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2017年09月24日

浄土真宗では般若心経を唱えません

昨日はお中日…ひみつ!?
仏教では、ご先祖さまのいる世界(極楽)を「彼岸」、いま私たちが生きているこの世界を「此岸(しがん)」といい、「彼岸」は西に位置し「此岸」は東に位置するとされています。3月の春分の日と9月の秋分の日は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので彼岸と此岸がもっとも通じやすい日になると考えられ、この時期に先祖供養をするようになりましたびっくり

「春分の日」は「自然をたたえ生物をいつくしむ」日として、「秋分の日」は「祖先を敬い亡くなった人々を偲ぶ」日として、国民の祝日に定められていますが、「春分の日」と「秋分の日」は、お彼岸の中日でもあります。

そこで今日はお経について…般若心経 は日本では最もポピュラーなお経のひとつです。真言宗、天台宗、禅宗など多くの宗派で唱えられ、日々のお勤めの中にも取り入れられていますが、浄土真宗では用いられません(日蓮宗でもお勤めしないそうです)
なぜ唱えないのかはてなまず浄土真宗の教義を教えて頂きましたので、今日はその事について少し紹介しますひみつ

浄土真宗の教えは、愚かな人間が阿弥陀仏のはたらき(南無阿弥陀仏)を信じお念仏をして浄土に往生し仏となることを明らかにしているのです。

浄土真宗では般若心経を唱えません

親鸞によると、念仏は単にわれわれ人間の側から称えるものではなく、仏の願いに目覚めさせようとする仏からの呼び声であると…。すなわち心から念仏を称えようと思ったとき、その人は阿弥陀仏によって救われているということだそうです。

浄土真宗では般若心経を唱えません

浄土真宗は、阿弥陀如来の本願(必ずあなたを救うという誓い)にお任せし、この人生を歩ませていただく教えです。「般若心経」の内容が体感でき、そのとおりに行動できる人という人はその道を歩むのも良いでしょうが、そうできない者がすくわれる道が「南無阿弥陀仏」の念仏の教えであります。

浄土真宗では般若心経を唱えません

般若とはサンスクリット語を音写したもので、「仏の智慧」という意味だそうです耳「般若心経」は般若=智慧の完成を目指すことを教える経典で、お釈迦さまの大事な教えが説かれているのですが、煩悩を絶ち、真の智慧の完成しなさいと説いているのだそうで、ただ「あげてはいけない」と拒否するのではなく、「あげる必要がない」という姿勢が正しい解釈なのだそうですびっくり

一般的に仏教がどのように受け止められているかといえば、難しいお経を覚えたり、苦しい修行の経験を積んだり、欲望を切り捨てなければ入門できないものだという固定観念があります。

これは困ったことです。親鸞聖人の教えは、そういう人間の経験や能力をまったく問題にしていません。もし、そういう能力や経験を問題にするのであれば、仏教が「エリートの仏教」になってしまいます。苦行ができる体力や知力や、精神力のある優れた人間だけが救われる教えになってしまいます。

智慧と行によって煩悩を断ち切ろうと教える「般若心経」に対し、浄土真宗の教えは阿弥陀如来のお力に一切のはからいを捨てておまかせし、それによって救われるというものです。したがって真宗門徒が「般若心経」を上げることは、かえって阿弥陀如来のお力を否定することになりますから浄土真宗では「般若心経」を上げることはないわけです。

浄土真宗では般若心経を唱えません

般若心経と正信偈
「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし。」
浄土真宗には厳しい修行や戒律という概念がありません。我々凡夫はただ念仏申し上げ阿弥陀如来にお救い頂きましょうというのが教えです。智慧と行に因って煩悩を断ち切ろう、と教え諭す般若心経に対して、浄土真宗の教えはそぐわないものであるというわけです!?

また般若心経の最後の「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆呵(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)」の部分が密教的な呪文になっていて、親鸞聖人がこのような祈りや密教的なものを徹底的に排されたからというのも関係しているといわれます。
上にもありますが、「あげてはいけない」と拒否するのではなく「あげる必要がない」というのが正しい姿勢です。


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