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2014年03月31日

にぎり寿司をより美味しく食べられる順番

寿司のネタといってもさまざまです。にぎり寿司の食べる順番に、正式なルールはありませんが、実は一般的に、美味しく食べやすい順番というのがあります。
有名な順番であり、すでに皆さんもご存知かもしれませんね。おすまし



美味しく食べやすい順番
•白身→トロ→光り物→イカ→卵→貝類→海老→穴子→かっぱ巻き

なぜこの順番がいいのか、少し詳しく解説します。
やはりいきなり味が濃いものや脂が乗ったものは、後に続いて食べるネタの味が感じられにくくなります。したがって一般的には、脂があまり乗っていない淡泊な白身から食べ始めるのがいいとされています。次第に脂も乗った赤身へと移行します。
赤身が乗ったものを食べ終われば、次にイカや卵など味が薄いものから食べ始め、次第に味が濃い穴子へと移行します。

最後は、さっぱりしたキュウリの海苔巻きで締める、という流れです。
この流れを終えるころには、それなりにおなかも膨らんでいることでしょう。

ただしこれは、あくまでお勧めのルールです。決まりでもマナーでもありません。
一番美味しく食べるのは、そのときのおなかの状態や気分に任せ、食べたいネタから順に食べればOKです。やはりそれが一番です。注目 

皆さんがもし食べる順番にこだわりがなければ、こうしたルールを参考にしながら食べるのもよいかと思います。美味しく食べるときの順番の1つとして参考にしてみてください。ニコニコ


  

Posted by きくいち at 15:04Comments(0)菊一本店

2014年03月29日

すしの漢字の違い

「すし」に当てられる漢字には、「鮨」「鮓」「寿司」と3つあります。これらの漢字は単なる当て字だと思っている方も多いのですが、実は意味の違いがあるのです。この違いを知っていると、街で寿司屋の看板を見たときの楽しみがまた増えると思いますニコニコ
ではどのような違いがあるのか…?



【鮓】
魚を発酵させて作るもの。古くから行われてきた手法で、塩や糠に漬けた魚や発酵させた飯に魚を漬け込んだ保存食を意味します。
実はこの言葉が「すし」を表す漢字として、最も適切と言われています。鮒鮓、鮎鮓、鯖鮓、鮭鮓、イカ鮓などの「馴れずし(なれずし)」がこれに当てはまります。
琵琶湖地方の名産のフナズシ(鮒鮓)はこの代表格です。

【鮨】
握ったり、型に入れたりして作るもの。「鮓」以外のすしを指します。中国では魚の塩辛を意味する文字ですが、「鮓」と混同されて使われるようになった漢字です。
握り鮨、押し鮨、ちらし鮨、箱鮨、棒鮨など。

【寿司】
「寿(ことぶき)」を「司(つかさ)」どるという縁起をかついだ当て字で、全てのスシの総称です。江戸末期に作られた当て字で、縁起かつぎや賀寿の祝いの言葉を意味する「寿詞(じゅし・よごと)」に由来すると言われています。

縁起を担ぐのが好きな江戸っ子向けに考えられた言葉のようです。
江戸っ子にとって、初鰹をありがたいもの、酉の市では熊手を買い求め、伊勢参りが最大のレジャー。寿司は「寿、目出度いことを司る」食べ物であると宣伝すれば、江戸っ子なら「じゃぁ、ちょいと寿司で摘もうかい」という、流れになるとこの当て字を使ったのでしょう。つまり「寿司」とは当時の宣伝が現代まで残ったものだと考えられているようです。

広く一般に使われだしたのは明治以降だそうです。巻き寿司、稲荷寿司、手巻き寿司、寿司サラダなど、「寿司」という文字が使われ出した後に出てきたものには「鮨」という字を使わずに「寿司」を当てた方がいいでしょう。

余談ですが、「鮨」は「江戸前鮨」で、その他は全て「鮓」と言う人もいます。


  

Posted by きくいち at 14:58Comments(0)菊一本店

2014年03月28日

★40周年の宴

花柳界の名門クラブ…久二子さんの、『40周年の宴 津軽 音の響き』に、出席させていただきます。



ドキドキ ワクワク 緊張と…
また貴重な体験させてもらいます。皆様の出逢いに、感謝いたします。


   【きくいち 女将】
  

Posted by きくいち at 13:14Comments(0)女将FB

2014年03月27日

蝦蛄(しゃこ)と言えば!?寿司

蝦蛄(シャコ)はよく 「月夜には身が減り、闇夜には身が入る 」と言いますが、これはシャコが夜になるとエサを求めて行動しますが、暗がりが得意のようで、明るさによってエサが捕らえられたり、捕らえられなかったりする事を言っているのです。

産卵期である晩秋が、中身の充実した独特の甘味を持つ時期で、江戸前鮨には欠かせない素材であるシャコはあまりきれいでない水域に生息しています。水から上げるとすぐに死んで味が落ちるので、なるべく早く大きな釜で茹で上げるようにするのです。       

水1リットルに対し塩を小サジ2杯の割合で入れた塩水に生きたシャコを入れ、アク取りしながら10~15分間塩茹で、ザルに上げて自然にさましす。 殻を剥ぐには、まず頭を取除いてハサミで鋏や脇腹の殻、脚を切り落とす。背中の殻は頭から、腹皮は尾から頭に向かって剥いでいくようにするのがコツ。 殻を剥ぐと表面が暗紫色に彩られた白い身が出てきます。

生きているうちにすぐ茹でないと、身が溶けて殻だけになってしまい、食べるところがなくなってしまいます。これは、シャコなどの甲殻類は一生のうちに何度も脱皮するので、自分の身を消化する自己消化酵素を多く含んいて、死ぬと直に身が消化されてしまう為です。



寿司種は勿論ですが、天麩羅、酢の物、味噌和え等で味わうのもいいでしょう。ナイス
また、殻ごと酒又は味醂と醤油、砂糖で甘辛く炊く「具足煮」も良いと思いますが、食べにくいのが難点かな…おすまし
余談…シャコを食べるのは日本人とイタリア人だけだそうです…びっくり

江戸時代はシャコはシャクナギ(シャクナゲ)と言われていたそうです。淡い灰褐色の殻を茹でると紫褐色に変わり、それがシャクナゲの花の色に似ていたところから付けられたようです。(シャクナゲは石楠花、または石花と書きますが、シャクカがなまってシャコと呼ばれるようになったのとか…)

シャコの旬は、5月~7月の初夏…これから暖かくなるにつれ、鮮度がいい、活きたシャコが入荷してきます。茹でたてはエビやカニ様に甘く最高の寿司ネタです。また、シャコの「爪」も、貴重な食材として食べられています。味としては、カニのハサミのお肉に似ていて、酢の物やサラダに向いていますが、山葵醤油でも酒の肴として絶好です。(カニのはさみや足と違って、シャコの爪は2本しかありませんから、とっても貴重とされているんですねぇ~ニコニコ。)

シャコ爪…シャコが持つ、カマキリの鎌に似た大きな捕脚であるハサミの身肉のことで、大きさは米粒よりやや大きい程度。それも1匹から2個しか取れないから、小皿に1杯分ともなればシャコ何10匹にもなるのです。

シャコの爪は、カマキリのような形をしているのですが、まさにカマキリのように獲物をとらえるためについているのです。
餌を捕らえる為の捕脚には2つのタイプがあり、まずひとつは指節に鋭いトゲが並んだもので、「刺しジャコ」と言われ、その爪で巣穴の前を通ったエビや小魚を一瞬で捕らえてしまうのです。また「砕きジャコ」と呼ばれるシャコは指節の基部が分厚く膨らんでいる大指シャコ型で、サンゴ礁に多くすみ、貝やカ二、ヤドカリなどを一撃して打ち砕く恐ろしき狩人です。その威力もかなり強力で、爪を割れられてしまうこともあるぐらいですから、生きたジャコを、素手で触ろうとしないでください。また、ゆでたジャコであっても、殻をむくときにトゲが刺さることがあるので、しっかりと、注意しましょう。(なんでも、海底の砂の中にいるシャコは、海が荒れると巣穴から出てきて網にかかりやすくなるそうですよ)

カツブシ入り …身内の中央部に棒状に入っている卵のことをカツブシと呼ぶ。色は朱色である。このカツブシ入りの頃が旬でもあります。

  

Posted by きくいち at 15:08Comments(0)寿司ネタ

2014年03月25日

春一番の身が厚く甘い、活きた甲烏賊(こういか)

イカは貝類と同じ軟体動物のグループで、その証拠に貝殻を持っています。一般のイカの貝殻は背中に埋もれて外からでは見ることが出来ず、また、その形は薄く細長くなり、貝類とはほど遠いものですが、甲イカ類のそれは石灰質で出来たしっかりした舟形の白くて、堅い甲を持っているのが特徴です。

胴長20cm足らずで、甲の突起が突き出ていることから「はりいか」とも、またスミ袋が大きいことから「すみいか」とも呼ばれます。本州以南の沿岸域から東シナ海まで分布。春に産卵のため浅海に集まってきたところを、底引き網などで獲ります。
胴長40cm近くにもなる「紋甲(もんごう)いか」もこの仲間です。



肉厚でトロッとした感じと、コリコリとした歯ごたえが交り合い、噛むほどにほんのりした甘さのあるイカで、春から初夏の産卵前が旬。(冬から初夏にかけての親は肉厚で、甘みが強い。 熱を通してもあまり硬くならない)

コノシロ(こはだ)に「新子」という初夏の風物詩がありますが、甲イカにも夏に「新いか」というすし通を唸らせるネタがあります。1貫どり、すなわち1匹で1個の寿司ネタがとれるのが最上で、軟らかく甘味旨味もほどよ、寿司飯との相性がことのほかいいのです。


活きのよい舞阪港に揚がったばかりのイカは、いたずらに触れば真っ黒な墨を吐きますからご注意を…うわっ

春と共に遠州灘を泳ぎ、やがて岸辺へ浜名湖へとやってくる春イカが甲イカです。春の舞阪港に活マダイ・活クロダイを水揚げするタイ網漁の船が、遠州灘を泳ぐ活甲イカたちを水揚げしています。小型なものから、しっかり育った大きなものまで舞阪港には甲イカが揚がっています。やがて浜名湖に泳ぎ入り、岸辺や藻場で産卵する甲イカ、浜名湖では秋までその姿を見ることができ、夏には孵化した小さなイカたちが市場にもあがります。

甲イカの最大の特長はいろいろな調理法に使えるということです。肉厚なので、炒め物の具として中華料理に使われたり、フランス料理、パスタの具としてイタリアンにも使われます。ステーキ風に焼いても食べごたえがあるし、野菜と一緒に炒め物、天麩羅、フライ等の揚げ物、煮付けにしても美味しく頂けます。そしてなんといっても是非味わって頂きたいのが刺身。 肉厚なのに柔らかく、甘いびっくりイカの食感と旨みが充分に楽しめます。もちろん握りもナイス

それと、とっておきのお勧めを…ゲソを使った串焼き。ゲソを適当な大きさに切り串に刺し軽く焼きます。炙るという表現が良いかもしれません。それを生姜醤油で食べる…これだけです。コリッとした食感なのに柔らかく、なんとも言えない歯ごたえなんです。旨みが凝縮されていて最高に美味いです。たまりません… 新鮮な甲イカを皆さん、色々なお好みの調理法で是非食してみてくださいナイフ&フォーク

イカの雑学…  続きを読む

Posted by きくいち at 12:41Comments(0)旬の魚

2014年03月24日

解禁となったオホーツク沿岸の甘海老

甘エビは正式にはホッコクアカエビ(北国赤海老)といい、タラバエビ科のエビで、島根県以北の日本海北部沿岸から太平洋側では宮城県以北、その他オホーツク海やベーリング海、カナダ西岸にかけての北太平洋で獲れます。

甲が柔らかく、剥きやすく生で食べるととろけるような甘みがあり、この事から広く一般的に「アマエビ」と呼ばれる所以になっています。新潟などでは「ナンバンエビ(南蛮海老)」とも呼ばれています。南蛮とは唐辛子の事で、その色、形が唐辛子に似ていることから付けられた名前と思われます。(味は名のとおり、とろけるような甘みが特長で、甘みの成分となるアミノ酸類が多く含まれる。高タンパク、そして成人病予防の成分として期待が寄せられるタウリンも豊富で、栄養面からみても貴重な食材です)

春から夏にかけて南の方から産卵期に入ります。日本海のものは一年おきにしか産卵しないそうです。卵は直径1mm前後の青みを帯びた球形で、一度の産卵で2000-3000個を産み、産んだ後約10ヶ月もの間メスは受精卵を腹に抱えて孵化するまで保護し、翌年の冬に放出します。

年間を通して水温の低い海域の深海(水深約200mから約700m)に生息し、北陸では、えび篭漁や底びき網漁で水揚げされている。一年を通して獲れるが、養殖が困難な貴重な水産資源であることから、日本海に面する各県が協力して資源保護対策が行われているようです。



甘エビはタラバエビ科のエビと同様、成長の過程で性転換を行います。産まれて3年程はオスもメスも無く、4年目から5年目にかけて全てオスとなり、交尾してから5年 から6年でメスに性転換し、7年目で孵化直前の抱卵状態となります。寿命は11年ほどとみられ、その間に3回以上産卵すると考えられています。

この、5年目位の性転換をする時のオスが最も美味しい時期だと言われています。そして、大きい物は全てメスという事になりますが、同じ時期に獲っても抱卵している物としていないものがあります。これは1年おきの産卵である為です。

現在グリーンランドやアイスランドなど北大西洋で獲られた物が冷凍で大量に輸入されています。これらも「アマエビ」として市場に流通していますが、厳密には、これらはホンホッコクアカエビと呼ばれる別種とされています。北海道が最も水揚げ量は多く、全国の7割程にも達します。主に西側沿岸で獲れるようです。次いで新潟となり、富山や石川など北陸の名物ともなっています。

漁獲方法にはエビカゴと底引き網がありますが、エビカゴで獲られた物の多くは獲ってから港まで船の生け簀に入れられ、鮮度もよく値段が高い。一方、底引き網で獲れたものは、他の魚なども一緒に混じって獲れる事もあり、鮮度や品質が落ちる為、エビカゴ物に比べると格段に安くなります。

一般的には晩秋から冬にかけての、海水温度が下がる時期とされています。
富山や新潟、石川などの北陸地方では7月8月の休漁期以外通年水揚げがあり、休漁明けの9月上旬から10月も旬とされています。一方、北海道のオホーツク沿岸では、流氷が離れる3月に一斉に漁が解禁となります。言い換えれば、流氷が迫っている1月2月は漁が出来ないと言う事です。

鮮度の良し悪しは、体色によって見分けることができます。透明度が高く、頭が黒っぽくないものが良質です。また生きたままや水揚げしてすぐのものよりも、一晩寝かしたほうが甘みが増し、よりおいしく食べることができます。
  

Posted by きくいち at 15:12Comments(0)寿司ネタ

2014年03月22日

★青年部卒業式

一昨日、浜松商工会議所 卒業式に、参加させていただきました。





受付のお手伝い、卒業記念品のハコビ女子も、やらせていただき、 全てが初めての体験ばかりで、新鮮でしたぁ。



それが写真を1枚も、撮るのを忘れてしまい失態です。
華やかな卒業生の先輩方の、 お姿を1枚、残したかったのに、悔やまれます(>_<)


   【きくいち女将】
  

Posted by きくいち at 11:20Comments(0)女将FB

2014年03月21日

黒田官兵衛が贈り物に使った「ほうぼう」

ホウボウは大変奇妙な姿をした魚です。体は朱赤で頭が大きく、尾にかけて三角形。頭は骨板に覆われ、大きな眼を持ち、眼の上には二つの棘、それにエラブタも棘立っています。
口はスコップのように幅広く、胸鰭は大きく美しい孔雀色、胸鰭の前三条は遊離して、脚のように砂の上を歩きます。(この脚は触手の役を兼ねており、餌をさがす…この3対の足のようなヒレで海底を這うように移動することから、這う(はう)が転じてホウボウとなった語源が有力で 「ボーボー」と海底に響き渡るような音を出すことからその名が付いたという説や、方々(ホウボウ)に歩き回るからという説もあるそうです。)

幅広の口は、砂の中をひっくり返して泥の中に潜っている餌を丸飲みするのに都合がよく、鰾(うきぶくろ)は二つの部屋にわかれていて、その穴を空気が往復する時の振動で音を発します。出す音は、ちょうどゴム風船を膨らませてその表面を親指と人差し指でこすった時に発する音に似ているのです。


(昨日仕入れた活かしのホウボウ)

赤い体色と鎧兜を着けた武士を連想させる姿形から、鯛と同様に目出度い魚とされて祝い事にも使われ、赤ん坊が生後100~120日目になると行われる「箸初め」の儀式にも用いられます。

秋から春にかけてホウボウが美味しくなります。これはホウボウの産卵期が初夏であるためで、とくにやや肌寒い時期になってくると俄然脂がのってきます。この魚、やや歩留まりが悪いのですが贅沢に刺身にすると透明感のある白身であり、しかも甘み旨味があって非常に美味しく、この刺身で出たアラは潮汁にします。他には、鍋(ブイヤベース)、ムニエル、ポワレ、塩焼き、煮付けも美味しいです。変わり種としては「鳴き袋」と呼ばれる浮き袋はここだけなぜか膠質のねっとりした食感があり塩焼き、煮付けなどで美味しく食べられますし、肝、心臓もいい味です。

握りにすると、鈍い色合いが脂であって微かな甘みです。適度に柔らかな身が寿司飯を包みこみ、秋口に比べるとまだまだ脂ののりがイマイチですが味わいは春の盛時を思わせます。

今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」のゆかりの地のひとつ、大分県中津市。1月8日放送の「歴史秘話ヒストリア」軍師官兵衛特集では、中津と官兵衛との縁、ゆかりの場所や食などが紹介されました。

中津の食べ物と言えば唐揚げ、それに豊前鱧が有名だそうですが、ホウボウ料理も推しているようです。かつて官兵衛は小田原城主・北条氏に開城を迫る際に、説得のためにほうぼうの粕漬けを贈ったそうです。この贈り物が功を奏したのか、小田原城の無血開城に成功したという逸話も残っているそうです。

「歴史秘話ヒストリア」でも紹介された「官兵衛御膳」は鱧しゃぶ、ホウボウの粕漬焼、中津唐揚げ、胡麻豆腐などがセットになっているそうです。ホウボウの粕漬けは、あっさりさっぱりで大変な美味だそうです。皆さんも中津に行かれたらぜひ食べてみたらどうですか…?

【雄、雌の見分け方】…頬の部分が厚くふくらんだのが雄、少しコケ気味なのが雌ですが、30cm以上のものでないと見分けがつかない。

【料理法】…体の赤みが鮮やかなもの、ヌメリが透明なもの、腹が白くて引き締ったものを選ぶ。ホウボウの肉質は白身で、タンパク質を多く含むのが特徴。 鮮度の良い大ぶりのものは刺身にし、そぎ造りや平造りにします。 皮にゼラチン質が多いため、じっくり煮込むと美味しい煮こごりが出来る。 淡白な味を生かして、塩焼きやうす味の煮付、椀だねに利用するのもいい。また、よい味が出るので、鱗や鰭を落としたものをブツ切りにしてチリ鍋にしたり、ブイヤベースの材料にする。サッパリとしたトマトソースなどによく合います


  

Posted by きくいち at 15:18Comments(0)旬の魚

2014年03月20日

トロを食べれば、店が分かる。

一昔前「玉子でその店が分かる」と言われていた時期がありました。
昔、玉子は店が独自で作っていましたし、玉焼子は頻繁に作るネタでもあります。
通は、最も頻繁に作る玉子焼の具合を見ることで、職人の腕の善しあしを見ようとしていたのです。しかし、現在、この法則は通じなくなりつつあります。玉子焼を市場や食材卸店で買ってきているものが多く、またアルバイトが作っていることも多いからです。

では、通はどの点で店の善しあしを確かめるのか…?
今は「トロでその店が分かる」と言われ始めました。
「トロは赤字商売」と言われます。
トロは値段が高いので、儲かりやすいのではないかと思いますが、そうとは言い切れません。原価率が高い一方、高級な印象があるため注文する人も少なく、採算が取りにいのです。元が取れればいいほうで、赤字のほうが圧倒的に多いのが一般的です。赤字になるのならトロを置かなければいいと思いますが、寿司屋の看板を掲げている建前上、トロを出さないわけにはいきません。



どの寿司屋も避けたがるトロ。しかし、メニューには並べなければいけないトロ。
事実、トロの品質は、寿司屋によって差が大きいのが特徴です。
店の経営が苦しければ、品質の低い物を選びますが、高級店は赤字を覚悟で最高級のトロを出します。

通は、トロを食べます。
赤字になりがちなトロに、どれだけ力を入れているか。このことで、その店の意気込みを見ようとするのです。上等のトロを使っていれば、赤字覚悟のうえ、お客さんに満足してもらいたい意気込みが伝わってくるのです。
トロの赤身は、寿司屋の情熱の赤なのですナイス
  

Posted by きくいち at 14:52Comments(0)寿司ネタ

2014年03月19日

寿司屋でシャンディ・ガフ

和食いといえば日本酒か焼酎…ところが最近は、ワインやカクテルなどで料理を…時代は変わりました。しょんぼり

千歳店は場所柄、夜の業界の女性達が多く来店します。そんな花柳界のお姉さん達もいろいろ変わってきました。芸者さんはもう数えるしかいず、ホステスさんもクラブからキャバレーに…若い彼女たちの嗜好はだいぶ違います…びっくり
実は先日来店した業界の女の子がドリンクの注文でシャンディ・ガフを…びっくり



シャンディ・ガフ(Shandy Gaff)は、ビールベースのカクテルで、ジンジャーエールと合わせたものだと言う事ぐらいは知っていましたが、それ以上の事はあまりよく知らず、少し調べてみました。名前の由来は不明…?。イギリスでは昔からパブで飲まれているようで、昔のシャンディ・ガフはジンジャーエールではなく、ジンジャービアとエールで作っていたとのこと…。現在も、イギリスのパブでは、もっともポピュラーな飲み物の1つらしく、ドイツやフランスではレモネードで割ったカクテルもあるとか…。

標準的なレシピは、ビール - 1/2、ジンジャーエール - 1/2で、まず.ビールを先にタンブラーに注ぎ、.ジンジャーエールを充たし、軽くステアするだけなのです。

味としてはビール特有のホップの苦味をジンジャーエールが和らげ、同時に生姜のピリッとした風味を感じます。
ビールもジンジャーエールも色々な銘柄があり各社、それぞれに味が異なります。ビールとジンジャーエールの相性も色々試すと面白いと思いますが、個人的には軽い味のビールには風味の軽いジンジャーエールが、 しっかりした味のビールには、生姜の風味がよく出ているジンジャーエールが合うような気がします。

ただ、飲みやすい気はしますが…しょんぼり!?

  

Posted by きくいち at 16:41Comments(0)

2014年03月18日

江戸時代のマグロは下魚(げうお)

江戸時代には、町人は食べたが、武士は食べられないものがあったと言います。
それはコノシロ「鮗」、フグ「鰒」、マグロ「鮪」です。

コノシロは「この城」と言い、語呂合わせ、「コノシロを焼く」「コノシロを食う」を「この城を焼く・食う」で武士は縁起が悪く、落城に通じるとされたのす。
また「腹切り魚」といって切腹を命じられた武士の最後の食膳にのぼることが多かったのようで、このことからも、縁起の悪い魚とされ、 江戸幕府のお膝元ゆえ、江戸の方言の小肌にしたと言われています。

フグを武士は食べて毒に当たればお家断絶。武士が死ぬのは戦場であって、魚の毒などで死ぬのは武士にとってあるまじきこと。そのため、武士のほとんどは、明治維新までフグの美味しさをしらなかったのです。
江戸中期からフグをよく食べたのは「卑賎」と言われた庶民たちであり、その美味を体験していたようですが、武士たちは頑健にも伝統的な食生活を墨守していたのだそうです。(その頃は、フグが一匹12文程度であり、安蕎麦一杯が16文であるのと比較すれば、いかに安価であるかが分かります)

マグロは、別名で「「シビ」と言います。「死日」に通じることから、いつ命をおとすかもわからない武士にとって、この名は禁句でした。それゆえにマグロは下賤な食べ物として食べなかったそうです。


 
マグロが江戸前ずしに登場したのは天保年間とされています。天保の末(西暦1842年)にマグロの大漁があって、そのころまではマグロは魚の中では上等のものとして扱われていなかったので、そのマグロの処置に困って捨てようにも場所がなかったそうです。

江戸市中にだぶつき、ひじょうな安値になったマグロを、日本橋馬喰町の「恵比寿ずし」という屋台店が試しにマグロを握ってみたところ、これが意外にもうまくて江戸っ子の人気をさらい、扱いとしては下魚であっても、明治のころはもう、「マグロがなくては商売ができない」とまでいわれるほど、重要なすしダネになっていたのだそうです。



馬喰町というところは、名のごとく馬喰が大勢いた土地であり、馬喰がいなくなってからは、地方人相手の宿屋が多かったので、諸物の安いものが歓迎され多く売れたため、安しいすしとして恵比寿鮨の主人が売り出したのではないかと…?。(注)馬喰とは牛を鑑定・見極めて市場へ売りに行く牛の鑑定人、仲買人のこと。当時、江戸の魚河岸(日本橋)には、 昼の芝居小屋が集まった芝居町、夜の吉原と並 んで「朝の魚河岸は1日で千両動く」ほどに江戸の中でも大金が動いた。

ただし、当初から明治半ばに至るまでの調理法は、しょうゆに漬ける「ヅケ」調理法であり、それには脂肪の少ない赤身の部分がもっぱらといってよいほど使われました。トロはもっとも価値のない部分だったわけで、高級店は背の身のほうから選び、安いトロは、屋台店など、下のランクの店でしか使われなかったのです。

この時代は冷蔵庫の設備がないので鮪の色が変わるので、切りつけしてから醤油の中につけて、亀甲色にして用いたので、鮪のことをヅケ(漬けるの略)という名が出ました。(当時、上流家庭に納める鮨には鮪を用いない。御膳ずしと看板をだした店は鮪に代わってタイ、ヒラメの白身の魚を用いている)

また、マグロの種類も、明治・大正のころまでは出前が主であったため、時間がたっても色のかわらぬカジキやキハダの方が珍重されがちだったようです。
  

Posted by きくいち at 15:16Comments(0)寿司ネタ

2014年03月16日

時間を気にせず2次会、3次会に…!

気温が上がり、やっと春の陽気になってきました。3月、4月は歓送迎会の季節ですナイフ&フォークバイバイ
当店もおかげさまで、色々とご予約を頂いていますが、昨日は2次会でのご利用をして頂き有難うございました。

千歳店は深夜2時まで営業していますので、通常時の宴会はもちろんの事、2次会、3次会のご利用も承り、皆様にはゆっくりと時間を過ごして頂いております人差し指

気軽な2次会セットもご用意していますし、ご予算に応じてオードブルなど、色々なお料理のお支度をさせて頂いていますOK

話し足りない、飲み足らない皆さん…時間はたっぷり深夜までお気軽にご利用して下さいあはは
2次会セット…3000円(料理はつまみや肴を5~7品、握りを2種ほど大皿に盛り込んで…。


【コース内容の一例】
イカの塩辛/カニみそ/出し巻き玉子/干物/トマトとチーズ/芋煮/刺身/いなり寿司/鉄火巻き


(昨日はお客様のご希望で料理中心のオードブルでお支度させて頂きました…
ご予算お1人2500円を大皿にて…お得ナイス

※飲み放題は90分。
※内容等は相談に応じます。
※当日、飛び込みでの利用も可能です。


  

Posted by きくいち at 15:04Comments(0)菊一本店

2014年03月14日

美味しい鬼カサゴ

鬼カサゴは超高級魚で一般市場ではなかなか流通しません。一般にいう、鬼カサゴとはイズカサゴとニセフサカサゴで、イズカサゴはニセフサカサゴに比べると体色がやや薄めで腹鰭の縁が白いのが特徴です。ニセフサカサゴはイズカサゴに比べると大型になり、イズカサゴより体色が黄色味を帯びているそうです。でもなかなか区別が、つかないようですね。
また、食べ方は色々ありますが、獲れたその日でなく、1日くらい寝かせたほうが…?。
当日だとちょっと、身がプリプリしすぎちゃうかなびっくり



磯魚の代表格で、日本全国に分布していて、南北に長い日本列島では各地で旬が異なります。 春先や晩秋は美味ですが、別に夏は不味いともいえないので、ことさら気にする程ではないと思います。昔は大衆魚でしたが、今では高級魚扱いです。
           
頭が大きく、張り出した背鰭や胸鰭を笠に見立てて「笠子」と名付けられと言われ、あばたの様なデキモノの跡の模様があるところから、「瘡魚(かさご)」と呼ばれたとも…?
瘡(かさ)とは俗にいう「おでき」のことだそうです。

磯の笠子は口ばかり…カサゴは口が大きいが、とくに磯の浅場にいるものは体が小さく、やけに口ばかり目立つという意味で、口先ばかりで実行の伴わない人のことをいう。

安本丹(あんぽんたん)… 釣り上げられると水圧の変化で目が飛び出し、口を開けて胃袋を舌のように出していることから、安本丹とも愚魚とも呼ばれている。



食べ方(料理法)
刺身…必ず、背鰭、腹ビレ、アゴの棘を必ず、ハサミで切りとります。(もし刺されてしまったら、暖めるほうが良い…)
まず、鱗、エラ、腹ワタを綺麗に取り、濡れタオルまたは濡れ新聞紙をかぶせ冷蔵庫で保存して下さい。肝、胃袋、腸も美味しいので、別に取っておきましょう。次の日に一押しのお刺身で食べる(なるべく薄く切って下さい。上品な甘みと食感が最高ですす)

味噌汁・アラ汁…残った、アラと皮で味噌汁やアラ汁を作ってみましょう。頭は縦に2ツに割り、中骨等も適当に切って下さい。続いて笊にアラを入れ、熱湯をかけ臭みを取り除きます。これで魚独特の臭みも無くなり味噌汁も濁らなくなります。続いて、アラを鍋に入れてお好みで味噌味、醤油味を付けて下さい。皮はプリフリしてまた、胃、腸も最高です。
 
シャブシャブ…アラやコンブで出し汁を取りシャブシャブしても最高です。(皮を付けたままでも美味しいですヨ。大根卸したっぷりのポン酢に柚子胡椒も良いですね)

鰭酒…キッチンバサミで尾鰭、胸鰭を切り落とし冷蔵庫や空ビンに貼って良く乾燥して下さい。良く乾かしたら、軽く炙ってお酒に入れて下さい。あまり入れすぎずにほんのちょっとでOKです。お試し下さい。

唐揚げ・煮付け…これはもう定番。唐揚げにする時は実の両側に包丁で良く火が通るように切れ目を入れ、 弱火でジワジワ揚げるか二度揚げをしてカリカリカに揚げて下さい。紅葉おろしに、醤油または蕎麦汁をかければOKです。 

内臓の湯引き…胃や腸はシャブシャブや味噌汁、アラ汁に入れても良いのですが、さっと湯引きして氷水で冷やし、ポン酢で食べるのも美味しいです。それに、鰭酒、最高~ちょき               

握り…すごくきれいな身で、しかも弾力があります。噛みしめるとジワリと旨味を感じ、甘みがあるのは脂があるからです。

アラカブ煮…博多では小型のアラカブ(カサゴ)を一匹丸煮にした味噌汁は人気があります。

魚飯…①魚は十分にウロコを引いて、丁寧に水洗いする。その時ワタを残したままにする。②千切りにした油揚、人参、牛蒡、それに醤油と酒を少々加えて、御飯を炊く。水加減は御飯を炊く時と同じ量。③炊き上がったら頭や骨等を取り除き、身と具を混ぜ合わせる

美味しい鬼カサゴ。ご賞味あれナイス

  

Posted by きくいち at 15:18Comments(0)旬の魚

2014年03月13日

日本政府御用達 国賓をもてなす為の銘酒…「梵 日本の翼」

うちの店から独立開業した、かわいい若い衆のお店が3周年を迎え、わざわざ挨拶に来てくれましたおすまし。自分の信念を貫き、寿司やお酒にこだわりを持った店を開店させ、今や口コミで、連日の予約もかなり入る人気店となって私も大変うれしく思っているのですが…そんな彼が珍しいお酒をプレゼントしてくれました。

政府専用機の機内酒にも採用され、国賓をもてなす日本を代表する酒、それが「梵 日本の翼 純米大吟醸」です。


■甘辛:やや辛口 ■原材料:米・米麹 ■原料米:山田錦 ■精米歩合:35%■アルコール度数:16~17度 ■日本酒度:+3.0 ■酸度:1.4

海外の国賓をもてなす為に度々用いられる福井県の銘酒「梵(ぼん)」
その梵を代表する銘酒「日本の翼(WING OF JAPAN)」は、平成8年アメリカ合衆国クリントン大統領訪日の際、晩餐会で使用されたのを記念し、当時は「吟の翼」という名前でデビューしたそうです。海外での数々のコンクールで輝かしい記録を収め、それを機に「日本を代表するお酒」という意味から「日本の翼(WING OF JAPAN)」という名称になったとか…。

原材料には兵庫産の特A地区契約栽培の山田錦を35%迄精米。1トン仕込みで醸した香り高い純米大吟醸酒を、0度で2年以上熟成させた、梵の中でもトップスペックに位置するお酒といえます。

たいへん爽やかな吟醸香は、優しく柔らか。確かに、バターを使った料理、チーズなどにも負けない強さと奥深さがある強い味わいで、綺麗なだけの大吟醸とは全く異なります。原酒を思わせるほどの力強さがあり、その力強さは上品な強さを感じます。

●「国際酒祭り」で第1位グランプリを受賞。
●サッカーワールドカップ開催歓迎晩餐会で採用。
●アメリカ合衆国で正式に商標登録。
●政府専用機、初となる正式機内酒に採用。
●JAL国際線ファーストクラスの機内酒に採用。
●APECエネルギー会議のVIP歓迎晩餐会の席で、ウェルカム酒に採用。

素晴らしい料理と共に…「Born is great!」ナイス
  

Posted by きくいち at 14:46Comments(0)

2014年03月12日

山葵の刺激を抑えたい時の裏技

刺激を少し加えるつもりで少量の山葵をつけるつもりが、ついつけ過ぎてしまうことがあります。



やはり人間ですから、うっかりするときがあります。ヒリヒリ…めそめそ
「しまった。入れすぎてしまった」うわっ 山葵が効きすぎた。
口に入れると、全身から汗が噴き出るような、強い衝撃が伝わります。
思いのほか刺激が強くて、頭が真っ白になってしまいますね下降
山葵といっても千差万別で、少量なのに、刺激が強いものがあるのです。

涙が出て、止まりません。
そのまましばらくしていれば収まるのですが、すぐ抑える裏業があります。
生姜(ガリ)を食べてください。
生姜の味わいは、山葵の刺激を中和する働きがあります。
刺激には刺激で対応です。
山葵の刺激が、生姜の刺激で紛らされて、涙を抑える即効性があるのですちょき
  

Posted by きくいち at 16:09Comments(0)寿司ネタ

2014年03月11日

*天ぷら*

今日は、ひさしぶりの、天ぷら*
温かいうちに、食べてほしいんだけど…(>_<)



あまり、絵にならない写真で、ゴメンナサイ~。
アッびっくり お仕事、行ってきます*


 【きくいち女将】

天ぷらを美味しくカラッと揚げるには
ナイス



邪道ですが、卵の代わりにマヨネーズを使うと、乳化された植物油が衣に分散し、衣の中の水分を残さずに揚げることができます。

  

Posted by きくいち at 14:28Comments(0)女将FB

2014年03月10日

★女将の日記

今年も、大先輩から、頂きましたぁ~★ありがとうございました~(*^^*)





なんだか、食べるのもったいないね!!!!!


【きくいち女将】


  

Posted by きくいち at 11:15Comments(0)女将FB

2014年03月09日

外観を忠実に復元された天守(福知山城)

由良川流域の福知山盆地にひらける福知山市…盆地の真ん中にある小高い丘の上に建っている、福知山城(復元された天守)は街のどこからでもよく見えます。 



天正8年(1580年)頃、明智光秀が築いたのが始まりとされ、現在の建物は昭和61年に再建されたものです。天守閣内部は福知山の歴史を紹介する郷土資料館となっています。小天守を伴った三層の天守は、とても綺麗でした。



城跡は、現在城址公園となっていて、ほぼ本丸部分が残されています。



公園入り口にある美術館は、隅櫓風の建物ですが、模擬とはいえ天守と同じ外装で意外とマッチしています。







天守台を含む各郭の石垣は、築城当初の面影を残していて、野面積み、乱石積み、穴太積みなどと呼ばれる自然石をそのまま用いた豪放なもので、福知山市の指定文化財です。


(本丸石垣)


(天守石垣)
【特徴ある福知山城の石垣】
天守台から本丸にかけての石垣は、400年前の光秀築城当時の物で、自然石の野面積です。
石垣の名人と言われた近江穴太(あのう)衆が得意とした穴太積様式が取り入れられています。これは、不ぞろいな大きさの細長い石を奥のほうで組み合わせた後、隙間に細かい小石をはめ込んで補強するというもので、大変丈夫でした。石垣には五輪塔や宝篋印塔などがそのまま使われていて、その数は185個とも…びっくり

これだけ大量の石仏使用は、日本のお城の中では、この福知山城と、光秀が先生となって築城方法を教えたと言われる筒井順慶の大和郡山城だけだそうです。



天守は外観復元ですが、本丸石塁上に移築されている二の丸銅門脇番所は、現存する福知山城の遺構です。
銅門番所…あかがね門の脇にあった建物で、最も築城当時の面影を残す建物。
 

(豊磐の井)
本丸・天守の東側にある直径2.5m深さ50m(城郭内湛水井としては日本一の深井戸)の「豊磐(とよいわ)の井」は、今も海抜30mの高さまで清らかな水をたたえている現役の井戸です。


(復元瓦)


(天守閣の門)


(大天守)


(小天守と続櫓)


(小天守)


(小天守と大天守…東側から)


(大天守)


(大天守から見る伯耆丸跡)
ブルーシートのかかる樹木部分が伯耆丸跡、その右は市役所。後方がJR福知山駅

【歴史】
天正3年(1575年)長篠の戦いで武田勝頼を破り、天下に手が届く位置に来た信長は、一番のお気に入りで出世頭の光秀に、丹波の平定を任せます。翌年から、本格的に攻略を開始した光秀は、その後の数年をかけて見事平定…今度は、その丹波支配の拠点として、新たに構築したのが、この福知山城です。


(現地案内板から)
天正7年、明智光秀は横山城の横山信房を討ち、丹波平定を完成させた。織田信長から丹波を与えられ、横山城を大修築して丹波での居城とした。その頃は福知山という地名はなく、横山城とよばれていた。その後 信房の代に明智光秀に攻められ落城し信房は自刃し落城した。その後、光秀は藤木権兵衛、三宅弥平次を城代とし近代城郭に改修した。

天正10年、光秀は本能寺で織田信長を倒すがすぐに山崎の戦で羽柴秀吉に敗北し小来栖で土民に殺害された。その後、羽柴秀勝、杉原家次、小野木重勝と続くが、小野木重勝は関ヶ原の戦いで西軍につき、関ヶ原で西軍が敗れ、細川忠興に攻められ落城し、亀岡で切腹させられた。江戸期には、大名が相次いで入れ替わり入封する(慶長5年、有馬豊氏が8万石で遠江横須賀より入封。元和7年に豊氏は筑後久留米に転封したあと、城主は、岡部・稲葉・松平氏と替わる)寛文9年に朽木稙昌が32,000石で常陸土浦から入封し、朽木氏は13代200年統治し明治に至る。  


 
明治の廃城令によって建物が取り壊され、石垣だけの状態になっていたのを昭和61年(1986年)に望楼型の独立式という初期の姿で復元されました。
 

追記…福知山を出て少し電車に乗ると園部駅に着きます。ここには園部城があり途中下車をして、見学したかったのですが、私だけと言う訳にもいかず下降…それに皆大分疲れている様子で、わがままも言えずスルーしました。
 
園部城の本丸は園部高校の敷地が本丸跡で、高校の正門は園部城本丸表門(櫓門)、その側に建つ二層の巽櫓は現存していると聞いていましたし、市役所のすぐ近くに模擬天守風の建物もあるとかで…うわっ 今後、この地に来る事があるのかと思うと…残念
   

Posted by きくいち at 16:08Comments(0)趣味

2014年03月07日

山頂に累々と築かれた石垣…日本のマチュピチュ

丹波から西進する山陰道と播磨から北上する播但道の接点にある和田山は古くからの交通の要所で、その両街道の接点近くにある古城山に竹田城は築かれています。



竹田城は標高353mの古城山山頂に主郭部が築かれた典型的な山城です。
この城の魅力は山頂の地形のままに総石垣で構築された圧倒的な姿に尽きます。



竹田城といえば山頂に残る全国でも屈指の石垣群が有名ですが、ここの石垣は安土城や姫路城と同じ穴太積みが用いられ、非常に美しい山城の姿を現在に伝えています。


(山城の郷から…虎臥山を見上げると、山頂に累々とした石垣が見え、気持ちが高まりました)
城跡を覆う樹木が少ないせいで山麓からでもその圧倒的な石垣を望めます。

登城ルートは「山の郷」からの「南登山道」…本来なら中腹の駐車場まで車で行けるのですが、冬季間は車両通行止めわーん 山の郷駐車場から中腹の駐車場まで1時間ちょっと、そこからさらに城跡まで約20分…でもここまで来たら歩くしかありませんしょんぼり

ところが、観光タクシーの運転手さんが別ルートを聞いてくれて…少し急ではあるが「駅裏登山道」で行くと1時間はかからないとの事…健脚に物言わてと、そちらのルートを選択しました。ナイス


(情報館、天空の城から…)

(虎臥城公園前の踏み切り)

後から気が付いたのですが、実際に歩いたのは表米神社登山道でした…


タクシーの運転手も地元でなく登山道をよく知っていなかったようです…


中腹駐車場からの登城口にある模擬山門…冬でなければここまで車でこれたのに…用意されていた杖を使って大手門コースをさらに歩きます(ここから約20分…)


やっと石垣が見えてきました…










竹田城南千畳

竹田城勝手口

竹田城平殿



竹田城二の丸

本丸から北千畳

天守台
最高峰にある天守台を中心にして梯郭式に、南に南二の丸と南千畳、北東に二の丸と三の丸そして北千畳、西に花屋敷が配置されている。城の規模は、南北約400m、東西100mでいまなお当時の偉容をほこっています。


三の丸門

北千畳

大手門

三の丸

本丸から南千畳

正門

本丸から
この城ほど 山上にあって視界を遮る樹木の少ない城はないでしょう。本丸最高所に立つと180度パノラマの景色が拡がります。まさしく天空に向かって立つ思いです。もうひとつ素晴らしいのは樹木の少ない恩恵で 全縄張りが一目で見渡せることです。現在の山城は殆どが樹木に覆われ山と一体化してますが、往時の山城の中枢部は現在の竹田城城のような状態だったと思われます。
 

情報館模型から…

縄張りは全体的にはシンプルで本丸を中心に北と南に延びる郭と背後の花屋敷からなっています。残念ながらこの時期は天守台には登れませんでしたが、情報館の写真から見ると南北の各千畳曲輪が翼で花屋敷曲輪が尾で、飛翔する鳥のような縄張りだという事が分かります。

この天守台は縄張りのほぼ中央に位置し山麓の城下からも正面にあたり、まさしく「見せる天守」を絵に描いたような構図です。山城のおもしろいところは曲輪内の通路が地形の高低差で複雑なことで、狭い箇所で幾重にも折れ曲がる石塁の変化が楽しめます。当時、建築群は天守、櫓で総数20基ほどあったらしく、この総石垣に加えその全貌は拠点城郭としては威圧するものがあったと想えます。
 
【歴史】(現地案内板より)
竹田城は、嘉吉3年に但馬守護山名持豊(宗全)が築城し、家臣太田垣光景に守らせました。戦国時代の天正元年には、播磨龍野城主赤松広秀に攻められ落城し、城主太田垣朝延は因幡に逃れ、広秀が城主とります。天正5年、豊臣秀吉がによる播磨侵攻により、但馬にも兵を入れ、竹田城も豊臣秀長によて攻められ落城します。秀吉は、但馬攻略の功を賞して弟秀長に但馬を預け、秀長はこの竹田城の城主なりました。
その後、桑山重晴が城主になるが、天正13年紀伊和歌山城代に転じると、再び赤松広秀が城主に任じられます。この時期に、竹田城は現在残る石垣群が築かれました。慶長5年、赤松広秀は関ヶ原の役では西軍に加担して自刃し、竹田城も廃城となりました。 



竹田城は、戦国時代の山城と言うよりも、むしろ近世山城と言ってよいほどで、日本三大山城(美濃岩村城・大和高取城・備中松山城)の各城とも素晴らしいと思いますが、城跡から見る展望、累々と残る石垣の見事さ、どれをとっても三代山城に勝るとも劣らないのでは…?
私自身、日本三大山城に全て行っている訳ではありませんが、むしろそれらの城よりも山城の素晴らしさ、感動を伝えてくれるのではないでしょうか…?関ヶ原以後廃城されず、存続していたならば間違いなく「日本四大山城」に数えられていたと思います。
   

Posted by きくいち at 15:52Comments(0)趣味

2014年03月06日

業界のつながり

館山寺割烹調理師会の新年会にご招待を受け出席してきました。
実は今、我々の業界も色々な会が、会員の減少で…やべー
料理組合、浜松割烹調理師会を中心に、街中の老舗料理店の次世代の経営者達と、飲食業界の幅広い繋がりを作り上げ、総合飲食の活性化に努めて行きたいと考えているのです。



料理屋の主人も、板前も、そして仲居さんも…会を関係なく皆が平につながりを持っていかないと…。
思いは同じ…浜松に活気をナイス


 
当日の献立
【食前酒】出世城
【先 付】若旦那こだわり胡麻豆腐
【前 菜】菜の花のおひたし、
     蕪とグレープフルーツの甘酢漬け、ピンクグレープフルーツジュレトともに
     春野菜の白和え、バルメザンチーズ風味
     舞阪産たたみ鰯と蓮根のチップス
【お造り】お造りと野菜の彩り、りゅうきゅう仕立て
【鍋 物】春色おろしの若竹鍋
【焼 物】鰆の青朴葉田舎味噌焼
【温 物】特製蓬饅頭
【揚げ物】春キャベツの遠州ポーク巻、新玉ねぎと新じゃがの素揚げ、静岡緑茶塩で
【食 事】駿河湾産桜海老の釜飯、桜の葉の香りをのせて
【止 椀】赤出汁
【香の物】三方原大根の沢庵、梅牛蒡、小メロン漬け、水かけ菜漬
【甘 味】自家製静岡緑茶プリン、みかん、苺

いい交流がもてました…館山寺の皆さんこれからも宜しくお願いします。ちょき
       

Posted by きくいち at 14:36Comments(0)大将