› きくいち日記 › 菊一本店 › 食の世界で言う衣替え

2013年06月09日

食の世界で言う衣替え

6月に入り大分暑くなって着ました。制服のある学校や企業等では、6月1日と10月1日に衣替えを行うところが多いのですが、これは公家や武家で行われていた衣替えの風習の名残りだそうで、衣替えは、中国にならって平安時代の宮中で定着した習慣で「衣更え」「更衣」とも表記するようです。

古く宮中では、旧暦4月1日に冬装束を夏装束に、10月1日に夏装束を冬装束に、調度品とともに改めました。実際には端午(5月5日)、重陽(9月9日)の節句に行い、季節の節目のお祓(はら)いの意味も込められていたそうです。

江戸時代には、4月1日からは冬の綿入れ(裏地と表地の間に薄く綿を入れて仕立てた着物)を脱いで袷(あわせ)を、端午の節句(5月5日)からは単(ひとえ)を、9月1日からは再び袷を、そして重陽の節句(9月9日)からは綿入れ(わたいれ)を着る。などと、幕府によって細かく定められ、衣替えが制度化されていたようです。(「単」は裏地のない着物のことで、帷子(かたびら)ともいい「袷」は裏地のある着物のこと)
このように、昔は残暑が長引いても、例年より早く寒くなってもかかわりなく、衣替えの日を守ったといいます。

我々料理の世界でも季節の変わり目には献立を変え器などの衣替えをしますが、料理の中でもう一つ別の意味を持つ衣替えという言葉があります。

食の世界で言う衣替え

天麩羅の衣だけを先に食べ、種をもう一度揚げなおすことを「衣替え」と言うのです。
江戸時代、庶民の手軽な料理であった天麩羅ですが、明治時代に入って殖産興業が唱えられるようになると、「わざわざ料理に油をくっつけて食べるとは何事か…!、油は製糸機械を動かし、軍艦を動かすために使われるのだ…!」とのお上のお達しにより、天麩羅油についても厳しい物資統制がなされ、価格が暴騰したようです。そのため天麩羅は料亭や高級料理店の料理となり、庶民の食卓から消えてしまったのです。

戦後の復興を終えた時代でもになっても、天麩羅はまだ高価な食べ物でしたが、そこで誕生したのが、庶民的な「衣替えのできる天麩羅食堂」です。天麩羅の種はそのまま残し、衣だけを先に食べ再度衣を付けて揚げなおしそれをまた食べるのです。これによってひとつの種で衣を複数回食することで、安く満腹感を得られ、当時はこうした店が大繁盛したそうです。

現代のうどんやそばの麺だけをもう一玉追加することを替え玉とにているのですが、お客が食しつつある種を再度天麩羅鍋に入れるため、他のお客さんから見ると不潔ですし、油ばかりを食することになり、メタボを促進させる可能性が高くこうした食べ方は自然と消滅してしまったようですね。 



同じカテゴリー(菊一本店)の記事
地元、祭りの接待
地元、祭りの接待(2024-05-04 08:51)

組合理事会Inみその
組合理事会Inみその(2024-03-05 08:01)

朝からイベントに
朝からイベントに(2024-02-16 14:34)


Posted by きくいち at 15:04│Comments(0)菊一本店

コメント

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
食の世界で言う衣替え
    コメント(0)