› きくいち日記 › 趣味 › ひとときの気分転換(美術館と博物館)

2011年12月26日

ひとときの気分転換(美術館と博物館)

年末年始は何時もの事ながら休みがなく、体も頭も疲れが溜まってきました…。特に今年は遠鉄の新館オープンや従業員の欠員も出てかれこれ2ヶ月休みなしで老体に鞭打ってるといった感じです。そんな中少しだけ時間が開いたので先日、気分転換に美術館と博物館に行って来ました。

ひとときの気分転換(美術館と博物館)

市制100周年記念特別展 戦国の覇者徳川家康と浜松展

ひとときの気分転換(美術館と博物館)

戦に明け暮れた若き日の徳川家康がその後の体制の礎を築いた浜松は、2代将軍・秀忠の出生の地でもあり、徳川将軍家とは深い関わりがあり、浜松城在城時の若き日の家康、浜松生まれの二代将軍・秀忠を中心に家康・秀忠・家光をめぐる浜松ゆかりの人々歴史的史料などがたくさん展示されているのです。 

ひとときの気分転換(美術館と博物館)
 
日光東照宮宝物館、久能山東照宮博物館、徳川記念財団、岡崎博物館などの所蔵の史料が一同に揃っていて見ごたえはありました。中でも重要文化財に指定されている「本多忠勝像と具足」は個人所蔵の物で直にその物を見ることができ感動しました。本当はもっとゆっくりしていたかったのですが…。 

ひとときの気分転換(美術館と博物館)

浜松城公園を少し歩きました(私は元城小、中部中出身ですからこの辺は子供頃から良く知っていて庭のような物です。以前は動物園に市営プールがあり幼い頃の思い出がいっぱいありますが、何十年ぶりに来て見るとその姿は随分変わっていました…)

ひとときの気分転換(美術館と博物館)
当然のようにお城にも…中に入ったのは学生の時以来、数十年ぶりです。

浜松城は別名、「石垣城」。旧名は「曳馬城」。「出世城」という異名もあります。
天竜川以西の遠江を統治する上で、軍事・交通の要衝となる地に位置し佐鳴湖東部の丘陵を利用した、平山城です。

今川貞相が築いた、曳馬城がその前身で久野越中守築城説もあります。戦国期には、今川家の武将、飯尾氏が治めていましたが、桶狭間の戦いによって、今川家は衰退し武田家との、駿・遠分割盟約により、徳川家康が遠江に侵攻し、曳馬城を攻略します。その後、大々的に改修を加え、浜松城と改名したのです。

ひとときの気分転換(美術館と博物館)
 
浜松城における、構成上の最大の特徴は、石垣の「野面積み」です。
石垣の構造については、江戸期の儒者、荻生徂徠の「鈴録(けんろく)」によれば
野面積み  ・・・自然石を上下に積み重ねたもの。
打ち込みはぎ・・・自然石に手を加え、隙間のないように組み合わせたもの。
切り込みはぎ・・・自然石の表面を平らにし、石垣表面も直線状(または曲線状)にしたもの

浜松は徳川270年の礎を築いた土地であるとも言われ江戸期は、5万石前後の譜代大名の居城でした。歴代浜松城主は、幕府中枢の役職に任命されるという、今で言う、ジンクスのようなものがありそのことも、「出世城」と言われるゆえんではないでしょうか…。特に有名なのは、「天保の改革」で知られる水野忠邦で、肥前唐津城主だったのですが、自ら浜松移転を願い出、在城中に老中となったと言われています。
 

ひとときの気分転換(美術館と博物館)

帰りに博物館にも足を伸ばしました。

ひとときの気分転換(美術館と博物館)

市制100周年記念として、先月浜松市で開催された全国山城サミットと連携し、浜松城をはじめとする城絵図が展示してあり城絵図から、国を守り町を作っていった、戦国時代の武将や近世の城主の思いを探って来たのです。

気分一身これで、年末年始も頑張れますちょき


同じカテゴリー(趣味)の記事
体に良くないGOLF
体に良くないGOLF(2024-04-29 23:44)

約1ヶ月振りの休日
約1ヶ月振りの休日(2024-01-09 08:33)


Posted by きくいち at 09:39│Comments(0)趣味

コメント

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
ひとときの気分転換(美術館と博物館)
    コメント(0)