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2015年08月26日

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)

城づくりにおいて築城三名人といえば、加藤清正、黒田官兵衛、藤堂高虎の3人ですが、中でも藤堂高虎という人は生涯において20以上の城づくりに関わった城づくりのスペシャリストと言える人物です。その藤堂高虎が携わったお城の中に今治城があり、数ある名城のなかでも斬新で新しい時代を象徴するお城であると言えます。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)

今治城は1602年に築城が開始され、完成までに6年の歳月を費やしました。それまで今治の支配拠点は国府城というお城だったものの、唐子山の山頂に位置し、都市型の城が時代にマッチしているという判断から築城決まったといいます。海上交通の要所でもある今治らしい作りも随所に見られますが、当時の外観や内部と復元された現在のものとは全くの別の物で、実際には当時日本初の層塔型であった天守ですが、現在は鉄筋コンクリート製の望楼型になっています。今治城の天守は京都の丹波亀山城に移築されたとも言われています。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)

今治城を訪れる人のほとんどが、最大幅60mもある巨大な水堀に驚くことでしょう。しかも大変面白いことに、水が澄んできれいなためよく見てみると、鯛やヒラメが泳いでいるのが見えます。お城の水堀に海水魚が泳いでいるなんて前代未聞!今治は海上交通の要所で、お堀を作る際に瀬戸内海から水を引き入れているのです。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)

これまでお城が海に面するなど絶対あってはならないタブーでもありました。これは海にから自由に侵入できるという最大のデメリットがあった。しかし、弱点を逆手にとって海への出陣をスムーズに、そして海上掌握健を得ることに成功するなど戦略的に優れた水堀となっていて、これこそが弱点を利点にした藤堂高虎のアイデアです。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)

伊予今治城は関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城です。別名吹揚城(ふきあげじょう)ともいいます。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)

慶長7年(1602)に築城を始め、建造物も含めて完成したのは同13年頃と推測されます。海水が引かれた広大な堀や、城内の港として国内最大級の船入を備えた日本屈指の海城でした。寛永12年(1635)より松平(久松)氏の居城となりました。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)

明治維新後に建造物のほとんどが取り壊され、内堀と主郭部の石垣を残すのみとなりました。昭和28年(1953)に県指定史跡となり、昭和55年(1980)以降、主郭部跡に天守をはじめとする櫓、門などの再建が進み、雄大な城郭の姿を見せています。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
今治城正門へ向かう土橋です。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
枡形の入口には往時、高麗門が建っていたようですが再建はされていません。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
右奥の黒い門は鉄御門(くろがねごもん)。正面の巨大な鏡石を含め、鉄御門の石垣は明治期にほとんど撤去されていたため、門の再建時に築城当時の野面積みで復元したとのこと…。鏡石は勘兵衛石と呼ばれ、築城奉行を務めた渡辺勘兵衛に由来するのだそうです。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
2007年に復元された鉄御門は厚さ3ミリの鉄の板を打ち付けという真っ黒な門扉です。枡形虎口の原型とされています。さらに門前を土塀ではなく多聞櫓で囲ってあるのも特徴で、はしごを使っても突破できないようになっていて、防御面にも優れた城と言えます。(鉄御門…その名の通り、全面木部全体に3mmの黒い鉄板を鋲で打ち付けた力強い門です)

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
鉄御門を越えると二の丸へ。現在は広場になっていて、ここから見る本丸の天守(模擬)と、二の丸に建つ藤堂高虎公の騎馬像のコラボが素晴らしいです。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
天守のある本丸へは、二の丸の奥から入ります。二の丸の奥には城主が住む御殿が建っていたようですが、現在は石碑等が建つだけで建物は何もありません(角の御金櫓は復興されている)。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
本丸御門へ。現地ガイド氏曰く、天守は高虎時代には本丸の中央に建っていたようですが、天守台(石垣)がなく跡地には神社が建てられたため、再建された模擬天守は本丸北端の北隅櫓跡の櫓台上に建っているとのこと…。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
本丸御門前の今治城沿革 説明板。高虎が建てた5重の天守はその後 丹波亀山城の天下普請の際に移築され、明治になって建物は破壊されたため残っていません。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
本丸内は主に吹揚神社の境内となっています。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)

今治城 現天守。昭和55年に再建された模擬天守で、当時の高虎天守に関する詳細な史料が残っていない(天守が建っていたという文書以外の物的証拠もないらしい)ため、やむなく模擬天守となったとのこと…。移築されたという丹波亀山城の古写真では破風などが一切ないシンプルな層塔型天守ですが、模擬天守には大きな千鳥破風がついています。さて当時の今治城天守は果たして…よく見ると、石垣(北隅櫓台)よりも一重目の建物の方が大きく、かなりせり出している凄い構造になっています。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
鉄御門の反対側、城の北西部にあたる、山里櫓とその裏側にある山里門の様子。山里門は橋の手前にある門ではなく、山里櫓に付随している門(この角度からは見えない)

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
鉄御門 方面。門だけでなく、付随する長大な多聞櫓まで復元されていることが分かります。先端に建つ二階櫓は武具櫓で、天守と同時期の昭和55年に再建されたものです。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
南東方面。角に建つ二階櫓は御金櫓、昭和60年に再建され、内部は郷土美術館になっているとのこと…。
藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
御金櫓へ続く土塀。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
北東方面。本丸内に建つ吹揚神社。表から見るよりずっと大きい、立派な神社です。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
天守を出て二の丸へ。高虎公 騎馬像。名前は側面に付いていることが多いような気がしますが、正面についていました。鉄御門パンフによると、この高虎公像は彫刻家 中村晋也氏による平成16年の制作とのこと。(鉄御門再建と同時期)

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
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藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
山里櫓と山里門、旧町名山里通り

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
武具櫓…石垣も再現工事時の積み直し(石垣も破壊されていたため)だが、所々石灰岩と思われる白い石が混じっているのが良い感じ。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
今一度、二の丸および模擬天守を見ます。高虎の建てた天守は層塔型と言われていますが(移築先の丹波亀山城天守が層塔型だったため)、模擬天守は何故か望楼型です。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
鉄御門を出て、土橋上から内堀および二の丸石垣を見ます。犬走りの上に樹木が植えられていて、石垣が見えないのが少し残念です。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
土橋を渡り、内堀の外側から土橋および鉄御門方面を見ます。土橋を渡りきったあたりから犬走りへ降りる石段があるようですが、行かなかったので立ち入りできるかは不明です。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
土橋横の駐車場に今治城跡の立派な石碑が建っているのを発見しました。奥のスーツメガネの銅像は檜垣俊幸翁とのこと…。今治市名誉市民で今治造船の会長らしく、ここに立ったのは、氏が鉄御門再建や高虎公騎馬像の設置に尽力したから、とのことだそうです。銅像作成者は高虎公像と同じ中村晋也氏。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)
天守は模擬ですが、内堀に浮かぶ石垣に囲まれた城内には高虎公の騎馬像が立ち、そして何より史実再現された見事な鉄御門があり、見所は多かったです。

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)

最後にまとめ…今治城の見どころ
築城の名人藤堂高虎が、伊予半国20万石の居城として築城しただけに、三重の堀に海水を導入した、大規模な海岸平城です。今は本丸の周囲の内堀しか残っていませんが幅の広い堀、高虎築城の城によく見られる犬走りのある石垣、その上には復元された隅櫓、そして高々とそびえ立つスマートな感じのする天守は、結構絵になります。

今治城の五層の天守は、 丹波亀山城の天守として移築(明治まで存続)され、古写真を基に現在の天守が建てられました。天守同様に、御金櫓・山里櫓・武具櫓・鉄御門が復元されています。

今治城の駐車場辺りから見る鉄御門と武具櫓とそれに連なる多聞櫓、そして後に天守、近世城郭の典型的な姿はお城好きにとって堪らない光景です。私も何枚カメラのシャッターを押したことか…にっこり

藤堂高虎の傑作、最新鋭で斬新な海城(今治城)

歴史…慶長5年、関ヶ原の戦功により藤堂高虎は、伊予半国20万石に加増され、今治城を築城して居城を伊予宇和島から移した。慶長13年、高虎は伊勢・伊賀22万石へと加増され伊勢安濃津へ移封されたが、今治城は藤堂氏の飛び地領となり、養子藤堂高吉が2万石を領し居城する。寛永12年、藤堂高吉は伊賀名張に移り、替わって松平定房が伊勢長島より3万石で入城する。 以後久松松平氏が⒑代続いて明治を迎えた。

日本三大海城の一つ、今治城は三重の堀に海水をたたえた海城 でした。海城を満喫し大満足でしたちょき



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