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2025年02月24日

長尻せず、蕎麦屋で粋に飲む

時代劇などではよく居酒屋で侍や町人がお酒を楽しんでいる光景が出てきますが、江戸中期までは酒屋の軒先に酒樽を並べただけの立ち飲み屋や、飯屋がついでに酒を出す程度で、本格的な居酒屋はありませんでした。

長尻せず、蕎麦屋で粋に飲む

江戸に居酒屋の原型に近い店が登場したのは、1740年頃。東京・神田の「豊島屋」という酒屋が店を改造し、店頭で手作り豆腐の田楽や芋の煮っころがしをおつまみに提供するようになったのです。江戸後期になると、客の趣向に合わせておでんや煮芋、魚介、鶏などメニューのバリエーションも増えていきました。

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長尻せず、蕎麦屋で粋に飲む

池波正太郎の「鬼平犯科帳」の主人公・長谷川平蔵が活躍したのもこの頃。平蔵はしばしば蕎麦屋で飲んでいますが、当時の蕎麦屋は仕事上がりの職人たちの憩いの場でした。まずは板わさのような軽いおつまみでお銚子1本、次に出し巻き卵でもう1本、シメに蕎麦を手繰って長尻せずサッと帰るのが粋な飲み方だったとかにっこり
お酒はさっと切り上げるよう、皆さんも、ぜひお試しをびっくり

長尻せず、蕎麦屋で粋に飲む

江戸時代の「蕎麦屋酒」文化
蕎麦店の酒肴はシンプルで種類も多くなく、潔い。幕末のころは、蕎麦店は酒を飲むところであった。江戸には独身の職人が多く、仕事帰りにちょっと一杯ひっかける格好の場所が蕎麦店だったのです。
短気な江戸っ子を迎えるにあたり、蕎麦店はまず種物に使う食材をささっと調理して出す。例えば、板わさ、だし巻き卵、のり、鴨焼き、焼き蕎麦味噌などなど。味噌がなぜつまみに利用されたかというと、江戸初期のころは、蕎麦は醤油ベースのつけだれではなく、味噌だれで食べていたからだと…びっくり(醤油は関東では造っておらず、上方からの下りものとして高級品だった)

長尻せず、蕎麦屋で粋に飲む

こうした酒肴に、特に上等な日本酒、すなわち「上酒」を提供することを、蕎麦店の商売の戦略としていたようで蕎麦を出す前の酒なので、「蕎麦前」とも呼ばれています。このころの居酒屋は量り売りの日本酒を薄めて出していたりしていたので、蕎麦店に行けばうまい酒が飲めるという評判により、蕎麦店は繁盛を極めていったのだそうです上昇

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こうしたこともあり、蕎麦店では昼から酒を飲んでも許される雰囲気を持っています。女性が1人で飲んでもさまになるし、居酒屋と違って、酒肴はシンプルであり、長居をせずに最後は蕎麦をたぐって帰る。その瀟洒(しょうしゃ)な潔さが蕎麦店で酒を飲むことの特徴であり、江戸の文化なのですが、そうした飲み方をしている人がいるのか気になるところですねひみつ


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Posted by きくいち at 16:34│Comments(0)雑学

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