安ければ、急激に経営が悪化するということは考えにくくなるのです。

もうひとつ欠かしてはいけない視点がオペレーションではないでしょうか…?お客さんが焼く業態だけでなく、店が焼く業態でも、「焼きそば」は他に比べて圧倒的にオペレーションを簡素化でき、麺、ソースなどほぼすべての素材が外注可能で、肉やキャベツを切るだけでも立ち上げはできるのです。競合店も増えますが、駄菓子屋などとの兼業で副収入を得ることも可能でそうして経営が長く続けば、工夫をする店舗も現れるのです。

実際、今年のB-1での石巻焼きそばに加えられた出汁は、鰹節やさば節、さらにはサンマなどから抽出されていて、参加者によればこれまでより遥かにグレードアップしていたようです。優勝したひるぜん焼きそばにしても、地元で愛される味噌ベースの焼きそばソース「若田のたれ」や「落合のたれ」などが切磋琢磨してきた結果、栄冠にたどり着くことができたのです。B級グルメ文化も、進化、継承が繰り返されることでその深みを増してきたということなのでしょうか…。

ご当地焼きそば(日本各地のご当地焼きそばは各種あり町おこしを兼ね地域の名称が付けられている料理が多い)…   続きを読む

Posted by きくいち at 09:20Comments(0)大将