2018年10月08日
築地市場閉場…ターレで豊洲市場に大移動
戦後復興・高度成長とともにあり「日本の台所」として食卓を彩ってきた築地市場が83年の歴史に幕を閉じました


築地市場のルーツは約400年前、17世紀初頭までさかのぼります。東京都などによると、徳川家康に従って漁民が大阪から日本橋付近に移住。幕府に魚を納め、余りを庶民に売る許可も得た。これが市場のルーツとなり「日本橋魚河岸」として繁栄してきました
しかし、大正12年の関東大震災で日本橋を含めた東京の複数の市場が焼失
その後、震災復興事業として、京橋にあった青果市場が合併して昭和10年築地市場に生まれ変わります。

戦後復興で栄える中、流通のあり方が築地市場も変えていきました。かつては船で直接、築地市場に魚を水揚げし、乗り入れる貨物列車が生鮮食品を運んでいた頃も…
やがて高度成長で車社会が到来し、場内も車や人で混雑しました


老朽化も進んだため、47年には築地の機能を新たな市場に一部移転する案が出ましたが、業界の反対で頓挫
61年には、現在地再整備案が浮上しましたが、整備費の増大や業界との調整が難航するなどの問題が生じ、白紙に
改めてテーブルについた都と業界側が調整を進め、平成13年に豊洲移転が決定した
解体後の跡地は東京大会関係車両の輸送拠点として整備されるようですが、小池百合子都知事が移転延期を決断した影響で、急ピッチの作業を迫られています
また、跡地を通る幹線道路で東京大会の主要輸送ルートとして想定されている「環状2号線」も、移転延期の影響で計画通りの整備を断念
片側2車線の地下道路という当初計画が大会に間に合わないことから、計画変更して片側1車線で地上部分に暫定整備することになったそうです(輸送能力の大幅減は必至です
)

東京大会以降の跡地再開発については、都が設置した有識者会議の今年5月の最終報告書で、具体案が示されていません。都は今年度中に再開発に向けたまちづくり方針を策定するようですが、都心の一等地にある築地の未来は、未確定のままになっています。
思い入れのある築地跡地は、どの様変わっていくのでしょうか
豊洲新市場と共に気になる場所です



築地市場のルーツは約400年前、17世紀初頭までさかのぼります。東京都などによると、徳川家康に従って漁民が大阪から日本橋付近に移住。幕府に魚を納め、余りを庶民に売る許可も得た。これが市場のルーツとなり「日本橋魚河岸」として繁栄してきました

しかし、大正12年の関東大震災で日本橋を含めた東京の複数の市場が焼失


戦後復興で栄える中、流通のあり方が築地市場も変えていきました。かつては船で直接、築地市場に魚を水揚げし、乗り入れる貨物列車が生鮮食品を運んでいた頃も…




老朽化も進んだため、47年には築地の機能を新たな市場に一部移転する案が出ましたが、業界の反対で頓挫



解体後の跡地は東京大会関係車両の輸送拠点として整備されるようですが、小池百合子都知事が移転延期を決断した影響で、急ピッチの作業を迫られています

また、跡地を通る幹線道路で東京大会の主要輸送ルートとして想定されている「環状2号線」も、移転延期の影響で計画通りの整備を断念



東京大会以降の跡地再開発については、都が設置した有識者会議の今年5月の最終報告書で、具体案が示されていません。都は今年度中に再開発に向けたまちづくり方針を策定するようですが、都心の一等地にある築地の未来は、未確定のままになっています。
思い入れのある築地跡地は、どの様変わっていくのでしょうか

豊洲新市場と共に気になる場所です

Posted by きくいち at 06:58│Comments(0)
│大将