2020年03月22日
戦国三大梟雄~戦国悪人列伝
世が乱れる時、必ずでてくる乱世の梟雄。古くは中国の三国時代に現れた曹操。彼は乱世の奸雄と呼ばれていました。ロシア末期に出てきた怪僧ラスプーチンや文化大革命の江青なんかもそういうたぐいかもしれません。ここ日本においても100年の長きにわたる戦乱の世にキラ星
のごとく現れ消えていった梟雄達。ある意味時代に華を添えたといっても過言ではないでしょう。
戦国の三梟雄(さんきょうゆう)といえば「斎藤道三」「宇喜多直家」「松永久秀」、日本三大梟雄でも「北条早雲」「斎藤道三」「松永久秀」で二人も被っています。しかも全員戦国時代
重箱の隅をつつけば北条早雲は室町ですよね
って言う人がいるかもしれん。まぁそれだけ早雲は先駆け過ぎってことですかね
それにしても、早雲を梟雄と呼ぶなら、尊氏とか清盛の方が梟雄値高いだろーよ
高師直なんかもかなり良い線いってるし、非道という意味で言えば尼将軍”MASAKO”が一番怖いし
とはいえ、残りの道三・久秀・直家は文句ないね。やる事が残虐のファンタジスタ
また梟雄扱いされないものの、謀略・陰険・ワルぶりでは戦国でも筆頭格の毛利元就は別枠で扱われる事が多いが、最近の資料研究成果により、毛利元就も上記3人とやっていることでは変わりがないにもかかわらず、勝者が歴史を作るの法則に救われただけではないか、との説も出ています
北条早雲…またの名を伊勢盛時。関東戦国時代の火ぶたを切った張本人。

政所執事の伊勢氏を出身。今川家に妹(姉説もあり)を側室として入れる。
今川家のお家騒動に便乗して、妹の息子を跡取りにさせる事に成功。しかし甥の今川氏親が成人しても後見人の範満や小鹿孫五郎が家督を譲らなかったため、二人を襲撃。今川家家臣となる。一説に寄ると駿河守護代になっていた。
その後堀越公方「足利茶々丸」を滅ぼし、伊豆を掌握。この頃今川家の武将として遠江への進出に貢献もしている。
火牛の計で小田原城を奪取。この小田原城が相模への橋頭堡となる。と同時に今川の家臣として三河侵攻も行う(三河侵攻は失敗)
その後、今川の援助を受けながら相模を平定。相模伊豆の太守となる。負けたり勝ったりを繰り返しながら、いつの間にか領土を広げていくという北条家のスタイルは、この初代早雲から培われてきたお家芸
斎藤道三…美濃の蝮(まむし)の名を持つ男。

一介の油売りから身を起こし、権謀術数を駆使して主家の土岐家から美濃一国の国主となった戦国時代を代表する大名の一人である。また、美濃の蝮と呼ばれ、下克上によって成り上がった人物として名高い。終末は、実の息子義龍に殺される。織田信長の嫁の帰蝶の父としても有名
変名マニアとして戦国初期を彩る。法蓮房(京都妙覚寺の僧)からスタートした変名ゲームは還俗を皮切りに、松波庄五郎を名乗り、油問屋の奈良屋又兵衛の娘を娶る。山崎屋庄五郎を名乗り、一文銭の穴に油を通す曲芸で財を成す。僧侶時代の縁故(日運)を頼り長井長弘の家臣になる。西村氏の家名を継いで西村勘九郎正利を称する。名前を変えるだけでは飽きたのか、美濃守護である土岐政頼の弟、頼芸の信頼を得て、頼芸の守護就任に尽力する。長井長弘を不行跡のかどで殺害。実行犯を牛裂きの刑に処す。長井新九郎規秀を名乗り、長井家の乗っ取り成功。美濃守護代の斎藤利良が病死すると、その名跡を継いで斎藤新九郎利政を名乗る。斎藤という名前を非常に気に入り、以後は斎藤で通すことに決めた。土岐頼満(頼芸の弟)の毒殺し、土岐頼芸を追放。長男義龍に家督を譲るも無能な長男に嫌気がさし、次男の孫四郎に家督を継がせようとするが、破れる。最後は無能の長男義龍に首を取られてしまう。
ミスター梟雄。残虐さNo.1の信長をして「常人では一つとして成せない事を三つも成した男」と称された男…松永久秀

将軍・足利義輝暗殺に始まり信長に2度反旗を翻した人物としても有名。
終末は、名器・平蜘蛛の茶釜に火薬を詰め、日本で初めて爆死したとされる。
前半生は不明。三好長慶の右筆(今で言う秘書)として仕える。長慶が細川晴元、足利義輝を追放し京都を支配すると、三好家の家宰(今で言う雇われ社長)となる。そんな久秀の主人「長慶」も十分梟雄値が高い。
デビュー早々、主家の嫡男・三好義興と供に将軍”足利義輝”の御相伴衆になり、桐紋と塗輿の使用を許された( 主君”三好長慶”と同格)
気分を良くした、久秀は多聞山城を築き六角家と争い、政所執事伊勢家を討伐する。長慶の弟”十河一存”、嫡男の”義興”を毒殺し、三好義賢(長慶の弟)の討死によりがっくりきた、長慶は間もなく死去する。
その後、一瞬だけ幼君”義継”を支える為、三好長逸・三好政康・岩成友通(俗にいう「三好三人衆」)と行動を共にし、13代将軍、足利義輝暗殺を行う。その勢いで切支丹も追放。やりたい放題仲間の三好三人衆と相容れる訳も無く、三人衆が擁立した14代将軍義栄と対立。久秀の味方をしてくれる者など誰もおらず、一時は消息不明にまでなるが、三人衆の元から出奔した義継が身を寄せた事で勢いを盛り返す。
東大寺に立て篭る三好三人衆を奇襲し、大仏殿に火を放つ。三好三人衆とのゴタゴタの最中に信長が上洛。あっさり恭順し、名器「九十九髪茄子」を献上。気を良くした信長が義昭(義輝の弟)を説得し、幕府の直臣として大和一国を攻略する。信長が自分の為ではなく、人の為に動いた唯一の事と言っても過言ではない。
金ヶ崎の戦いではなぜか裏切らず、朽木元綱を調略し、信長のピンチを救う。これが、久秀最初で最後の忠節。
第一次信長包囲網に参加したが、信玄が亡くなり降伏。「一回目は許す」を信条とする信長はもちろんこんな久秀を許すが、久秀はしつこさで有名な将軍”義昭”と呼応し、第二次信長包囲網で叛旗を翻す。
理解不可能なこの久秀の行動に、さずがの信長もとまどい、一気に攻める訳ではなく、・まずは理由を聞きにいく → 追い返す・許すから名器「平蜘蛛茶釜」よこせ → 断る・孫を斬首という、信長としては気の長い対応を取るが、久秀は意に介さず反抗を続けます。
そして有名な平蜘蛛茶釜…爆死へと繋がる。
宇喜多直家…「中国三大謀将」の一人。

一代で備前・美作を領有する戦国大名になった中国地方を代表する謀将。
主君・浦上宗景に仕え、祖父の復讐を果たすために島村盛実を暗殺したのを初め、毒殺、だまし討ちで領土拡大し浦上家で随一の実力者となる。後に主君・浦上宗景を倒すべく反旗を翻し追放に追い込む。中国地方三大謀将といわれる。
祖父を島村盛実に暗殺され、父と共に放浪生活を送る。その後浦上宗景に仕え、海賊対策のため乙子城を任せられ、画期的な海賊対策を行い、近隣を荒らしまくる。その後、舅の中山信正と宴を催し、暗殺。この知らせを聞いた嫁は自害しました。
家臣(岡郷介)を逐電させ、女乞食を郷介の母に仕立て上げ、龍口城主穝所元常と敵対関係にあった須々木氏に召抱えられる。が、色々あって逐電し穝所元常の元に逃げ込む。当然、元常は母(女乞食)を処刑し、嘆き悲しむ郷介に穝所元常は心を許す。しばらくして穝所元常の信頼を受けるようになり、油断したところを暗殺。そのまま直家の用意した舟に乗り逃亡。直家は城主が死に混乱した龍口城を攻め落とす。
穝所元常の主家筋である松田元輝と和議。元輝の息子元賢に長女を、元輝の家臣”伊賀久隆”に直家の妹を嫁がせる。主家と敵対関係にあった三村家親を日本最初の狙撃にて暗殺(狙撃に魅力を感じたのか、松田家家臣”宇垣与右衛門”を鹿と間違え射殺)義理の弟になっていた伊賀久隆を寝返らせ、松田元輝を攻め、親子ともども討死させる。娘は自害。浦上宗景に叛旗を翻すが、同年謝罪。帰参を許され、娘を宗景嫡男の浦上宗辰に嫁がせる。
家臣に言いがかりをつけ切腹を命じ、岡山城を簒奪する。宗景の兄の孫の久松丸を世継ぎとし、宗景を播磨へ追放する。久松丸は母ともども毒殺する。岡山城城主となっていた、娘婿宗辰のご機嫌伺いに行き毒殺。娘は当然自害。娘婿後藤勝基、謀殺。姉婿谷川久隆、謀殺。伊賀久隆を岡山城に招き毒殺。政治バランスに長けていて、自分の立場が不利になると、より強い勢力と結び勢力を伸ばしていった。
本当なら今頃は東京に向かっていたはず
歌舞伎中止に涙し
大好きな歴史の話題でした

戦国の三梟雄(さんきょうゆう)といえば「斎藤道三」「宇喜多直家」「松永久秀」、日本三大梟雄でも「北条早雲」「斎藤道三」「松永久秀」で二人も被っています。しかも全員戦国時代



それにしても、早雲を梟雄と呼ぶなら、尊氏とか清盛の方が梟雄値高いだろーよ



また梟雄扱いされないものの、謀略・陰険・ワルぶりでは戦国でも筆頭格の毛利元就は別枠で扱われる事が多いが、最近の資料研究成果により、毛利元就も上記3人とやっていることでは変わりがないにもかかわらず、勝者が歴史を作るの法則に救われただけではないか、との説も出ています

北条早雲…またの名を伊勢盛時。関東戦国時代の火ぶたを切った張本人。

政所執事の伊勢氏を出身。今川家に妹(姉説もあり)を側室として入れる。
今川家のお家騒動に便乗して、妹の息子を跡取りにさせる事に成功。しかし甥の今川氏親が成人しても後見人の範満や小鹿孫五郎が家督を譲らなかったため、二人を襲撃。今川家家臣となる。一説に寄ると駿河守護代になっていた。
その後堀越公方「足利茶々丸」を滅ぼし、伊豆を掌握。この頃今川家の武将として遠江への進出に貢献もしている。
火牛の計で小田原城を奪取。この小田原城が相模への橋頭堡となる。と同時に今川の家臣として三河侵攻も行う(三河侵攻は失敗)
その後、今川の援助を受けながら相模を平定。相模伊豆の太守となる。負けたり勝ったりを繰り返しながら、いつの間にか領土を広げていくという北条家のスタイルは、この初代早雲から培われてきたお家芸

斎藤道三…美濃の蝮(まむし)の名を持つ男。

一介の油売りから身を起こし、権謀術数を駆使して主家の土岐家から美濃一国の国主となった戦国時代を代表する大名の一人である。また、美濃の蝮と呼ばれ、下克上によって成り上がった人物として名高い。終末は、実の息子義龍に殺される。織田信長の嫁の帰蝶の父としても有名
変名マニアとして戦国初期を彩る。法蓮房(京都妙覚寺の僧)からスタートした変名ゲームは還俗を皮切りに、松波庄五郎を名乗り、油問屋の奈良屋又兵衛の娘を娶る。山崎屋庄五郎を名乗り、一文銭の穴に油を通す曲芸で財を成す。僧侶時代の縁故(日運)を頼り長井長弘の家臣になる。西村氏の家名を継いで西村勘九郎正利を称する。名前を変えるだけでは飽きたのか、美濃守護である土岐政頼の弟、頼芸の信頼を得て、頼芸の守護就任に尽力する。長井長弘を不行跡のかどで殺害。実行犯を牛裂きの刑に処す。長井新九郎規秀を名乗り、長井家の乗っ取り成功。美濃守護代の斎藤利良が病死すると、その名跡を継いで斎藤新九郎利政を名乗る。斎藤という名前を非常に気に入り、以後は斎藤で通すことに決めた。土岐頼満(頼芸の弟)の毒殺し、土岐頼芸を追放。長男義龍に家督を譲るも無能な長男に嫌気がさし、次男の孫四郎に家督を継がせようとするが、破れる。最後は無能の長男義龍に首を取られてしまう。
ミスター梟雄。残虐さNo.1の信長をして「常人では一つとして成せない事を三つも成した男」と称された男…松永久秀

将軍・足利義輝暗殺に始まり信長に2度反旗を翻した人物としても有名。
終末は、名器・平蜘蛛の茶釜に火薬を詰め、日本で初めて爆死したとされる。
前半生は不明。三好長慶の右筆(今で言う秘書)として仕える。長慶が細川晴元、足利義輝を追放し京都を支配すると、三好家の家宰(今で言う雇われ社長)となる。そんな久秀の主人「長慶」も十分梟雄値が高い。
デビュー早々、主家の嫡男・三好義興と供に将軍”足利義輝”の御相伴衆になり、桐紋と塗輿の使用を許された( 主君”三好長慶”と同格)
気分を良くした、久秀は多聞山城を築き六角家と争い、政所執事伊勢家を討伐する。長慶の弟”十河一存”、嫡男の”義興”を毒殺し、三好義賢(長慶の弟)の討死によりがっくりきた、長慶は間もなく死去する。
その後、一瞬だけ幼君”義継”を支える為、三好長逸・三好政康・岩成友通(俗にいう「三好三人衆」)と行動を共にし、13代将軍、足利義輝暗殺を行う。その勢いで切支丹も追放。やりたい放題仲間の三好三人衆と相容れる訳も無く、三人衆が擁立した14代将軍義栄と対立。久秀の味方をしてくれる者など誰もおらず、一時は消息不明にまでなるが、三人衆の元から出奔した義継が身を寄せた事で勢いを盛り返す。
東大寺に立て篭る三好三人衆を奇襲し、大仏殿に火を放つ。三好三人衆とのゴタゴタの最中に信長が上洛。あっさり恭順し、名器「九十九髪茄子」を献上。気を良くした信長が義昭(義輝の弟)を説得し、幕府の直臣として大和一国を攻略する。信長が自分の為ではなく、人の為に動いた唯一の事と言っても過言ではない。
金ヶ崎の戦いではなぜか裏切らず、朽木元綱を調略し、信長のピンチを救う。これが、久秀最初で最後の忠節。
第一次信長包囲網に参加したが、信玄が亡くなり降伏。「一回目は許す」を信条とする信長はもちろんこんな久秀を許すが、久秀はしつこさで有名な将軍”義昭”と呼応し、第二次信長包囲網で叛旗を翻す。
理解不可能なこの久秀の行動に、さずがの信長もとまどい、一気に攻める訳ではなく、・まずは理由を聞きにいく → 追い返す・許すから名器「平蜘蛛茶釜」よこせ → 断る・孫を斬首という、信長としては気の長い対応を取るが、久秀は意に介さず反抗を続けます。
そして有名な平蜘蛛茶釜…爆死へと繋がる。
宇喜多直家…「中国三大謀将」の一人。

一代で備前・美作を領有する戦国大名になった中国地方を代表する謀将。
主君・浦上宗景に仕え、祖父の復讐を果たすために島村盛実を暗殺したのを初め、毒殺、だまし討ちで領土拡大し浦上家で随一の実力者となる。後に主君・浦上宗景を倒すべく反旗を翻し追放に追い込む。中国地方三大謀将といわれる。
祖父を島村盛実に暗殺され、父と共に放浪生活を送る。その後浦上宗景に仕え、海賊対策のため乙子城を任せられ、画期的な海賊対策を行い、近隣を荒らしまくる。その後、舅の中山信正と宴を催し、暗殺。この知らせを聞いた嫁は自害しました。
家臣(岡郷介)を逐電させ、女乞食を郷介の母に仕立て上げ、龍口城主穝所元常と敵対関係にあった須々木氏に召抱えられる。が、色々あって逐電し穝所元常の元に逃げ込む。当然、元常は母(女乞食)を処刑し、嘆き悲しむ郷介に穝所元常は心を許す。しばらくして穝所元常の信頼を受けるようになり、油断したところを暗殺。そのまま直家の用意した舟に乗り逃亡。直家は城主が死に混乱した龍口城を攻め落とす。
穝所元常の主家筋である松田元輝と和議。元輝の息子元賢に長女を、元輝の家臣”伊賀久隆”に直家の妹を嫁がせる。主家と敵対関係にあった三村家親を日本最初の狙撃にて暗殺(狙撃に魅力を感じたのか、松田家家臣”宇垣与右衛門”を鹿と間違え射殺)義理の弟になっていた伊賀久隆を寝返らせ、松田元輝を攻め、親子ともども討死させる。娘は自害。浦上宗景に叛旗を翻すが、同年謝罪。帰参を許され、娘を宗景嫡男の浦上宗辰に嫁がせる。
家臣に言いがかりをつけ切腹を命じ、岡山城を簒奪する。宗景の兄の孫の久松丸を世継ぎとし、宗景を播磨へ追放する。久松丸は母ともども毒殺する。岡山城城主となっていた、娘婿宗辰のご機嫌伺いに行き毒殺。娘は当然自害。娘婿後藤勝基、謀殺。姉婿谷川久隆、謀殺。伊賀久隆を岡山城に招き毒殺。政治バランスに長けていて、自分の立場が不利になると、より強い勢力と結び勢力を伸ばしていった。
本当なら今頃は東京に向かっていたはず



Posted by きくいち at 09:11│Comments(0)
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