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2013年06月30日

外食産業のもとは屋台から…

外で御飯を食べるいわゆる「外食」というと何を思い浮かべるでしょうか…?
ハンバーガー店や牛丼屋、ファミリーレストランなど、現在では多様な外食産業が盛んです。
チェーン展開を特徴とするこれらの外食産業はおもに1970 年代以降に登場したものですが、料理店や食堂など、家庭外で食事を提供する飲食店は、より古くからありました。 

「外食」が、いつごろ日本に誕生したかと言うと、そのルーツは江戸時代初期と言われています。
そして、そのきっかけは実は大火事だそうです。

火事と喧嘩は江戸の華とか言われますが、明暦3(1657)年に江戸の3分の2を焼き尽くす大火事が起こります。これは後に「振袖火事」として語り伝えらていますが、この火事で、多くの江戸っ子が焼け出され、ともかく食べ物を…というので、屋台のようなものができたそうです。その後、町の復興の為に諸国から職人が集まり、彼らの食をまかなうために煮売商が江戸の町に続出します。
これがきっかけに外食産業が盛んになったのです。

また復興工事のため多くの労働力が地方から出てきて、この人たちの食の供給を担ったのが、いわゆる「飯屋」でこれが、日本の外食産業の先駆けといわれています。

外食産業のもとは屋台から…

延宝八(1680)年、江戸に関西寿司が伝わり、その7年後、貞享四(1687)年、江戸で寿司店の行商が営業を始めたそうです。安永八(1779)年には海苔巻き寿司が現れ、そして、文化七(1810)年、華屋(はなや)与兵衛が握り寿司の店を開業します。この華屋与兵衛こそ、握り寿司の発案者と伝えられています。

江戸時代、長い平和のもとで日本文化は成熟しましたが、外食文化もまた、大いに発展していきました。日本の外食文化は、江戸時代前期に起こった浅草金竜山の奈良茶飯の店から始まり、後期には八百善のような高級料亭も誕生するようになりました。また、握り鮨や天麩羅など、日本料理を代表する数々の料理が生み出されたのもこの時代です。

このように江戸時代初期、江戸の町には飲食店がなく、飲食店が現れ始めたのは明暦の大火(1657年)以降といわれています。各地からたくさんの人々が江戸へ移住し、その多くが単身の男性であったこと、また参勤交代により妻子を故郷に残して江戸へやってくる武士が多いこともあって、外食の需要が強くありました。そうした人々に食べ物を提供するために、様々な食べ物屋が現れたのです。

江戸時代には醤油や味醂などといった調味料の普及もあり、現代でも好まれている様々な料理が現れました。そのひとつが麺にした蕎麦を食べる蕎麦切りで、他にも天麩羅や握り鮨など、現在日本料理を代表する数々の料理が生み出されました。

またこの時代、肉食は嫌われる傾向がありましたが、まったく食べられなかったわけではありませんでした。一般的な食材ではありませんでしたが、「薬食い」と称して折に触れさまざまな料理で食されていました。また大名層でも、牛肉が献上品とされるなど、肉食は必ずしも完全なタブーではなかったようです。

明治時代に入り日本にはたくさんの西洋文化が流入しましたが、外食の世界でもそれは例外ではありませんでした。洋食が本格的に流入すると、外食も急速に多様化し、都市において普及・発達しました。(明治以降は西洋料理店が出現、大衆相手の牛鍋屋が発足、中華料理店の開店、ビヤホールが登場しています)すき焼きやカレーなど現在でも食べられている料理がこの時期に登場し、明治・大正期には和洋の料理店が共に繁栄しました。

大正期に入ると、外食が日常化してきます。明治・大正期に創業して以来、現在まで続いている店も少なからずあり、今でもこれらの店の味を楽しむことができます。

戦時期には、食糧難の中で窮乏状態を反映した外食の形態が見られますが、戦後の経済の復興とともに戦前の水準をとりもどした外食は、1970 年にファミリーレストランやファーストフードが登場すると、産業として急速に発展し、日常化していきました。高度経済成長期を経て、人々の生活が豊かになるにつれ、各国の料理を供する様々な料理店が現れました。そして、グルメガイドブックがさかんに出版され、食べ歩きが流行するなど、外食そのものが娯楽になっていきました。

外食産業の成長により外食が日常の一部になると、外食はレジャー化・娯楽化が進むようになります。バブル直前の 1980 年代半ばころから「一億総グルメ」などといわれたグルメブームがおこりました。料理店が多様化し、「激辛」が流行語になったエスニック料理ブーム、バブル期の高級フランス料理ブーム、俗にいう「イタめし」ことイタリア料理ブームなど、人々の選択肢は増えました。そして、食べ歩きが流行し、グルメガイドブックの出版が盛んになり、雑誌のレストラン紹介などの記事を日常的に目にするようになりました。また、有名店の料理人が出演するテレビの料理ショーが人気を集め、料理の作り手側にも注目が集まるようになりました。

近年の外食産業界は、食の多様化や市場規模の縮小などを背景に、競争はさらに厳しいものになっています。単に味や価格のみならず、素材へのこだわり、健康への配慮、更には癒しの提供のような付加価値に特徴を持たせるなどの差別化が図られています。このようなサービスの日々の進化により、味覚に留まらない喜びを私たちは提供していかなくてはなりません。

鎖国体制下で独自の外食文化を熟成させた江戸時代。西洋料理を取り入れ、和洋の料理店が共に栄えた明治・大正時代。総力戦下の食糧不足を反映した戦時期。ファーストフードやファミリーレストランの登場など、急激な発展・多様化を遂げた現代。外食のありさまは社会の情勢を反映し、常に変化を続けているのです。 


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