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2012年09月02日

福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました

夏の旅…宿泊は福山、鞆の浦です。 

福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました 

いにしえより潮待ちの港として栄えた鞆の浦。かつてこの町では多くの武人、文人、芸術家が交わり、先進的な瀬戸内の歴史と文化を形作ってきました。船が風と潮の流れを利用していた時代、瀬戸内海の潮の分かれ目となる鞆の浦には、潮の満ち引きを待つ船が集っていました。時代を越えても失われない先人達の息吹がこの町にはあるのです。

福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました

鞆の浦は、瀬戸内海に面した広島県福山市にある歴史的港湾とその周辺地区で、江戸時代の船着き場・雁木や常夜灯、波止、船番所などの港湾設備が残り、映画監督の宮崎駿さんがアニメ映画「崖の上のポニョ」の構想を練った場所としても知られています。

福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました
鞆の浦のシンボル常夜灯…灯籠燈(とうろうどう)と呼ばれる江戸時代の灯台。海中の基礎の上から宝珠まで11mの高さがあり、港の常夜灯としては日本一。

坂本龍馬のゆかりの地や歴史的な史跡が多く残っているうえ、21世紀の今なお「江戸」の息吹を感じさせる町並みと景観は、独特の場を生み出しています。まるでパラレルワールドにトリップしたような気分にひたれる鞆の浦を宮崎駿監督が構想を練る場として選んだというのも、足を運んでみれば納得できることでしょう。

福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました
坂本龍馬宿泊跡…江戸時代の回船問屋・桝屋清右衛門宅。いろは丸事件の時、坂本龍馬達土佐海援隊を支援し宿舎として提供された。

ポニョは宮崎監督が鞆の浦を舞台に、想像で書かれたそうです。「ここがポイント!」という場所は特にありませんが、鞆全体にポニョの雰囲気が漂っています。鞆港一体を眺めるだけで、十分楽しめると思います。

福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました
宮崎監督が泊り込んだ別荘…? 

福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました

ちなみに、最近は「崖の上のポニョ」よりも「竜馬伝」の影響で、竜馬資料館やいろは丸で弁天島へ渡るのが人気です。乗り場には、観光案内所が設けてありましたので、そこで尋ねても良いでしょう。

福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました
いろは丸展示場…宿舎もしていた商家。坂本龍馬と紀州藩の間でいろは丸事件の賠償交渉がここで行われました。日本発の海難裁判です。

福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました

車で行かれるのでしたら“グリーンライン”は絶景で鞆の浦一体が眺めることが出来るので、ドライブコースにおススメです。遠方の、医王寺というお寺にまで上がると、海岸も見渡せて美しい景色が見れます。

福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました

訪問するまで全然知りませんでしたが、超美しい鞆の浦の海と港町ですが、最近までこのど真ん中をぶち抜くように高速道路が作られようとしていて町を二分する騒ぎになっていたようです。瀬戸内の景観。何を隠そう「崖の上のポニョ」の舞台のモデルとなった土地。彼の地が最近まで、埋め立ての危機に瀕していたとは…。

交通渋滞を緩和するため鞆の浦の港を、埋め立てて高速道路を通すことで、福山駅へのアクセスを向上させ、経済発展をもたらそうというものです。しかし少なくとも私の目には渋滞なんて見当たりませんでした。福山駅から鞆の浦までタクシーで移動しましたが、交通はスムーズそのもので、広々とした景観が楽しめるとても楽しい道中でした。それに高速道路ができたとしても、ほんの5分ほどしか時間の短縮にならないというのです。

なぜそんなムダな道路を造るのか? その目的はよくわかりません。鞆の浦はたまたま全国より20年遅れて本格的な開発が始まりました。だからほんの30年前まで、江戸時代の町並みがほとんどそのまま残っていたのです。 

景勝地「鞆の浦」の埋め立て・架橋計画で、県は鞆の浦の景観保護や文化的価値を訴える住民意見、観光資源としての可能性を考慮し広島県は景観に配慮し「鞆の浦の景観は国民の財産」として計画を撤回する方針を固めたようですが、住民ニーズには埋め立て・架橋でなくとも応えられると判断、今後は山側トンネル案を軸に地元と協議を進めるとみられるが、地元には架橋を望む声もあり、反発の声があがることも想定される。 

福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました

港町、鞆の浦にはこんな石畳のステキな道がたくさん。
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福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました
仙酔島弁天島が…島には海上の守護神、弁財天が祀られています。 

福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました
むろの木歌碑…万葉の歌人・大伴旅人が鞆に立ち寄りむろの木に託して亡き妻を偲んだ歌が刻まれています。

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雁木…江戸時代に築かれた船着場の石段。満潮、干潮に関わらず船荷の積み下ろしが出来る。200mも残っているのは日本ではここだけだそうです。

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鞆の浦の力石…北前船で栄えた鞆の港で荷物を積み下ろしをするために仲仕たちが力比べをして神社に奉納した石。最も重い石は230キロもある

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太田家住宅跡…江戸初期、薬種・保命酒の醸造を始め特産品として全国にその名を知らしめ財を成した旧保命酒屋の建造物

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沼名前神社…京都八坂神社の元社で歴史と格式を誇る神社。豊臣秀吉が愛用した能舞台がある

福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました
ささやき橋…百済よりの接待役・和多利と官妓・江の浦はこの橋で恋をささやきあっていたが役目をおろそかにした罪で海に沈めらたと言う裏話が伝わっている。

このほかにも史跡名所はいたるところにあり、小魚料理や保命酒などうまいものもてんこ盛りの
鞆の浦に、皆さんも是非1度は遊びに行ってみてはいかがですか?ヤミツキになること間違いなし
「この町を守りたい」って、誰だって思うはずです。

福山鞆の浦(崖の上のポニョの舞台)に行ってきました 

潮待ち港…瀬戸内海の珍しい地形と潮の満干が原因で潮流の逆転現象が起こります。その潮が出会い別れる場所に鞆の浦という天然の良港があったため、そこで潮の流れが変るのを待つことを「潮待ち」といいました。そして、このことが二千年に渡って鞆の浦を繁栄させたのです。
 
大正時代に「名勝・鞆公園」の指定を受けて以来観光地としてもその名を知られる鞆の浦ですが二千年の栄華の歴史をそのまま残す町並みが貴重な歴史遺産として世界的にも注目されています。

歴史が教えてくれた人と世の法則… この世は夢幻のごとくなり。
「平家の栄華とその滅亡」や「足利幕府の発祥とその末路」など、鞆の浦はその二千年の歴史の中で、人の世のはかなさを見つめ続けて来ました。それはまるで夢か幻のようでもあります。「日頃、疑いもなく見ているものが、実はまったく違ったものだった」という経験はありませんか?この世はすべて幻想なのです。日常の常識は捨て、幻夢の時を楽しませてくれる鞆の浦、このままその歴史を残す事が出来るのでしょうか…?



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