2024年09月11日
とら食堂の流れをくむ手打中華店
白河ラーメンとは?
白河は全国的にも知られるラーメン処で、市内には約100軒を超す味自慢の店があるそうで、コシがある手打ち麺が、味わい深いスープに絡み合い絶妙な風味を醸し出しています
タクシーの運転手に聞いたのですが、こちらの「手打中華 やたべ」は、白河ラーメンの元祖、とら食堂の流れをくむ手打中華店で、最近都内でもこちら出身の方がお店をオープンしたり何かと話題になっているレジェンド店だそうです
お盆明けの月曜日、いかにも田舎にある食堂のような外観。まわりに民家もほとんどないような所に立地しているにもかかわらず、11時少し前には、開店を待つお客さんが数人しかも記帳制
そして麺がなくらると終了するとの事
いや、危ないところでした
注文は手打中華
待っている間にスープに使用した鶏のガラと漬物が出され、これを食べながら15分ほど待っていると着丼
見た目はThe 白河ラーメン。具はチャーシュー、メンマ、青菜、ナルト、ネギ。麺は白河定番の手打ちピロピロ麺。
澄んだスープを一口いただくととても昔ながらの醤油味。旨味は強くなく、シンプルな醤油ラーメン。でもこのシンプルさが好きでハマる方が多いのかも
昔ながらの田舎のラーメンごちそうさまでした
名物男「とらさん」の味
白河ラーメンは、伝説の人物"とらさん"を抜きにしては語れない。とらさんこと故竹井寅次氏は、「フーテンの寅」を地でゆく酒とばくちざんまいの生活を送っていた。 白河で最初に中華そばを出したのは昭和10年ごろのこと。屋号は「一六軒」。そして、その後「○イワンタン」という屋台が中華そばを出して人気を呼ぶ。伝説の人、竹井寅次はこの屋台で修業をし、木の棒を使った手打麺の技術を覚え、とら食堂という店を出した。
とら食堂以外の店はなくなってしまったが、とらさんはアルコール片手にラーメンの技術を弟子たちに伝え、広めていった。どの地方でも一人の天才的な職人が築いた味がベースになりその味を学んだ弟子やその味を目指してラーメン店を開いた人々の手によって、一つの文化となっていく。
白河では、とらさんという人物が、そのキーマンとなったのである。このとら食堂、現在、息子の竹井和之氏が二代目として店を継ぎ、とらさんの作った味を脈々と継承している。
土産に買ってきて家で食べてみたのですが、どこか違う味でした…やはり現地で食べるのとは違います
白河は全国的にも知られるラーメン処で、市内には約100軒を超す味自慢の店があるそうで、コシがある手打ち麺が、味わい深いスープに絡み合い絶妙な風味を醸し出しています
タクシーの運転手に聞いたのですが、こちらの「手打中華 やたべ」は、白河ラーメンの元祖、とら食堂の流れをくむ手打中華店で、最近都内でもこちら出身の方がお店をオープンしたり何かと話題になっているレジェンド店だそうです
お盆明けの月曜日、いかにも田舎にある食堂のような外観。まわりに民家もほとんどないような所に立地しているにもかかわらず、11時少し前には、開店を待つお客さんが数人しかも記帳制
そして麺がなくらると終了するとの事
いや、危ないところでした
注文は手打中華
待っている間にスープに使用した鶏のガラと漬物が出され、これを食べながら15分ほど待っていると着丼
見た目はThe 白河ラーメン。具はチャーシュー、メンマ、青菜、ナルト、ネギ。麺は白河定番の手打ちピロピロ麺。
澄んだスープを一口いただくととても昔ながらの醤油味。旨味は強くなく、シンプルな醤油ラーメン。でもこのシンプルさが好きでハマる方が多いのかも
昔ながらの田舎のラーメンごちそうさまでした
名物男「とらさん」の味
白河ラーメンは、伝説の人物"とらさん"を抜きにしては語れない。とらさんこと故竹井寅次氏は、「フーテンの寅」を地でゆく酒とばくちざんまいの生活を送っていた。 白河で最初に中華そばを出したのは昭和10年ごろのこと。屋号は「一六軒」。そして、その後「○イワンタン」という屋台が中華そばを出して人気を呼ぶ。伝説の人、竹井寅次はこの屋台で修業をし、木の棒を使った手打麺の技術を覚え、とら食堂という店を出した。
とら食堂以外の店はなくなってしまったが、とらさんはアルコール片手にラーメンの技術を弟子たちに伝え、広めていった。どの地方でも一人の天才的な職人が築いた味がベースになりその味を学んだ弟子やその味を目指してラーメン店を開いた人々の手によって、一つの文化となっていく。
白河では、とらさんという人物が、そのキーマンとなったのである。このとら食堂、現在、息子の竹井和之氏が二代目として店を継ぎ、とらさんの作った味を脈々と継承している。
土産に買ってきて家で食べてみたのですが、どこか違う味でした…やはり現地で食べるのとは違います
Posted by きくいち at 09:36│Comments(0)
│郷土銘品