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2019年03月12日

肉じゃがの発祥

昨晩の我が家の夜食はナイフ&フォーク肉じゃがでしたニコニコ
日本のおふくろの味といえば「肉じゃが」注目普段何気なく食べている肉じゃがですが、実はあの明治海軍の英雄・東郷平八郎のムチャぶりが誕生のきっかけだったのをご存知ですかびっくり
実は古くから日本の家庭で受け継がれてきたというワケではなく、その存在は明治時代、ふとした偶然が重なって誕生したと言われていますひみつ

肉じゃがの発祥

肉じゃが誕生の物語は、幕末から明治時代の薩摩藩士・東郷平八郎がまだ若い頃、イギリスのポーツマスに留学していた時期に端を発します。その頃、留学先で食べていた「ビーフシチュー」に感銘を受けた東郷。そして、艦上食のメニュにビーフシチューを加えるよう依頼したといいます。

しかし、当時はビーフシチューの材料である赤ワイン、ドミグラスソース、バターの入手が困難で、困り果てた軍の担当者は醤油と砂糖で代用したのだそうです。

つまり…「イギリスで食ったビーフシチューの味が忘れられん。作れ」「牛肉、ジャガイモ、人参が入っておった。調味料は知らんから何とか近づけろ」 みたいなノリの薄口オーダーだったのでしょうねニコニコこんなオーダーを受けた軍部の料理人の苦労が推し量れますね…やべーそうして苦労して作り上げられたのが「肉じゃが」だったというワケですにっこり

肉じゃがの発祥

ただ、これには諸説あり、 当時の日本では既にビーフシチューやその変形であるハヤシライスが洋食屋での一般的メニューであったこと。また、牛肉を醤油と砂糖で煮るのは牛鍋や牛肉の大和煮と同様の手法であることなどから、単なる都市伝説に過ぎないとする意見もあるようですわーん

ということでまあ、何かしらの尾ひれはついた可能性はありますね。 何にせよ、肉じゃがが生まれたのはこの時代であることは間違いなさそう。他方で肉じゃがの誕生は、日本人が長く悩ませていたアノ病気を治すための一助になっていたんですびっくり

明治時代の日本では、脚気が社会問題となっていました。脚気はビタミン欠乏症の一種で、歴史はとても古く「日本書紀」「続日本書紀」にもその記述が見られているそうです本

肉じゃがの発祥

特に江戸時代は、一般の武士の間でも脚気が流行し、しだいに地方にも流行しました。江戸の地を離れると状態が回復するために「江戸患い」とも言われていたそうです下降そんな国民病ともいえる脚気ですが、明治期には脚気の原因は解明できずにいました。

さまざまな原因解明の努力や対策が講じられるなか、高木兼寛(後に慈恵医大を創設)という軍人がビタミンと脚気との関連性を発見。原因は、たんぱく質の欠如によるものでした。その後、たんぱく質を多く含む料理が多い、洋食への切りかえがはかられたんです。

ところが、軍艦・筑波での実験データから兵食を洋食とする事に努めたが、水兵の間では著しく不評だったようです。それと言うのも当時の多くの日本人にとって、洋食は「バタ臭い」食べ物であり、到底食べられる代物ではなかったからです。

そんな状況のなか、東郷のムチャぶりで誕生した「肉じゃが」誕生のきっかけはどうであれ、洋食の味に辟易していた兵隊たちはよほど喜んだでしょうねにっこり

そして、肉じゃが誕生以降は、「洋食の代用食として効果的に牛肉を摂取させる事が出来る画期的料理」として日本に定着することになったんですまるとくいかがでしたかはてな身近な食べ物でも発祥の由来を調べてみるとパソコン意外な事実が見つかるものですねえニコニコ


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