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2011年11月15日

山城サミット…高根城

第18回全国山城サミット連絡協議会浜松大会が今週の土、日に開催されます。
市制100周年を迎えた浜松市に、山城を活かしたまちづくりを進めている自治体や、山城・城郭愛好家のみなさんが集まるのです。私も仕事でなければ行きたいのですが…

浜松大会のテーマは「徳川・武田争奪の城郭群を活かしたまちづくり」だそうです。
実は徳川軍と武田軍が奪い合った「城」は自分たちの知っている山だったかも…?

全国山城サミット」とは平成6年、兵庫県和田山町(現:朝来市)から始まったもので、全国の山城が存在する市町村及び関係団体が、情報交換等を通して親睦と交流を深め、山城の保存方法や観光資源としての山城をいかした地域の活性化を図り、潤いのある豊かなまちづくりを進めることを目的として行われているようです。そして現在多くの自治体が加盟しているらしく「戦国の山城」という本が出版されるほど「加盟自治体」と「加盟山城」が増えているようです。

山城サミット…高根城
(女将が記念の台紙付きフレーム切手を買って来てくれました)

高根城址(別名・久頭合城)
  北遠江と南信濃を結ぶ主要街道を見下ろす国境警備の城 

高根城は15世紀前半に水窪を本拠とする地元の国人領主奥山一族が築城したと言われています。16世紀初頭には駿河、遠江を領する今川氏の配下に組み入れられ北遠江一帯を支配においていました。その後、奥山氏は今川氏に属して水巻城、大洞若子城、小川城を築いて一族で固め勢力を広げたが、桶狭間合戦後に今川氏が没落すると、今川・武田・松平のどこに属するかで奥山氏に内乱が起こり、1572年(元亀3年)にはこの高根城は武田氏の支配下になりました。そして1576年(天正4年)、長篠の戦で敗れた武田軍の勢力がこの地域から一掃された時に、廃城になったのです。

まだ上った事はないのですが高根城は、遠江最北端に位置する山城で、標高420m・比高150mの通称三角山の山頂部を中心に築かれています。高根城址からは、水窪町中心部及び北遠江と南信濃を結ぶ主要街道を見下ろすことが出来るようで、この一本の主要街道を押えることと、信遠国境警備を目的として築かれた城なのです。

武田氏が街道を押さえるために築いた、山上の城、何時か行ければと思っています。


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Posted by きくいち at 09:15│Comments(0)趣味

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