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2024年08月30日

宇都宮氏が治めた下野国の名城

迷走台風雷ムカッ長雨で雨店の予約もキャンセル続出わーんしかも雨漏りで各所工事が必要になりしょんぼりストレスは溜まる一方うわっ
こんな時は、嫌なことを忘れ、好きなことでも考えますまるとく

関東七名城の一つに数えられる宇都宮城の歴史は、平安時代までさかのぼるといわれています。当初は城というより館であったようですひみつ

宇都宮氏が治めた下野国の名城

鎌倉時代以降、およそ500年ものあいだ宇都宮一帯を支配してきたのは宇都宮氏でした。中世の宇都宮は、京都・鎌倉とともに日本三大歌壇と呼ばれるほど和歌が盛んな土地であったといいますにっこり

宇都宮氏が治めた下野国の名城
宇都宮氏が治めた下野国の名城
宇都宮氏が治めた下野国の名城

戦国時代には上杉氏、武田氏、小田原北条氏らに攻め込まれましたが、常陸の佐竹氏、下総の結城氏らと婚姻関係を結びこれに抗しました。天正13年(1585年)頃には小田原北条氏の侵攻に対抗すべく、当時の城主 宇都宮国綱うつのみやくにつなは本拠を宇都宮城から多気城(たげ)に移しています。

宇都宮氏が治めた下野国の名城

天正18年(1590年)、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げて行われた宇都宮仕置ではその舞台となり、宇都宮氏は所領を安堵されました。しかしそのわずか7年後、秀吉により突如領地を没収され、ここに宇都宮氏は滅亡しましたびりびり

宇都宮氏が治めた下野国の名城
宇都宮氏が治めた下野国の名城

江戸時代に入ると譜代大名が代々、宇都宮城の城主をつとめました。その中で、宇都宮城と城下町を大規模に造り変えたのが本多正純です。本丸には将軍が宿泊する御成御殿おなりごてんが建てられ、将軍が日光に参詣する際には宇都宮城に宿泊したと伝えられています。

宇都宮氏が治めた下野国の名城

宇都宮城は幕末の戊辰戦争のおり焼失してしまい、堀も埋められ土塁も崩されてしまいました。しかし、およそ140年の時を経て、城の一部が江戸時代の姿に忠実に復元されましたOK

宇都宮氏が治めた下野国の名城

~ 宇都宮城にまつわる逸話 ~
宇都宮城にまつわる逸話として、釣天井事件が伝えられています。元和8年(1622年)、本多正純が御成御殿に釣天井を作って徳川将軍暗殺を企てたというものです。しかしこれは事実ではなく、正純が出羽国へ流罪となったことから創作されたものといわれていますひみつ

宇都宮氏が治めた下野国の名城

宇都宮城 DATAまるとく
別名:亀ヶ岡城、築城年:平安時代後期(11世紀頃はてな)、築城者:藤原秀郷または藤原宗円、城の種類:平城、おもな城主: 宇都宮氏、本多氏、戸田氏

宇都宮氏が治めた下野国の名城

明治初頭の戊辰戦争の際に焼失し、第2次世界大戦後に都市開発が行われたため、遺構はほとんど残っていないが、本丸の一部の土塁が現存し、本丸の土塁、堀が外観復元、建物(清明台、富士見櫓、土塀)が木造で復元され、宇都宮城址公園として一般に公開されていますまるっ


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Posted by きくいち at 08:10│Comments(0)趣味

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