2019年12月08日
チョコレートを初めて食べた日本人は誰?実はとても長い!チョコレートの歴史
昨日はデザートの話題で
今日は甘いお話を
スイーツの中でも大変人気のあるチョコレート。バレンタインには恋人や友人にチョコレートを送ることが定番となっているなど、日本人には大変馴染み深い食べ物ですが、元々は日本のものではないし、数十年前までは高級品とされていたものです。では、日本人がチョコレートを食べるようになったのはいつ頃からなのだろうか。そして、チョコレートを最初に食べた日本人は一体誰なのか調べてみました

江戸時代に書かれた「寄合町諸事書上控帳」に、オランダや中国と貿易が行っていた長崎へ、チョコレートが伝えられたとの記録が残っています。寄合町とは、長崎の有名な遊女町である。寛政9(1797)年3月晦日(末日)寄合町の大和路という遊女がチョコレートをもらったとの記述がある。ちなみに寄合町諸事書上控帳の中では、チョコレートは「しょくらあと」と書かれています。記録によると、出島の阿蘭陀人(オランダ人)からもらった品物の中に「しょくらあと6つ」が含まれていたことがわかります。

これが記録として残っている日本初のチョコレートだ。出島のオランダ人は、帰国の際に布団や道具などを遊女に与えることも多く、チョコレートもそのような過程で遊女に渡ったと考えられています。オランダ人から遊女に
いつの世も男性はこのようなプレゼントをして女性の気を引こうとしていたんですね
チョコレートは異国の珍品だったのですね
普段何気なく口にしているチョコレートには、じつは壮大な歴史があります。今でこそ当たり前のように食べられているお菓子ではありますが、過去には非常に高価なものとして扱われていた時代もあったのです
これだけおいしいチョコレートですから、かつては貴族がこぞってその秘密るために大金を出していたほど
そんなチョコレートの歴史について、かんたんではありますがご紹介します

大昔のチョコレート
チョコレートの歴史はとても長く、その原型は紀元前1,000年ほどから存在していました。その時代には、すでにメキシコの原住民が、カカオ豆をすりつぶして食べていたのだとか
当時からカカオは非常に高価なものとされ、貨幣のなかった当時は、カカオ豆が通貨と同じように扱われていた時代もあったのです。もちろん現在のように大規模な栽培方法はなかったため、カカオ豆は貴重なものとして、お金持ちのステイタスとしての役割も持っていました。このころよりチョコレートドリンクが飲まれはじめましたが、味付けは今とは似ても似つかないものだったそうです

神様の食べ物
このころのチョコレートは「神様の食べ物」として、とても大切にされていました。当時のチョコレートは、ドリンク状で非常に苦いものでしたが、これを知識・エネルギーの源として飲まれているだけではなく、神様への捧げ物にもされていたそうです
チョコレートは、今から3,000年以上も前にオルメカ族に飲まれはじめ、そこからマヤ族・トルテカ族というように、種族と文化が移り変わりましたが、チョコレートだけは変わらずに引き継がれています。それほど南米の部族たちには重要な飲み物だったというわけです。
古代のチョコレート
4世紀以降のマヤ文明では、カカオの栽培がはじまりました。
このころにはカカオという名前の起源である、「カカウ」と文字が刻まれた陶器や、実際にカカオが残った陶器が出土されています。やはりマヤ文明でもカカオは通貨としての役割も持っており、売買以外にも儀式やお祝いごとにも使われていたのだそうです。その後も古代の中南米では、カカオの産地を巡ってたびたび戦争が起こるなど、非常に重要なものでした。さらに14世紀ごろに栄えたアステカ文明では、年貢としてカカオを納めさせていたこともあるのだとか
このように古代では、今以上にチョコレートが大切にされていたことがわかります。
中世でのチョコレート
1502年にクリストファー・コロンブスが、新世界への航海を経て、ヨーロッパ人初となるチョコレートを「発見」します
コロンブスがチョコレートを発見した当時は、まったくその価値には気づいていませんでした。なぜなら当時のチョコレートは、先ほどもご紹介したように、非常に苦くスパイスを加えたもので、今のチョコレートとは似ても似つかないものだったからです。たしかに「無糖のチョコレートにたくさんのスパイスを入れる」という飲まれ方では、きっとだれもが同じように感じたのかもしれませんね
チョコレートの新しい飲み方の考案
その後1528年にスペイン人のエルナン・コルテスが、チョコレートと、その製造方法を持ち帰ります。もちろん相変わらず苦く、スパイスを入れた飲み物でしたが、そこでスペイン人たちは砂糖や香料を入れる、という革新をもたらしました。非常においしく、しかも栄養豊富な飲み物であったことから、一部であっという間に広まります。
そして1544年にスペインの王族に献上されることになるのですが、彼らの舌をも唸らせるほど好評だったのです
チョコレートが一般市民にも浸透
以後一般の市民も嗜好品として飲むようになったとされています
もちろん中南米で飲まれていた「唐辛子を入れて飲む」というレシピは好まれず、ヨーロッパ式に砂糖や牛乳、シナモンなどを入れて飲む方法が受け入れられています。これが今のチョコレートやココアの、直接の起源ということになります。ちなみに当時は、まだ今のように固められたチョコレートではなく、温かい飲み物でした
その後はプランテーションが作られ、スペインだけで飲まれていたココアは、ヨーロッパ各地へと広がっていくこととなります。スペインの人たちは、秘密にしておきたかったようですが、隠しきれずに各地へとその存在が伝えられてしまったのです。もちろん中世ヨーロッパでのチョコレートは贅沢品でした。

近代ヨーロッパのチョコレート
それまではチョコレートは飲料でしたが、18世紀ごろには、現代と同じ固めたものが生まれます。産業革命が起こり、水力や蒸気を使ったチョコレート製造工場が作られ、大規模な一大産業として成長し、都市ができるほどでした。ここからチョコレート菓子の生産も本格化し、宣伝なども行われるようになったとされています。またそれまでにはなかった、たくさんの製法も生まれます。たとえばカカオは水分と相性が悪く、まろやかにするために必須である、ミルクと混ぜることができませんでしたが、粉ミルクという解決策が見つかりました。このように、それまでは実現し得なかった、たくさんのバリエーションのチョコレートが生み出されたのもこの時期です。大量生産され、身近なものとなったことから、この時代にチョコレートを使ったさまざまなお菓子が生まれました
現代のチョコレート
現代ではだれもがご存知のとおり、チョコレートは世界中の人々に愛されるお菓子となりました。世界中の文化に溶け込み、世界の国々で独自のチョコレートが作られています。老若男女問わず、だれもが好きなお菓子であることに違いはないでしょう。また日本国内でもバレンタインデーには、女性が男性にチョコレートをあげる習慣にはじまり、チョコレートは文化の一部としても根付いています
チョコレートの新しい流行と発見
そして近年ですが、チョコレートにまた新しい流行が見られるようになりました
シュガーレスのチョコレートや、高濃度カカオのチョコレートなど、過去には見られなかったものが増えてきているのです。きっとあなたも、60%以上から高いもので95%という、高濃度カカオのチョコレートが売られているのを見たことがあるのではないでしょうか。苦いチョコレートが甘いチョコレートへと移り変わり、また苦いチョコレートへ戻りつつあるなんて、なんだか面白いですよね。さらに2017年には「ルビーチョコレート」と呼ばれる、第四のチョコレートが開発されたことも話題になりました。これからさらに、新しいチョコレートのお菓子が増えていくことでしょう
いかがでしたでしょうか
まさか紀元前からチョコレートの歴史がはじまっていたなんて驚きですね
チョコレートを日本で最初に食べたのが、長崎の遊女とは意外に思った人も多いのでは
今でこそ情報の発信は東京というイメージだが、長年鎖国によって外界から閉ざされていた日本にとって、当時は長崎こそが最先端だったのかもしれません。昭和に入るとチョコレートメーカーが増加し、チョコレートは一般庶民にも浸透していくが、戦線拡大とともに、カカオ豆の輸入制限や製造中止に陥り、しばらくはチョコレートが手に入りづらい世の中になってしまい、日本でのチョコレートの生産が再開されたのは、昭和26(1951)年とされています、以来種類も製造法も様々な研究を重ねられ、今日のチョコレートがあるのです




スイーツの中でも大変人気のあるチョコレート。バレンタインには恋人や友人にチョコレートを送ることが定番となっているなど、日本人には大変馴染み深い食べ物ですが、元々は日本のものではないし、数十年前までは高級品とされていたものです。では、日本人がチョコレートを食べるようになったのはいつ頃からなのだろうか。そして、チョコレートを最初に食べた日本人は一体誰なのか調べてみました



江戸時代に書かれた「寄合町諸事書上控帳」に、オランダや中国と貿易が行っていた長崎へ、チョコレートが伝えられたとの記録が残っています。寄合町とは、長崎の有名な遊女町である。寛政9(1797)年3月晦日(末日)寄合町の大和路という遊女がチョコレートをもらったとの記述がある。ちなみに寄合町諸事書上控帳の中では、チョコレートは「しょくらあと」と書かれています。記録によると、出島の阿蘭陀人(オランダ人)からもらった品物の中に「しょくらあと6つ」が含まれていたことがわかります。

これが記録として残っている日本初のチョコレートだ。出島のオランダ人は、帰国の際に布団や道具などを遊女に与えることも多く、チョコレートもそのような過程で遊女に渡ったと考えられています。オランダ人から遊女に



普段何気なく口にしているチョコレートには、じつは壮大な歴史があります。今でこそ当たり前のように食べられているお菓子ではありますが、過去には非常に高価なものとして扱われていた時代もあったのです




大昔のチョコレート
チョコレートの歴史はとても長く、その原型は紀元前1,000年ほどから存在していました。その時代には、すでにメキシコの原住民が、カカオ豆をすりつぶして食べていたのだとか

当時からカカオは非常に高価なものとされ、貨幣のなかった当時は、カカオ豆が通貨と同じように扱われていた時代もあったのです。もちろん現在のように大規模な栽培方法はなかったため、カカオ豆は貴重なものとして、お金持ちのステイタスとしての役割も持っていました。このころよりチョコレートドリンクが飲まれはじめましたが、味付けは今とは似ても似つかないものだったそうです


神様の食べ物
このころのチョコレートは「神様の食べ物」として、とても大切にされていました。当時のチョコレートは、ドリンク状で非常に苦いものでしたが、これを知識・エネルギーの源として飲まれているだけではなく、神様への捧げ物にもされていたそうです

チョコレートは、今から3,000年以上も前にオルメカ族に飲まれはじめ、そこからマヤ族・トルテカ族というように、種族と文化が移り変わりましたが、チョコレートだけは変わらずに引き継がれています。それほど南米の部族たちには重要な飲み物だったというわけです。
古代のチョコレート
4世紀以降のマヤ文明では、カカオの栽培がはじまりました。
このころにはカカオという名前の起源である、「カカウ」と文字が刻まれた陶器や、実際にカカオが残った陶器が出土されています。やはりマヤ文明でもカカオは通貨としての役割も持っており、売買以外にも儀式やお祝いごとにも使われていたのだそうです。その後も古代の中南米では、カカオの産地を巡ってたびたび戦争が起こるなど、非常に重要なものでした。さらに14世紀ごろに栄えたアステカ文明では、年貢としてカカオを納めさせていたこともあるのだとか

中世でのチョコレート
1502年にクリストファー・コロンブスが、新世界への航海を経て、ヨーロッパ人初となるチョコレートを「発見」します

コロンブスがチョコレートを発見した当時は、まったくその価値には気づいていませんでした。なぜなら当時のチョコレートは、先ほどもご紹介したように、非常に苦くスパイスを加えたもので、今のチョコレートとは似ても似つかないものだったからです。たしかに「無糖のチョコレートにたくさんのスパイスを入れる」という飲まれ方では、きっとだれもが同じように感じたのかもしれませんね

チョコレートの新しい飲み方の考案
その後1528年にスペイン人のエルナン・コルテスが、チョコレートと、その製造方法を持ち帰ります。もちろん相変わらず苦く、スパイスを入れた飲み物でしたが、そこでスペイン人たちは砂糖や香料を入れる、という革新をもたらしました。非常においしく、しかも栄養豊富な飲み物であったことから、一部であっという間に広まります。
そして1544年にスペインの王族に献上されることになるのですが、彼らの舌をも唸らせるほど好評だったのです

チョコレートが一般市民にも浸透
以後一般の市民も嗜好品として飲むようになったとされています


その後はプランテーションが作られ、スペインだけで飲まれていたココアは、ヨーロッパ各地へと広がっていくこととなります。スペインの人たちは、秘密にしておきたかったようですが、隠しきれずに各地へとその存在が伝えられてしまったのです。もちろん中世ヨーロッパでのチョコレートは贅沢品でした。

近代ヨーロッパのチョコレート
それまではチョコレートは飲料でしたが、18世紀ごろには、現代と同じ固めたものが生まれます。産業革命が起こり、水力や蒸気を使ったチョコレート製造工場が作られ、大規模な一大産業として成長し、都市ができるほどでした。ここからチョコレート菓子の生産も本格化し、宣伝なども行われるようになったとされています。またそれまでにはなかった、たくさんの製法も生まれます。たとえばカカオは水分と相性が悪く、まろやかにするために必須である、ミルクと混ぜることができませんでしたが、粉ミルクという解決策が見つかりました。このように、それまでは実現し得なかった、たくさんのバリエーションのチョコレートが生み出されたのもこの時期です。大量生産され、身近なものとなったことから、この時代にチョコレートを使ったさまざまなお菓子が生まれました

現代のチョコレート
現代ではだれもがご存知のとおり、チョコレートは世界中の人々に愛されるお菓子となりました。世界中の文化に溶け込み、世界の国々で独自のチョコレートが作られています。老若男女問わず、だれもが好きなお菓子であることに違いはないでしょう。また日本国内でもバレンタインデーには、女性が男性にチョコレートをあげる習慣にはじまり、チョコレートは文化の一部としても根付いています

チョコレートの新しい流行と発見
そして近年ですが、チョコレートにまた新しい流行が見られるようになりました


いかがでしたでしょうか


チョコレートを日本で最初に食べたのが、長崎の遊女とは意外に思った人も多いのでは

今でこそ情報の発信は東京というイメージだが、長年鎖国によって外界から閉ざされていた日本にとって、当時は長崎こそが最先端だったのかもしれません。昭和に入るとチョコレートメーカーが増加し、チョコレートは一般庶民にも浸透していくが、戦線拡大とともに、カカオ豆の輸入制限や製造中止に陥り、しばらくはチョコレートが手に入りづらい世の中になってしまい、日本でのチョコレートの生産が再開されたのは、昭和26(1951)年とされています、以来種類も製造法も様々な研究を重ねられ、今日のチョコレートがあるのです


Posted by きくいち at 10:25│Comments(0)
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