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2012年08月29日

望楼型複合式天守…備前岡山城

昨日は、はまぞうのシステム変更のメンテナンスがあり、長時間にわたり混乱もあってスッタフの皆さんは色々大変だったようです。今後はiPhone、Android アプリからの投稿も可能とかで、ますます便利になって行くようですが、私のようなアナログ人間は時代に対応して行くのが大変です…。システムが変わりまだ少し戸惑いもあるのですが、今日からまたブログを再開します。最初は大好きなお城の記事から…ニコニコ

岡山城は、後堅固な城です。本の丸背後を一級河川の旭川が流れ、さらに対岸には日本三名園の一つ後楽園が、岡山城の背後を防衛する目的で築かれています。 

望楼型複合式天守…備前岡山城 
別名に烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)
遺構(復元天守、現存櫓2基、復元渡り櫓門、曲輪、石垣、堀)
形式(平城)築城者(上神高直)築城年代(正平年間) 

望楼型複合式天守…備前岡山城

復元された五層天守は、初期望楼式で黒壁の武骨な風情のある天守です。城内から見る天守も良いのですが、後楽園から旭川越しに見る天守は、勇壮な姿を魅せてくれます。

望楼型複合式天守…備前岡山城

岡山城には、本の丸に月見櫓、今は岡山の官庁街になっている西の丸にある小学校に西手櫓が現存しています。(また、本の丸の表門である不明門が復元されています)

望楼型複合式天守…備前岡山城

今は櫓台が残るだけですが、本の丸虎口を沼城天守を移築した大納戸櫓が守っていました。また、西の丸石山門は、富山城の大手門を移築したそうですが、これも今は存在していません。 

望楼型複合式天守…備前岡山城
大納戸櫓跡

歴史…岡山城は、南北時代の正平年間に名和長年の一族、上神高直が築城し、その後金光宗高が居城としていた。

望楼型複合式天守…備前岡山城

天正元年に備前を制圧した宇喜多直家は、金光宗高を謀殺して岡山城を奪い、沼城から居城移した。 直家は、岡山城に入城してから城の拡張を行い、息子秀家の代までの間に天守を含む大城郭へと変貌させた。
慶長5年、関ヶ原の戦いに敗れた宇喜多秀家は改易され、筑前名島城主小早川秀秋が入城するが、在城2年で死去して小早川家は断絶する。
慶長8年、池田忠継が入城する。忠継幼少のため長兄の姫路城主池田利隆が補佐し、この時に西の丸帯郭を増築された。 元和元年に忠継が没し、弟忠雄が跡を継ぎ、その子光仲と続く。
寛永9年、光仲幼少のため、鳥取城主池田光政と入れ替えになる。以後、光政系池田氏が、代々3万1500石を領して明治に至った。

望楼型複合式天守…備前岡山城
 
後楽園から旭川に架かる橋辺りから見る天守は最高

望楼型複合式天守…備前岡山城
天守閣から岡山市内を一望。

国宝であった天守閣は第二次世界大戦中に焼失し、現在は復元したものです。当時は二の丸、三の丸をめぐって三重の堀があり、周囲には武家屋敷、城下町が広がっていました。黒い外観から別名「鳥城」とも呼ばれ、天守閣から岡山市内を一望することが出来ます。

望楼型複合式天守…備前岡山城
月見櫓

岡山城の建物で現存するのは月見櫓と西丸西手櫓(にしまるにしてやぐら)。月見櫓は城郭防御の目的だけではなく、月見をはじめ四季の風流を楽しむ場所として使われていました。

望楼型複合式天守…備前岡山城
地中に埋もれていた石垣

望楼型複合式天守…備前岡山城
現存していた石垣

望楼型複合式天守…備前岡山城
天守閣の礎石

望楼型複合式天守…備前岡山城
六十一雁木土門

望楼型複合式天守…備前岡山城
廊下門

望楼型複合式天守…備前岡山城
多聞櫓跡

天守閣(岡山城HPから)… 

■慶長期の古式な天守閣
 宇喜多秀家が築いた岡山城天守閣は、慶長2年(1597)頃の竣工と言われている。この時期は、豊臣秀吉による天下統一事業も終わり、全国で城と城下町の整備が促進された時期であったが、今日に残る近世城郭が築城されたのは関ヶ原合戦後のことなので、この頃に築造された天守閣は少ない。岡山城以外では、会津若松城・松本城・広島城などで、中でも岡山城は最も古式な様式で造られ、意匠を凝らした天守閣であった。
■天守閣の様式
 岡山城天守閣は、大入母屋造りの基部に、高楼を重ねた、「望楼型」と呼ばれる様式をしている。この様式は、犬山城・丸岡城など初期の天守によく見られるが、世界遺産で名高い姫路城もこの様式である。外観を見ると、外壁に黒塗りの下見板を張っているため全体的に黒色が強調された姿をしており、それに金箔瓦が彩を添えていた。「烏城」「金烏城」という異称はこれに由来する。この下見板も、初期の天守によく用いられた手法である。
■複合式天守閣
一見ひとつの建物のように見えるが、岡山城天守閣の西側三分の一は、塩蔵と呼ばれる別の櫓である。このような渡櫓なしで直接櫓が天守閣に付属している形式を「複合式天守」という。岡山城の他に、犬山城・松江城・小田原城などがある。特に松江城は様式も岡山城と同じ望楼式で、層の重なり方も似ており、現存する天守の中では最も岡山城に近い天守閣といえる

■梯郭式平山城
 岡山城は平野の中の丘陵に城郭の主要部を置いた平山城という形式であるが、姫路城や松山城、高知城などの他の平山城に比べ標高が極めて低く、平山城の中では最も平城に近い城である。また、郭(くるわ)の配置は、城の中心たる本丸の西方向のみに二の丸や西の丸などの郭が配置された梯郭式(ていかくしき)の縄張りで、しかも本丸の北~東には、本丸を守るべきほかの郭が全く存在しない、非常に防備が薄い構造をしている。旭川が本丸を囲むように蛇行しているのは、この防備の薄さを補完するために宇喜多秀家が流路を変更したためである

望楼型複合式天守…備前岡山城

望楼型複合式天守…備前岡山城

主要城主 宇喜多氏57万4千石
小早川氏51万石
(前)池田氏28万石
(後)池田氏31万5千石


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