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2013年06月30日

外食産業のもとは屋台から…

外で御飯を食べるいわゆる「外食」というと何を思い浮かべるでしょうか…?
ハンバーガー店や牛丼屋、ファミリーレストランなど、現在では多様な外食産業が盛んです。
チェーン展開を特徴とするこれらの外食産業はおもに1970 年代以降に登場したものですが、料理店や食堂など、家庭外で食事を提供する飲食店は、より古くからありました。 

「外食」が、いつごろ日本に誕生したかと言うと、そのルーツは江戸時代初期と言われています。
そして、そのきっかけは実は大火事だそうです。

火事と喧嘩は江戸の華とか言われますが、明暦3(1657)年に江戸の3分の2を焼き尽くす大火事が起こります。これは後に「振袖火事」として語り伝えらていますが、この火事で、多くの江戸っ子が焼け出され、ともかく食べ物を…というので、屋台のようなものができたそうです。その後、町の復興の為に諸国から職人が集まり、彼らの食をまかなうために煮売商が江戸の町に続出します。
これがきっかけに外食産業が盛んになったのです。

また復興工事のため多くの労働力が地方から出てきて、この人たちの食の供給を担ったのが、いわゆる「飯屋」でこれが、日本の外食産業の先駆けといわれています。



延宝八(1680)年、江戸に関西寿司が伝わり、その7年後、貞享四(1687)年、江戸で寿司店の行商が営業を始めたそうです。安永八(1779)年には海苔巻き寿司が現れ、そして、文化七(1810)年、華屋(はなや)与兵衛が握り寿司の店を開業します。この華屋与兵衛こそ、握り寿司の発案者と伝えられています。

江戸時代、長い平和のもとで日本文化は成熟しましたが、外食文化もまた、大いに発展していきました。日本の外食文化は、江戸時代前期に起こった浅草金竜山の奈良茶飯の店から始まり、後期には八百善のような高級料亭も誕生するようになりました。また、握り鮨や天麩羅など、日本料理を代表する数々の料理が生み出されたのもこの時代です。

このように江戸時代初期、江戸の町には飲食店がなく、飲食店が現れ始めたのは明暦の大火(1657年)以降といわれています。各地からたくさんの人々が江戸へ移住し、その多くが単身の男性であったこと、また参勤交代により妻子を故郷に残して江戸へやってくる武士が多いこともあって、外食の需要が強くありました。そうした人々に食べ物を提供するために、様々な食べ物屋が現れたのです。

江戸時代には醤油や味醂などといった調味料の普及もあり、現代でも好まれている様々な料理が現れました。そのひとつが麺にした蕎麦を食べる蕎麦切りで、他にも天麩羅や握り鮨など、現在日本料理を代表する数々の料理が生み出されました。

またこの時代、肉食は嫌われる傾向がありましたが、まったく食べられなかったわけではありませんでした。一般的な食材ではありませんでしたが、「薬食い」と称して折に触れさまざまな料理で食されていました。また大名層でも、牛肉が献上品とされるなど、肉食は必ずしも完全なタブーではなかったようです。

明治時代に入り日本にはたくさんの西洋文化が流入しましたが、外食の世界でもそれは例外ではありませんでした。洋食が本格的に流入すると、外食も急速に多様化し、都市において普及・発達しました。(明治以降は西洋料理店が出現、大衆相手の牛鍋屋が発足、中華料理店の開店、ビヤホールが登場しています)すき焼きやカレーなど現在でも食べられている料理がこの時期に登場し、明治・大正期には和洋の料理店が共に繁栄しました。

大正期に入ると、外食が日常化してきます。明治・大正期に創業して以来、現在まで続いている店も少なからずあり、今でもこれらの店の味を楽しむことができます。

戦時期には、食糧難の中で窮乏状態を反映した外食の形態が見られますが、戦後の経済の復興とともに戦前の水準をとりもどした外食は、1970 年にファミリーレストランやファーストフードが登場すると、産業として急速に発展し、日常化していきました。高度経済成長期を経て、人々の生活が豊かになるにつれ、各国の料理を供する様々な料理店が現れました。そして、グルメガイドブックがさかんに出版され、食べ歩きが流行するなど、外食そのものが娯楽になっていきました。

外食産業の成長により外食が日常の一部になると、外食はレジャー化・娯楽化が進むようになります。バブル直前の 1980 年代半ばころから「一億総グルメ」などといわれたグルメブームがおこりました。料理店が多様化し、「激辛」が流行語になったエスニック料理ブーム、バブル期の高級フランス料理ブーム、俗にいう「イタめし」ことイタリア料理ブームなど、人々の選択肢は増えました。そして、食べ歩きが流行し、グルメガイドブックの出版が盛んになり、雑誌のレストラン紹介などの記事を日常的に目にするようになりました。また、有名店の料理人が出演するテレビの料理ショーが人気を集め、料理の作り手側にも注目が集まるようになりました。

近年の外食産業界は、食の多様化や市場規模の縮小などを背景に、競争はさらに厳しいものになっています。単に味や価格のみならず、素材へのこだわり、健康への配慮、更には癒しの提供のような付加価値に特徴を持たせるなどの差別化が図られています。このようなサービスの日々の進化により、味覚に留まらない喜びを私たちは提供していかなくてはなりません。

鎖国体制下で独自の外食文化を熟成させた江戸時代。西洋料理を取り入れ、和洋の料理店が共に栄えた明治・大正時代。総力戦下の食糧不足を反映した戦時期。ファーストフードやファミリーレストランの登場など、急激な発展・多様化を遂げた現代。外食のありさまは社会の情勢を反映し、常に変化を続けているのです。 
  

Posted by きくいち at 15:02Comments(0)菊一本店

2013年06月27日

独特のヌメリとツルツルした喉ごし…初夏の味覚

夏の風物詩と言われる「じゅんさい」は、淡白な味とツルンとした舌触りが珍重されています。 

じゅんさいの歴史は古く、別名ヌナワ(沼縄)と呼ばれ、古くは、万葉集でも歌われていて、西暦600年代には既に食べられていたと言われています。睡蓮科の多年生水草で、湖沼に自生する睡蓮のような草の若芽を食べます。若菜は、葉が開かずくるっと巻いている形状もので、その回りは透明なゼリー状の膜で覆われており、この膜がつるつるしていて、口の中で逃げるのをつかまえて噛むとぷりぷりした食感が楽しめるのが好まれているようです。



昔から沼に自生していましたが、今では転作水田を利用した沼で収穫されることが多くなったようです。(小さな浮船を竿一本で操り、ひとつひとつ丁寧に手で収穫される)

じゅんさいといえば、秋田と、思われる方は全国でどれほどいらっしゃるでしょうか? 実は、秋田県が生産量全国一なのですが、秋田のどこでも採れるというのではなく、旧山本町の三種町が日本一なのです。このじゅんさいは、水清く水温の変化の少ない湖沼にしか育たないので、京都や北海道でも採れておりましたが、近年の水質汚染で減少しているようです。

味は、あまりなく淡白なので、一般的に酢の物やポン酢で食べることが多いのですが、お吸い物にしてもいいです。
お吸い物にすると、温められるせいかほんのりと酸味が感じられ、汁とともにツルっと口に運ばれる食感と喉越しは、初夏にはとても涼しげで食欲もそそられます。

古事記では、ヌナワ(沼縄)は、初夏の季語とまでなっていますので、かなり古くから食されていたことが伺えます。
なぜ、ヌナワと呼ばれたか?…ヌナハは沼の縄の意で、根茎が縄のように長く伸びているから。初夏の季語ということで、ここで古事記の一節を紹介します。

…水たまる依網の池の堰杭打ちが、刺けく知らにぬなわ繰り延かく知らに我が心しぞいや愚にして、今ぞ悔しき…

この意は依網の池の堰に杭を打ち込む人が、すでに杭を打ってあるのもしらず、またジュンサイ取りが手を伸ばしていることも知らず、私は愚かであったのが悔しい…すでに他の男のものとなった女を自分のものと思い込んだ男の愚かさを詠んだものです。



じゅんさいにはポリフェノールが比較的に多く含まれているようで、じゅんさいのポリフェノールによる抗酸化性が期待されています。また、じゅんさいには漢方の薬効があると言われています。自然食による予防や治療を志す中国医学では、古くからじゅんさいの薬効が認められていました。

日本でも、胃腸、胃癌等に効ありと紹介されていますし、また便秘解消の効果などの整腸作用や腸内浄化作用があり、ダイエットに効くとも言われています。
そのほか、熱冷まし、解毒、消炎、胃を丈夫にする、などの効果があると言われ、茎や葉を砕いて患部に塗ると痛みが消えるという特効もあるそうです。また、じゅんさいのゼリー状物質には抗ガン作用がある、と日本、中国で言い伝えられています。

【調理法】
生じゅんさい…中国医学では古くから、じゅんさいの薬効が認められて、抗ガン作用や解熱、解毒、胃弱を治す、腫れを消すなどの効果があると言われている。じゅんさいは、天然の健康食品ですね。

三杯酢…おろした生姜とゴマを添えて、合わせ酢がすっきりした風味を引き立てる。

涼味じゅんさい・素麺風…冷やしたじゅんさいをたっぷり用意し、う玉をアクセントに盛り付けます。(木口葱と本山葵がポイント)ざるそば用の市販のツユでも美味しく食べられます。 (本山葵を使い、出汁割醤油は鰹出汁で…仕上げは酢橘を絞って食べると風味が増します)

汁の実…じゅんさいをパッと放すだけで、独特の風味が味わえます。(鶏肉や白身の魚が合います。 鳥鍋…鶏肉、葱、白滝、豆腐、牛蒡などの鳥鍋の上がりにゆるく卵でとじてから、じゅんさいを入れればできあがりです)

天麩羅…じゅんさいは水分をよく切ってから天麩羅粉をまぶします。天汁はポン酢を主体に、紅葉卸しや生姜などで食べます。



今回当店では、オリジナル料理を作ってみました。「蒸しあわびのじゅん菜とろろ」です。

土佐酢で漬けたじゅんさいと、とろろを混ぜたものにスライスしたあわびを添えて。
上にはおくらのペーストもかけこれから蒸し暑くなる時期にぴったりのさっぱりした一品です。
それぞれの食感が異なるのでその食感を楽しみながらいただくのもおいしい食べ方のひとつです。
  

Posted by きくいち at 14:56Comments(0)季節の野菜と果実

2013年06月25日

2013年7月コース

日本では、旧暦7月を文月(ふみづき、ふづき)と呼びますが、その由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっているようです。しかし、七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったものらしく、元々日本にはないものだそうです。そこで、稲の穂が含む月であることから「含み月」「穂含み月」の意であるとする説もあるそうです。

7月は多くの地方で梅雨が明け、猛暑期となります。暑中見舞い状を送り、先方の健康を気遣ったり、新暦のお盆の行事や、お中元・暑中御伺いなど夏の贈答が行われます。
暑い夏、体調を崩さずこの時期を乗り切るには当店のコースはいかかがですか…?
味は勿論の事、旬の食材を利用し栄養のバランスよく調理いたします。彩りよく季節を満喫していただける内容になっていますので、是非ご利用下さい。 

【5000円コース】


サザエ刺身もしくは壷焼き
伊勢海老チーズグラタン
スッポンと地鶏の薬膳鍋
静岡育ち和牛の冷しゃぶ
鱧の天麩羅
旬の握り
伊勢海老の味噌汁
デザート


【4000円コース】


サザエ刺身もしくは壷焼き
伊勢海老マヨネーズサラダ
鱧ちり鍋
遠州夢ポーク中華風おこげ
旬の握り
伊勢海老の味噌汁
デザート


【3000円コース】


サザエ壷焼き
遠州夢ポーク中華風おこげ
鱧ちり鍋
旬の天麩羅
賄い丼
味噌汁


家族、友人の集まりに、そして接待、慶事、弔事と幅広くご利用いただけると思います。
是非お気軽にご連絡下さい。
  

Posted by きくいち at 14:43Comments(0)コース料理

2013年06月23日

舞妓と芸妓

私の若い頃よく先輩から「一流の職人になるには、芸人と同じで飲む、打つ、買う、が必要だ」と言われました。ご承知の通り、「飲む」が酒、「打つ」が賭博で、「買う」は(あまり大きな声では言えませんが)女性のことを差して言っているのです。

その頃、疑問に思ったのですが、なぜこの3つが一流になるために必須だと言われるのかと…?
「飲む」「打つ」はまだわかるのですが、「買う」は理由がよくわかりません。なぜこれが必要なのかと…。

職人は芸人同様に 喜怒哀楽の職業だと言うのです。芸人は、人を泣かせたり、笑わせたり、感動させたりしてくれます。人に喜怒哀楽を与えるということは、自分自身で経験したことでないと、うそっぽく感じてしまいます。飲む、打つ、買うとは遊ぶと言うこと。酒の席での失敗談とか、賭け事で大損したこととか、女性関係で修羅場を経験したとかなどなど普通にすごしていては、経験できないことが山のようにあります。そんなことを経験していれば役者なら演技に真実味が出るし、落語家やお笑いタレントは、笑える本当にあった話が出来るのです。

買うとは、大間かに言って、色恋沙汰のことだと思います。芸者遊びとか、クラブのホステスとか、なども買うの一種ではないでしょうか? つまりま、遊び上手は芸上手、そしてお客さんの心を読み取れる料理が作れるという事なのだそうです…(遊び人のこじ付けみたいなところがありますが…ニコニコ
ただ、色々な事を経験する事は財産になると思いますので…)

そんな訳で、今日は遊び…?
先日、祇園のお茶さんで、聞いてきた芸者さんの世界について少し紹介します。

花街は、芸舞妓さんを抱える「屋形(やかた=置屋)」とお客をもてなす「お茶屋」で構成されていて、芸舞妓さんはお客さんの要望で屋形からお茶屋に派遣されています。
皆さんも知っているように舞妓さんと芸妓さんは、唄や踊り、三味線などの芸で宴席に興を添える女性達です。舞妓は芸妓になる前の未成年(15歳から20歳くらいまで)の少女のことで舞妓として修行した後、芸妓になります。(舞妓・芸妓は京都の祇園をはじめとする花街の置屋に所属しています)


  
舞妓になる前の段階を「仕込み」と言うそうで15才頃から、置屋で先輩(姉さん)達と共同生活をしながら、舞や行儀作法、着物の着付けなどの修業を経て、約1年後に舞妓さんとしてデビューする事ができるのだそうです。

仕込みの期間は約1年といわれていますが、舞の仕上がりの出来によっては2年ほどかかることもあるそうで、舞のお師匠さんが認めないかぎり、舞妓にはなれない厳しい世界です。



舞妓になる準備がはじまると、後見人になってもらうお姉さん芸妓を決めます。
そしてその芸妓の名前の一字をもらって、自分の名前を決めるのだそうです。後見人と名前が決まれば、デビューの「見世出し(みせだし)」を待つばかり…。

見世出しの日が決まると、それまでにお座敷での実地研修を受ける研修期間が約1カ月間あり、お姉さん舞妓や芸妓と一緒にお座敷に上がり、雑用をしながらお客とお座敷の雰囲気に慣れていくわけですね。

そして晴れて見世出しの日、男衆(おとこし)の晩酌でお姉さん芸妓と固めの盃を交わし、組合に登録を済ませ正式に舞妓となります。最初はお姉さん芸妓と一緒に行動しますが、ひとりでお座敷に出ることも当然あり、不安いっぱいで今にも泣き出しそうな舞妓もいるようです。



置屋は、ひとりの少女が一人前の芸妓になるまで、着物代や食事代、お稽古代やおこづかいなどすべての費用を負担することになります。そのかわり、一人前の芸妓になるまでは無給。「年季」という奉公期間を定めて、投資金額を回収するのです。置屋では、舞妓になるまでの仕込みの時期に、言葉や立ち居振る舞いなどのしつけ、舞などの基本的なことを身につけさせます。しかしその仕込みがかなり厳しくて、途中で挫折する子たちも多いのだとか…。

舞を習うお師匠さんのところには、一般の方も習いにきているそうですが、稽古の質はまったく違うようで、何倍ものできを要求されるのでかなり厳しく、しかも午前中はお稽古、それが終われば置屋での用事、夕方からはお姉さん舞妓の支度の手伝い、深夜からは仕事を終えたお姉さん舞妓の世話と、「仕込み」さんは、綺麗な着物やはんなりした言葉の下で、人一倍の努力や苦労をされているんですね。

舞妓としての約5年間は芸妓になるための修練期間で、一通りの舞や三味線、お囃子、そして大切な「お座敷」でのお客の接待を姉さん芸妓から学びます。また舞妓になると、お座敷には荒れた手はそぐわないとして水仕事や掃除、洗濯をしてはいけないのだそうです。 

舞妓の髪型は、舞妓としての経験年数や成長度合いによって変わり年の若い舞妓は、「割れしのぶ」と呼ばれる髪型で、真ん丸の髷がかわいい髪型です。お姉さん舞妓になると「おふく」といって、少し落ち着いた感じになっていくのだそうです。若い舞妓は、着物もかんざしも四季折々の華やかなものが多いのですが、芸妓になる時期に近づくにつれて、着物もかんざしもシンプルで落ち着いたものになっていきます。また半衿も華やかな赤い衿から白の半衿へと変わり、さらに芸妓らしくなっていくのですね。(衿替え…舞妓としての修練期間を終えた20才頃に、舞妓時代の華やかな赤い衿から大人の芸妓の証である白い衿にかえる)

 

これらの儀式も、昔は特定の旦那さんがついた時だったようですが、今では適当な年令がきた時に、おこなわれているようです。芸妓になると、自分の髪を結うのではなくかつらをかぶります。どんな幼い芸妓でも女性として必要な、洗練された気品を醸し出すことができるためといいます。また、お座敷で踊る場合、役柄によって髪型をかえなければならないため、かつらの方が合理的だという理由もあるようです。舞妓や若い芸妓は、裾引きという裾の長い着物を着ますが、外出するときは裾を必ず左手で持ちます。左手で持つことで男性の手が入りにくくなり、「芸は売っても身持ちは堅い」 ということを暗示しているそうです。 

舞妓から芸妓になる時には、「衿替え」というしきたりがありこのころになると、舞妓も将来の身の振り方を考えなければいけないようです。というのも、年季をつとめたら、この世界に残るか、違う道へ進むか、はたまた結婚するかなどと…(結婚する場合は、舞妓・芸妓をやめるのがしきたり)

お茶屋に残ることが決まると「衿替え」の日取りが決まり、半月程前から「先笄(さっこう)」という髪に結い上げるそうです。衿替え当日、置屋には舞妓や姉芸妓、仲人や見習い茶屋の女将もぞくぞくと登場して、見世出しと同じように祝膳に向かいます。切り火を背に置屋を出て挨拶回り。しかし今度は姉芸妓はつかず1人で歩きます。
こうして立派な芸妓として旅立っていくのだそうです。 

この様に舞妓・芸妓の世界には非常に厳しい独特のしきたりや伝統があります。
高いお金を払って遊ぶのですからただ酒を飲んで終ってしまうのは勿体ない事です。芸者遊びを通して、何か自分の財産になるような、経験をしたいものですね。
   

Posted by きくいち at 15:23Comments(0)大将

2013年06月21日

糠漬けにして美味しいもの

以前紹介したことがあると思いますが、日本のそして江戸の食文化である糠漬けは米糠を乳酸発酵させて作った糠床のなかに食材を漬け込んで作る漬物の一つです。一般に胡瓜・茄子・大根といった水分が多い野菜を漬けこむことが多いのですが、肉、魚、ゆで卵、蒟蒻などを漬ける場合もあり糠味噌漬け・どぶ漬け・どぼ漬けとも呼ばれています。
あまり漬かっていないものは浅漬け、一夜漬けと呼ばれ、漬かりすぎたものは古漬け、ひね漬けなどと呼ばれます。また、干した大根を糠に漬けたものを沢庵漬けといいます。

 

以前はどこの家庭にも糠床があり糠漬けを作っていましたが、近年、糠床の手入れの面倒さや臭いの問題からスーパーマーケット等小売店で買って済ませる人が多いようですが、糠漬けは現代でも人気のある食べ物であり、ご飯、味噌汁、糠漬けの朝食を日本人の原風景の一つと考える人も多く、酒の肴としてもよく食べられています。

糠漬けは保存食品であり塩分が多いのですが、同時にカリウムも多く含まれています。カリウムは余分なナトリウムを体外に排出する作用があるため、塩分の過剰摂取が緩和されます。(糠に存在するビタミンB1と植物性乳酸菌が食材に含まれるようになる)旨味も含まれるようになり香りが付くので食が進み、食物繊維が多い野菜も食べやすくなる効果があるです。
 
今日は糠漬けに出来る食材をご紹介しますナイス



【野菜】  
アスパラ…4~5㎝に切り、さっと塩茹でしてから漬ける
隠元…ヘタをとり、さっと塩茹でしてから漬ける
独活(葉もOK)…根元の固い部分を削り、皮をむいて漬ける(葉は葉物と同じ)
瓜…皮が固い場合は皮をむき、種を取って漬ける
オクラ…ヘタを取って、さっと塩茹でしてから漬ける
蕪…皮をむいて、半分に切って漬ける
南瓜…熟れてない柔らかいものが良い。食べる分を種を除いて、薄く皮をむいて漬ける
カリフラワー…手頃な大きさに切り分け、熱湯に塩と酢を入れて固茹でし、ガーゼかさらしの袋に入れて漬ける
キャベツ…きれいに洗い、葉がばらつかないよう芯を付けてくし切りにし、漬かりやすいように葉の間に糠を挟み込む
胡瓜…塩ずりしてから漬ける
絹サヤ…ヘタをとり、さっと塩茹でしてから漬ける
ニガウリ(ゴーヤ)…大きいものは、縦半分に切って漬ける
牛蒡…皮をむいて漬ける
生姜…皮をむいて漬ける
スイカ…熟れてない柔らかいものが良い。食べる分を種を除いて、薄く皮をむいて漬ける
ズッキーニ…大きいものは、縦半分に切って漬ける
スナップエンドウ… ヘタをとり、さっと塩茹でしてから漬ける
セロリ…外側のすじを取り、葉・小枝を切り落として漬ける
大根…皮をむき、太いものは半分に切って漬ける
筍…普通に食べるとき同様、米のとぎ汁かぬかと一緒にした茹でしたあと、半分に切って漬ける
トマト…青いものが良い。輪切りかくし切りにして漬ける
長芋、山芋…皮をむき、太いものは半分に切って漬ける
茄子…塩もみをしてから、半分に切って漬ける
人参…皮をむき、半分に切って漬ける
葉もの…きれいに洗い、束ねて漬ける
白菜…葉がばらつかないように芯を付け、適当な大きさのくし切りにし、漬かりやすいように葉の間に糠を挟み込む
ピーマン…ヘタの部分を切り落として種を取り漬ける
ブロッコリー…手頃な大きさに切り分け、固めに塩茹でし、ガーゼかさらしの袋に入れて漬ける
茗荷…きれいに洗って漬ける
メロン…熟れてない柔らかいものが良い。食べる分を種を除いて、薄く皮をむいて漬ける
モヤシ…水に浸したあと塩を振り、茶漉し袋に入れて漬ける
ラデッシュ(はつか大根)…きれいに洗って漬ける
蓮根…皮をむいて漬ける

【番外編】
チーズ…薄くスライスして漬ける
ゆで卵(うずらもOK)…茹でた卵を殻をむいて漬ける
魚類(鰯・鯵・秋刀魚等など)…頭・はらわた・ウロコなどをとり下処理をした魚に塩をまぶして漬ける。使った魚は取り出し糠を水で洗い流し焼いて食べる

糠床でこんな料理もできます…マグロの鉄砲漬け
糠漬けの一種になりますが、彩りが良いのでこの料理の使いみちは多彩です。酒の肴にもいいですねニコニコまずはマグロの刺身くずを叩きます。薄く剥いて立塩(海水くらいの塩水)に浸けてしんなりさせた胡瓜で巻き込んで、ガーゼ等で包み、糠床に漬けて即席漬けにします。適当に切れば、マグロの鉄砲漬けの出来上がりです。

その他糠漬けされた食品の一例
•かくや 桶から出すのを忘れたり、漬かりすぎた「古漬け」をよく洗い、細かく刻んで水気を絞ってから醤油・卸し生姜・削り節等で和える素朴な料理です。名称は、発明した覚弥という徳川家康の料理番の名前に由来するとも伝わっています。(塩がきつい場合は、先に水で塩出しをします。また何時か詳しく紹介します)
•沢庵漬け
•へしこ
•河豚の卵巣の糠漬け
•鰯のぬか炊き
•糠イワシ、糠ニシン、糠サンマ、糠ホッケ - イワシ、ニシン、サンマ、ホッケを糠に漬けた保存食。

以上…皆さんも是非、美味しい糠漬けを自前で漬けてみて下さいニコニコ
  

Posted by きくいち at 14:59Comments(0)お酒のつまみ

2013年06月19日

梅雨時の食事対策

暦の上では、立春から135日目・6月11日頃、太陽の黄経が80度に達する時を「入梅」としているそうで、この日から約1カ月が「梅雨」となります。あくまでも暦の上の入梅であり、農民が梅雨入りを知る目安としたものでした。(ただ気象上の実際の梅雨入りは、年や地方により異なります)

梅雨は東南アジア特有の雨期で、高温多湿な太平洋高気圧と冷たいオホーツク海高気圧の勢力が拮抗し、日本の南岸に停滞前線ができるために起きる現象です。「梅雨」と書くのは、梅の実が熟すころに雨期に入ることから、また、この頃は湿度が高く黴(かび)が生えやすい「黴雨(ばいう)」といっていたのが「梅雨」になったそうです。

湿気の多い梅雨の時期に世の奥さん、お母さんが最も苦労するのは、料理ではないでしょうか?
お弁当を作る場合、作り置きして行く場合等、梅雨時には料理が傷む可能性があります。(お弁当の場合、朝に作るのが難しく、夜に作っておくという場合が多いでしょうから…やべー

作り置きしている料理が傷まないための方法としては、冷蔵庫に入れておく、部屋の換気をよくする、エアコンや除湿機を使用する、扇風機を回すなどの方法があります。冷蔵庫に入れるのが一番確実ですが、料理によっては入らないこともあるでしょう…。その場合は、できるだけ置いている部屋の換気をよくし、湿度を下げるようにしておきましょう。(もっとも、一番良いのは作り置きをしないということですが…しょんぼり

お弁当の場合は、腐敗防止シートや保冷剤を利用するという手があります。ランチジャーも中身が傷みにくいので有効です。(また、お弁当の強い味方である冷凍食品も傷みにくい食事なので、梅雨時には活躍してくれるでしょうナイス

基本的には、食材の時点での管理が最も重要です。
購入した食材は、いつまでもテーブルの上に置いておかず、すぐに帰宅し冷蔵庫へと入れる。
調理の際に、食材のニオイや味をチェックしておく。
賞味期限には細心の注意を払う。
あまり長い間置いておかず、早い段階で調理する。
これくらいのことをしておくだけでも、かなり食材が傷む可能性が低くなります。

ジメジメした梅雨の時期、食欲が落ちたり、むくんだり、なんだか体調が悪い)……なんてことありませんか?(梅雨時には胃腸病や湿気にまつわる皮膚疾患などの不快な症状が多発しやすい時期です)
今日は薬膳的な梅雨のトラブル解消法を少し紹介しておきます。

■発散作用のあるものを摂る
湿気を多く含んでいる外気や悪いエネルギーをカラダの表面で留め、体内に入れないことが大切です。そのためには汗をかかせ、体表から邪気を追い払いましょう。

例)紫蘇、生姜、葱、香菜、シナモン、トウチなど



■芳香性のあるものを摂る
芳香性のあるものは気のめぐりを良くし、湿気を取り除く働きがあります。胃腸の機能を促進させ、食欲を増す作用も。

例)山椒、陳皮(みかんの皮)、紫蘇、フェンネル、香菜、、ジャスミンなど



■脾の機能を高めるものを摂る
水分代謝をよくするためにも、消化吸収力を高め、胃腸の機能を整える食材がオススメです。

例)とうもろこし、はと麦、小豆、空豆、南瓜、さつまいも、スズキ、鯉など

■利尿作用のあるものを摂る
利尿作用のあるものを上手に組み合わせると、むくみの解消にも役立ちます。ただし、カラダを冷やす作用があるものが多いので、カラダを温める温性食材を加えたり、冷えやすい人は控えめに。

例)冬瓜、小豆、黒豆、金針菜、さくらんぼ、浅利、蛤、昆布など

梅雨時のNG! 冷たいものは胃腸を弱らせる
冷たいものや生ものは脾に負担がかかり、余計に湿を生む原因にもなるので、多食は厳禁です。また、多少の甘味は脾の機能を養うのですが、酸味や辛味でアクセントをつけたりして、分量を調節するとなおベターです。

湿気の多いこの時期、皆さんも少し、食べ物に注意して梅雨をを乗り切って下さいにっこり
  

Posted by きくいち at 11:37Comments(0)菊一本店

2013年06月16日

ふるさと素麺「葛布の滝」

今日は蒸しますね…およよ
忙しいし汗 こんな時の食事には簡単さっぱりメニューが一番です注目
先日お客さんに頂いた、遠州森町の名産、ふるさと素麺「葛布の滝」を賄いで食べる事にしました。こしがありとても美味しい素麺です。 

これは「くずふ」ではなく「かっぷ」と読みます。文字通り葛布の産地です。
「森の石松の生誕地」でも知られる森町の市街から約6キロ上流に、葛布の滝があります。
今は、それほど葛の蔓は見かけませんが、その昔はこの滝の周辺も葛の蔓が繁茂していて (たくさん茂っていた「葛」を葛布にした)、その蔓が滝の流れに洗われて繊維が残り白い布のように見えたことから人々は自然とこの滝を葛布の滝と呼ぶようになったとされています。



葛布の滝は「一の滝」から「三の滝」まであり、私も以前行きましたが、一の滝は高さ14メートル、幅2メートルの飛瀑です。また、昔は厳寒期にはこの滝の水を用いた製氷が行われ、袋井を中心として四方に販売され「葛布氷」の名声を博したそうですが、明治末期の大洪水で、岩石が崩壊し、製氷地が埋没したため、製氷は途絶えたそうです。

葛布川のせせらぎを聞きながら、点在する民家や茶園などを眺めて歩けば気分爽快。森町の名瀑・葛布の滝の滝つぼ周辺は夏でも涼しく、里山を歩く低山のハイキングコースがありますから皆さんも是非一度は行ってみるといいと思います音符

また「赤牛と黒兵衛」という伝説があって 町の文化財に指定されているようです。 

【赤牛と黒兵衛】…  続きを読む

Posted by きくいち at 14:42Comments(0)菊一本店

2013年06月15日

明日は父の日

明日、6月の第3日曜日は「父の日」です。皆さんはどんな形で父への感謝の気持ちを表しますか…?

家族を囲んでのお食事や、贈り物…ラブ  当店では各種コースほかに、お父さんが喜ぶ、お刺身、お酒を多種揃えて有りますので是非お気軽にご利用下さい。

 

父の日の習慣は、母の日と同様にアメリカで始まったそうです。1909年(明治42年)に、ジュン・ブルース・ドットという女性が、男手ひとつで6人の子どもを育て上げた父を思って「母の日のように父に感謝する日をつくろう」と提唱したことがきっかけとなり、翌年に最初の父の日が行われたそうです。


大正になって父の日は広く認知されるようになり、1972年(昭和42年)、当時のニクソン大統領によって6月の第3日曜が「父の日」として正式な祝日となったそうです。そしてドットさんが墓前に白バラを捧げたことから、父の日のシンボルフラワーはバラとされているのだそうです。



また、父の日は「かばんの日」「ベルトの日」とも呼ばれているとか…?これは働く父親の象徴であるかばんやベルトを父の日のプレゼントに、と、日本鞄協会と日本服装ベルト工業連合会が、それぞれ制定したそうですニコニコ

明日のお席のご予約ですが、込み合うと思いますのでお早めにご連絡下さいおすまし
  

Posted by きくいち at 15:58Comments(0)菊一本店

2013年06月14日

似て非なる不思議系食品…心太と寒天

寒天というと、ダイエット食品や健康食品というイメージを持っている人が多いと思います。ここ数年はテレビ番組などで寒天の特集が組まれ、放送翌日にはどのスーパーでも「品切れ」の札を掲げたところが続出、ネット販売でも品薄の状態が続いたほどの寒天ブームが起こったりしました。

寒天と同じく、透明でプルプルした食感の心太ですが、実はこの二つ、見た目は似ていても異なるものである事を知っていますか…?その決定的な違いは、心太から寒天は作れても寒天から心太は作れないのです。

心太は、天草やオゴノリなどの海藻類をゆでて煮溶かし、発生した寒天質を冷まして固めた食品で、それを「天突き」とよばれる専用の器具を用いて、押し出しながら細い糸状(麺状)に切ったものです。(寒天を天突きで押し出したものを心太と思っていたいた人もいたのでは…?)



心太は、奈良時代に中国からの遣唐使によって製法が伝わり、平安時代には一般的に食されるようになったのだとか。(、一説には、正倉院の書物に心天と記されていることから、奈良時代にはすでに、「こころてん」、または「心太」と呼ばれ、その存在が確認されていたようです。約1300年も前に存在していたことは驚きとともに、まさに、日本の伝統食品であると言えるのでは…びっくり
 


一方寒天は、江戸時代初期、京都府伏見の旅館「美濃屋」の主人が、冬の戸外に捨てた「心太」が凍結し、日中は天日により水分が溶け出し、夜にまた凍る…これを繰り返すうち、乾物となり、これで心太をつくったところ、美味しいものができた。それを隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理として活用できると称され、同時に「寒天」と命名されたと言われています。

その後、この製法は寒くて乾燥している地方にも伝えられ、農家の副業として広まっていったのです。紅白の「角寒天」なる棒状の寒天を農家の軒先で見かけたはありませんか…?

寒天は「糸(細)寒天」であり、他にも「角寒天」や「粉末寒天」などお馴染みの寒天があります。
また、乾物としての寒天のみではなく、あんみつやみつ豆に用いられる四角のゼリー状のものを「寒天」とも呼びますし、和菓子や駄菓子でも「寒天ゼリー」があります。
このように「心太」というのは「寒天」のなかの「ゼリー」の一種であり、細長く天突きで突かれた固有の形状をしているもの限定の固有名詞と理解するのが正しいと思われます。

そんな寒天と心太ですが、基本的にそのまま食べればノンカロリー、食物繊維やカルシウムなどが豊富に含まれたヘルシーフードです。 
 
全体の98-99%が水分で、残りの成分のほとんどは多糖類です。ゲル状の物体ですが、ゼリーなどとは異なり表面はやや堅く感じられ、独特の食感があります。腸内で消化されないため栄養価はほとんどありませんが、食物繊維として整腸効果があります。
関東以北および中国地方以西では二杯酢あるいは三杯酢をかけた物に和辛子を添えて、関西では黒蜜をかけて単体又は果物などと共に、東海地方では箸一本で、主に三杯酢をかけた物にゴマを添えて食べるのが一般的なようです。(醤油系のタレなどで食べる地方もあります)

全国の体重に悩む人々…ダイエット食のレパートリーのひとつとして加えてみてはいかがでしょうか…。また、これから迎える夏の食卓に添えることで一種の涼みにもなるので、暑い夏を楽しみたい方にもお勧めです
  

Posted by きくいち at 11:26Comments(0)お酒のつまみ

2013年06月11日

熊本、ばってんなす

今日は最近、知名度のあがってきた「ばってんなす」を紹介します。 ばってんなすは、JA熊本うきのオリジナル茄子です。茄子の生産量全国3位の熊本県。その中で宇城地方だけで栽培されている生でもおいしいブランド茄子で、JA熊本宇城と種苗メーカーが共同開発したオリジナル品種で、平成12年から作付けされています。 

形は小ぶりですが、みずみずしさと生でも食べることができるのが売りの甘い茄子です。味は通常のナスと比べて糖度が高く、水分も多く、生のままみそにつけて食べたり、サラダにしてもおいしく食べられシャキッとした食感も楽しめます。(水茄子に近い味ですねニコニコ

火の通りが早いので料理もしやすく、味のしみ込みも早いので一夜漬けなどにも適していまし、「なす紺」という色の名前にもなるほど、光沢もある濃い紫色には、「ナスニン」と呼ばれる物質が含まれています。これは、活性酸素を抑制し、血管をきれいにする働きで高血圧や動脈硬化を予防すると言われるポリフェノールの一種だそうで、美味しく健康にも良いナスをぜひ食卓にどんどん取り入れてください。
  
 

特徴…1果重50~70gの小ナス。糖度が高く、水分が多く、みずみずしいのが特徴。サラダとしても利用できる(糖度が高くサラダに適したナス )収穫は10月~6月。

棘はありますが、小ぶりで身がひきしまった茄子で、糖度約6以上で水分が多く柔らかく、あくが少なく生のまま美味しく食べられるのが特徴です。サラダ、天麩羅、焼き茄子、カレー、煮物等一般的な茄子料理や、浅漬けや一夜漬け等で、ばってんなす特有の甘さ、柔らかさを存分に味わう事が出来ます。 

夏には夏の旬野菜があります。「旬産旬消」…その時期に合った食べ物が、その時期の体には一番。茄子などの涼性食品をを食べることで、皮膚が涼しく感じ、吹き出物が少なくなるので、暑気払いにも最適、味も良い「ばってんなす」を是非一度ご賞味下さい。
   

Posted by きくいち at 11:02Comments(0)季節の野菜と果実

2013年06月09日

食の世界で言う衣替え

6月に入り大分暑くなって着ました。制服のある学校や企業等では、6月1日と10月1日に衣替えを行うところが多いのですが、これは公家や武家で行われていた衣替えの風習の名残りだそうで、衣替えは、中国にならって平安時代の宮中で定着した習慣で「衣更え」「更衣」とも表記するようです。

古く宮中では、旧暦4月1日に冬装束を夏装束に、10月1日に夏装束を冬装束に、調度品とともに改めました。実際には端午(5月5日)、重陽(9月9日)の節句に行い、季節の節目のお祓(はら)いの意味も込められていたそうです。

江戸時代には、4月1日からは冬の綿入れ(裏地と表地の間に薄く綿を入れて仕立てた着物)を脱いで袷(あわせ)を、端午の節句(5月5日)からは単(ひとえ)を、9月1日からは再び袷を、そして重陽の節句(9月9日)からは綿入れ(わたいれ)を着る。などと、幕府によって細かく定められ、衣替えが制度化されていたようです。(「単」は裏地のない着物のことで、帷子(かたびら)ともいい「袷」は裏地のある着物のこと)
このように、昔は残暑が長引いても、例年より早く寒くなってもかかわりなく、衣替えの日を守ったといいます。

我々料理の世界でも季節の変わり目には献立を変え器などの衣替えをしますが、料理の中でもう一つ別の意味を持つ衣替えという言葉があります。



天麩羅の衣だけを先に食べ、種をもう一度揚げなおすことを「衣替え」と言うのです。
江戸時代、庶民の手軽な料理であった天麩羅ですが、明治時代に入って殖産興業が唱えられるようになると、「わざわざ料理に油をくっつけて食べるとは何事か…!、油は製糸機械を動かし、軍艦を動かすために使われるのだ…!」とのお上のお達しにより、天麩羅油についても厳しい物資統制がなされ、価格が暴騰したようです。そのため天麩羅は料亭や高級料理店の料理となり、庶民の食卓から消えてしまったのです。

戦後の復興を終えた時代でもになっても、天麩羅はまだ高価な食べ物でしたが、そこで誕生したのが、庶民的な「衣替えのできる天麩羅食堂」です。天麩羅の種はそのまま残し、衣だけを先に食べ再度衣を付けて揚げなおしそれをまた食べるのです。これによってひとつの種で衣を複数回食することで、安く満腹感を得られ、当時はこうした店が大繁盛したそうです。

現代のうどんやそばの麺だけをもう一玉追加することを替え玉とにているのですが、お客が食しつつある種を再度天麩羅鍋に入れるため、他のお客さんから見ると不潔ですし、油ばかりを食することになり、メタボを促進させる可能性が高くこうした食べ方は自然と消滅してしまったようですね。 

  

Posted by きくいち at 15:04Comments(0)菊一本店

2013年06月08日

「よりいいぞぉ」旨い…! そして隠された効果が…

今日は今、自分が気に入っている森本酒造の「誉富士 寒仕込 火入れ よりいいぞぉ」を紹介します。以前紹介しましたがこの蔵は、何から何までたった一人でこなす驚きの酒蔵で、この酒は食事をしながら飲むとその良さが分かる希少酒です。
      


爽やかで膨らみのあるやさしい吟醸香と原料米の「誉富士」由来の伸びのある旨みがぐっと味を引き締めます。冷やしすぎより常温がお勧めで、10度位で香りが立ちますし、さっと切れます。後味の引きがよく心地良い余韻が残るお酒です。米:誉富士(静岡)、精米歩合:60%、アルコール分:17~18%、日本酒度:+5.5、酸味:2.0(静岡の場合は高い)

お酒は「飲み方」で発毛・育毛促進につながる…  続きを読む

Posted by きくいち at 15:13Comments(0)

2013年06月07日

丹後とり貝

丹後地方を代表する初夏の味覚、舞鶴産の「丹後とり貝」は、6月の半ばに舞鶴湾沖の養殖ものが最盛期を迎えます。舞鶴湾は、とり貝の養殖では国内最大の出荷量を誇りその品質のよさもあって他産地にはない大きさと味が京阪神の高級料亭などで引っ張りだこで全国的にとても有名です。

舞鶴湾や若狭湾はもともと、とり貝の好漁場でしたが、豊凶の問題に取り組み、京都府立海洋センターが、稚貝を人工孵化させ、コンテナに稚貝を入れて海中に吊り下げる方法を開発し、実用化されています。この方法で育てられた、とり貝は天敵のタコやヒトデから守られて、天然物より大きく育ち、安定して供給されるようになりました。この手法で育てられるものを「育成とり貝」といい「丹後とり貝」のブランド名で宮津市や、舞鶴市の漁業者のもとで育成・生産拡大に取り組まれています。しかし、大きさ、味共に非常に優れているうえ、まだ数量的に少ない事もあって非常に高価な食材として、高級料理店でしか扱えない状況です。


ちなみに、舞鶴の育成物で一つ1200円ほどしていました。一つですよびっくりでも、一つで、握り3~4貫分位とれる大きさではありましたが…。

「丹後とり貝」は他産地に比べて大きく、味も良く殻つきで100グラム以上のもので肉厚で甘みが増したブランド食材です。その大きさに驚きです。なんといっても肉厚で大きくて(普通の2~3倍ほど)あり、噛締めるたびに、甘みがじゅわ~じゅわ~と出てくるのです。寿司ネタとして人気で、一度食べると、忘れられない…そんな味です。 

生もやわらかくて、最後の歯ざわりもなんともいえないのですが、一般的に出回っている 茹でたものも肉厚の歯ごたえと、噛んでいくうちに広がる甘みがあって、季節のおいしい贅沢を感じます。

とり貝は消化管に泥を含んでいるので、市場では、剥き身を開いて湯引き(さっと塩や酢を加えた熱湯をくぐらせ、氷水に落とす)し冷凍されたものがパックに並べられ出荷されています。なので、一般の方はそうやって並んでいるとり貝しかみた事が無く、殻つきの活けの物を見た事が無い人も多いのではないでしょうか?
輸入も多く、中国や韓国から、開いて湯引きされたものが冷凍で大量にはいってきています。回転寿司でもよく見かけるのはこういった輸入物がほとんどです。

旬はなぜか太平洋側では春先、日本海側では夏と、ずれています。なお、ここでの旬とは、その地域での水揚げされる時期を指しています。中には冬が美味しいとされる文献もみられますが、私は残念ながら食べ比べた事が無いので分かりません。但し、一度湯引きされたものは冷凍してもあまり食味が落ちないので、そうして冷凍されたものが通年出回ています。

市場では普通、殻をはずして足を開き、湯どおししたものをプラスチックの板に乗せて売られています。これはそのままで寿司ネタとなるもので、丁寧な寿司屋ですら甘酢で洗う程度の手間しかかかりません。(開いた三角が大きくて黒いものほど値がはります)
また入荷量は少ないものの、この加工されたものより、このように殻付きで生きているものの方が格段に美味しく、これを剥き身にして開き湯通しするのですが、なかなか身の黒い色合いをそのままに仕立てるのは難しいです。
(足の黒い色素はとれやすく、できるだけ触らないようにします。我々寿司職人は俎板多を使わず、ガラス板の上で開くなどで色素が落ちないようにしています)

 

2007年には、キリンビールの全国旨いものめぐりのひとつに 「舞鶴産の 丹後とり貝」が選ばれたそうです。貴重な丹後とり貝から少ししか取れない「とり貝のひも」も美味しく弾力と歯ごたえがあって、貝の旨みをぎゅっと凝縮した味で、これがまたお酒のおつまみには、めちゃくちゃ合います。(酢の物などで食べたら最高ですちょき他には湯引きしたものをバター焼きにしても美味しいです)

「鳥貝」という名前の由来は貝殻から伸びる黒い足が、鳥のくちばしに見えるからだとする説と、食べた時の食感が鶏肉に似ているからだとする二つの説があります。 
   

Posted by きくいち at 10:41Comments(0)寿司ネタ

2013年06月05日

江戸時代のすし屋も高級内店・普通内店と屋台店

寿司はもともと屋台で酔客の軽食としてつままれていた安価な食べ物だったと言うことを先日紹介しましたが、今日は江戸時代のすし屋の形態についてもう少し詳しく紹介します。

江戸時代のすし屋も3の形態があったと言われています。
1つ目は内店で高級な店は出前・お土産と同時に料亭式に座敷でも食べさせました。
「松が鮓」、「與兵衛」、「毛抜き鮓」を江戸の三大すし屋と云い「名ある鮓屋は江戸時代末期には屋台店を置かず…」とあるように格式を重んじていたようです。

屋台中心だったすし屋も江戸末期、この様なすし屋の登場によって高価な寿司へと変わり始めたようで、同店の贅を尽くしたメニュ−が幕府の要人への進物に競って買われ、ご機嫌をうかがう人が日参したそうです。この様な店にならい、江戸の他の寿司店も高級化路線を追随することになり、あまりの加熱化で、天保の改革で奢侈(しゃし)禁止苓が出されその時、200人以上の寿司店の者が召し捕られたという記録もあるそうです。



2つ目は普通の内店は出前と土産用にすしを握った形態のすし屋です。
一軒の店をもつ以上、食べる時間、丁度其の時に旨くなければいけまさん、即ち馴染ませる江戸前の鮨を伝承している店であるわけで、内店の中には夜になると付属屋台を本店とドッキングさせて店内に取り込んで営業した店もあったようです。

3つ目は握るそばから食べていくのが夜の屋台店のことです。
一軒の店を持つことが出来ない資本力の少ないすし職人は日暮れを合図に、屋台を引き出して営業したのです。しかし、お金を蓄積して一軒の店を持つ心構えの乏しいその日暮らしの、向上心のない職人も多かったようで、すし種も安価な物を使い、お客さんの前で注文に応じて素早く握る必要から、ぞんざいな(粗製乱造)仕事になってしまいがちであったようです。

大正12年の東京大震災以後、その屋台店が東京から無くなって、中には何とか一軒の普通の内店を構えたのは良いが屋台店の粗製乱造の風まで店まで持ち込んだ店も登場し、そのような店の末路は残念ながら店じまいを余儀なくされたようです。いつの時代でも仕事は丁寧でないと…。
  

Posted by きくいち at 11:20Comments(0)菊一本店

2013年06月03日

料理勉強会の献立

先日の試食勉強会の献立です。

早夏の詩
【前菜】稚鮎田楽、新とうもろこし天麩羅、紫陽花寄せ、抗牛蒡、胡瓜かえる


【小付け】よもぎ豆腐、卯ジュレ、旨だし、タピオカ


【椀】遠州灘鱧の海香椀、あさり、若布、サフラン


【造里】白身重ね、鮪山芋博多、地蛸、蓮芋、粉醤油


【焼物】伊佐木天竜産椎茸巻焼、酢取茗荷

  (当日はカマスでした)

【変り鉢】鰹鮨サラダ竹筒盛り、バルサミコドレッシング


【煮物】赤丸くんとまと、海老と蓮根のつくね、銀あん


【中皿】白いすき煮、篠原産玉葱、えのき、焼豆腐、静岡牛


【留】新生姜御飯、赤だし、香の物


【水物】葛切り、西瓜のtempura、二色ゼリー


  

液体窒素は、普通の状態で-196度と、たいへん冷たいので、あらゆるものを瞬時に凍らせてしまう特性があり、血液の保存や食品類の保存に利用されてきました。そしてこの特性を生かした調理によって、新感覚のサイエンス料理を提供しているレストランやシェフがいます。たとえば、ある食材をいったん液体窒素によって凍り固めてから粉末にし、他の食材や液体(スープなど)に混ぜるなど。液体窒素は、新しい「料理の旅」への扉を開いた素材と言えるようです。

高温の天麩羅油を扱うつもりで取り扱いは注意が必要です。



液体窒素」は、瞬間的にものを冷やすのに大変適しています。-196 ℃という超低温であるため、取り扱いには十分注意しなければなりませんが、無味無臭であるため、食品に直接添加しても特に問題はありません。この液体窒素を用いて一瞬で凍らせて作ったデザートは、究極の美味しさをもつデザートと言えるでしょう。
 
ボール内で生クリーム、卵白、果実のペイスト、牛乳などで衣を造り、その中に西瓜入れを、そして、液体窒素を投入すると、沸き立つ白い冷気で衣だけが一瞬に凍り天麩羅に見立てたデザートに…。(高脂肪乳がいいそうです)

その他には 、液体窒素に鮎の塩焼きを放り込んで、一瞬にして塩焼きを凍らせ、これをミキサーで粉末状にしたら、表面積が数百倍になって香りがさらに引き立つそうで、寿司飯しにまぶした「鮎寿司」はかなり良いそうです…?

こうした料理に科学パフォーマンスを加える試みはスペインから始まり、フランス料理、中国料理を経て日本に来たようです。また最近では伝統料理を科学で解き明かす動きもあります。より美味しく、楽しくという意欲では、日本は間違いなく世界中の料理が楽しめる国ということではトップでしょう…。ただ、進化もして欲しいのですが、料理の奥は深く、経験に基づいた伝統の技が本になっている事を忘れてはいけないと思います…。 
  

Posted by きくいち at 16:31Comments(0)大将

2013年06月02日

おすしの一個と一貫は違うのか…?

昨日の夜のことですが、お客様から握り寿司1貫は2個ではないかと質問がありました。
うちの店では握り寿司は1貫とは表示せずメニューには1個、2個と、個数での表示を心がけています。(お好みメニューでは、通常は1個ずつお出ししている)
握り寿司1貫とは1個なのか2個なのか今日はその話をしましょう。

江戸前の握り寿司は、ひとつふたつとは数えません。一貫二貫と勘定します。これはなぜでしょうか?握り寿司は、江戸時代に屋台で売られたのが始まりで、当時の寿司は大変大きくて丁度一文銭を千枚集めたほどの嵩(かさ)が有ったそうです。



江戸時代、当時流通していた穴のあいた銭96枚を緡(さし)などの紐状のもので、まとめ100文(銭さし百文、通し百文)として通用し、これを10個まとめて輪にした960文が1貫(銭さし一貫、通し一貫、1000文)として通用していたようです。
この通し100文の重量が360gであり、当時一般的だった鮨とほぼ同じ重量であった事から、当該鮨を景気付けて「一貫鮨」と呼んでいたと言われています。その際の鮨は現代の押し寿司の様なものであり、鮮魚の保存技術に乏しい時代でもあったため、大変贅沢な縁起物と考えられていました。また、それは寿司飯の上に9種類あまりのネタを載せた大きな食べ物であったとも伝えられています。

江戸前の握り寿司が誕生したのは、今から180年ぐらい前、文政年間と言われています。それまでは関西風の押し寿司が一般でした。文政年間に、「一貫鮨」を江戸両国の華屋与兵衛が、より気軽に、各々が好きな部分(好きなネタ)だけを食べられるようにとネタ1種類と、それに対応する寿司飯の分量に分けて(40g×9)出したところ、それが支持を得たと言われています。当時一般的となったこの分量を、一貫鮨にあやかり、貫という助数詞を付加して寿司の分量単位における「1貫」であると定め、多くの寿司職人や消費者の合意を得て確定していったのだそうです。

ただしこれは、公式な銭の単位である「貫」とは少し意味が異なります。
ご承知のように江戸時代は、金銀銅の3種の素材の貨幣が流通していました。金は高級武士や大名、それらとつき合う商人が使います。銀は普通の商人や下級武士が使います。銅は主に職人など庶民が使ったようです。江戸初期から中期まで、おおむね一両が四貫だったそうです。一文銭が4000枚ほどです。この「貫」は握り寿司の「貫」よりも100倍ほども大きい単位ですから…。

それにしても、江戸時代の握り寿司は1個40gもあって、おにぎりのような大きさですね…?現代の握り寿司は18~20g位で、せいぜい大きくても25gですから…。江戸時代の握り寿司は、今のものよりずっと大きく、二個、三個でお腹が一杯になったそうです。

そもそも、なぜ、1貫と言うのか、「かん」の語源は諸説あって定かではないようです。海苔巻きや棒寿司などの巻寿司1つを「1巻」と数えたことからという説もありますし、重さの単位「貫」から転じたという説などがあります。しかし、1貫=3.75㎏にもなってしまって、こんなに大きな握り寿司はありえないでしょう…。

話は変わりますが、握り寿司は2貫が一緒に出されることが多いですよね。回転寿司でも一皿に2貫ずつ並んでいます。これは、昔、大きなネタでひとつ握り、二つに切って出した名残りだそうです。なお、「かん」は「巻」だとする説もあるらしいのです。寿司を握る手つきは忍者が印を結ぶのに似ています。忍術の巻物を連想して「巻」になったというわけだそうです。 
 
諸説色々ありますが、このように寿司の単位「貫」は寿司の大きさを表現したもので、個数を表現したものではないのです。

ですから「一貫とは、一個か二個か?」が店によってまちまちなのです。混乱を避けるため、「貫」での表記は用いず、全て「個」での表記としている店もあります。近年、話題となった書物「数え方の辞典」では、1貫は2個を原則として、慣用で1個と記述しています。これは、昔、先輩の職人さんから聞いた話ですが、かつて「貫」という数え方は、寿司職人が使う隠語で、一般人はあまり使わなかったそうです。 

今でも俗説を信じて2個を1貫と言っている人が存在するのは確かであり、混乱する場面があります。逆に、寿司屋では2貫単位で出すので、寿司屋のカウンターで「ひとつ」と言った場合は、「2貫」を指すことになるケースもありますね。(あくまで、状況からそうなるということであり、「ひとつ=2貫」という定義があるという話ではありません)

2貫づつ出すようになったのは戦後になってから戦前は1カンしか握らなかったと言われていますから…。2貫出しが当たり前になったのは、お客さんの要望というより、店側の都合もあり手間も省けるという理由からと、また、ネタ重視の風潮が支配的になり、握り1貫の寿司飯の量が少なくなったことも関係しているのです。2個で1貫と数えるという説もありますが、その根拠は不明であり、信憑性は怪しいというのが現在の定説です。   
 
2貫で1セットとする出し方は寿司屋の慣習によるもので、今ではほとんどのお店が2貫単位で出てくるのが普通ですが、なぜそうなったかという事は次の機会にお話します。
  

Posted by きくいち at 15:45Comments(0)菊一本店

2013年06月01日

夏越の祓に厄よけ和菓子の「水無月」を食べる

古来、宮中では、年末と6月の末日に大祓(おおはらい)が行われていました。年末は年越しの祓、6月は夏越の祓・名越の祓(なごしのはらい)、などと呼ばれ、災厄や穢(けがれ)を祓い清めました。(6月の末日は1年の真ん中で後半への折り返しです。夏越の祓では、半年の間に積もった穢れを祓います)

古く6月1日は「氷の朔日(こおりのついたち)」ともいわれたそうです。宮中では、夏の始まりである6月1日に氷室(ひむろ)に貯蔵しておいた氷を食べ、夏の疫病除けとしていました。今でも6月1日に氷を食べる習慣が残っているところがあるようです。また、地方によっては、夏越の祓に厄よけ和菓子の「水無月」を食べる習慣があようで、水無月は氷の朔日に由来し、氷に見立てた三角形の外郎(ういろう)に、邪気を祓う力があるといわれる小豆をのせたものだそうです。

そんな一年の折り返しの月、夏に向って当店のコース料理で鋭気を養ってみてはいかがですか…?

贅沢コース5000円…鮑、鱧、和牛、サザエ等旬の豪華食材を存分に味わえる内容となっております。〆は本格握りをお愉しみ頂けます(コース内容…品数:8品)

・蒸しあわびのじゅん菜とろろ


土佐酢で漬けたじゅん菜と、とろろを混ぜたものにスライスしたあわびを添えて。
上にはおくらのペーストもかけこれから蒸し暑くなる時期にぴったりのさっぱりした一品です。

・丸茄子と稚鮎の天ぷらの揚げ出し


身のしっかりつまった丸茄子とこの時期にしか食べられない稚鮎を揚げ出しに。
みょうがと青唐辛子が清涼感を演出します。

・はもしゃぶ


淡路から取り寄せた旬のはもは淡泊ながらも味わい深く、さっぱりとした鰹ダシがぴったりです。

・静岡育ちとホワイトアスパラのフライ 


希少な太く身のしっかりつまった北海道産のホワイトアスパラを上質な旨みの和牛静岡育ちで巻いてフライにしました。

・サザエエスカルゴ焼き又は刺身

伊豆稲取で取れた大粒のさざえをお好みの食べ方で。大粒で旨みが強い為、エスカルゴ焼きでも刺身でも十分にさざえの味を楽しめます。

・〆のご飯物

(職人が握る 旬の握り6貫)
・伊豆稲取産!伊勢海老のお味噌汁
・デザート

水無月コース4000円…和の料理も充実。こちらのコースは、彩りキレイな料理と握りが両方楽しめます。〆は本格握りで…(コース内容…品数:7品)

・サザエ刺身又はエスカルゴ焼き
伊豆稲取産の大粒のさざえをお好みの食べ方で。本来の貝の旨みを味わう刺身とガーリックの香りが食欲をそそるエスカルゴ焼きから選べます。

・丸茄子の田楽


京野菜の丸茄子は身がしっかりとつまり、甘めの味噌を添えた葉しょうがのスライスと一緒にさっぱりと。

・鰻の玉子とじ


国産うなぎをふっくらと白焼きにしたあと玉子とじに。優しい味付けとなっております。

・ゆめポークとグリーンアスパラのトマトソース焼き

北海道産のしっかりしたグリーンアスパラを甘味の強いゆめポークのスライスで巻いた一品。
上には酸味を利かせたトマトソースと濃厚チーズをかけて…。

・〆のご飯物(職人が握る 旬の握り6貫)
・伊豆稲取産!伊勢海老のお味噌汁
・デザート 

お気軽コース3000円…お酒メイン、料理はシンプルに楽しみたい…そんな方にお勧めなコースです。(コース内容…品数:6品)



・サザエエスカルゴ焼き
伊豆稲取の大粒のさざえをお好みの食べ方で。本来の貝の旨みを味わう刺身とガーリックの香りが食慾をそそるエスカルゴ焼きから選べます。
・丸茄子の田楽
京野菜の丸茄子は身がしっかりとつまり、甘めの味噌には、葉しょうがのスライスと一緒にさっぱりと。
・鰻の玉子とじ
国産うなぎをふっくらと白焼きにしたあと玉子とじに。優しい味付けとなっております。 
・旬の蒸し物
・日替り寿司屋のまかない丼
・汁物

飲み放題は+1500円(90分)+2000円(120分)とご用意。「もっと握りが楽しみたいんだけど…?」など、 用途・内容・ご予算などご相談承ります。 予約時にお伝え下さい。

6月も当店のコース料理を是非お楽しみ下さい。
    

Posted by きくいち at 16:10Comments(0)コース料理