2023年06月02日
自然豊かなお寺・初夏の「明月院」
「鎌倉といえばあじさい
そして、鎌倉のあじさいといえば明月院のあじさい
」
明月院は境内にはおよそ2500株のあじさいが植えられていて、「あじさい寺」として全国に名を馳せています
境内のあじさいのほとんどは「ヒメアジサイ」と呼ばれる品種で、その淡い水色から青みを増していく独特の色彩は「明月院ブルー」と呼ばれています




その独特な淡い色彩は明月院ブルーと呼ばれています


明月院は平安時代末期の1160年(永暦元年)、平治の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道(山ノ内俊道)の菩提を弔うため、子の山ノ内経俊により創建された「明月庵」が起源です。
時はたち、鎌倉時代中期の1256年(康元元年)、時の執権北条時頼がこの地に「最明寺」を建立します。のちに子の、北条時宗が最明寺を前身として蘭渓道隆を開山に「福源山禅興仰聖禅寺」を再興しました。

さらに時はたち、室町時代1380年(康暦2年)時の関東管領である足利氏満から禅興寺中興の命を受けた管領上杉憲方が寺域を拡大。室町幕府3代将軍足利義満の時代に禅興寺は関東十刹の一位となりました。尚、上杉憲方は山ノ内上杉家の祖。山ノ内上杉家は憲政の時代に北条氏康との戦いに破れ越後の長尾景虎と頼り上杉の家名を譲りました。長尾景虎は後の戦国時代の武勇、上杉謙信です。

明月庵は「明月院」と改められ支院の首位に置かれます。禅興寺は明治初年に廃寺となり明月院だけ残り今日に至ります。
明月院の見どころ

明月院の境内は以外と広く、参道を登る手前のエリア、参道の先の本堂のエリアに分かれます。6月の花菖蒲、12月の紅葉の頃はさらに奥の後庭園が拝観可能になります。


明月院の鎌倉石の参道(あじさいの参道)
あじさいが咲き乱れる参道は圧巻。6月には鎌倉でもっとも賑わう参道となります
明月院の悟りの窓



まるで絵画のような悟りの窓
丸い窓の向こうに見える季節の風景。手前には枯山水庭園、奥には本堂後庭園と2つの庭園が眺めることができます。明月院の最も人気のある撮影スポットです
明月院の枯山水
庭園

枯山水とは石と砂で山水の風景を表す庭園の形式です。明月院の枯山水は「須弥山(しゅみせん)」を形どり仏教観を表現しています。
瓶の井(つるべの井)

鎌倉十井のひとつ。内部が水瓶のようになっていることから「瓶の井」と呼ばれます。鎌倉十井の中で現在でも使える貴重な井戸。
鎌倉最大規模の明月院やぐら

やぐらとは墓地用地の少なかった鎌倉時代の洞穴墳墓です。このやぐらは平安時代末期の平治の乱(1160年)で戦死した豪族、山ノ内俊道の菩提を弔うため、子の山之内経俊により造られました。鎌倉最大規模のやぐら。中央には開基、上杉憲方の供養塔と言われる宝篋印塔が安置されています。
明月院 開山堂

1380年頃、明月院境内の中に建立されていた宗猷堂(そうゆうどう)を後に開山堂としてものです。
開山堂の入り口に鎮座しているのは「花想い地蔵」というお地蔵様。優しい表情のお地蔵様で、見ていると心が癒されます

花を抱えたお地蔵様

お地蔵様のお花や装身具は、季節ごとに変わります

なお、明月院の境内には他の場所にも六地蔵様や子宝のご利益があるお地蔵様などがいますので、訪ねてみてくださいね
境内の様々なお地蔵様
笑顔の可愛らしいお地蔵様もいます
北条時頼公墓所


鎌倉幕府第5代執権であり、第8代執権北条時宗の父である、北条時頼の公墓所。北条時頼は鎌倉幕府全盛期、そして実質の鎌倉幕府の為政者である北条家の全盛期の頃の執権として知られています。このあたりは謡曲「鉢の木」でも有名な北条時頼公が隠居した「最明寺」の跡地です。
このように明月院には、さまざまな見どころがあります。参拝をした後は、境内を散策してみてはいかがでしょうか



明月院は境内にはおよそ2500株のあじさいが植えられていて、「あじさい寺」として全国に名を馳せています






その独特な淡い色彩は明月院ブルーと呼ばれています



明月院は平安時代末期の1160年(永暦元年)、平治の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道(山ノ内俊道)の菩提を弔うため、子の山ノ内経俊により創建された「明月庵」が起源です。
時はたち、鎌倉時代中期の1256年(康元元年)、時の執権北条時頼がこの地に「最明寺」を建立します。のちに子の、北条時宗が最明寺を前身として蘭渓道隆を開山に「福源山禅興仰聖禅寺」を再興しました。

さらに時はたち、室町時代1380年(康暦2年)時の関東管領である足利氏満から禅興寺中興の命を受けた管領上杉憲方が寺域を拡大。室町幕府3代将軍足利義満の時代に禅興寺は関東十刹の一位となりました。尚、上杉憲方は山ノ内上杉家の祖。山ノ内上杉家は憲政の時代に北条氏康との戦いに破れ越後の長尾景虎と頼り上杉の家名を譲りました。長尾景虎は後の戦国時代の武勇、上杉謙信です。

明月庵は「明月院」と改められ支院の首位に置かれます。禅興寺は明治初年に廃寺となり明月院だけ残り今日に至ります。
明月院の見どころ


明月院の境内は以外と広く、参道を登る手前のエリア、参道の先の本堂のエリアに分かれます。6月の花菖蒲、12月の紅葉の頃はさらに奥の後庭園が拝観可能になります。


明月院の鎌倉石の参道(あじさいの参道)
あじさいが咲き乱れる参道は圧巻。6月には鎌倉でもっとも賑わう参道となります

明月院の悟りの窓




まるで絵画のような悟りの窓


明月院の枯山水


枯山水とは石と砂で山水の風景を表す庭園の形式です。明月院の枯山水は「須弥山(しゅみせん)」を形どり仏教観を表現しています。
瓶の井(つるべの井)


鎌倉十井のひとつ。内部が水瓶のようになっていることから「瓶の井」と呼ばれます。鎌倉十井の中で現在でも使える貴重な井戸。
鎌倉最大規模の明月院やぐら


やぐらとは墓地用地の少なかった鎌倉時代の洞穴墳墓です。このやぐらは平安時代末期の平治の乱(1160年)で戦死した豪族、山ノ内俊道の菩提を弔うため、子の山之内経俊により造られました。鎌倉最大規模のやぐら。中央には開基、上杉憲方の供養塔と言われる宝篋印塔が安置されています。
明月院 開山堂


1380年頃、明月院境内の中に建立されていた宗猷堂(そうゆうどう)を後に開山堂としてものです。
開山堂の入り口に鎮座しているのは「花想い地蔵」というお地蔵様。優しい表情のお地蔵様で、見ていると心が癒されます


花を抱えたお地蔵様


お地蔵様のお花や装身具は、季節ごとに変わります


なお、明月院の境内には他の場所にも六地蔵様や子宝のご利益があるお地蔵様などがいますので、訪ねてみてくださいね

境内の様々なお地蔵様


北条時頼公墓所



鎌倉幕府第5代執権であり、第8代執権北条時宗の父である、北条時頼の公墓所。北条時頼は鎌倉幕府全盛期、そして実質の鎌倉幕府の為政者である北条家の全盛期の頃の執権として知られています。このあたりは謡曲「鉢の木」でも有名な北条時頼公が隠居した「最明寺」の跡地です。
このように明月院には、さまざまな見どころがあります。参拝をした後は、境内を散策してみてはいかがでしょうか


Posted by きくいち at 09:16│Comments(0)
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