› きくいち日記 › 大将 › 京料理を体系作る4つの料理

2013年05月19日

京料理を体系作る4つの料理

京料理についてもう少しだけ書きます。京料理を体系作る4つの料理は、公家を中心とした「大饗料理」武士を中心とした「本膳料理」寺院を中心とした「精進料理」茶道とともに発達した「懐石料理」と言われています。

大饗(だいきょう/おおあえ)料理とは、平安貴族たちが、淡水魚、塩物、干物を中心として蔬菜類と、猪、鹿、雉(きじ)、鴨などの肉を使って催した饗宴を「大饗」と称され台盤(だいばん)(机)の上に並べられたため「台盤料理」とも称されています。

有職(ゆうそく)料理…平安時代の貴族の社交儀礼の中で発達した大饗(だいきょう/おおあえ)料理が、公家風の料理形式として残った物で簡単に言うと宮中か宮家で作られてきた料理です。(ただ現在「有職料理」と言われている物は、本膳料理などの影響も受け、平安時代当時そのままの様式ではないようですが…)

本膳料理とは、日本料理の正式な膳立てで、食事に儀式的な意味合いを持たせているものです。
鎌倉時代にあった武家の簡単な儀式(正月に御家人から将軍に料理を献上する)が、室町時代に確立された武家の礼法から始まりものだと言われ、特に室町幕府の将軍を接待する「御成」が盛んになってからは次第に宴会料理の形式が整えられていったようです。この形式はさらに江戸時代に発展しますが、明治時代以降ほとんど廃れてしまい、現在では冠婚葬祭などの儀礼的な料理にその面影が残されている程度です(婚礼の際の三々九度など)

精進料理は、中国において仏教から成立した料理。仏教では僧は戒律五戒で殺生が禁じられており、大乗仏教で肉食も禁止されたため、僧への布施として野菜や豆類、穀類を工夫して調理した料理です。    

京料理を体系作る4つの料理

懐石とは茶の湯の食事であり、正式の茶事において、「薄茶」「濃茶」を喫する前に提供される料理のことで江戸時代になって茶道が理論化され、禅宗の温石に通じる「懐石」の文字が当てられるようになったようです。懐石とは寒期に蛇紋岩・軽石などを火で加熱したもの、温めた蒟蒻などを布に包み懐に入れる暖房具を意味します。

修行中の禅僧が寒さや空腹をしのぐ目的で懐石や温石を懐中に入れていて、食べる物がないときのお客にも、せめてもの空腹しのぎにと暖めた懐石を渡して懐に入れてもらっていたことから、お客をもてなす料理を「懐石料理」と言うようになったのです。また「茶懐石」は、茶の湯で、お茶を出す前に出される簡素な料理のことで、禅宗の修行僧が、温石で腹を温め空腹をしのいでいたことから「懐石」と称されるようになりました。最初に、ご飯と味噌汁が出され、料理の後には、薄茶が出され、材料は、旬のものが使われ、濃い調味料や、強い香辛料は避けられ、材料の持ち味が生かされています。

懐石料理…精進料理から茶懐石を経て完成された一汁三菜を基本とした料理です。料理屋の懐石料理では、茶懐石で最初に出されるご飯と味噌汁は省略され、八寸が出されることが多い。茶席における取り回しなどの特別の作法もなく、一人一人に料理が盛って出される。 また、懐石料理は量が少ないことから「量の少ないコース料理」全般を「懐石」と称されることもあり「洋風懐石」や「欧風懐石」と称される料理が存在しています。

会席料理…江戸時代、連歌や俳諧の席「会席」が料理茶屋で行われるようになり酒席向きの料理が工夫され「会席料理」が生まれました。

普茶料理…黄檗宗独特の精進料理(中国 明から招聘された中国 臨済宗の隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師が広め、萬福寺(宇治市)や周囲の塔頭でおもてなしされる。植物油が多く使われており、大皿に盛られて取り分けて食べます。(宗祖 隠元隆琦はインゲンマメや、孟宗竹、スイカ、レンコンなども中国からもたらしたと言われる)

お万菜(おばんさい)とは、昔より京都の一般家庭で作られ食されてきた和食の惣菜のことで、味付けは京都風に薄味です。近年ではヘルシーなイメージから人気が高まっていて、惣菜店で販売されたり、京都をはじめとする飲食店で看板メニューとして提供する店が増えてきているようです。


同じカテゴリー(大将)の記事
頭陀寺八日市
頭陀寺八日市(2024-05-09 08:23)

体に良くないGOLF
体に良くないGOLF(2024-04-29 23:44)


Posted by きくいち at 16:23│Comments(0)大将

コメント

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
京料理を体系作る4つの料理
    コメント(0)