2015年12月22日
池井戸潤ドラマに惹かれて…(下町ロケット最終回)
2015年のドラマ業界は、まさに小説家・池井戸潤さんの独壇場と言っても過言ではありません。春に放送された「ようこそ、わが家へ」は、「月9としてはシリアスすぎる」と言われながらもヒット。続く夏には、「花咲舞が黙ってない」が同クール唯一の全話2ケタ視聴率を記録したほか、平均でも14.4%と断トツ1位に輝きました。

さらに、「民王」も深夜枠ながら「YAHOO!テレビ」のクチコミランキングで2位以下に大差で圧勝するなど、数字と評判を独占。そして10月からスタートした、「下町ロケット」も視聴率トップ…
「下町ロケット」は直木賞受賞作として「最高傑作」の呼び声も高い。

数字や評判もさることながら、驚くべきは今年放送の4本で民放主要4局を総ナメにしていること。しかも、ラブストーリーで有名なフジテレビ「月9」、59年の歴史を持ち男性視聴者も多いTBS「日曜劇場」、女性支持の高い日本テレビ「水曜ドラマ」、コメディからお色気までエンタメ度の高いテレビ朝日「金曜ナイトドラマ」と、視聴者層の異なる放送枠で結果を出しているのです。2013年の大ヒットドラマ「半沢直樹」から2年が過ぎてなお池井戸潤さん原作のドラマが支持される理由は、何なのでしょうか…


その理由として挙げたいのは、登場人物の対立構図。池井戸さんの小説は一般企業を舞台に描くことが多いため、おカネやプライドをめぐって「誰と誰が何のために対立しているのか?」イメージがしやすく、欲望や葛藤、理不尽や疑惑が飛び交うなど、ドラマ性がふくらみやすいのです。
21世紀に入ってからパソコンやスマホなどの平面情報をそのまま受け止める機会が増え、思考する頻度が減りました。なかでもプライベートにおける思考時間の減少は著しく、テレビに対しては「ながら視聴」の多さもあって、「わかりにくい」=「つまらない」と瞬間判断する人が激増。短時間のネット動画が人気を集めるなど、「じっくり見て思考をめぐらせる」モニタリング力が落ちている中、池井戸さんの小説はドラマ化に最適なわかりやすさがあるのです。


そして、最も特徴的なのは、主人公の描き方。池井戸さんが描く、半沢直樹、花咲舞、「下町ロケット」の佃航平は、「日ごろ納得のいく評価を受けていない」、あるいは「理不尽な扱いを受けている」世間の人々にとって、等身大のヒーローそのものです。
自分の仕事を貫き通す姿と、日ごろ言えないことを代弁する痛快さ。とりわけ逆境や不正に立ち向かう意志の強さは、「どこか自分の仕事や上司・同僚・取引先と向き合えない」サラリーマンから羨望の眼差しを向けられています。視聴者は主人公を「できればこうありたい」「こんな人が身近にいてくれたらいいのに」という目線で見つめ、視聴者が明日への活力にしているのです。

池井戸さんがこのような人物像を描けるのは、「あくまでサラリーマンの味方であり、サラリーマンとしての人生を肯定している」から。これほど気持ちよくドラマを見られるのはそんな姿勢があるからであり、池井戸さんが「サラリーマンのみなさんに読んでほしい」という強い思いを持って書いていることに他ならないのです。
そして、池井戸さん原作ドラマで欠かせないのが、ラスト10分での成敗シーン”です。「現代版・水戸黄門」と言われた「半沢直樹」、そして「女・半沢直樹」と言われた「花咲舞が黙ってない」だけでなく、「民王」や「ルーズヴェルト・ゲーム」にも、終盤にスカッとさせてくれる成敗シーンが用意されていました。

印籠のごとく、「そろそろ出るぞ」と心の準備をさせておいて、定時にバシッと決めてくれる。ピンチを乗り越えての逆転劇や下剋上だけにカタルシスは大きく、モヤモヤを抱えたまま終わることはほぼありません。「何気ない日々に希望を見出したい」という人々にとっては、現実を吹き飛ばす「勧善懲悪のファンタジー」であり、これほど心地のいい予定調和はないのです。
池井戸さんの小説がドラマ向きなのは、本人が「あくまでエンターテインメントのひとつと割り切って書いているから」という理由もあります。一般企業を舞台にした設定こそ身近ながら、人物描写や問題点などのリアリティはほどほど。リアリティよりも、読者が「思わず主人公を応援し、敵に嫌悪したくなる」感情移入を優先させています。
そのような「熱くストレートに感情移入できる」というコンセプトは、ドラマよりもマンガのそれに近く、言うなれば昭和の「少年ジャンプ」「ヤングジャンプ」というイメージ。「平成のドラマジャンプ」とでも言いたくなるその筋書きは、小中学生のころに「ジャンプ」を読んで育った世代にバシッとハマるのではないでしょうか。
また、そのような感情移入を優先させた筋書きは、あれこれ策を弄するよりも「どう撮ればいちばん視聴者に伝わるのか?」に一点集中できるため、ドラマ演出家の地力を引き出す好循環を呼んでいます。さらに、もともと池井戸さんは銀行員の経歴を持つ元サラリーマンであり、38歳での小説家デビュー前にビジネス書を執筆していた苦労人。ゆえに、小説の内容変更に寛容であり、スタッフを信頼して任せるため、ドラマ演出家たちは思い切った撮り方ができるのです。

なかでも「半沢直樹」「ルーズヴェルト・ゲーム」を手がけた福澤克雄監督は、迫力のあるカメラワークで小説の持つドラマ性を見事に増幅させていました。小説読者やテレビ視聴者に加えて、スタッフ心理にも配慮できるのですから、池井戸さんが多くの人々から求められるのは、もはや必然なのです。
池井戸作品に最も魅力を感じるのは、池井戸さん本人の潔さと、商品としてのパッケージ力です。「自分の書きたいものでも、喜んでもらえないのなら書かない」「ドラマはその道のプロにゆだねる」という方針は、作家というよりもサラリーマンに近く、それが小説の魅力を最大化させているように見えます。

さらに、「民王」も深夜枠ながら「YAHOO!テレビ」のクチコミランキングで2位以下に大差で圧勝するなど、数字と評判を独占。そして10月からスタートした、「下町ロケット」も視聴率トップ…


数字や評判もさることながら、驚くべきは今年放送の4本で民放主要4局を総ナメにしていること。しかも、ラブストーリーで有名なフジテレビ「月9」、59年の歴史を持ち男性視聴者も多いTBS「日曜劇場」、女性支持の高い日本テレビ「水曜ドラマ」、コメディからお色気までエンタメ度の高いテレビ朝日「金曜ナイトドラマ」と、視聴者層の異なる放送枠で結果を出しているのです。2013年の大ヒットドラマ「半沢直樹」から2年が過ぎてなお池井戸潤さん原作のドラマが支持される理由は、何なのでしょうか…



その理由として挙げたいのは、登場人物の対立構図。池井戸さんの小説は一般企業を舞台に描くことが多いため、おカネやプライドをめぐって「誰と誰が何のために対立しているのか?」イメージがしやすく、欲望や葛藤、理不尽や疑惑が飛び交うなど、ドラマ性がふくらみやすいのです。
21世紀に入ってからパソコンやスマホなどの平面情報をそのまま受け止める機会が増え、思考する頻度が減りました。なかでもプライベートにおける思考時間の減少は著しく、テレビに対しては「ながら視聴」の多さもあって、「わかりにくい」=「つまらない」と瞬間判断する人が激増。短時間のネット動画が人気を集めるなど、「じっくり見て思考をめぐらせる」モニタリング力が落ちている中、池井戸さんの小説はドラマ化に最適なわかりやすさがあるのです。


そして、最も特徴的なのは、主人公の描き方。池井戸さんが描く、半沢直樹、花咲舞、「下町ロケット」の佃航平は、「日ごろ納得のいく評価を受けていない」、あるいは「理不尽な扱いを受けている」世間の人々にとって、等身大のヒーローそのものです。
自分の仕事を貫き通す姿と、日ごろ言えないことを代弁する痛快さ。とりわけ逆境や不正に立ち向かう意志の強さは、「どこか自分の仕事や上司・同僚・取引先と向き合えない」サラリーマンから羨望の眼差しを向けられています。視聴者は主人公を「できればこうありたい」「こんな人が身近にいてくれたらいいのに」という目線で見つめ、視聴者が明日への活力にしているのです。

池井戸さんがこのような人物像を描けるのは、「あくまでサラリーマンの味方であり、サラリーマンとしての人生を肯定している」から。これほど気持ちよくドラマを見られるのはそんな姿勢があるからであり、池井戸さんが「サラリーマンのみなさんに読んでほしい」という強い思いを持って書いていることに他ならないのです。
そして、池井戸さん原作ドラマで欠かせないのが、ラスト10分での成敗シーン”です。「現代版・水戸黄門」と言われた「半沢直樹」、そして「女・半沢直樹」と言われた「花咲舞が黙ってない」だけでなく、「民王」や「ルーズヴェルト・ゲーム」にも、終盤にスカッとさせてくれる成敗シーンが用意されていました。

印籠のごとく、「そろそろ出るぞ」と心の準備をさせておいて、定時にバシッと決めてくれる。ピンチを乗り越えての逆転劇や下剋上だけにカタルシスは大きく、モヤモヤを抱えたまま終わることはほぼありません。「何気ない日々に希望を見出したい」という人々にとっては、現実を吹き飛ばす「勧善懲悪のファンタジー」であり、これほど心地のいい予定調和はないのです。
池井戸さんの小説がドラマ向きなのは、本人が「あくまでエンターテインメントのひとつと割り切って書いているから」という理由もあります。一般企業を舞台にした設定こそ身近ながら、人物描写や問題点などのリアリティはほどほど。リアリティよりも、読者が「思わず主人公を応援し、敵に嫌悪したくなる」感情移入を優先させています。
そのような「熱くストレートに感情移入できる」というコンセプトは、ドラマよりもマンガのそれに近く、言うなれば昭和の「少年ジャンプ」「ヤングジャンプ」というイメージ。「平成のドラマジャンプ」とでも言いたくなるその筋書きは、小中学生のころに「ジャンプ」を読んで育った世代にバシッとハマるのではないでしょうか。
また、そのような感情移入を優先させた筋書きは、あれこれ策を弄するよりも「どう撮ればいちばん視聴者に伝わるのか?」に一点集中できるため、ドラマ演出家の地力を引き出す好循環を呼んでいます。さらに、もともと池井戸さんは銀行員の経歴を持つ元サラリーマンであり、38歳での小説家デビュー前にビジネス書を執筆していた苦労人。ゆえに、小説の内容変更に寛容であり、スタッフを信頼して任せるため、ドラマ演出家たちは思い切った撮り方ができるのです。

なかでも「半沢直樹」「ルーズヴェルト・ゲーム」を手がけた福澤克雄監督は、迫力のあるカメラワークで小説の持つドラマ性を見事に増幅させていました。小説読者やテレビ視聴者に加えて、スタッフ心理にも配慮できるのですから、池井戸さんが多くの人々から求められるのは、もはや必然なのです。
池井戸作品に最も魅力を感じるのは、池井戸さん本人の潔さと、商品としてのパッケージ力です。「自分の書きたいものでも、喜んでもらえないのなら書かない」「ドラマはその道のプロにゆだねる」という方針は、作家というよりもサラリーマンに近く、それが小説の魅力を最大化させているように見えます。
Posted by きくいち at 10:15│Comments(0)
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