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2012年02月12日

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城

今回の三重の城廻、最後は松坂です。松阪城は僅か8年の間に、6万石から92万石に昇進した
戦国の智勇兼備の名武将・名築城家とうたわれた蒲生氏郷によって築かれた城です。

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城

総石垣作り一二三段形式の近世平山城の典型的なお城で、比高約30mの四五百(よいほ)の
森と呼ばれていた独立丘陵に築かれ、特徴的なのは、本丸が上段部と下段部に高低があり分
かれていることです。

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城

縄張りは、北東を大手、南を搦手とし、外郭に深田堀及び水堀を巡らし、本丸(上・下)・二の丸・
季代(きたい)丸・隠居丸・三の丸・出丸といった曲輪より構成され、本丸・二の丸・季代丸・隠居丸には高い石塁を築き、三の丸は土塁であったようです。 

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城

本丸上段部中央よりやや西寄りに天守台を設け、その上には、付属櫓を伴った桃山様式三層の
天守が聳え立ち、これらを取り巻いてそれぞれの郭に敵見・金の間・月見・藤見などをはじめ諸門を合わせて11の建物があったと言われています。

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城

二の丸には華麗な御殿、三の丸の中央には大手門筋が通り、両側に城代屋敷・御鷹部屋・
武家屋敷が並んでいました。

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城 

氏郷は城下町の建設も積極的に進め、楽市楽座制を敷いて発展させた。
また、海岸線近くを通っていた参宮街道を城下に引き寄せ、のちの商都松阪の基礎を築いている。
現在、本丸・季代丸・二の丸は松阪公園として整備され、三の丸は本居宣長を祀る本居神社や公共施設の敷地となっています。
 
智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城

公園のすぐそばには、松坂城を警護していた旧紀州藩士が住んだ、武家屋敷の「御城番屋敷」があります。「御城番屋敷」は現存する建物で、現在でも市民の方が暮らしています。(西棟の一戸だけを復元修理し、内部を公開しています)

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城  

城跡に現存する建物はありませんが、延々と続く高石垣や巧妙な造りとなっている各枡形には圧倒されます。氏郷はこの新城を、吉祥の木である松と、秀吉の居城大坂城から一字を拝領して「松坂城」と命名しました。

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城
(松坂城古今絵図)

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城
山頂部分に本丸が築かれていてその本丸には野面積で築かれた天守台が存在します。 

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城

本の丸は、2段に分かれていて上段が、かつては三層の天守が建てられ、天守曲輪を形成しています。天守台は、付属櫓をともなった形式で、きたい曲輪から天守台に登る崩れた石段が、妙に印象的でした。

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城

歩いて登れる天守台からは松阪の市街が望めます。 

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城

本の丸下段への虎口、助佐衛門御門(表二の門)と中御門(裏二の門)とがあり、それぞれの虎口とも見応えがありました。 

智勇兼備の名将蒲生氏郷の築城

裏二の門も、表二の門同様、高石垣に囲まれ、結構急な登り坂を伴う堅固な構えでした。
 
松坂城の歴史…

1584年(天正12)、豊臣秀吉により松ケ島城(松阪市松ケ島町)12万石に封ぜられた氏郷は、松ケ島城が海に近く手狭なことから、この地に目をつけ、夜を日に継いで築城し、天正16年に完成させて居を移し、この地を「松阪」と名付けました。
城の完成まもない1590年(天正18)、氏郷は黒川城(のちの会津若松城)42万石の太守として転封し翌年、服部一忠が3万5千石で入りますが、一忠は豊臣秀次事件に連座してその罪を秀吉に問われ、1595年(文禄4)、切腹自害して果てるのです。
同年、替わって古田重勝が3万4千石で近江日野(滋賀県日野町)から入り、関が原の役後、2万石を加増され、重勝の跡を継いだ弟の重治は、1619年(元和5)、石見浜田(島根県浜田市)に転封となります。(この古田氏二代の間に松坂の城下町が形成された )
古田氏転封以後、松阪城は紀州徳川家の祖となった徳川頼宣(家康の10男)の領地となり、勢州18万5千石を統括する和歌山藩松坂城代が置かれ、明治に至りました。 
 


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Posted by きくいち at 09:16│Comments(0)趣味

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