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2013年10月10日

箱根路の入り口を護る「土の芸術」山中城 

静岡県のお城といえば、駿府城や掛川城、浜松城あたりが有名ですが、県内でもっとも遺構整備されているお城は三島市にある山中城(日本の百名城の一つで、浜松城は残念ながら選ばれていない)ではないでしょうか…?
先日、沼津に行った時、新幹線三島駅で下車し山中城まで足を伸ばしてきました。

箱根路の入り口を護る「土の芸術」山中城  
(北条氏の築城技術を駆使して改修された山中城は歴史的価値が高く、昭和の初めに国指定の史跡に認定されると昭和40年代後半から約20年の歳月をかけて発掘調査や復元整備が行われた)

山中城は小田原の北条氏が、永録年間に築城したと伝えられている戦国末期の山城です。箱根山西麓の標高580mに位置し、自然の要害に囲まれた山城で、北条氏にとって、西方防備の拠点として、極めて重要な役目の城でした。豊臣秀吉と不仲になった北条氏政は、秀吉の小田原攻めに備え、急遽岱崎(だいさき)出丸や堀を整備・増築しましたが、未完成のまま、4万の豊臣軍の総攻撃を受け北条軍は僅か4千で必死の防戦の甲斐なく、鉄砲と圧倒的兵力の豊臣軍の前に、わずか半日で落城したと伝えられています。(岱崎出丸で討死したこの時の城将・松田康長や、副将・間宮康俊、豊臣方の一柳直末ら武将の墓が、三の丸にある宗閑寺境内にあります)

箱根路の入り口を護る「土の芸術」山中城 

山中城は石垣を使っていない珍しい山城で、堀や土塁が良く残っており、発掘調査を基に、400年前の遺構を忠実に環境整備、現状保存されています。特に障子堀や畝堀の発見は、水のない空堀の底に畝を残し、敵兵の行動を阻害すると言う、北条流築城術の特徴を示すものとして注目を浴びています。戦国期の山城の全貌をここまでしっかり伝えている遺構は他には無い、と言っても過言ではないでしょうね…ひみつ

箱根路の入り口を護る「土の芸術」山中城 

戦国時代の城は近世城郭のような魅せる城とは異なり目的が非常にシンプルです。敵の進軍を防ぐ為に、必要最小限の地形の改造をした城で、石垣も天守もありません。(防衛の最前線となる岱崎出丸や西の丸には、北条流築城術の特徴ともいえる障子掘や畝堀が無数に設けられています)

箱根路の入り口を護る「土の芸術」山中城 

山中城は三島から国道1号を箱根に向って登って行く途中にあります。正確には城跡が国道によって分断されていて、東京方面を向いて左側が本丸、二の丸、西の丸といった城の本体部分、国道右側には岱崎(たいざき)出丸とよばれる旧東海道に沿った長い出丸が存在しています。(国道が通過している辺りが、双方を繋ぐ三の丸だったようです)
 
これから先は「山中城跡案内板」よりニコニコ
箱根路の入り口を護る「土の芸術」山中城 
(田尻の池)
東側の箱井戸と田尻の池とは、一面の湿地帯であったが、山中城築城時、盛土(土塁)によって区切られたものである。山城では、水を蓄える施設が城の生命であるところから、この池も貴重な溜池のひとつであったと考えられている。しかも、西側は「馬舎」と伝承されているところから、この城の馬の飲料水、その他に用いられたものと推定される。築城時の池の面積は約148平方メートルであり、あふれた水が三の丸堀に流れ出ていたようである。

箱根路の入り口を護る「土の芸術」山中城 
(三の丸堀跡)
三の丸の曲輪の西側を出丸まで南北に走るこの堀は、大切な防御のための堀である。
城内の各曲輪を囲む堀は、城の縄張りに従って掘り割ったり、畝を掘り残したりして自然地形を加工していたのに対し、三の丸跡は自然の谷を利用して中央に縦の畝を設けて、二重堀としている。
中央の畝を境に、東側の堀は水路として箱井戸・田尻の池からの排水を処理し、西側の堀は空堀として活用していたものである。この堀の長さは約180m、最大幅約30m、深さは約8mを測る。

箱根路の入り口を護る「土の芸術」山中城  
(西の丸)
西の丸は3400㎡の広大な面積を持つ曲輪で、山中城の西方防御の拠点である。
西端の高い見張台はすべて盛土をつみあげたもので。ここを中心に曲輪の三方をコの字型に土塁を築き、内部は尾根の稜線を削平し見張台に近いところから南側は盛土して平坦にならしている。
曲輪は全体に東へ傾斜して。東側にある溜池には連絡用通路を排水口として、雨水等が集められるしくみである。自然の地形と人知とを一体化した築城術に、北条流の一端をみることができる。

箱根路の入り口を護る「土の芸術」山中城 
(西の丸見張台から…)
西の丸見張台は下から盛土によって構築されたものである。発掘の結果、基底部と肩部にあたる部分を堅固にするために、ロームブロックと黒色土を交互に積んで補強していることが判明した。
標高は約580mで、本丸の矢立の杉をはじめ、諸曲輪が眼下に入り、連絡・通路上の重要な拠点であったことが推定できる。

箱根路の入り口を護る「土の芸術」山中城 
(西の丸堀)
西の丸堀は、山中城の西方防備の拠点である西の丸にふさわしく、広く深く築城の妙味を発揮しており、堀の末端は谷に連なっている。西櫓と西の丸の間は、中央に太い畝を置き、交互に両曲輪にむかって畝を出しているが、西の丸の北側では東西に畝をのばして堀内をより複雑にしている。このように複雑な堀の構造は、世に伝えられる「北条流堀障子」の変形であり、学術上の価値も高いものである。

箱根路の入り口を護る「土の芸術」山中城 
(本丸堀と櫓台)
本丸と二の丸(北条丸)との間の本丸西堀は、土橋によって南北に二分されている。北側の堀止めの斜面にはV字状の薬研堀が掘られ、その南側に箱堀が掘られていた。堀底や堀壁が二段となっていたので、修築が行われ一部薬研堀が残ったようである。なお、箱堀の堀底からは兜の「しころ」が出土した。
土橋の南側は畝によって八区画に分けられ、途中屈折して箱井戸の堀へ続いている。堀底から本丸土塁までは9メートルもあり、深く急峻な堀である。堀の二の丸側には、幅30~60センチの犬走りが作られ、土橋もこの犬走りによって分断されていたので、当時は簡単な架橋施設で通行していたものと思われる。一般的に本丸の虎口(入り口)は、このように直線的ではないが特別な施設は認められなかったので、通行の安全上架橋とした。  

箱根路の入り口を護る「土の芸術」山中城 
(出丸御馬場跡)
山中城の出丸は、通称岱崎出丸と呼ばれ標高547~557メートル、面積2万400平方メートルに及ぶ広大な曲輪であり、天正17年(1588)秀吉の小田原征伐に備え、急ぎ増築された曲輪である。
ここは古くから御馬場跡と伝承され、土塁で東側と北側を守り、西側は深い空堀につづき、南側は急峻な谷で囲まれた岱崎出丸最大の曲輪である。
曲輪内は、本丸と同様式の二段構築でつくられている。建物跡については確認されなかったが、土塁上からは田方平野を眼下に見渡すことができ、出丸防衛上の拠点であったものと推定できる。

箱根路の入り口を護る「土の芸術」山中城 
(岱崎出丸「一の堀」)
第9次発掘調査(昭和56年度)により検出された一の堀は、出丸全域を鉢巻のようにめぐるのではなく、先端のすり鉢曲輪から西側の中腹を箱根旧街道の空堀まで続くものである。第9次調査では、指定地内の約150メートルの間に、17 ヶ所の畝を確認することができた。完堀された一の堀の第三区画はローム層を掘り下げて畝を残し、70度前後の傾斜角をもってたちあがっている。したがって堀底からすり鉢曲輪の土塁までは、斜距離18~20メートル前後の急峻な勾配がつくわけである
 
箱根路の入り口を護る「土の芸術」山中城 
(すり鉢曲輪)
  
山中城は箱根の入り口を守る要衝でしたが、秀吉の北条討伐ではたったの一日で落城してしまいました。やはり多勢に無勢、ということでしょうか…おすまし
城址そのものはかなり整備されていて、現存というよりは相当の規模で復元改修されたものになっていますが、北条のハイテク築城術はたっぷり味わえます。石垣は一切使っていなくて、土塁・空堀中心の城なのですが、とくにその堀は障子堀・畝堀などの技巧が「これでもか」というくらい全面的に使用されていて、北条の城作りに対するコンセプトや土木技術が十分に堪能できます。よく「典型的中世山城」とか言われますが、この城はそうではないと思いますよ。いわゆる典型的な中世山城は、山頂の曲輪を中心に急斜面や尾根、谷などの自然地形をフル活用した要害であるのが普通なのですが、この城はもちろん標高はそれなりに高く、自然地形も十分に生かされてはいますが、山頂ではなく山腹の傾斜地に作られていること、尾根を断ち切る堀切などの遺構が少ないことから、自然地形に頼ったというよりはむしろ人工的な普請によって要害を構築している、と言えます。要害性よりもむしろ主要街道を取り込む事の方が優先度が高く、また防備の主体が西側に置かれていることから、平時は街道交通を取り締まる番城、非常時は西からの侵攻に対する箱根防備の最前線、というコンセプトがはっきりしています。

まあ理屈はともかく、一度訪れて見てください。駐車場もあるしよく整備されているし、景色もいいし、余計な模擬天守もないし、何より「土塁と堀だけでこんなに多彩な城ができるんだ!」という驚きと感動がきっとあるはずです。 


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