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2024年09月10日

みちのくの玄関口「白河の関」

奥州三古関のひとつに数えられる「白河関」おすまし
奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関で、当時は人や物資の往来を取りしまる機能を果たしていたと考えられています。やがて律令制の衰退とともにその機能を失ってからは、都の文化人たちの憧れの地となり、歌枕(和歌の名所)として知られるようになりました。

みちのくの玄関口「白河の関」

この地を訪れた代表的な歌人・俳人は、能因や西行、松尾芭蕉など、みな時代を代表する文化人たちです。また、関跡には、源義家や義経にまつわる伝説が残され、樹齢約800年の従二位の杉など数々の巨木もあり、歴史の深さを感じさせますにやり

みちのくの玄関口「白河の関」

俳人・松尾芭蕉は、白河の関を越える旅に思いを馳せました。元禄2年(1689)5月下旬(今の暦で6月上旬)に白河の地にたどり着いた芭蕉は「白河の関にかかりて旅ごころ定まりぬ」と、みちのく路の第一歩を踏み出したことについて感動を込めて記しています。

みちのくの玄関口「白河の関」

また、芭蕉の供をした曽良の句に「卯の花を かざしに関の 晴れ着かな」とあり、この時期に白河で咲いていた卯の花を詠み込んだと考えられています。それから約330年の時を経た今でも、可憐な卯の花が咲き誇ります花

みちのくの玄関口「白河の関」

古関蹟碑…白河藩主・松平定信が、寛政12年(1800)に、この場所が白河関跡に間違いないとし、建立した碑が残っています。

みちのくの玄関口「白河の関」

幌掛の楓

みちのくの玄関口「白河の関」

立矢の松

みちのくの玄関口「白河の関」

白河神社…135年、白河国造命と天大玉命を奉納し勅命により鎮座。社殿は仙台藩主・伊達政宗が寄進したものと伝えられています。

みちのくの玄関口「白河の関」

中世館跡の主郭・空堀…中世には、丘陵全体が居館として使用され、敵の侵入を防ぐために造られた土塁や空堀で囲まれた範囲に主郭が存在しました。

みちのくの玄関口「白河の関」

従二位の杉…鎌倉初期の歌人で「新古今和歌集」の撰者の一人である藤原家隆(従二位宮内卿)が、手植えし奉納したと伝えられます。樹齢約800年と推定される巨木です。

みちのくの玄関口「白河の関」

庄司戻しの桜…治承4年(1180)、信夫庄司(現在の福島市)の佐藤基治が源義経に従う息子(継信・忠信)をこの場所まで見送って義経への忠義を説き、桜の杖を突き立てました。この杖が討ち死にした兄弟の忠義を感じて桜の大樹になったとの伝説があります。

みちのくの玄関口「白河の関」

白河関の森公園…園内には小川が流れ、大型遊具や水車小屋、相撲道場、物産コーナーなどがあり、のどかな風景につつまれながら家族でゆったりとした時間を過ごすことができます。「奥の細道」を旅した芭蕉・曽良像の台座には、ゆかりの句が刻まれていますにっこり



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Posted by きくいち at 09:04│Comments(0)趣味

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