2013年07月05日
とんかつにキャベツ コック出兵で変わった食卓
時々、無性にキャベツの千切りが食べたくなるときはありませんか…?
若い頃、そんな時は真っ先にとんかつ店へ行ったものですが、最近は揚物が…
キャベツの千切りといったらとんかつと相場が決まっているほど、抜群の相性を誇るキャベツととんかつ。その出合いは、日本人の野菜の食べ方を変えた歴史的な転換点でもあったようです。
日本で最初に「とんかつ」を出した店は、銀座にある老舗洋食店「煉瓦亭」さんらしく、とんかつとキャベツの組み合わせは、この店で生まれたのだそうです。(煉瓦亭は、1895年の創業。オムライスやエビフライなどを最初に考案したとの説もあるようです)
フランス料理店としてスタートした当時のこのお店は、油やバターをふんだんに使う料理が日本人の味覚に合わず、苦戦していたそうです。天麩羅のように揚げた方がからっとして日本人に合うのではないか。牛肉より豚肉の方があっさりするのではないか…?こうして生まれたのが「ポークカツレツ」。仏料理の「子牛のコートレット」をアレンジしたものだったのだそうです。
当時の日本には、野菜を生で食べる習慣がなかったようで、葱を薬味で使ったり、瓜や西瓜を果物として食べたりしたものの、野菜といえば煮物や汁物、漬物が一般的だったのです。 キャベツが日本にやってきたのは江戸時代オランダから伝わったそうで(レタスは奈良時代に入っていた)、加熱したりなますにしたりして食べていたようです。明治になって欧米から入ってきた「サラダ」も、茹で野菜が中心だったようです。(このころはまだ付け合わせはキャベツの千切りではなく、ベークドポテトやフライドポテト、煮込んだニンジン、茹でたキャベツなど温野菜を添えていたようで、しかもバターでソテーするなど濃いめの味付けだったそうです)
そんな状況を一変させたのが、日露戦争だったとか…?
若いコックさんがが兵役に取られ、それまで付け合わせを担当していたコックがいなくなり、人手が足りなくなってしまったようで、手間がかからないものとして、ヒントにしたのが、キャベツの一夜漬けだったのだそうです。一夜漬けで食べられるなら、生で食べてもおいしいのではないかと、さっそく試食してみたところ「これはいける」と思ったそうです。 省力化のためやむなく始めたキャベツの千切り。「生野菜が出てきて初めは驚いていた」というお客さんも、食べて納得。「口がさっぱりする」と好評だったようです。このように揚げ物と生野菜の組み合わせは、日本人の味覚に合っていてソースとの相性も絶妙だったのです。

銀座で生まれたポークカツレツはその後、上野や浅草などにも広がっていき、煉瓦亭が「ポークカツレツ」と呼んでいた料理は上野の洋食店「ポンチ軒」によってひらがなの「とんかつ」と命名されたのだそうです。分厚い豚肉を使うようになり、調理法も変化していく中でもとんかつの隣にはいつも、キャベツの千切りがあったのです。
とんかつの流行とともに、それまで日本人にはなじみがなかった野菜の生食も徐々に浸透し、とんかつとの出合いが、日本の野菜の歴史を変えたのです。
ただし衛生面の問題から、生野菜が一般家庭でも食べられるようになるのは東京オリンピック以降だとか…?
それまでの日本ではふん尿をそのまま畑にまくことが多く、寄生虫などの問題があり、戦後になってGHQが化学肥料や堆肥の使用を指導するなどしてようやく生で食べられる野菜が一般家庭にも普及していったのです。
キャベツの千切りは、春が1年で最もおいしい季節です。
春系キャベツは巻きが緩やか。みずみずしくて軟らかいのが特徴です(キャベツは大きく分けて、春系と冬系、その中間の夏秋系と3種類ありますが、春系は軟らかくてみずみずしく、生で食べるのに最適です。一方、冬系は煮込んでも崩れず、甘みが増すのでお好み焼きやロールキャベツなどに適しています。各産地はそれぞれの系統について、品種改良などを通じて出荷時期を延ばす工夫をしているようです。中でも冬系は「お好み焼きの骨材(中心具材)として使うので、1年を通じて欲しい、との要望が強く寄せられている」ようでその結果、「高冷地であれば8月でも冬系が収穫できるようになった」そうです。夏なのに冬キャベツとは不思議な響きですが…)
若い頃、そんな時は真っ先にとんかつ店へ行ったものですが、最近は揚物が…

キャベツの千切りといったらとんかつと相場が決まっているほど、抜群の相性を誇るキャベツととんかつ。その出合いは、日本人の野菜の食べ方を変えた歴史的な転換点でもあったようです。
日本で最初に「とんかつ」を出した店は、銀座にある老舗洋食店「煉瓦亭」さんらしく、とんかつとキャベツの組み合わせは、この店で生まれたのだそうです。(煉瓦亭は、1895年の創業。オムライスやエビフライなどを最初に考案したとの説もあるようです)
フランス料理店としてスタートした当時のこのお店は、油やバターをふんだんに使う料理が日本人の味覚に合わず、苦戦していたそうです。天麩羅のように揚げた方がからっとして日本人に合うのではないか。牛肉より豚肉の方があっさりするのではないか…?こうして生まれたのが「ポークカツレツ」。仏料理の「子牛のコートレット」をアレンジしたものだったのだそうです。

当時の日本には、野菜を生で食べる習慣がなかったようで、葱を薬味で使ったり、瓜や西瓜を果物として食べたりしたものの、野菜といえば煮物や汁物、漬物が一般的だったのです。 キャベツが日本にやってきたのは江戸時代オランダから伝わったそうで(レタスは奈良時代に入っていた)、加熱したりなますにしたりして食べていたようです。明治になって欧米から入ってきた「サラダ」も、茹で野菜が中心だったようです。(このころはまだ付け合わせはキャベツの千切りではなく、ベークドポテトやフライドポテト、煮込んだニンジン、茹でたキャベツなど温野菜を添えていたようで、しかもバターでソテーするなど濃いめの味付けだったそうです)
そんな状況を一変させたのが、日露戦争だったとか…?
若いコックさんがが兵役に取られ、それまで付け合わせを担当していたコックがいなくなり、人手が足りなくなってしまったようで、手間がかからないものとして、ヒントにしたのが、キャベツの一夜漬けだったのだそうです。一夜漬けで食べられるなら、生で食べてもおいしいのではないかと、さっそく試食してみたところ「これはいける」と思ったそうです。 省力化のためやむなく始めたキャベツの千切り。「生野菜が出てきて初めは驚いていた」というお客さんも、食べて納得。「口がさっぱりする」と好評だったようです。このように揚げ物と生野菜の組み合わせは、日本人の味覚に合っていてソースとの相性も絶妙だったのです。

銀座で生まれたポークカツレツはその後、上野や浅草などにも広がっていき、煉瓦亭が「ポークカツレツ」と呼んでいた料理は上野の洋食店「ポンチ軒」によってひらがなの「とんかつ」と命名されたのだそうです。分厚い豚肉を使うようになり、調理法も変化していく中でもとんかつの隣にはいつも、キャベツの千切りがあったのです。
とんかつの流行とともに、それまで日本人にはなじみがなかった野菜の生食も徐々に浸透し、とんかつとの出合いが、日本の野菜の歴史を変えたのです。
ただし衛生面の問題から、生野菜が一般家庭でも食べられるようになるのは東京オリンピック以降だとか…?
それまでの日本ではふん尿をそのまま畑にまくことが多く、寄生虫などの問題があり、戦後になってGHQが化学肥料や堆肥の使用を指導するなどしてようやく生で食べられる野菜が一般家庭にも普及していったのです。
キャベツの千切りは、春が1年で最もおいしい季節です。
春系キャベツは巻きが緩やか。みずみずしくて軟らかいのが特徴です(キャベツは大きく分けて、春系と冬系、その中間の夏秋系と3種類ありますが、春系は軟らかくてみずみずしく、生で食べるのに最適です。一方、冬系は煮込んでも崩れず、甘みが増すのでお好み焼きやロールキャベツなどに適しています。各産地はそれぞれの系統について、品種改良などを通じて出荷時期を延ばす工夫をしているようです。中でも冬系は「お好み焼きの骨材(中心具材)として使うので、1年を通じて欲しい、との要望が強く寄せられている」ようでその結果、「高冷地であれば8月でも冬系が収穫できるようになった」そうです。夏なのに冬キャベツとは不思議な響きですが…)
Posted by きくいち at 16:07│Comments(1)
│菊一本店
この記事へのコメント
こんにちは。煉瓦亭のブログを読んでたらコチラのブログに辿り着きました。写真が綺麗でオシャレなブログですね。食べたいですね。
Posted by 萌音 at 2014年04月12日 12:09