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2012年11月30日

からすみの季節…後、数日で完成です。

「秋の冷おろし」が出揃ってくるとからすみ作りの季節の到来です。ボラの卵巣は「ボラ子」と呼ばれこの時期になると市場にも並び始めます。からすみはボラ(鯔)の卵巣を塩漬け、塩抜き、乾燥させて作りますが、今年も先月から一ヶ月、時間を費やしやっとの思いでぼちぼち完成に近づきました。  



やや大振りなもので、1キロが2腹ぐらいです。(卵2本分が1腹)約1キロで大きめのからすみが4本できあがるわけです。出来合いの「からすみ」の価格は国産の良いものでしたら、この大きさですと1腹1万円以上でしょう。

からすみは古代ローマ時代から地中海沿岸で食されていて現在では、世界のいたる所で製造されています。(イタリアのボッタルガやフランスのブタルグなどが知られている)台湾産の烏魚子(ウーユイツー)も有名ですし、スペインや近頃はオーストラリアやニュージランド産など割安な物まで出回っていますが、これら外国のものは、ボラの卵に限らず、マグロや他の魚の卵も使います。

日本でも色々な魚卵も使用されています(ぼら、さわら、まぐろ等)が、やはり世界的にぼら真子を使用した物が高級品です。(日本では長崎奉行を通じ宮中や将軍に献上され「天下の三大珍味」と言われています。(三大珍味はからすみ・うに・このわた)
 
からすみの名前の由来…当時のからすみの色が唐の墨に似ていたことから唐墨と名付けられたとされております。

からすみの製造方法は製造元によってかなり違いがあり、原料は「ぼら真子」「さわら真子」「まぐろ真子」などで加工材料は塩だけが長崎専門店のやり方で一番難しい方法とされています。
 


製造工程…①塩漬け(カチカチになるまで塩を入れます、卵の中の水分がなくなるまでこれを繰り返します)

からすみの上下・裏表からすみに魚の身の部分が付いていますが通常、頭(かしら)と呼ばれる方が上だと思われます。(長崎では身の部分が付いている物が良いものだとされているようです)真子の状態では、動脈の部分が合わさっていますが、それを開き血管を抜いてありますので通常はそちらが裏だと思われます。



②塩抜き(季節に合わせ、いたまない程度に塩分調整をします)(塩分濃度を少しづつ変えて塩水で塩抜きしていきます)(この作業が各店の秘伝とされ塩分を指先の感触で決めていきます)



(焼酎を塗りながら数日にかけて干します)



③天日干し(手間を掛けできるだけ遅く仕上げます)

からすみの良し悪しからすみのよい香りを出す為に重要なことは、完全に硬くなっていること(からすみの香りは硬くなる寸前に出ますから、柔らかいからすみは香りが出ませんので時間を掛け仕上げます(押して指が入るようだと香りは弱いです)




からすみの色…出来立てのからすみは綺麗ですが時間が経つと黒くなったり白い粉を吹いたりします、やはり新しい物が美味しいです。

からすみの塩分と油…塩分が強いと黄色くなり、油分が強いと赤くなりやすいです。当店のからすみは油抜きを強めにしていますので通常よりあっさりしていますから、そのままお召し上がり頂けます。あと僅か数日で皆さんのお口に入ると思いますから、もう少しだけお待ち下さいナイス

ボラ(鰡)について…   続きを読む

Posted by きくいち at 11:39Comments(0)お酒のつまみ

2012年11月29日

信長の館はまだ先のこと…

先日の連休に下の娘が帰省し、長女と休みが合い安土城に行って来たようです。(自分の影響か時間が合うと二人でよく出かけ、城廻も…ニコニコ

 

まだ登城はしていませんが、私の行きたい城の一つで、土産話を聞きますますその気に…ラブ
ご存知安土城は、織田信長が天正4年(1576年)丹羽長秀に命じ、約3年の歳月をかけて完成した城で現在、城跡には天守台、曲輪、石垣、堀の遺構が残っていて、特別史跡にも指定されています。

 

雑誌でしか見たことがないのですが、大手道の石段が一直線に山の上へと伸びていて、この大手道だけでも、他に類を見ない独創的な縄張りを持つ城だと聞いています。そして、本の丸の天守台は、穴蔵部分に天守閣の礎石が整然と並び、この天守の壮大さうかがえます。話を聞き写真を見ているだけでも何故かわくわくしてきます。

安土城から車で5分位のところに「信長の館」もあり、ここには天守閣の最上階部分が復元されていると聞いていますし、安土駅前の資料館には、天守閣の模型もあるとのこと…。 

見所いっぱいの安土…とにかく早く行きたくて…うわっ
ただこれから年末年始、行けるのはしばらく先になるでしょう…わーん

相撲櫓…JR安土駅の南広場にある大きな相撲櫓。元亀元年(1570〕に織田信長が常楽寺で催した相撲興業は近代相撲の発祥と言われていて、その伝続を受け継いでいくため、建てられました。

安土城郭資料館…中世.の.安土に関ずる資料を中心に隼めた資料館。20分の1のスケールで再現された、移動分割式の安土城復元模型と安土城屏風絵陶板壁画などがあるようです。

信長の館…信長の館には1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展された原寸大の安土城天主(5・6階)が展示されています。内部には当時信長が狩野永徳を中心に描かせた「金碧障壁画」、金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱をのせた大屋根など絢燗豪華な安土城がここに復元されているようです。2010年、NHK大河ドラマ「江-姫たちの戦国」の撮影がここで行われました。 

安土城考古博物館…近江風土記の丘の一角にある西欧風の博物館。館内では弥生時代~古墳時代の生活様式を再現.展示しているほか、信長と安土城に関する史料を豊富に展示されている。 

セミナリヨ跡…イタリア人宣教師オルガンチノによって天正9年(1581年)に創建された目本最初のキリシタン神学校の跡。しかし、安土城炎上の際に焼失し、現在は推定地の一部が 公園として整備されているとのことです。

そして土産はいつも、お酒です。


 
安土町にある有名な酒店らしく、この酒店の店主は「安土信長」を登録商標にしてしまったようです。鈴鹿山脈の自然伏水と近江米を使用した本醸造で、調和のとれた豊潤酒ですがやはり土産グッズ…。製造元の喜多酒造は創業200年近くになる酒蔵で「喜楽長」が有名なのですが、そこは娘たちに酒の事を言っては無理でしょうニコニコ



織田信長をメインとした戦国グッズは各博物館・美術館で販売しているようです。
お酒が好きなファンにはもってこいグッズかな…?何種類かあるようですよ。
   

Posted by きくいち at 10:32Comments(0)大将

2012年11月28日

内容充実、年の暮れのコース料理

12月のコース料理の内容を詳しく紹介します。
まずは、河豚、タラバ蟹、サザエ等.豪華食材を使った贅沢コース5000円(品数:8品)
旬の食材を使用し、冬の訪れを存分に味わえる内容となっております。
〆は本格握りをお愉しみ頂けます。
 
・サザエのエスカルゴ焼き
 
 
・タラバ蟹の豆乳鍋


・静岡育ちの煮込みパイづづみトマトソース


・河豚の唐揚


・丸(すっぽん)茶碗蒸し


・〆のご飯物(職人が握る旬の握り6貫)


・伊豆稲取産!伊勢海老のお味噌汁


・デザート

師走コース4000円(品数:7品) 
和の料理も充実。こちらのコースは、彩りキレイな料理と握りが両方楽しめます。
しかも価格は4000円とお手頃。
 
・サザエ玉子とじ
 

・夢ポークのみぞれ鍋


・帆立柚子味噌グラタン


・牡蠣の磯辺揚げ


・〆のご飯物(職人が握る旬の握り6貫)
・伊豆稲取産!伊勢海老のお味噌汁
・デザート 

お酒メイン、料理はシンプルに楽しみたい…そんな方に。お気軽コース3000円(品数:5品) 



・サザエ玉子とじ
・夢ポークのみぞれ鍋
・旬の天ぷら
・日替り寿司屋のまかない丼
・汁物

飲み放題は+1500円(90分)と、+2000円(120分)をご用意していましす。
( 予約時にお伝え下さい)
「もっと握りが楽しみたいんだけど…?」など、用途・内容・ご予算などご相談承ります。
    

Posted by きくいち at 10:18Comments(0)コース料理

2012年11月27日

辛口の酒一筋…三千盛

三千盛は安政年間(1854-60)創業以来、辛口の酒一筋できた酒です。
山田錦や美山錦、ヤマホウシなどの原料米を笠原川の状流水で仕込み、こうじは昔ながらの箱こうじで造られていて、辛口な酒ですが、それほど辛さを感じず、水のような素直なのどごしに仕上げています。「水のように抵抗なく飲めて、しかも日本酒独特の旨さがあり、酔いざめのいい酒、これが最高の酒だ」という蔵本の言葉が、わかるような気がするお酒です。  



三千盛 純米…岐阜県の人気の蔵元(岐阜県・多治見市・(株)三千盛)淡麗辛口で水の如くゴクゴクと飲め、純米らしさがにじみでています。超辛口の酒、よく冷やして飲めば、心地よい酸味が味を引き締め、鰻、天婦羅などの油を使った料理、こしの強い肉料理とも良く合います。また ぬる燗でも威力を発揮します。
 
【アルコ-ル度数】15度以上16度未満
【日本酒度】 +9
【酸度】 1.9
【原料米及び精米歩合】 美山錦、ヤマホウシ、45%精米
【酵母】11号酵母、ふくらみのある辛口純米酒 

或る評論家は「三千盛」を飲んで、辛口というよりも「水口」の酒だと評し、また霞みたいで仙人の飲む酒だ、といった人もいました。これは誠に我が意を得た言葉だと思っています。

水みたいに抵抗なくいくらでも飲めて、しかも日本酒独特の旨さがあり、酔いざめのいい酒、これが最高の酒だと信ずるからです。西洋料理は料理が主であって、ワインは従、すなわちワインは料理の味を引き立てるためのもの。それに反して日本酒は酒が主で、料理は酒を引き立てるためのものであるといわれますが、私はこの考え方にこだわっていません。

料理の味を引き立てる日本酒があってもいいし、刺身に合う酒、鰻に合う酒、天婦羅に合う酒等、色々なタイプの酒があるべきだと考えています。その点「水口」の酒は刺身にも、鰻にも、天婦羅にでも何でも合って、しかもその味を引き立てる。そういうお酒です。「水口」の酒というと金魚酒みたいで、キャッチフレーズにすることも出来ないので、辛口といっておりますが、三千盛のねらいは、まさしくこの「水口」の酒なのです。 

45%精米という、この価格帯の純米酒としては破格の精米歩合と言えます。
香りは米を連想する穏やかな立ち上がり。辛口なれどサラリとした口当たりは湧き水のような透明感があります。
高精白ながら吟醸酒のような香りはありません。それがかえって、料理を引き立て、爽快な酸味が味を引き締め、キレもよく、このまま冷やもいいですが、燗をしても美味ですよ。

味にふくらみがありながらも、爽快な酸味が味を引き締め立つ鳥後を濁さずッて感じですねニコニコ
(牛舌の塩焼き、和風ステーキ、マグロのトロなど歯ごたえのあるもの油ののったものに合います) 
  

Posted by きくいち at 10:35Comments(0)

2012年11月26日

目が潤んだように見える「ウルメイワシ」

マイワシやカタクチイワシなどのイワシ三種の中でウルメイワシは最も大きくなるイワシで、獲れる量は一番少なく、鮮魚で出回る数も限られています。目が大きく、うるんで見える事からウルメイワシと名付けられていますが、その目の大きさゆえか、目刺しにした干物、所謂メザシの材料として使われています。

語源は、字の如く「潤んだ目」からきています。これは、脂瞼(しけん)と呼ばれるコンタクトレンズのような透明な膜に覆われた眼が、死後、潤んだように見えるためです。他にニシンやボラなどにもこの脂瞼(しけん)があります。イワシの由来はすぐに死んでしまうことから「弱し」が転じたもので、昔は、いやしい魚とされていた事から「イヤシ」が転じたという説もあります。

 

全世界の熱帯・温帯海域に広く分布し、特に暖流に面した沿岸海域に多く、春から夏には北上、秋から冬には南下するという季節的な回遊を行う魚で、日本沿岸でも、夏は北海道沿岸に群れが出現します。また海面近くで群れをなして遊泳しますが、群れの規模はマイワシよりも小さいく日本各地で獲れます。(ウルメイワシは暖流に面した沿岸で多く獲れ、鰹のような回遊をするイワシとして知られていて、主な産地は島根県、長崎、宮崎と続き、鹿児島、三重、熊本、高知と、暖かい地方や暖流沿いの地方で多く獲れます)

産卵期は秋から初夏までと海域によって異なります。故に、旬も地域によりそれぞれ異なります。土佐湾では秋、九州西海域では冬から春、北陸では春から初夏となりますが、流通量の多さから判断すると、春から夏が一応の旬となります。
 
ウルメイワシはイワシ類の中では最も脂肪分が少ないため、干しても脂焼けしにくく、水分を取り去ることによって旨味が増します。この為、干物などの加工に最適とされています。ウルメイワシの干物は大半が丸干しですが、濃厚なダシがとれるので煮干しや、大きな物はウルメ節などにも加工されています。

この魚は鮮度が命。獲れたての物は刺身がお勧めです。今回仕入れたもの相模湾直送で脂の乗った新鮮なイワシです。これは産地の特権…足の速い鰯類の中でも、このウルメは格別に速く刺身用で流通しているものもが少ないのです。(春に九州の豊後水道辺りで獲れるウルメイワシは最高ですが、それに近いものでした)

イワシ類の中では、脂肪が少ない方ですが、血栓症や動脈硬化などの予防に効果的なDHAやEPA、タウリンをたっぷり含んでいます。また、カルシウムやビタミンD、B2も豊富に含まれていますので、骨や歯を強くする、皮膚や髪を健康に保つ、眼精疲労の回復等々多くの効果が期待できます。(ウルメイワシは干物にされる事が多いのですが、それはイワシ3種の中ではとりわけ脂が少なく淡白な身質によるものです。マイワシに比べるとその量は4分の1程しかありません)  

一般的には目刺しなど干物として出合うことが多く、鮮魚ではあまりお目にかかる事は少なくスーパーなどで売られることは稀ですが、冬には脂がのり、一部で人気がある魚です。特に寒くなると脂が乗ってきて、この時期の刺身は絶品で、握りにしても美味です。酢で〆てもも美味で、外房などでは冬のウルメイワシはなかなか高価です。調理法としては、干物、刺身(酢じめ)、唐揚げその他、ツミレなどの練り物も美味しいです。  
 
選び方としては鮮魚は硬く、鰓が鮮紅色のものがよく、触って柔らかい、腹が割れているものなどは避けて下さいる。干物は脂焼けしていないもので、ふっくらと膨らんで、表面がきれいなものを選んでください。
 
干物は絶品で、加工品としてウルメイワシの丸干し(目刺し、頬刺しなど)は高級品で人気が高く、目に串やワラを刺したものが「目ざし」鰓から通したものが「頬ざし」があり、イワシの仲間の干物では最高峰です。高知県では小型船によって秋から冬にかけて一本釣りされていて、この大型のウルメイワシを干物にしたものが、高知名産となっています。
   

Posted by きくいち at 09:53Comments(0)寿司ネタ

2012年11月25日

桜井古墳群を代表する古墳

二子古墳は、安祥城の南、約1km程にある前方後方墳です。

安祥城は、岡崎平野の中央に広がる洪積台地の東の端に位置していて、その台地の端に沿って古い集落が南北に連なっています。その集落の100m程東の、一段低い田圃の中にあった二子古墳を偶然見つけました。



車を停め二子古墳に立ち入り、墳丘に登ることが出来ました。一番高いところで標高7m。なだらかな坂道が続いて子供たちの格好の遊び場になりそうです。



墳丘の一番高いところには、桜井天神社古跡の碑が立っていて、この墳丘にたつと、古墳のすぐ横を新幹線の高架橋が通ってすぐ近くを走る新幹線がよく見えました。横の公園では老人たちがゲートボールを楽しんでいました。


 
この二子古墳は、3世紀後半から4世紀初頭に築かれたものだそうです。卑弥呼の墓とされる箸墓古墳が3世紀中ごろとされているので、それよりは年代は下っていますが比較的古い時代の古墳と思います。全長は68m、前方部の幅約30m、後方部幅36mとこじんまりとしていますが、矢作川流域では2番目に大きな古墳で、国の史跡にも指定されています。

 
 
この矢作川沿いの三河平野に古くから人々が住んでいたことを改めて実感しました。



二子古墳(国指定史跡)墳丘…前方後方墳 
墳丘の形は前方後方墳です。(全長68m、前方部幅29m、高さ4m、後方部幅36m、高さ7m)矢作川流域で2番目の規模をもち、この地方最大集落の権力者が埋葬されたといわれる古墳で、幡豆郡吉良町の正法寺古墳(しょうぼうじ)に次ぐ大規模なもので、碧海台地の縁辺に位置する桜井古墳群の代表的な古墳です。低い前方部と比較して後方部を高く盛りあげ、墳丘を大きく見せています。墳頂部は平坦であり、西のすそには周濠の一部が残り、原形をよく保っていて、4世紀初頭の築造とされる説が有力だそうです。 


 
近くには碧海山古墳(へきかいざん)や姫塚古墳、姫小川古墳などがあり、桜井古墳群を形成しているようです。また、すぐ東側には、二タ子遺跡があり、多くの土器などの遺物が発見されたようです。前方部と後方部の高さの違いを実際に登って確かめることでよく分かり、矢作川堤防から桜井古墳群をながめると、碧海台地の辺縁に並ぶように存在していることがよく分かります。
  

Posted by きくいち at 09:47Comments(0)大将

2012年11月24日

住宅地の真ん中に石碑が建てられているお城。 

本證寺に寄った際、駐車場のところにあった説明板でこの近くに色々な城跡があることを知り、藤井城を訪ねてみました。
本證寺から南へ約1km県道を南下すると、左手に安正寺本堂の屋根が見えました。安生寺駐車場の東側の住宅地の一角、秋葉社の小さな社と並んで藤井城の石碑がありました。
 
藤井城は、矢作川沿いで近くには公園があります。遺構は特に何も残ってなく、石碑と説明板があるだけです。ところで、この付近には、藤井・桜井・古井・石井と「井」のつく地名が4つもあります。昔、井戸が4つあり、それが地名になっているようです。

 

藤井城跡は宅地として開発されてしまいましたが、藤井町北本郷にお城跡を偲ぶ石碑と看板が立てられています。住宅地の中にあるので分からないときは周辺の方に聞けば大丈夫だと思います。    

(遺構等)碑、説明板、(築城年)永正年間(1504-21)、(築城者)松平利長、(歴代城主)藤井松平、(形式)平城
 
歴史
文明3年(1471)安祥城進出を果たした松平氏は、福釜・桜井・と周辺に勢力を拡大していきました。そんな中、永正年間(1504~21)には藤井にも進出し、その時築かれたのがこの城です。
永正年間(1504-21)、松平氏5代・長親の五男・利長が藤井氏に養子に入り、藤井松平氏の初代となり城主になります。その後藤井松平氏は宗家(本家)に従い天文9年(1540)、織田勢が安城城を攻めた際、撃退するため戦いますが重傷を負い、利長は死去しまた。2代目・信一は一向宗の本拠である本証寺や桜井城と近くに位置しながらも藤井城を守り一揆勢を撃退しました。その後、信長の近江出陣でも功績をあげ、関ヶ原の戦いの後は35,000石の土浦城主となります。藤井城は家康が関東移封となった天正18年(1590)、ともに関東へ移ったため廃城となったのです。  

Posted by きくいち at 10:36Comments(0)趣味

2012年11月23日

浄土真宗大谷派の三河触頭三ヶ寺の一つ(城郭伽藍、本證寺)

以前から一度は来てみたいと思っていたのが雲龍山本證寺です。ここは、城郭寺院(城郭伽藍)の遺構が極めて良好に残っていることで城マニアには、よく知られているところなのです。

浄土真宗系(実は我が家は浄土真宗大谷派なのです)寺院には、鐘楼の他に太鼓楼(太鼓堂というところもある)をもつ寺院があります。お寺の周囲に堀と石垣を巡らせ、お城の隅櫓のような太鼓楼をもつことから、城郭伽藍と言われているのです。

その代表的な寺院が、愛知県安城市の本証寺や京都の西本願寺です。太鼓楼は、どの地域にもあるものではなく、東海、北陸、近畿地区に多く見られ、特に滋賀県、大阪府、兵庫県は多く存在していると言われています。太鼓楼のある寺は、富田林市の興正寺別院や奈良県今井の称念寺のように寺内町の中心となるような寺に比較的多いようですが、滋賀県では比較的小さな寺院にも存在しているのだそうです。
  
雲龍山本證寺は、浄土真宗大谷派の三河触頭三ヶ寺(上宮寺・勝鬘寺・本證寺)の一つで、広い境内、大きな本堂、こらだけならさほど驚くことはありませんが、隅櫓を思わせる二層の楼閣、大手門を思わせる山門、そしてその前には満々と 水をたたえた堀、これはまるでお城そのものです。(城郭寺院(城郭伽藍)の遺構が極めて良好に残っていて、鐘楼や山門以外にも、寺の境内には、内堀の一部や土塁の一部も残っています)ただ、ここはお城ではなくお寺ですので、境内に入って土塁や堀を求めて散策開始する前に、本堂前からでも参拝することをお忘れなくニコニコ(拝観は無料)  

 

本證寺は建永元年(1206)頃に親鸞の門侶の慶円により創建されたお寺です。
上宮寺、勝鬘寺と並んで三河一向宗の3ヵ寺として寺勢を伸ばし、天文18年(1549)の門徒連判状には武士門徒だけで115名が署名しているそうです。永禄6年(1563)には、この3寺を中心に三河一向一揆が勃発しています。松平家康の家臣が守護不入の権利を侵した事から勃発したこの一揆は、三河統一を図る途中の家康を窮地に追い込んだそうです。

本證寺は矢作川の西約2km程のところ、安城市の中心街から西尾市東部に向かう街道に面しています。道沿い左手に本証寺があります。すぐ隣の「すずきや」の道を挟んだ正面にある「すずきや」用の駐車場は、本證寺参詣者も駐車可能です。



立派な門構えの前にはお堀、そして櫓のような建物もありました。お寺といえども、この鼓楼を見るとまさに城郭。しかも内堀(水堀)が巡っていて、更に北側の外堀もしっかり残っていて見応えたっぷりです。曲輪跡は墓地になっていて、さすが三河一向一揆の中心となったお寺だと納得してしまいました。本證寺の境内にも説明板がありますが、「すずきや」の駐車場のところに、「本證寺境内図」付きの説明板があります。 
 


山門をくぐり境内にはいると、境内の中にも内堀が広がり、その向こうに伽藍が建っていました。
このような伽藍を城郭伽藍と言いますが、この本證寺ほどその様子が残っているのも珍しいそうです。 



そして境内の真ん中にどっしりとした本堂が建っています。
本證寺は三河一向一揆の小川の戦いで敗れ、破却追放の憂き目にあっていますが、その約20年後の天正13年(1585)には復興が許されたそうです。その後、本堂も再建され、本堂廻縁の勾欄に寛文3年(1663)と記されているようです。本堂の奥に足を進めると、そこにも外堀と思しき堀があり四方を掘りに囲まれ、本證寺はまさにお城そのものといったお寺でした。

 

歴史…
鎌倉時代に慶円上人によって開基され室町中期から戦国時代には、大きな勢力を持っていたと伝わる本證寺は、上宮寺・勝鬘寺(岡崎市)とともに、三河一向一揆の拠点となったお寺です。
ことの発端は桶狭間合戦後の永禄6年(1563)、家康が今川氏から独立し三河統一に励んでいた最中、家臣の菅沼定顕が上宮寺より強制的に糧米を徴収した事に始まります。
これに怒った本證寺第十代・空誓(蓮如上人の孫)が中心となって、門徒に激を飛ばし家康と戦うことになりました。
一揆側には家康の家臣も多く含まれていて、三河中で戦いが繰り広げられました。
翌年家康は勝算の見込みなしとして和議を成立させ、本證寺を含む諸寺や門徒に改宗を強要、弾圧に乗り出し、多くの寺院が破壊されました。
しかし足助に逃れていた空誓が、家康の叔母で養育係でもあった妙春尼を通じて「真宗を敵とする無意味さ」を家康に悟らせたため、以後はかえって保護を受けるようになりました。

三河 本證寺…お城のデータ
別名 野寺本坊
所在地 安城市野寺町
遺構等 堀、鼓楼、土塁
現状 本証寺
築城年 建永元年(1206)鎌倉時代
築城者 慶円上人
形式 城郭寺院
 
家康の一大試練であった三河一向一揆ですが、本證寺が家康軍に直接攻め込まれる事はありませんでした。本證寺の境内と周辺には堀・土塁が良好残っていて、一揆の和議後、破却され後に再建された「鼓楼」も残り当時の建築法を現在に伝えています。珍しい城郭伽羅、是非一度は散策してみてはどうですか…?ただ現状もお寺として運営されていますので、許可を取りくれぐれも節度を守ってくださいね。
   

Posted by きくいち at 10:01Comments(0)趣味

2012年11月22日

喜びの露(酒)、ほとばしる

メディアで注目されているこの酒を手に入れたいと、探し歩いて口にした時の驚き…びっくり
そしてどうしても酒メニューに加えたいと思ったのです。
日本酒と焼酎に夢中になるきっかけとなった酒、それが飛露喜(ひろき)です。

地酒ブームの火付け役となった銘柄のひとつ「飛露喜」は福島県内の小さな蔵元で作られています。廃業寸前の蔵元が日本酒ファンを魅了する地酒を生み出し大復活したストーリーは、福島の人々を勇気づけているのです。

「廣木酒造本店」がある会津地方西部の会津坂下(ばんげ)町は、新潟に抜ける越後街道に面している人口は2万人の小さな町ですがが、古くから酒造りが盛んで、現在も3つの蔵が酒造りに励んでいます。

創業は江戸時代中期の文政年間。かつて会津若松と新潟を結ぶ越後街道沿いの宿場町として振るわいを見せた地に廣木酒造は創業したそうです。1996年、19年勤めた杜氏が高齢のため引退。翌年、先代である実父と造りを始めますが1年後にその実父が逝去。心の準備もないまま廣木健司さんは蔵を継いだのです。

1999年突然現れた「飛露喜」 は、瞬く間に地酒ファンの間で噂になりました。現在、「飛露喜」は引く手あまたで、蔵にも在庫がないほど…「一歩でも自分の酒造りの質を向上させたい」と、毎年夏には少しずつ蔵を改修。席を見据えた酒蔵造りに邁進していると聞きます。(一升瓶のラベルの文字は蔵元のお母さん、廣木浩江さんの手によるだとか…)



全国的にも有名になりました。一時は廃業を考えた考えたほどだといいますが、今では信じられないほどの人気です。
蔵元さんいわく、「濃密な透明感のある、存在感のある酒を造りたい」その言葉どうりの酒質、存在感があり、食卓の主役となれるお酒です。限られた本数しか製造されない為、地元会津でもここ数年品切れ状態が続いているのです。 

飛(とぶ)、露(つゆ)、喜(よろこぶ)。「喜びの露(酒)、ほとばしる」。
 名字の 「廣木」 に由来する、飛露喜の誕生です。 
  
日本酒好きなら知らない人はいない「飛露喜」の「無濾過生原酒」。フルーティーな白ワインのようなさわやかな飲み口で、日本酒は苦手だった人が、この酒を飲んで考えを改めたというケースも多いとも聞きます。しかし、無濾過生原酒は保存が難しく出荷数が限定されているため、一部の地酒専門店でしか手に入らない「幻の酒」なのです。

ほんわりとした甘み、そして若干の苦味がアクセントに。果実味というよりは米らしい甘み・旨みです、柔らかい味わいの枠組みの中に、ふくらみを持つ甘さや旨みの要素が静かに溶け込んでいます。さりげなくふくよかさを感じさせる含み香が、飛露喜の味わいの豊かさを象徴しています。
 
飛露喜特別純米生詰
■原料:米・米麹(山田・五百万石)
■日本酒度:+3
■酸度:1.6
■精米歩合:50%・55% 
■アルコール度:16.8
■容量:1800ml
   

Posted by きくいち at 10:39Comments(0)

2012年11月21日

2012年12月コース料理

いよいよ12月ですねにやり今年も後1ケ月…1年最後の月のコース料理が決まりました。

節は中冬で、冬も大分厳しくなって寒さも加わり、日脚も短くなって暮れやすく、22、23日ごろには昼がもっとも短く夜がいちばん長い日、冬至がやってきます。陰暦12月は師走ともいい、晩冬の節で、冬も最盛期を迎えるとともに、慌ただしく人々が往来する年の暮れがやってくるのです。1年の終わりの月であるため、極月(ごくげつ)の称があり、師走の称は陽暦の12月の異称としても習慣的に用いられているようですが、これは、この言葉がが年末の激しい人事往来を連想させる語感をもっていることによるのだそうです。

師走…その由来は僧侶が仏事で走り回る忙しさからという平安期からの説があり、また、言語学的な推測として「年果てる」や「し果つ」等から「しわす」に変化したなどという説もあるそうです。
僧がお経をあげるために東西を馳せることから、「師が馳せる月」→「しはせつき」→「しわす」となったと言われています。「師」は「僧」を指すのが一般的で、「馳せる」は「走る。急いで行く」という意味です。

慌しい年の暮れ、今年1年、最後はやはり、当店のコース料理で…ちょき

【5000円コース】


サザエエスカルゴ風
タラバ蟹の豆乳鍋
パイ挟み静岡育ちの煮込み
スッポン茶碗蒸し
旬の握り
伊勢海老の味噌汁
デザート


【4000円コース】


サザエ玉子とじ
遠州夢ポークみぞれ鍋
帆立の柚子味噌グラタン
牡蠣の磯辺揚げ
旬の握り
伊勢海老の味噌汁
デザート


【3000円コース】


夢ポークのみぞれ鍋
帆立の柚子味噌グラタン
旬の天婦羅
賄い丼
味噌汁


週末は満席ですが平日はまだ多少、お部屋の方も空いていますのでお早めにご予約下さい。
  

Posted by きくいち at 10:23Comments(0)コース料理

2012年11月20日

本丸・二の丸がよく残っている、三河安祥城

安祥城は愛知県安城市にあります。現在は歴史博物館の隣りに安祥城址公園となっています。 



1440年頃、和田親平が築城したといわれていますが、1470年頃には、このあたりの豪族松平氏によって攻略されたそうです。その後、徳川家康の祖父・松平清康の代までこの安祥城が松平氏の居城となり、松平清康が居城を岡崎に移した後は松平氏と尾張の織田氏の間で、何度も争奪が行われたようです。

この安祥城は浜松からは、それほど遠くなく何時はと思っていたのですが、中々行く機会がなく、先日の、秋晴れの休日に行ってきました。街道脇によく整備された安城市の歴史博物館があり、安祥城址はその歴史博物館の隣です。駐車場から城址の南の端を歩いていると土塁を見かけました。高さ1mあるかないかの低い土塁で当時からの遺構かどうかも確かではありません。

安祥城のあるこの辺りは岡崎平野の真ん中で、この程度の土塁で敵の攻撃を防げたのか少々疑問です。城址にあった看板によると、この安祥城の周囲は深田になっていて、それが防御線の一部になっていたのでしょう。

城址の南西側は広々と田圃が広がっていて、その景色の中、木々の生い茂った高台に安祥城の二の丸跡が残されています。周囲に堀を模した池が配置されています。この二の丸には八幡社が建っていました。(八幡社が二の丸で、歴史博物館交差点の北側にも隅櫓跡があります)



青空に映えた八幡社の本殿。隣には秋葉山も建っています。二の丸を北に抜けると本丸です。二の丸と本丸は夫々独立していて当時はその間に堀があったようです。本丸の周囲も、池を配置し良く整備されています。池の周囲には芝生が植えられ、どこか高原の様にも感じられました。



安祥城の本丸跡には了雲院大乗寺が建っています。山門があたかも城門のように見えます。当時の本丸にはどんな建物が建っていたのでしょうか?城址の碑も山門の近くにあり本丸跡の東南には隅櫓の跡がありました。当時は急斜面の土塁で囲まれていたのでしょうが、今ではそれも崩れてしまっています。この安祥城は、桶狭間の戦いの後、家康が岡崎城に入った以降には廃城になってしまったそうです。それから400年以上の時が経っていますが、よく整備された城址公園を歩いていると当時の様子に思いを馳せる事が出来ました。 

 

かつて安祥城の近には7つの井戸があったようです。(①風呂井、②浅黄井、③筒井、④梅井、⑤中井、⑥桜井、⑦柳井)
安城七つ井…風呂井…じつはこの井戸だけ、安祥城の中にあるんです。しかもコレだけ手厚く整備され井戸の『井』の形をしています。場所は三の丸跡のすぐ側でこれはすぐ分かります。 

安祥城は松平氏で有名なお城ですが、築城者は松平氏ではなく、松平氏以前の和田遠江守という説があります。

そんな安祥城ですが、文明3年(1472)松平氏の始祖・親近から数えて三代、信光が策を持って安祥城を攻略、これにより松平氏の安祥城の歴史が始まります。山奥の松平郷から拠点を平地の安祥城に移した事により、松平氏の勢力拡大は加速し、ここより大給・西福・東条・滝脇に分家を出しています。その後、安祥城の松平氏(本家)は親忠→信忠→清康と続き本城を岡崎城へ移します。

この清康により松平氏がほぼ三河を支配化に納めましたが、「守山崩れ」で清康が討たれてからの天文9~18(1540~49)の間、織田・今川・松平の三氏が安祥城を奪い合いました。この間に繰り広げられた合戦が安城合戦です。

そして天文18年(1549)、当時の安祥城主・織田信広(信秀の長男)が生け捕りにされてしまいます。この時、松平氏は今川氏の傘下に納まっており、松平氏の嫡男・竹千代(後の家康)は織田氏に人質として取られていました。安城西野において織田の人質・松平竹千代と今川の人質・織田信広の交換が行われ、お城は今川氏のものになりました。
その後の桶狭間合戦後、松平氏は岡崎城で今川氏から独立、織田氏と同盟が結ばれた頃、安祥城は廃城となりました。(現地案内板より)

戦国時代が終わり、寛政4年(1792)に安祥山大乗寺が建立され、今日に至る安祥城ですが、一説では、織田・今川・松平三氏によるお城の奪い合いで戦乱が耐えなかった時、前田利家の妻・「まつ」の父親である篠原主計が安祥城で討ち死にしています。
 
別名 安祥城、森城
所在地 安城市安城町赤塚
遺構等 復元土塁、井戸跡、碑、説明板
現状 城址公園、大乗寺、安城市歴史博物館
築城年 永享12(1440)
築城者 和田親平
歴代城主 和田、織田、松平、織田信秀
形式 平城

本丸跡に了雲院大乗寺が建立されていて、復元土塁や隅櫓跡、切岸などが見られます。大乗寺の山門への階段より右手(東)に石碑があり、寺の裏手に本多忠高の碑があります。

 
 
さてそんな安祥城ですが、現在本丸には大乗寺、二の丸には八幡社、三の丸には安城市歴史博物館、安城市埋蔵文化財センターがあり、安祥城全体が城祉公園として整備され、市民の憩いの場となっています。 整備されたといっても、公園の中、周りはお城の史跡がチラホラとありますので、歴史博物館の見学も兼ねて、皆さんも宜しかったら半日位かけて満喫してみてはいかがですか…?(埋蔵文化財センターは入場無料で資料室にある展示品が色々見られます)
  

Posted by きくいち at 10:02Comments(0)趣味

2012年11月19日

★ジュビロマラソン2012 ★

今回も走ってきました。
3年前は、当時9才の息子より、私の方がマラソンは、早かったんです…ある時、息子に追い越され、もう、お母さんと走るのは、遅いからイヤ!!!と言われてから、もう3年、歳を重ねると私の方が悔しいけど、体力も落ちてきました…(>_<)



ママ友でもあるマラソン友ママが、シティマラソンでも上位クラスのマラソンママが私に、一緒に走ろう☆走りたい気持ち!完走したい気持ちがあれば充分!と胸を貸してもらって、ペアで走ってくれました…ありがたいです(^^ゞろくに練習などできない私に
ほとんど私のペースに合わせて走ってくれたから…☆



結果、220組中52位でした☆恥ずかしい結果ですが、今の私の精一杯です。



スッキリしたぁ☆
マラ友ママ、克美さん、どうもありがとっ★★★★★

〈新米女将〉
  

Posted by きくいち at 11:14Comments(0)新米女将

2012年11月19日

天才、久しぶりの勝利です。

昨日の第29回マイルチャンピオンシップで武豊騎手がサダムパテックに騎乗し、なんと2年ぶりにG1制覇を飾りました。
かつては数多くの勲章を手にした名手も、一昨年のジャパンカップ以来G1タイトルから遠ざかっていて、約2年ぶりの栄冠に「僕自身、約2年もG1で結果が出ていなかったので、誰よりも僕が一番喜んでいます」と笑顔を見せ、「つらいこともありましたけど、応援してくれる皆さんに結果でこたえたいと思っていたので、勝ててよかったです」と感無量の表情を見せていました。



ご存知の通り、武豊騎手はここまで マイルチャンピオンシップとは相性が悪くは、バンブーメモリーに騎乗しオグリキャップと名勝負を繰り広げた89年など4度の2着はありましたが、21度目の挑戦で初めてのこのレースで優勝したのです。(これでまだ勝利を挙げていないJRAのG1は朝日杯フューチュリティSのみとなりました)



「天才」武豊騎手の不振がここ数年続いていることは競馬ファンの皆さんは良く知っていると思いますが、騎手稼業は厳しく、成績が良ければ声がかかり、成績が落ちてくるととたんに振り向かれず、騎乗数が減るのです。声がかかる時は、その多くの依頼の中から実力のある馬を選ぶことができ必然的に勝ち星は増え、また声がかかるという好循環になるのです。

そして噂となっている社台グループとの関係…現在の日本競馬は、社台グループ生産馬なしでは語れない程になっています。天才と謳われた武豊騎手も、社台グループとの関係が冷え込んだ後は目に見えて成績が下降したと言われています。

それまで年間100勝以上は当たり前だった勝ち星も、2010年は69勝、2011年は64勝に留まり、ここ二年は毎年受賞し続けてきた騎手三賞も受賞していません。そして一昨年には23年間継続してきたJRA・G1制覇の大記録も、遂に途絶えてしまったのです。

近年は確かに衰えが目立つものの、いかに天才といえども、馬に恵まれなければどうにもならないという事です。武豊騎手は一昨年3月、大きな落馬事故に遭い、復帰まで4カ月以上かかる重傷を負いました。現在43歳。若い頃ならすぐにも本調子に戻ったのでしょうが、勝負勘などがなかなか戻らない様子でした。そこで声がかからず、騎乗馬に恵まれない、勝ち星があがらないという悪循環に陥ったのではないでしょうか…?



かつて、武豊騎手が乗れば、それなりの馬は1番人気になることが普通だったのですが、今年の重賞レースで武豊の騎乗馬が1番人気になったのは1度だけです。 

以前は長年蜜月の関係にあり、多くのタイトルを獲得してきた両者。しかし近年は武豊騎手が社台グループ関係馬に騎乗することは殆ど無くなり、それと比例するかのように成績も落ち込んだと言われています。(社台グループと疎遠になった理由は色々噂になっていますが真相は分かりません)
 
そんな状況にあった両者の関係ですが、ここにきて「関係修復?」と受け取られるような動きがあるとかで…?(社台ファームとは相変わらず冷戦状態が続いているみたいだが、ノーザンファームとは少しずつ雪解けに向っているのでは…?)



競馬ファンの間では「溜め殺し」「衰えた」などと相変わらず厳しい声が飛ぶ武豊騎手ですが、最近は大分復調してきたのではないのでしょうか?相変わらず馬質は良くありませんが、そんな中でも「さすが」と唸らせる騎乗を見せてくれることがあります。 

ここ数年はポスト武豊として色々な若手騎手が取り出されてはいますが、全盛期の武豊騎手と比べれば取りこぼしも目立ち正直、今後の日本競馬界を背負って立つ器となる騎手は見当たらず、やはり世間一般への知名度という点では、武豊騎手以上の存在は無く、何より華やかさ・存在感が違います。彼が有力馬に騎乗しているだけで、レースがグッと締まる気がするのは私だけでは無いと思うのですが…。
日本競馬が生んだ稀代の天才騎手である武豊。
今後の競馬界の為にも、もうひと頑張りしてもらえる事を一競馬ファンとして願ってやみません。
  

Posted by きくいち at 10:00Comments(0)大将

2012年11月18日

くまんばち つぶつぶなつみかん

酒屋さんで新感覚の和の果実酒を見つけました。「くまんばち つぶつぶなつみかん」です。
ただの果肉入りではなく、夏みかんのフレッシュではじける果肉をそのまま生かしたつぶつぶ果肉入りのお酒です。(果汁分:24%)


しっかりした香りの中に、ほんのり甘みと酸味が絶妙なバランスなのですおすまし

奈良、吉野で生まれた本格果実酒。
伝統ある蔵元(北岡本店)が柚子、夏みかんの香りと風味を大切に仕込んで造り上げたのです。
さらに苺とブルーベリーという新たな果実酒にも挑戦しています。

アルコール度数9%でありながら、アルコール臭さが無く、果実の香りや甘みがとっても美味しいお酒に仕上がっています。
中でも、果肉入りの「つぶつぶ なつみかん」は大人気で、なつみかんの甘さに、つぶつぶ果肉がとてもよい触感です。

そして、ちょっと変わった組み合わせの「いちごとぶるーべりー」は、名前を聞くと変な感じもありますが、これが、苺の甘さと酸味とブルーベリーの甘さと酸味がうまくブレンドされると、こんなお酒になるのかと驚く美味しさになります。
甘さもすっきりしていて何杯も飲めちゃうお酒です。

もちろん、絶対にはずせない「ゆず酒」こちらも、柚子本来の柑橘系のすっきりした香りを生かしつつ、やさしい甘みのあるお酒に仕上がってます。

年末年始お酒を飲む機会が増え、お酒が苦手な方にピッタリな果実酒です。
どの「くまんばち」も一押しですから…ニコニコ
  

Posted by きくいち at 10:56Comments(0)

2012年11月17日

日仏ヌーボー飲み比べ

先日の水曜日、好評の中、今年最後の「きくいち酒の会」が終りました。
ご出席頂いた皆様有難うございましたおすまし

地元酒蔵の搾りたての新酒と解禁されたフランス産ワインの新酒「ボジョレ・ヌーボー」を飲み比べ、当店自慢の料理と余興の三線の演奏、今回も多くのお客様に楽しんでいただくことが出来ホッとしています。



当日の料理
マハタと勘八のお造り
サザエの玉子とじ
伊勢海老のブイヤベース(トマトソース風味)
河豚の付け焼き
蒸し鮑の握り、肝醤油
伊勢海老の天婦羅
金目鯛の昆布〆の押し寿司
伊勢海老の味噌汁
花の舞酒粕のアイスクリーム

 

当日のお酒
花の舞(大吟醸・新酒純米搾りたて)ボジョレ・ヌボー2012年他各種
搾りたて純米酒は、フルーテーな香りで呑みやすく綺麗なお酒に仕上がっていました。淡麗辛口、すっきりとしてキレもよく喉ごしの良い新酒でした。
 


今年のボジョレ・ヌーボーは夏ごろのボジョレ地区は不安定な天候が続いたようです。
日差しが強いと思いきや、急に雨が降ったり…そんな天候の中、ワインの生産者達は、心をこめて、一生懸命、ぶどう畑の手入れをしたため、ぶどうは元気よく成長したようです。

ボジョレーヌーボー2012年の出来ですが、ぶどうの実は小ぶりながらも引き締まっており、凝縮した深い味わいで、50年に一度の出来といわれた09年のボジョレを超えているほど質の高いワインだと思います。ただ、天候のせいか、収穫量が例年よりも少なくなっているようです。



最後は三線の演奏、沖縄民謡…「ハイサイおじさん」で多いに盛り上がりました。
(ちなみに志村けんの持ちネタ「変なおじさん」はこの曲の替え歌です。「ハイサイ」とは、沖縄の方言(うちなーぐち)で、「こんにちは」を意味し、出会ったときのあいさつ言葉だそうです。女性形は「ハイタイ」)
 
次回は来年2月、大吟醸搾りたての時期に開催する予定です。また楽しみにしていて下さいウィンク
  

Posted by きくいち at 11:22Comments(2)大将

2012年11月16日

秋の香りをたっぷりと「山形もって菊」

当店の屋号が「菊一」だからと言う訳ではないのですが…
秋の味として山形の「食用菊・もってのほか」は欠かすことのできない旬の食材です。 

菊の花弁を食べる習慣は、江戸時代から始まったとされ、日本の伝統的なエディブルフラワー(食用花)の1つです。(奈良時代に薬草として中国から伝わったとされています)山形県は食用菊の生産量で全国1位で、山形では秋の味覚として古くから食べられ郷土の味として親しまれてきました。

数ある品種の中でも、独特の香りと風味、味の良さ(ふっと甘くてほろ苦く)、美しさで「食用菊の横綱」と評価されるのが、淡い紫色の「もってのほか」です。正式には「延命楽」と呼ばれる品種ですが、県内では「もってのほか」という愛称で広く知られおり、この一風変わった名前の由来は、「天皇の御紋である菊の花を食べるとはもってのほか」とか、「もってのほか(思っていたよりもずっと)おいしい」といったことから転化したらしく、近年テレビのクイズ番組で、ユニークな名前をもつ食用菊として出題されてから、知名度は一気に全国区になりました。


  
「もってのほか」は、食用菊の中では晩生で、収穫は10月下旬頃から。花弁が筒状に丸まった管弁なので、しゃきしゃきとした歯ざわりに特徴があります。(時期により早生モッテ、中モッテ、奥モッテとあり、だんだんと色が濃くなります。味は、中モッテが一番です)一方、黄菊は比較的柔らかく、色の華やかさで安定した人気があり、山形県では、「寿」「岩風」などの品種を作付けしているようです。また電照での抑制栽培、ハウス栽培などを導入、いくつもの品種を組み合わせて周年出荷を行っているようです。
  
食用菊は花弁の部分を食べますが、もってのほかの花弁は筒状になっているため、茹でても形が崩れず、しゃきしゃきとした歯ざわりが特徴です。サッと茹でた花びらを、和え物、おひたし、酢の物にしたり、そのまま、天婦羅や吸い物など、食べ方は様々です。茹でるときに酢を加え、歯ざわりを楽しむため、茹ですぎないのがコツ。淡い紫色の花弁が、茹でると鮮やかな紅紫色に変わり、料理の器の中で、野菜の緑色とのコントラストに映え、食卓に彩りを添えます。
実りの秋の食卓に、そのきれない彩りは、風雅な一品となります。体が綺麗になるようなほのかな香りと苦味、そして甘み、しゃきしゃきとした食感が楽しめます。また、リラックス効果があると言われ、古くから漢方薬などにも利用されています。
 
茹で方….
①先ずはじめに、菊の花びらをはずします。(中央部分の花弁が小さいところは使いません)
②鍋にたっぷりのお湯を沸騰させ色良く仕上げるためにお酢を少し(大さじ2~3ぐらい)入れます。
③菊の花弁を一気に入れて沸騰したら上下返すような気持ちで万篇無く火が通るように混ぜます。
 (あまり茹ですぎると、シャキシャキ感が失われるので、茹で過ぎないように…) 
④ざるに上げて、冷たい水に浸します。
 (独特の苦い風味があるので、気になる人はここで水にさらす時間を長く取り数回水を替えると苦味が和らぎます)
⑤水から上げて水気をしっかりと絞ります(良く絞らないと、料理したときに水っぽくなります)

ここまでできたらあとは、和え物にしたり、酢の物にしたり好みの味付けにナイス
和え物や酢の物にするときは具(菊)の量と和え汁のバランスがポイントです。水気を絞った菊の方に和え汁を入れて加減を見ながら和えるといいです。和え汁を入れすぎないように注意しましょう。 

ポイント…
①花の芯の部分は、苦いので除くこと。
②塩は入れません。酢は入れすぎると酸っぱくなるので、ご注意を…! 
③茹でる、というよりは、サッと湯に通すぐらいで花弁は、洗わないで茹でます。

美味しい食べ方
● 茹でてそのまま、胡桃醤油、胡麻醤油、ピーナツ醤油、辛子醤油で食べる。
● ぽん酢や土佐酢、甘酢などで食べる。
● ほうれん草や小松菜と一緒にお漬しにする。
● 茹でたほうれん草・しめじと一緒に、胡麻和えにする。
● 火を通したなめこと和えて、お漬しに。
● ちらし寿司、巻き寿司にあしらう。
● 味噌汁の具に。
● 天婦羅にする場合は、生のまま、一輪ずつ、衣をつけて揚げる。

1度で食べきれないときは茹で上がりを冷蔵庫に入れれば、1週間ほど保存できます。また、水を切って小分けに冷凍すれば、半年ほど保存できます。解凍は自然解凍で…お正月料理など、冬のメニューの彩りとして、重宝します。
 
「もってのほか」はしゃきしゃきとした歯ごたえと、ほのかな香り、そして甘さとほろ苦さは、秋にしか味わえない季節限定の大人の味です。エディブルフラワーの名前が登場するずっと昔から、菊は日本の代表的な食用花のひとつです。日本独特の繊細な味・伝統の味として、人々に親しまれてきた、まさしく「ふるさとの秋」…旬ならではの味です。
  

Posted by きくいち at 09:30Comments(0)季節の野菜と果実

2012年11月15日

昔ながらの懐かしい味、足助名物「日月もなか」

紅葉の季節、香嵐渓は秋真っ盛りでしょうね…?
どこか懐かしい味の足助の名物、「日月もなか」をお客さんに頂きました。
大正5年の創業以来、川村屋の最中は変わらぬおいしさで皆さまに愛され続けています。

南北朝時代の足助の大忠臣、重範公の旗印「日月」にちなんで名付けられた「日月もなか」は、上品な甘さの白い粒あんで、こくがあるのにあっさり味。サクサクの最中に良く合います。(意外ですがお茶請けにしても美味しいですよ)



足助田町の商店街にお店をかまえる川村屋さんは、グリーンロードを降りてから足助方向へ車を走らせると、あちこちで看板を見かけると思います、足助の人々に、昔から慣れ親しまれ愛されて来た川村屋さんの「日月もなか」です。お土産用にと最中の箱をいくつも購入していかれる方も多いと聞きます。きっと、足助に暮らす人々のお盆やお正月などのご挨拶に長い間重宝されてきたのでしょうね…?ニコニコ



手のひらにすっぽりと収まる程の可愛らしい「日月もなか」は少し厚めの、カリカリサックとした歯ごたえと香りの良い皮のなかにあっさりとした上品な白餡がたっぷりと詰まっています。白餡には北海道十勝産、契約栽培でつくられた「白いんげん」が使用されていて、つやつやとした上質なお豆です。良いものを使えば、甘みがあっさりといていてもふくよかなコクのある白餡になるのでしょうね。

 

通常、最中と言えばそのイメージから昔ながらの甘みが強いお菓子と言うイメージがあるのですが、川村屋さんの「日月もなか」は上品な甘みと、皮の歯ごたえ、甘みの後引きの良さ、小ぶりな大きさのバランスが絶妙でちゃんとした甘さの余韻がありながら、しつこさを感じさせません。ついつい、もう一個食べてしまおうかなと手が出る程。
それが、長い昔からたくさんの人に愛されて来た名物の所以たるものなのかな…。

ここの最中は意外にも若い人のリピーターがあるようで、若い人の「昔ながらの甘味」離れがささやかれる今日ですが、ちゃんとした物はしっかりと支持されるのだと、なんだか嬉しくなります。 

初めての人でも、どこか懐かしい思いになる、足助の名物「日月もなか」機会がありましたら是非「サクット」懐かしい甘みを楽しんでみて下さい。その他にも確か、季節ながらのお菓子もたくさん取り扱っていますから…ナイス
   

Posted by きくいち at 11:13Comments(0)大将

2012年11月14日

珍しい、幻の魚

今が旬です。珍しい幻の魚、ヤガラは上品な甘さが魅力です!
昆布締め刺身にあら汁が最高です。
この魚は見ての通り、体の半分以上はクチバシ・頭・尻尾で、このクチバシで魚を海水ごと吸い取って食べるのです。高級魚なんですが、歩留り悪いのでさらに超高級魚になってしまっています。
見た目の悪いものは美味しいといいますが、ヤガラはその王様と言っても過言ではありません。
まとまって獲れる魚ではないため、スーパーや魚屋に並ぶことはほとんど無く、料亭や料理店などに卸されてしまいます。



語源は口が弓矢をいれる矢の柄に似ているるとか…?あるいは、しっぽの形や体型が、弓矢の柄に似てるとか…?

水揚げは少ないのですが、知る人ぞ知る美味しい魚で、上品な味わいの身と、コクとキレがある濃厚で決して濁らない脂のある濃い出汁のとれる高級魚です。
また、くちばしの干したものは腎臓の民間薬として使われていたとか…?

 

まずはお刺身に…鯛に似た白身なのですが、しっかりとコクがあります。
ヤガラを卸します…腹をあけ胸鰭よりもずいぶん下から3枚卸しにします。
綺麗な身です。これを昆布〆にします。


 
うっすらと昆布の香りがしみこんだことによって、まるでダシの利いた刺身のようになり、口に入れた後、魚の味と昆布の香りがします。お勧めは山葵醤油…昆布から外しながら、召し上がっていただきます。(昆布はその性質上、糸を引きますが、これは昆布の旨味成分なので、安心してお召し上がり下さい)
外した昆布は、あらの味噌汁やおすましの出汁として使います。
 


大変美味しい出汁の出るアラです。このアラは、味噌汁にしても、お吸い物にしても最高です。
あらをさっと熱湯をかけて、鍋に水を入れ、刺身を食べたあとの昆布をいれます。
沸く寸前に昆布を取り出します。あらを入れ、煮て味噌または塩で味を調え、仕上げに葱を放しお椀に、粉山椒を一振りしておくと、注いだときに良い香りがでて、汁がさらに美味しくなります。(他の調味料を入れなくともヤガラの出汁だけで最高のお吸い物ができます)

ヤガラの焼物も、何とも言えない美味しさで、身も旨いのですが皮の芳ばしい香りが広がります。
これに筒切りにした白葱を添えたらもう、高級料亭の料理です。
  

Posted by きくいち at 10:30Comments(0)旬の魚

2012年11月13日

2年ぶり私が観戦した試合以来の優勝

一昨日の男子プロゴルフツアー三井住友VISA太平洋マスターズで石川遼が涙の復活優勝を果たしたことは多くのメディアで取り上げられました。単独首位から7バーディー、3ボギーの68をマークし、通算15アンダーで一昨年のこの大会以来2年ぶりの勝利で通算10勝に最年少で到達したのですが、実は一昨年この大会を私は観戦に行ったのです。
その時の石川選手の球筋を見て虜になりずっと活躍を追い続けていたのですが、中々勝てず、その間に、松山秀樹や藤本佳則などの若手が台頭して優勝を飾ったりライバルの池田勇太が一足先にツアー10勝を達成したりして、ファンとしてイライラしていました。この日も途中まで4打差のリードでしたが、終盤ボギーの連続で最終ホールには1打差になりハラハラしていましたが、先に松村選手が2オンした最終ホールの2打目、残り228ヤードを5番ウッドでグリーン手前の池ギリギリに落としピン手前6メートルにつけたショットは圧巻で見事に優勝を引き寄せたのです。雨も降っていた中、極限の状況下で勝負強さがよみがえったのです。



「長かった。優勝の味を忘れていたので不思議です。この2年間で別人になってしまったのかと思うこともあったけど、また2年前とは別人の新しい石川遼になれた」と試合後のインタビュー語っていましたが、石川選手は海外ツアーに参戦してから、新しいスタイルを模索し始め、ピンを真っ直ぐに狙うだけでなく、状況に応じた精度の高い攻め方、守り方が必要とされ、追求をして試行錯誤していたようです。理由は、もちろんマスターズ、米ツアー優勝のために…。

左に壁を作り、力が効率よく伝わるスイングに挑戦し、アプローチはバリエーションを増やしたそうです。そしてパットは何度もパターを替え、理想のタッチ、転がりを求めたのです。結果がすぐに出ず悩むこともあったようですが、常に前向きに努め、時間をかけて自分のものにしたのです。

私達アマチュア(特に私のようなへぼゴルファー)には考えられないのですが、フェードだけでも4種類打ち分けるとか…?低いフェード、高いフェード、中くらいのフェード、強いフェードとこの2年間で引き出しを増やしたのです。10勝目は、ここ御殿場で勝った2年前の勝利とは「全然違う」と彼はキッパリ言いました。「だってあの時はストレートしか打ってなかったもの…」

キャディーを務めた加藤さんが言ったそうですが「今までの優勝ってチップインとか、色々あったでしょう。ああいう奇跡があって9勝してきた。でも10勝目は、あいつが自分のショットで獲った」と…。
ずっとそばにいたキャディーさんに、勝った実感が湧かなかったと思わせたところこそが石川遼のの成長の証だったのではないでしょうか…。 

今シーズンも残り3戦、完全復活と言われるようにすべての試合に優勝争いして欲しいもです。ハニカミ王子ブームから5年。第2の石川遼時代の幕開けとなるように…注目
   

Posted by きくいち at 10:50Comments(0)大将

2012年11月12日

秋漁が解禁、やはり生が旨い桜えび

駿河湾特産の桜海老の秋漁が先月末、解禁されました。
静岡市清水区の由比漁港と焼津市の大井川漁港での、初競りでは、確か昨年の秋漁初日より10トン多い計22トンの桜海老が水揚げされたようで、初日の桜海老は最大4.5センチと大きめだったと聞きました。今年は海水温が高く、産卵が2か月程度遅れているため、産卵期のエビが豊漁だったこともあり初日の由比漁港の平均取引価格は1箱(15kg)2万5千円ほどで消費の冷え込みなどで昨年より約1万5千円安かったようです。



桜海老は夏を越しても生き残った体が大きいものと、夏に生まれた小さいものがあますが、漁をする場所によって違っています。これから大きいえびは減っていき、秋に多い小さめの海老に代わっていきます。 

鮮度の良い桜海老は、やっぱり生が最高です。お好みで、生姜醤油、山葵醤油を少しつけてお召し上がり下さい。プリプリした食感とトローリとした上品な甘みが口いっぱいにふくらみます。
さらに寿司種には、軍艦巻きがオススメですし、地元、静岡では、桜海老のかき揚げ、釜揚げ桜えびも人気です。また地元の漁師料理としては「沖上がり」と言うものがあります。砂糖・醤油・酒で作っただし汁の中に、ヒゲをとった桜海老と豆腐、葱、茸などを入れた鍋で、これは意外に美味です。



生きている桜海老の体は透明で、赤色の斑点状の模様があります。茹でると不透明となり、体色は桜色となり、このことから桜海老と命名されました。また、桜の咲く時期に多く漁獲される為、命名されたとも言われています。主産地である静岡県では、この桜海老を県魚と指定しています。
 
桜海老の漁獲量は、年によって増減が激しいのが特徴です。この原因は解明されていませんが、資源保護のため春漁が3月末から6月上旬、秋漁が10月末から12月末と漁の期間は限定されています。つまり春と秋の2回旬がある事になりますが、名前の由来どおり桜の季節、春を旬とするのが妥当かな…?
漁師さんに言わせると、「春の桜海老は魚体も大きく高値がつくが、本当に美味いのは12月末に獲れる物で、殻の柔らかい、この時期の物は茹でると最高だとか…。
 
桜海老は体長はわずか4~5㌢ほどの小海老です。深海性で昼間は200~300㍍ほどの深さの所にいて、夜間にはエサを食べに表層20~30mまで浮上します。そして、明け方には再び深みへ戻ります。これが桜えびの生活パターンで、15~16ヶ月の短い生涯を全うします。日本で漁獲されるほとんどは駿河湾です。他に遠州灘や相模湾、東京湾でも漁獲されますが、量的には駿河湾が圧倒的です。外国では台湾、中国に分布する位で世界的にも稀少生物として知られているのです。
 
桜海老には長いヒゲがありますが、これが意外に気になります。このヒゲを簡単に取る方法として、まずボールに水をはりこれに桜海老を入れ、数本の箸でかき回します。(これだけで嘘のようにヒゲが取り除かれます。(箸は割り箸が良いです)

ほとんどの海老は殻を剥いて食べますが、桜海老は殻ごと食します。この為、カルシュームの摂取量は桁違いに多くなります。他の海老類の15倍摂取できると言われていて、骨粗鬆症などの予防に最適だとか?その他糖尿病、高脂血症などにの予防にもなるらしく桜海老は、味は勿論、スーパー健康食品とも言えるのですね。
   

Posted by きくいち at 10:15Comments(0)旬の魚