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2012年07月30日

仕方無くテレビ番組で城下町気分…会津若松、盛岡

このところ仕事に追われしばらく出かけれず、城下町がまた恋しくなって来ましたしょんぼり
そんな時は仕方なく、テレビ放送で気分を紛らわせるしかありません…以前紹介した私のお気に入り番組からまた少し…。

まずは戦国の時代から数々の有力大名が統治する東北の要地にして、戊辰戦争、白虎隊の悲運で知られる福島県会津若松市から…。

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現在の会津若松の基礎を整備したのは蒲生氏郷だと言われています。織田信長に才能を見出され、信長の死後、豊臣秀吉に仕えていた氏郷は当時、秀吉の権勢を知らしめ、一帯の大名に睨みをきかせる拠点として、奥州屈指の堅城と城下町を築いたと伝えられています。若松城の大天守に見守られる会津若松の城下町…私が訪ねたのはもう20数年前、少しだけ残っている記憶を思い出しながら番組を見ました。

♪会津磐梯山は宝の山よ 笹に黄金がなりさがる~古くから伝わる民謡「会津磐梯山」、町歩きを楽しんでいると、必ずと言っていいほど見かける「起き上がり小法師」、藩校「日新館」でのエリート教育では当時、「什(じゅう)の教え」と呼ばれる規律を厳しく叩き込まれました。そして悲運の最期で知られる「白虎隊」、会津若松は見どころいっぱいです。 

鶴ヶ城…会津若松市のシンボル。数多くの大名が治めたお城。

茶室「麟閣( りんかく)」…千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室で戊辰戦争後、城下に移築され保存されていたが、平成2年に元の場所である鶴ヶ城内へ、移築・復元されました。
 
本家 長門屋 本店…嘉永元年(1848年)創業。150年以上、会津で和菓子を作り続ける老舗。茶道などのお菓子を始め、江戸の頃から伝わる会津駄菓子まで全て手作りにこだっているそうです。

向瀧(むかいたき)…創業から140年以上も経つという、老舗旅館。お祝い事に欠かせない料理として古くから親しまれている「鯉の甘煮」を頂ける。
 
會津藩校 日新館…享和3年(1803年)文武を教授する総合学校として創立。戊辰戦争で悲運の死を遂げた白虎隊十九士たちも、日新館で学び、会津の武士道精神「什の掟」を学んだ。
 
白虎隊 自刃の地…戊辰戦争の際、白虎隊が最期にたどり着いた場所で、ここから鶴ヶ城が炎上するのを見て自刃を決意しました。市の中心が一望できる。
 
会津さざえ堂…1796年に飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂。正式名称は「円通三匝堂」白虎隊が子供の頃、近辺で遊んでいたと伝えられている。

桐屋 夢見亭(きりや ゆめみてい)…そばの里・会津で、本格的な手打ち蕎麦が味わえるお店だそうです。全国でも珍しい「水そば」は、純粋に蕎麦の味が楽しめる、蕎麦好きにはたまらない逸品です。 

次に、古くは源頼朝に仕え、700年以上に渡ってこの地を治め繁栄した南部家。その縁と古き良き歴史風情を残す東北に栄えた城下町盛岡市です。この地は訪ねた事が無く、興味深く番組を見ました。

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盛岡の中心は盛岡城…廃藩置県により廃城となったため、現在は石垣や堀を残すのみですが、この石垣は「打込接(うちこみはぎ)」「切込接(きりこみはぎ)」「笑い積(わらいづみ)」「算木積(さんぎづみ)」など、様々な技法を駆使した石垣は全国でも珍しく、盛岡藩の財力を示す重要な手がかりだと言われています。

盛岡城跡公園 [岩手公園]…南部藩主の居城であった盛岡城の旧跡。
盛岡城は28代藩主重直の時代寛永10年(1633)に完成。北上川、雫石川、中津川を自然の壕に利用した平城で、不来方城とも呼ばれた。現在は石垣や池が残り四季を通じて市民に親しまれているようです。

櫻山神社…創建は1749年。社殿は盛岡城三の丸跡にあり、南部藩の総鎮守として信仰された。本殿背後には高さ8メートルもの大きな烏帽子岩が鎮座し、宝大石とされ、吉兆のシンボルとして広く信仰されている。

三ツ石神社…三個の巨大な花崗岩が立ち並び、その三ツ石に鬼の手形伝説があることから、それが岩手の名の起こりとされている。さんさ踊り発祥伝説の地。

神子田(みこだ)朝市…藩政時代、盛岡城下のいたるところにあった市。いまでも、市民の台所として親しまれている神子田の朝市は、組合形式としては日本最大規模だそうです。
 
チャグチャグ馬コ…農作業で農民と苦労を共にする馬たちを慰安する行事で、馬を豪華な晴れ着といくつもの鈴で飾り、滝沢村の鬼越蒼前神社へ詣でた約100頭の馬が、「チャグチャグ」と鈴を鳴らしながら盛岡市の八幡宮まで15kmの道のりを4時間30分かけて行進するそうです。平成8年には環境省の「日本の音風景100選」に選定されたようで毎年6月15日に開催されているそうです。

鉈屋町(なたやちょう)…江戸時代、奥州街道をはじめとした三つの街道と北上川の船着場を擁する盛岡の玄関口として栄えた商人の町。盛岡町屋が立ち並び藩政時代の風景を今に残しています。

大慈清水…大慈寺が水源の湧水を利用した井戸。4つの水槽は上から順に飲み水、米研ぎ、洗い水、洗濯水。今でも生活用水として多くの人に利用されている。

東家(あずまや)…明治40年創業。初代から割烹料理とともにそば料理にも自慢の腕をふるい、その伝統は今も宴会料理や盛岡名物わんこそばに生かされている。

盛岡、数年前に東北旅行の計画はあったのですが…震災もあり、その時とは違う思いもするでしょうが東北の各地は、時間をかけゆっく尋ねたい場所のひとつです。



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Posted by きくいち at 09:56│Comments(0)大将

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