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2014年11月22日

前田利家が能登一国の本城として築いたお城

小丸山城は、七尾市街と七尾湾を見下ろす小高い丘に築かれている丘城で、現在は、本の丸・天称丸・宮丸が小松山公園として整備されていました。

前田利家が能登一国の本城として築いたお城

城址は1920年(大正9年)に小丸山公園として整備され、春にはソメイヨシノ、シダレザクラなどが見られる桜の名所となっています。

前田利家が能登一国の本城として築いたお城

また、NHK大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」の放映を記念して、2001年(平成13年)に利家と妻・芳春院(まつ)の銅像「前田利家松子之像」が設置されています。

前田利家が能登一国の本城として築いたお城

城の遺構は、公園化と西側が道路整備のため削り取られ、本来の姿からは随分と変わっていると思えます。(大念寺山と呼ばれる砦は鉄道建設市街地化によって消滅していました。)それでも本の丸と天称丸との間にある空堀、本の丸に櫓台が2ヶ所残っていて、本の丸北側にある宮丸は、多気本宮があった場所で築城に移転されたことを物語っています。

前田利家が能登一国の本城として築いたお城

小丸山城は前田利家が能登一国の国持大名として七尾入りしてから、加賀に領土を加増され尾山城(のちの金沢城)に拠点を移すまでの間の居城です。利家が尾山城へ本拠を移した後も、兄の前田安勝が七尾城代として居住しました。

【歴史】 現地説明版より
小丸山城は、天正10年に前田利家によって築かれた。 天正9年に織田信長から能登一国を与えられた利家は、越前府中から七尾城へ入ったが、政治・経済上の利点に主眼を置いた城を港に近い小丸山に築城して居城を移した。

天正11年に秀吉から加賀2郡を加増された利家は金沢城へと移り、兄安勝・子利政が小丸山城主となるが、元和の一国一城令によって廃城となった。




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