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2012年11月25日

桜井古墳群を代表する古墳

二子古墳は、安祥城の南、約1km程にある前方後方墳です。

安祥城は、岡崎平野の中央に広がる洪積台地の東の端に位置していて、その台地の端に沿って古い集落が南北に連なっています。その集落の100m程東の、一段低い田圃の中にあった二子古墳を偶然見つけました。

桜井古墳群を代表する古墳

車を停め二子古墳に立ち入り、墳丘に登ることが出来ました。一番高いところで標高7m。なだらかな坂道が続いて子供たちの格好の遊び場になりそうです。

桜井古墳群を代表する古墳

墳丘の一番高いところには、桜井天神社古跡の碑が立っていて、この墳丘にたつと、古墳のすぐ横を新幹線の高架橋が通ってすぐ近くを走る新幹線がよく見えました。横の公園では老人たちがゲートボールを楽しんでいました。

桜井古墳群を代表する古墳
 
この二子古墳は、3世紀後半から4世紀初頭に築かれたものだそうです。卑弥呼の墓とされる箸墓古墳が3世紀中ごろとされているので、それよりは年代は下っていますが比較的古い時代の古墳と思います。全長は68m、前方部の幅約30m、後方部幅36mとこじんまりとしていますが、矢作川流域では2番目に大きな古墳で、国の史跡にも指定されています。

桜井古墳群を代表する古墳 
 
この矢作川沿いの三河平野に古くから人々が住んでいたことを改めて実感しました。

桜井古墳群を代表する古墳

二子古墳(国指定史跡)墳丘…前方後方墳 
墳丘の形は前方後方墳です。(全長68m、前方部幅29m、高さ4m、後方部幅36m、高さ7m)矢作川流域で2番目の規模をもち、この地方最大集落の権力者が埋葬されたといわれる古墳で、幡豆郡吉良町の正法寺古墳(しょうぼうじ)に次ぐ大規模なもので、碧海台地の縁辺に位置する桜井古墳群の代表的な古墳です。低い前方部と比較して後方部を高く盛りあげ、墳丘を大きく見せています。墳頂部は平坦であり、西のすそには周濠の一部が残り、原形をよく保っていて、4世紀初頭の築造とされる説が有力だそうです。 

桜井古墳群を代表する古墳
 
近くには碧海山古墳(へきかいざん)や姫塚古墳、姫小川古墳などがあり、桜井古墳群を形成しているようです。また、すぐ東側には、二タ子遺跡があり、多くの土器などの遺物が発見されたようです。前方部と後方部の高さの違いを実際に登って確かめることでよく分かり、矢作川堤防から桜井古墳群をながめると、碧海台地の辺縁に並ぶように存在していることがよく分かります。


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Posted by きくいち at 09:47│Comments(0)大将

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