2024年09月13日
江戸時代、丹羽長重が大改修した奥州関門の名城
今回の旅の1番の目的は、もちろんお城
白河小峰城です
日程が合わず資料館は休館日
資料館、館内には小峰城の歴史に関するパネルや模型、小峰城ゆかりの古文書や美術品等が展示されているほか、江戸時代の小峰城を体感できるVRシアターが整備されていたそうですが…
奥州関門の名城と謳われた小峰城は、結城親朝が興国・正平年間(1340~1369)に小峰ヶ岡に城を構えたのがはじまりで、寛永9年(1632(に江戸時代の初代藩主、丹羽長重が4年の歳月を費やして完成させた梯郭式の平山城です
寛政の改革で知られる松平定信をはじめ、7家21代の大名が居城しましたが、慶応4年(1868)戊辰戦争白河口の戦いで落城。約120年の時を経て、平成3年(1991)に三重櫓、平成6年(1994)に前御門が江戸時代の絵図に基づき忠実に木造で復元され、市のシンボルとして親しまれています
平成22年(2010)8月5日に、その歴史的な重要性が評価され、国指定史跡となりました
江戸時代の寛永9年(1632)に丹羽長重が大改修した奥州関門の名城です。復元された三重櫓や東日本大震災による崩落から復旧した端正な石垣と、桜のコントラストが見事です。
城内にある「おとめ桜」は、小峰城の石垣が何回となくくずれ、人柱を立てることとなり、偶然にも藩士の娘がその犠牲となったという伝説があります。この娘を悼んで「おとめ桜」の名で桜が植えられたそうです。この桜は戊辰の戦火で焼失、現在は二代目「おとめ桜」が三重櫓の横で毎年見事な花を咲かせ、城を艶やかに彩ります。
白河城で時間をとりすぎ、南湖公園はあきらめました
南湖公園…白河市南湖にある公園。「寛政の改革」でも知られる白河藩主・松平定信が、身分に関わらず誰もが楽しめる「士民共楽」の理念の元に築造した日本最古の公園とされ、園内には茶室「共楽亭」や日本庭園「翠楽苑」などが整備されていて、桜や紅葉、雪景色など四季折々の美しい風景が楽しめるとの事…小径に囲まれていて散策には最適だったのですが
南湖公園・翠楽苑は散策できませんでしたが奥州の名城じっくり堪能、大満足でした
白河小峰城です
日程が合わず資料館は休館日
資料館、館内には小峰城の歴史に関するパネルや模型、小峰城ゆかりの古文書や美術品等が展示されているほか、江戸時代の小峰城を体感できるVRシアターが整備されていたそうですが…
奥州関門の名城と謳われた小峰城は、結城親朝が興国・正平年間(1340~1369)に小峰ヶ岡に城を構えたのがはじまりで、寛永9年(1632(に江戸時代の初代藩主、丹羽長重が4年の歳月を費やして完成させた梯郭式の平山城です
寛政の改革で知られる松平定信をはじめ、7家21代の大名が居城しましたが、慶応4年(1868)戊辰戦争白河口の戦いで落城。約120年の時を経て、平成3年(1991)に三重櫓、平成6年(1994)に前御門が江戸時代の絵図に基づき忠実に木造で復元され、市のシンボルとして親しまれています
平成22年(2010)8月5日に、その歴史的な重要性が評価され、国指定史跡となりました
江戸時代の寛永9年(1632)に丹羽長重が大改修した奥州関門の名城です。復元された三重櫓や東日本大震災による崩落から復旧した端正な石垣と、桜のコントラストが見事です。
城内にある「おとめ桜」は、小峰城の石垣が何回となくくずれ、人柱を立てることとなり、偶然にも藩士の娘がその犠牲となったという伝説があります。この娘を悼んで「おとめ桜」の名で桜が植えられたそうです。この桜は戊辰の戦火で焼失、現在は二代目「おとめ桜」が三重櫓の横で毎年見事な花を咲かせ、城を艶やかに彩ります。
白河城で時間をとりすぎ、南湖公園はあきらめました
南湖公園…白河市南湖にある公園。「寛政の改革」でも知られる白河藩主・松平定信が、身分に関わらず誰もが楽しめる「士民共楽」の理念の元に築造した日本最古の公園とされ、園内には茶室「共楽亭」や日本庭園「翠楽苑」などが整備されていて、桜や紅葉、雪景色など四季折々の美しい風景が楽しめるとの事…小径に囲まれていて散策には最適だったのですが
南湖公園・翠楽苑は散策できませんでしたが奥州の名城じっくり堪能、大満足でした
Posted by きくいち at 08:59│Comments(0)
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