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2013年06月23日

舞妓と芸妓

私の若い頃よく先輩から「一流の職人になるには、芸人と同じで飲む、打つ、買う、が必要だ」と言われました。ご承知の通り、「飲む」が酒、「打つ」が賭博で、「買う」は(あまり大きな声では言えませんが)女性のことを差して言っているのです。

その頃、疑問に思ったのですが、なぜこの3つが一流になるために必須だと言われるのかと…?
「飲む」「打つ」はまだわかるのですが、「買う」は理由がよくわかりません。なぜこれが必要なのかと…。

職人は芸人同様に 喜怒哀楽の職業だと言うのです。芸人は、人を泣かせたり、笑わせたり、感動させたりしてくれます。人に喜怒哀楽を与えるということは、自分自身で経験したことでないと、うそっぽく感じてしまいます。飲む、打つ、買うとは遊ぶと言うこと。酒の席での失敗談とか、賭け事で大損したこととか、女性関係で修羅場を経験したとかなどなど普通にすごしていては、経験できないことが山のようにあります。そんなことを経験していれば役者なら演技に真実味が出るし、落語家やお笑いタレントは、笑える本当にあった話が出来るのです。

買うとは、大間かに言って、色恋沙汰のことだと思います。芸者遊びとか、クラブのホステスとか、なども買うの一種ではないでしょうか? つまりま、遊び上手は芸上手、そしてお客さんの心を読み取れる料理が作れるという事なのだそうです…(遊び人のこじ付けみたいなところがありますが…ニコニコ
ただ、色々な事を経験する事は財産になると思いますので…)

そんな訳で、今日は遊び…?
先日、祇園のお茶さんで、聞いてきた芸者さんの世界について少し紹介します。

花街は、芸舞妓さんを抱える「屋形(やかた=置屋)」とお客をもてなす「お茶屋」で構成されていて、芸舞妓さんはお客さんの要望で屋形からお茶屋に派遣されています。
皆さんも知っているように舞妓さんと芸妓さんは、唄や踊り、三味線などの芸で宴席に興を添える女性達です。舞妓は芸妓になる前の未成年(15歳から20歳くらいまで)の少女のことで舞妓として修行した後、芸妓になります。(舞妓・芸妓は京都の祇園をはじめとする花街の置屋に所属しています)

舞妓と芸妓
  
舞妓になる前の段階を「仕込み」と言うそうで15才頃から、置屋で先輩(姉さん)達と共同生活をしながら、舞や行儀作法、着物の着付けなどの修業を経て、約1年後に舞妓さんとしてデビューする事ができるのだそうです。

仕込みの期間は約1年といわれていますが、舞の仕上がりの出来によっては2年ほどかかることもあるそうで、舞のお師匠さんが認めないかぎり、舞妓にはなれない厳しい世界です。

舞妓と芸妓

舞妓になる準備がはじまると、後見人になってもらうお姉さん芸妓を決めます。
そしてその芸妓の名前の一字をもらって、自分の名前を決めるのだそうです。後見人と名前が決まれば、デビューの「見世出し(みせだし)」を待つばかり…。

見世出しの日が決まると、それまでにお座敷での実地研修を受ける研修期間が約1カ月間あり、お姉さん舞妓や芸妓と一緒にお座敷に上がり、雑用をしながらお客とお座敷の雰囲気に慣れていくわけですね。

そして晴れて見世出しの日、男衆(おとこし)の晩酌でお姉さん芸妓と固めの盃を交わし、組合に登録を済ませ正式に舞妓となります。最初はお姉さん芸妓と一緒に行動しますが、ひとりでお座敷に出ることも当然あり、不安いっぱいで今にも泣き出しそうな舞妓もいるようです。

舞妓と芸妓

置屋は、ひとりの少女が一人前の芸妓になるまで、着物代や食事代、お稽古代やおこづかいなどすべての費用を負担することになります。そのかわり、一人前の芸妓になるまでは無給。「年季」という奉公期間を定めて、投資金額を回収するのです。置屋では、舞妓になるまでの仕込みの時期に、言葉や立ち居振る舞いなどのしつけ、舞などの基本的なことを身につけさせます。しかしその仕込みがかなり厳しくて、途中で挫折する子たちも多いのだとか…。

舞を習うお師匠さんのところには、一般の方も習いにきているそうですが、稽古の質はまったく違うようで、何倍ものできを要求されるのでかなり厳しく、しかも午前中はお稽古、それが終われば置屋での用事、夕方からはお姉さん舞妓の支度の手伝い、深夜からは仕事を終えたお姉さん舞妓の世話と、「仕込み」さんは、綺麗な着物やはんなりした言葉の下で、人一倍の努力や苦労をされているんですね。

舞妓としての約5年間は芸妓になるための修練期間で、一通りの舞や三味線、お囃子、そして大切な「お座敷」でのお客の接待を姉さん芸妓から学びます。また舞妓になると、お座敷には荒れた手はそぐわないとして水仕事や掃除、洗濯をしてはいけないのだそうです。 

舞妓の髪型は、舞妓としての経験年数や成長度合いによって変わり年の若い舞妓は、「割れしのぶ」と呼ばれる髪型で、真ん丸の髷がかわいい髪型です。お姉さん舞妓になると「おふく」といって、少し落ち着いた感じになっていくのだそうです。若い舞妓は、着物もかんざしも四季折々の華やかなものが多いのですが、芸妓になる時期に近づくにつれて、着物もかんざしもシンプルで落ち着いたものになっていきます。また半衿も華やかな赤い衿から白の半衿へと変わり、さらに芸妓らしくなっていくのですね。(衿替え…舞妓としての修練期間を終えた20才頃に、舞妓時代の華やかな赤い衿から大人の芸妓の証である白い衿にかえる)

舞妓と芸妓 

これらの儀式も、昔は特定の旦那さんがついた時だったようですが、今では適当な年令がきた時に、おこなわれているようです。芸妓になると、自分の髪を結うのではなくかつらをかぶります。どんな幼い芸妓でも女性として必要な、洗練された気品を醸し出すことができるためといいます。また、お座敷で踊る場合、役柄によって髪型をかえなければならないため、かつらの方が合理的だという理由もあるようです。舞妓や若い芸妓は、裾引きという裾の長い着物を着ますが、外出するときは裾を必ず左手で持ちます。左手で持つことで男性の手が入りにくくなり、「芸は売っても身持ちは堅い」 ということを暗示しているそうです。 

舞妓から芸妓になる時には、「衿替え」というしきたりがありこのころになると、舞妓も将来の身の振り方を考えなければいけないようです。というのも、年季をつとめたら、この世界に残るか、違う道へ進むか、はたまた結婚するかなどと…(結婚する場合は、舞妓・芸妓をやめるのがしきたり)

お茶屋に残ることが決まると「衿替え」の日取りが決まり、半月程前から「先笄(さっこう)」という髪に結い上げるそうです。衿替え当日、置屋には舞妓や姉芸妓、仲人や見習い茶屋の女将もぞくぞくと登場して、見世出しと同じように祝膳に向かいます。切り火を背に置屋を出て挨拶回り。しかし今度は姉芸妓はつかず1人で歩きます。
こうして立派な芸妓として旅立っていくのだそうです。 

この様に舞妓・芸妓の世界には非常に厳しい独特のしきたりや伝統があります。
高いお金を払って遊ぶのですからただ酒を飲んで終ってしまうのは勿体ない事です。芸者遊びを通して、何か自分の財産になるような、経験をしたいものですね。
 


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