2019年09月22日
巨人2014年以来5年ぶりの優勝!
巨人が5年ぶり、通算46度目(1リーグ9度、セ・リーグ37度)の優勝を果たしました
長かったですね

原辰徳監督が4年ぶりに復帰。中川を勝利の方程式入りさせ、若林、増田大を起用するなど「新戦力」を積極的に起用する巧みな采配もさえ、また100通り以上の打線を組み替えるなど、選手の好不調を首脳陣全体が把握。1、2軍の連携も抜群で、追随するDeNAや広島を振り切り、指揮官自身8度目のリーグVをつかみ取ったのです


最後はマウンド付近で一年間、苦労を分かち合った仲間たちの手によって胴上げされた

巨人軍は滅びるわけにはいかない…原監督が号泣V

坂本勇主将就任5年目で初V達成

5年ぶりの優勝を決め、原監督と阿部慎之助は抱き合って喜ぶ

リーグ優勝を決め涙ぐむ巨人原監督
感極まった。あふれる涙が止まらなかった。歓喜の胴上げで原監督は両手を天高く突き上げ、目に涙をためながら、8度舞い上がった。「年をとるとちょっと涙腺が弱くなるかもしれません。久しぶりに優勝ができたということはここにいらっしゃるファンの皆様、ありがとう。おめでとうございます」。思いの丈をぶつけ、喜びをかみ締めた。
常勝チームとして、これ以上優勝から遠ざかることは許されない。命懸けで優勝へ導くと腹をくくってタクトを振った。前回の退任時に、指導者として終わりと決めていた。それだけに就任要請を受けても、即受諾はためらった。ゴルフシニアツアーに本格参戦のさなかだった。それでも引き受けたのは「やっぱり使命感だよね。ジャイアンツは“ふるさと”だから」。古巣への最後の奉公。恩返しを果たすためにと、V奪回を勝ち取ると誓った。

厳しさを前面に出した前回就任時とは違い、3度目の政権は「のびのび野球」をモットーに掲げた。評論家時代、見識を広めるため歌舞伎やミュージカルを積極的に見に行った。「レ・ミゼラブル」「マイ・フェア・レディ」を見て感動。演技者の躍動感のある姿に「野球に対しても大事にしないといけない部分があった」楽しくプレーすることも大事なことと悟った瞬間だった。
選手との距離を縮めることも心がけた。後半戦直前の球宴第2戦後のことだ。丸、坂本勇、山口ら出場選手と大阪市内で慰労会を催した。ワインをこよなく愛す指揮官は、1本50万円ほどする「ロマネ・コンティ」を選手に振る舞い、後半戦への団結を図った。また、密に連絡を取り合うため原監督と野手限定の“ジャイアンツ野手グループLINE”を開設し参加。後半戦に入り連敗が続くや「切り替えて行こう
」と送信。ある選手から「よっしゃー。負けないぞ!」と返信され喜びもした。「和と動」のチームスローガン通り、結束が大きな力となった

昨年、還暦を迎えての監督就任。「体力が簡単に下がっちゃ困るよね。少しは抵抗しないと」健全な精神、健全な肉体維持へ、遠征先では付き人をつけず人目につかないよう帽子を目深にかぶり、ウオーキングをほぼ欠かさず行った
「頭の中を空っぽにして、スッキリしてね」。永遠の若大将を保つため、己を磨いた
「巨人軍は個人軍であってはならない」今季、岡本、坂本勇、ゲレーロ、ビヤヌエバの長距離砲にも送りバントを命じた指揮官だが、実は温めている采配がある。「“遠山スイッチ”をやってみたいんだ」1999年に野村克也氏が阪神監督時代に編み出した継投策で、代表的なのは遠山-葛西-遠山という継投。左腕の遠山は左打者に対した最初の登板後、右打者との対戦では葛西にマウンドを譲って一塁を守り、その後左打者を迎えた場面で再登板する秘策の再現を思い描いている。
1つ目の頂点はつかんだ。次なる目標、2012年以来7年ぶりの日本一奪回。「まだまだ、道は険しいでしょう。しかし、我々は謙虚にスタートしたチーム。その気持ちは変わらずに目標を達成したい」CS、日本シリーズも既成概念を捨て、勝利へのタクトを振る。

長かったですね


原辰徳監督が4年ぶりに復帰。中川を勝利の方程式入りさせ、若林、増田大を起用するなど「新戦力」を積極的に起用する巧みな采配もさえ、また100通り以上の打線を組み替えるなど、選手の好不調を首脳陣全体が把握。1、2軍の連携も抜群で、追随するDeNAや広島を振り切り、指揮官自身8度目のリーグVをつかみ取ったのです



最後はマウンド付近で一年間、苦労を分かち合った仲間たちの手によって胴上げされた

巨人軍は滅びるわけにはいかない…原監督が号泣V

坂本勇主将就任5年目で初V達成


5年ぶりの優勝を決め、原監督と阿部慎之助は抱き合って喜ぶ

リーグ優勝を決め涙ぐむ巨人原監督
感極まった。あふれる涙が止まらなかった。歓喜の胴上げで原監督は両手を天高く突き上げ、目に涙をためながら、8度舞い上がった。「年をとるとちょっと涙腺が弱くなるかもしれません。久しぶりに優勝ができたということはここにいらっしゃるファンの皆様、ありがとう。おめでとうございます」。思いの丈をぶつけ、喜びをかみ締めた。
常勝チームとして、これ以上優勝から遠ざかることは許されない。命懸けで優勝へ導くと腹をくくってタクトを振った。前回の退任時に、指導者として終わりと決めていた。それだけに就任要請を受けても、即受諾はためらった。ゴルフシニアツアーに本格参戦のさなかだった。それでも引き受けたのは「やっぱり使命感だよね。ジャイアンツは“ふるさと”だから」。古巣への最後の奉公。恩返しを果たすためにと、V奪回を勝ち取ると誓った。

厳しさを前面に出した前回就任時とは違い、3度目の政権は「のびのび野球」をモットーに掲げた。評論家時代、見識を広めるため歌舞伎やミュージカルを積極的に見に行った。「レ・ミゼラブル」「マイ・フェア・レディ」を見て感動。演技者の躍動感のある姿に「野球に対しても大事にしないといけない部分があった」楽しくプレーすることも大事なことと悟った瞬間だった。
選手との距離を縮めることも心がけた。後半戦直前の球宴第2戦後のことだ。丸、坂本勇、山口ら出場選手と大阪市内で慰労会を催した。ワインをこよなく愛す指揮官は、1本50万円ほどする「ロマネ・コンティ」を選手に振る舞い、後半戦への団結を図った。また、密に連絡を取り合うため原監督と野手限定の“ジャイアンツ野手グループLINE”を開設し参加。後半戦に入り連敗が続くや「切り替えて行こう



昨年、還暦を迎えての監督就任。「体力が簡単に下がっちゃ困るよね。少しは抵抗しないと」健全な精神、健全な肉体維持へ、遠征先では付き人をつけず人目につかないよう帽子を目深にかぶり、ウオーキングをほぼ欠かさず行った


「巨人軍は個人軍であってはならない」今季、岡本、坂本勇、ゲレーロ、ビヤヌエバの長距離砲にも送りバントを命じた指揮官だが、実は温めている采配がある。「“遠山スイッチ”をやってみたいんだ」1999年に野村克也氏が阪神監督時代に編み出した継投策で、代表的なのは遠山-葛西-遠山という継投。左腕の遠山は左打者に対した最初の登板後、右打者との対戦では葛西にマウンドを譲って一塁を守り、その後左打者を迎えた場面で再登板する秘策の再現を思い描いている。
1つ目の頂点はつかんだ。次なる目標、2012年以来7年ぶりの日本一奪回。「まだまだ、道は険しいでしょう。しかし、我々は謙虚にスタートしたチーム。その気持ちは変わらずに目標を達成したい」CS、日本シリーズも既成概念を捨て、勝利へのタクトを振る。
Posted by きくいち at 09:59│Comments(0)
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