2019年04月30日
生活に必要ないろいろな商品を取り扱っていた「八百屋」
今日で平成も終わり
世の中も変わっていきます
新しい時代に、存在をなくす商売も…
どうして「野菜や果物を売るお店」のことを「八百屋」と呼ぶのでしょうか
「八」にも「百」にも「果物・野菜」なんて意味はなさそうなのに…
今日はそんな「八百屋」の由来について調べてみました

「八百」には「野菜や果物」などという意味はありませんが、そのような意味を持った単語はきちんと日本語にあります
それは「青物(あおもの)」です。
「青物」は室町時代初期、宮中や院に仕える女性の使用人が使い始めた言葉とされています(このような言葉を「女房言葉」といいます)使用人たちは菜物をその色から「青物」と呼びましたが、その言葉が一般に広まり「野菜」=「青物」となりました
そうした経緯から、人々は野菜を販売するお店を「青物屋」と呼ぶようになりました。やがて「青物屋(あおものや)」は縮められ「青屋(あおや)」と呼ばれるようになりました。そう,今の「やおや」はもともと「あおや」と呼ばれていたのです。

「あおや」が「やおや」に変化したのは江戸時代のことだと言われています
そして、実はこの「あおや」から「やおや」へと変化した理由としてはいくつかの説があるのです
ここでは、比較的有名な二つをご紹介しましょう
説1:単に発音しやすいから「やおや」になった
これは説明すら不要と思われる説ですが、一応発音のしやすさから言葉が訛ることはままあることです。そして、この説では「やおや」もそうした訛りの結果だという説です。
説2:藍染業者と間違われないように
実は「青屋」にはもう一つ「藍染め(あいぞめ)業者」という意味もありました。つまり「藍染め業者」と間違われないために、わざと「あおや」を「やおや」と呼ぶことにした説です。現在は「職業に貴賤はない」という考え方はある程度定着しています。しかし、江戸時代はかなり職業差別が激しく「藍染め業者」は賤しい職業とされていたそうです。ここからは私の想像ですが,こうした被差別的な仕事と混同されるのを防ぐために、わざと「あおや」を「やおや」と呼ぶようにしたのかもしれませんね

これは上の説の続きみたいな感じですが、昔のお店はお米ならお米だけ、芋なら芋だけというように一種類しか売っていませんでした。そこに「野菜なら何でもそろっている」というお店ができました。それが「八百屋」というわけです。いくつものお店をまわらなければならなかった当時の人々にとってはとても便利なお店だったのでしょうね
また「八百屋」は野菜や果物のほかにも生活に必要ないろいろな商品を取り扱っていたともいわれています。そのため数が多いことを表す「八百」という字が使われるようになりました。
「八百屋」の「八」は分けるという意味「百」は親指の形を表し「屋」はお店のことで「親指を立てて物を分けさばく店」として、市場的な存在だったという説もあります
実はあの有名な「八百屋お七」の実家は野菜や果物を売るお店ではなく、乾物屋だったそうです。昔は乾物屋や魚屋なども八百屋と呼ばれていたこともありました
以上が「八百屋」の由来、または語源と言われている主な説です
いずれにしろ「八百屋」は生活に必要なものをいろいろ取り扱っている、人々にとってとても便利なお店だったんですね
きっと今でいうスーパーみたいな感じだったんですかね

「八百」という字は他にも「嘘八百」「八百八町」「八百八橋」などのも使われています。
いずれも「数の多い」ことから「八百」が使われています。ではなぜ「八百」はそういう意味をもつのでしょうか
「八」という字は昔から「末広がり」という縁起の良いイメージがあり、また数字の「8」は横にすると∞となり「無限」という意味にもなるため、人々にとても好まれました。このことから「八」は聖数とされ、数が大きいことを示す数字としても用いられるようになったようです。そして「百」にも「たくさんの」という意味があり「八」を百倍してとてもたくさんであることを表していたのですね
ところで「九」も数の多いことを表す語として使われることがあります。ですが「九」は「きゅう」と読むことから「究」(きわめる、果て、終わりなどの意)「窮」(きわめる、つきつめるなどの意)など「終わり」を連想させます。日本人は言葉の語呂で縁起の良いことをとても好み、末広がりで無限の意味を持つ「八」が特別な数字だったのでしょう

最近はスーパーマーケットの台頭の為、街中で「八百屋さん」を見かけることは少なくなり
あまりなじみ深いものでもなくなってきましたが、ほんの20年ほど前は,まだ八百屋は商店街の一角でにぎわっていました
「八百屋」にもいろいろな由来や語源があると知り、そこに昔の人々の生活が感じられ、あまり使わなくなったことがなんだか寂しいように感じました
一昔前のことではありますが、日常を構成するちょっとしたお店の名前でも、ルーツは室町時代にまで遡れたりして面白いですね
身の回りのことでも、起源や由来を知らないものがまだまだあるかもしれません
新しい時代になりますが、こうしたことも、ちょっと調べたりしてみませんか




新しい時代に、存在をなくす商売も…

どうして「野菜や果物を売るお店」のことを「八百屋」と呼ぶのでしょうか

「八」にも「百」にも「果物・野菜」なんて意味はなさそうなのに…

今日はそんな「八百屋」の由来について調べてみました


「八百」には「野菜や果物」などという意味はありませんが、そのような意味を持った単語はきちんと日本語にあります

「青物」は室町時代初期、宮中や院に仕える女性の使用人が使い始めた言葉とされています(このような言葉を「女房言葉」といいます)使用人たちは菜物をその色から「青物」と呼びましたが、その言葉が一般に広まり「野菜」=「青物」となりました

そうした経緯から、人々は野菜を販売するお店を「青物屋」と呼ぶようになりました。やがて「青物屋(あおものや)」は縮められ「青屋(あおや)」と呼ばれるようになりました。そう,今の「やおや」はもともと「あおや」と呼ばれていたのです。

「あおや」が「やおや」に変化したのは江戸時代のことだと言われています

そして、実はこの「あおや」から「やおや」へと変化した理由としてはいくつかの説があるのです

ここでは、比較的有名な二つをご紹介しましょう

説1:単に発音しやすいから「やおや」になった
これは説明すら不要と思われる説ですが、一応発音のしやすさから言葉が訛ることはままあることです。そして、この説では「やおや」もそうした訛りの結果だという説です。
説2:藍染業者と間違われないように
実は「青屋」にはもう一つ「藍染め(あいぞめ)業者」という意味もありました。つまり「藍染め業者」と間違われないために、わざと「あおや」を「やおや」と呼ぶことにした説です。現在は「職業に貴賤はない」という考え方はある程度定着しています。しかし、江戸時代はかなり職業差別が激しく「藍染め業者」は賤しい職業とされていたそうです。ここからは私の想像ですが,こうした被差別的な仕事と混同されるのを防ぐために、わざと「あおや」を「やおや」と呼ぶようにしたのかもしれませんね


これは上の説の続きみたいな感じですが、昔のお店はお米ならお米だけ、芋なら芋だけというように一種類しか売っていませんでした。そこに「野菜なら何でもそろっている」というお店ができました。それが「八百屋」というわけです。いくつものお店をまわらなければならなかった当時の人々にとってはとても便利なお店だったのでしょうね

「八百屋」の「八」は分けるという意味「百」は親指の形を表し「屋」はお店のことで「親指を立てて物を分けさばく店」として、市場的な存在だったという説もあります


以上が「八百屋」の由来、または語源と言われている主な説です




「八百」という字は他にも「嘘八百」「八百八町」「八百八橋」などのも使われています。
いずれも「数の多い」ことから「八百」が使われています。ではなぜ「八百」はそういう意味をもつのでしょうか

「八」という字は昔から「末広がり」という縁起の良いイメージがあり、また数字の「8」は横にすると∞となり「無限」という意味にもなるため、人々にとても好まれました。このことから「八」は聖数とされ、数が大きいことを示す数字としても用いられるようになったようです。そして「百」にも「たくさんの」という意味があり「八」を百倍してとてもたくさんであることを表していたのですね



最近はスーパーマーケットの台頭の為、街中で「八百屋さん」を見かけることは少なくなり




一昔前のことではありますが、日常を構成するちょっとしたお店の名前でも、ルーツは室町時代にまで遡れたりして面白いですね


新しい時代になりますが、こうしたことも、ちょっと調べたりしてみませんか


