2018年07月14日
浄土真宗のお盆
昨日は、亡父逸平儀、初盆に際しましてお暑い中をまたご多忙中にもかかわらずお集まり頂きご鄭重なるご厚志を賜り大変有難く存じております。故人もさぞかし浄土において感謝していることと思います。本来であれば拝眉の上お礼を申し上げるべきところではございますが 略儀ながら書中をもちましてお礼かたがたご挨拶申し上げます。

お盆といえば、一般には、地獄の釜の蓋が開いて、先祖の霊が帰って来る日とされ、迎え火で迎え、送り火で故人の霊を送るのが風習となっています。 お盆になると、精霊棚を設け、盆提灯を飾り、精霊馬(ナスやキュウリを動物に見立てたもの)を用意したり、お盆の行事が行われる地域もあります。
浄土真宗では、お盆だからといって、盆提灯を飾ったり、先祖の霊のために迎え火や送り火を焚いたり、精霊棚、精霊馬を用意したりするようなことは一切、致しません。 お盆になると地獄の釜の蓋が開いて、先祖の霊が帰って来る、という教えは、もともと仏教にはありません。ですから、浄土真宗に限らず、すべての仏教において、先祖の霊を迎えるような仏事は存在しないのです。
お盆になると地獄の釜の蓋が開いて、先祖の霊が帰って来ると言われますが、そもそも、仏教で教えられる地獄とは、どんなところなのでしょうか
仏教で「地獄」とは、苦しみの世界(苦界)のことをいわれます。インドの言葉で「ナラカ」(「奈落」は、ここから来ている)といい、地獄を8つに分けられているのが、「八大地獄」です。「八熱地獄」ともいわれます。八大地獄の中で、最も苦しみの激しい地獄が「無間地獄(むけんじごく)」です。「阿鼻地獄(あびじごく)」ともいわれます。寿命は八万劫で、一劫は4億3千2百万年だそうです
苦しみがヒマなくやってくるので「無間地獄」といわれます。
この世でさえ、なかなかお盆休みもとれないのですから、お盆に地獄の釜の蓋が開いて帰ってこれるようなところが地獄であれば、この世よりも結構なところかもしれません。また、そのようなところであれば「無間地獄」とはいわれないでしょう
浄土真宗では、お盆は亡くなられた方をご縁として無常を見つめ、私たちが真剣に仏法を聞かせていただく日とさせていただかねばならない、と教えられます。 在りし日の故人の顔を思い浮かべるとき、様々な思い出がよみがえってきます。もう、この世で会えない身となってしまった故人は、しかし、私の確実な未来の姿でもあります。
日ごろ、自分が死ぬ身であることを忘れ、生に安心しきっていますが、“死”という無常の虎は容赦なく襲い掛かってくるのです。やがて必ず死ぬのに、なぜ生きるのか、生きていかねばならないのか、人生の根本問題を仏教の教えによって解決する勝縁とするのがお盆です。
お盆に親戚一同が集まって、僧侶に読経してもらうところもあると思いますが、読経を「死者のためにあげてもらっている」と思われてのことならば、それはとんでもない仏教の誤解です。 「死者のために読経する」のは迷信だと、その誤りを教えて下されたのは、実に仏教を説かれたお釈迦様なのです。
それは、お経がどのようにして成立したかを知れば明らかです。お経とは、お釈迦様が、苦しみ悩む生きた人間を幸福にするために説かれた教えを、弟子たちが後世の人に書き残したものです。だから、死人になされた説法は一つもありません。 厳粛な仏事を縁に無常を感じて聞法することは、有り難い勝縁となりましょう。
お盆に、一同に集まった家族や親戚の皆さんが、お経に説かれている教えを聞かせていただき、そこに説かれてある真実を知らされてこそ、お盆も意義深いものとなるのです。お盆は、家族や親戚の皆さんが一緒に、親鸞聖人の教えを聞かれる御縁とされることが一番です。今回は、浄土真宗の住職、門徒総代の方々から、このようなお盆の意義をよく伝えていただきました

お盆といえば、一般には、地獄の釜の蓋が開いて、先祖の霊が帰って来る日とされ、迎え火で迎え、送り火で故人の霊を送るのが風習となっています。 お盆になると、精霊棚を設け、盆提灯を飾り、精霊馬(ナスやキュウリを動物に見立てたもの)を用意したり、お盆の行事が行われる地域もあります。
浄土真宗では、お盆だからといって、盆提灯を飾ったり、先祖の霊のために迎え火や送り火を焚いたり、精霊棚、精霊馬を用意したりするようなことは一切、致しません。 お盆になると地獄の釜の蓋が開いて、先祖の霊が帰って来る、という教えは、もともと仏教にはありません。ですから、浄土真宗に限らず、すべての仏教において、先祖の霊を迎えるような仏事は存在しないのです。
お盆になると地獄の釜の蓋が開いて、先祖の霊が帰って来ると言われますが、そもそも、仏教で教えられる地獄とは、どんなところなのでしょうか

仏教で「地獄」とは、苦しみの世界(苦界)のことをいわれます。インドの言葉で「ナラカ」(「奈落」は、ここから来ている)といい、地獄を8つに分けられているのが、「八大地獄」です。「八熱地獄」ともいわれます。八大地獄の中で、最も苦しみの激しい地獄が「無間地獄(むけんじごく)」です。「阿鼻地獄(あびじごく)」ともいわれます。寿命は八万劫で、一劫は4億3千2百万年だそうです

この世でさえ、なかなかお盆休みもとれないのですから、お盆に地獄の釜の蓋が開いて帰ってこれるようなところが地獄であれば、この世よりも結構なところかもしれません。また、そのようなところであれば「無間地獄」とはいわれないでしょう

浄土真宗では、お盆は亡くなられた方をご縁として無常を見つめ、私たちが真剣に仏法を聞かせていただく日とさせていただかねばならない、と教えられます。 在りし日の故人の顔を思い浮かべるとき、様々な思い出がよみがえってきます。もう、この世で会えない身となってしまった故人は、しかし、私の確実な未来の姿でもあります。
日ごろ、自分が死ぬ身であることを忘れ、生に安心しきっていますが、“死”という無常の虎は容赦なく襲い掛かってくるのです。やがて必ず死ぬのに、なぜ生きるのか、生きていかねばならないのか、人生の根本問題を仏教の教えによって解決する勝縁とするのがお盆です。
お盆に親戚一同が集まって、僧侶に読経してもらうところもあると思いますが、読経を「死者のためにあげてもらっている」と思われてのことならば、それはとんでもない仏教の誤解です。 「死者のために読経する」のは迷信だと、その誤りを教えて下されたのは、実に仏教を説かれたお釈迦様なのです。
それは、お経がどのようにして成立したかを知れば明らかです。お経とは、お釈迦様が、苦しみ悩む生きた人間を幸福にするために説かれた教えを、弟子たちが後世の人に書き残したものです。だから、死人になされた説法は一つもありません。 厳粛な仏事を縁に無常を感じて聞法することは、有り難い勝縁となりましょう。
お盆に、一同に集まった家族や親戚の皆さんが、お経に説かれている教えを聞かせていただき、そこに説かれてある真実を知らされてこそ、お盆も意義深いものとなるのです。お盆は、家族や親戚の皆さんが一緒に、親鸞聖人の教えを聞かれる御縁とされることが一番です。今回は、浄土真宗の住職、門徒総代の方々から、このようなお盆の意義をよく伝えていただきました

Posted by きくいち at 07:52│Comments(0)
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