2023年12月18日
元寺尾の錣山親方死去
突っ張り一本やりのきっぷのいい相撲と、甘いマスクで一世を風靡した元関脇寺尾の錣山親方が昨日、入院先の都内の病院で死去したそうです。元寺尾の錣山親方は、同じ昭和38年生まれの北勝海(現・八角理事長)、双羽黒(元横綱、故人)、小錦(元大関、タレント)らと「花のサンパチ組」と呼ばれ、昭和から平成の土俵を盛り上げた一人で、引退してからも冷静な解説ぶりが好きでずっとファンだっただけに残念ですまだ60歳なのに…ご冥福をお祈りします
…父は、もろ差しの名人と言われた元関脇鶴ケ嶺の井筒親方。その父が部屋を構える東京・墨田区で生まれた。母節子さんを慕い、その母の死ぬ際の「相撲取りになって」の言葉で角界入りを決意。長兄で元十両の鶴嶺山、次兄で元関脇の逆鉾の後を追うように、角界入り。食べても太れない体質で、細身の体は最高でも116キロ。それでも闘志あふれる小気味の良い突っ張りを武器に5年後に新十両、そして入幕を果たした。その後、逆鉾との兄弟同時関脇を果たし井筒部屋の栄華を誇った。昭和38年生まれの「花のサンパチ組」として横綱北勝海、大関小錦、関脇琴ケ梅らと土俵を盛り上げた。また相撲一家に生を受け、3人兄弟の末っ子の愛称「アビ」は赤ん坊だった頃、井筒部屋を訪れた外国人が発した「a baby(ア・ベイビー)」がきっかけで、その愛称は、後に弟子となる阿炎のしこ名につながった。
闘志を前面に押し出す敢闘相撲で、敗れた相撲でも好角家を喜ばせた。横綱千代の富士をあと1歩まで追い詰めながら、つり落としで敗れた一番。のちに横綱貴乃花となる貴花田との初顔合わせでは敗れた悔しさで、さがりをたたきつけながら引き揚げる姿がファンを魅了した。
細身の体でケガの多い力士生活だったが、それでも土俵に立ち続けたからこその勲章がある。通算出場、幕内連続出場など、休むことなく土俵に上がり続けた末の記録で「鉄人」とも称された。
現役引退後は、年寄錣山を襲名して井筒部屋で後進の指導にあたり、分家独立し錣山部屋を創設した。不整脈の持病がありながら、熱心な指導で阿炎、小結豊真将らを育て上げた。次兄は19年に58歳で、長兄は20年に60歳で他界。太く短い人生だったが、果敢に立ち向かっていく真っ向勝負の「漢寺尾」の相撲は、永遠に相撲ファンの心に刻まれる
…父は、もろ差しの名人と言われた元関脇鶴ケ嶺の井筒親方。その父が部屋を構える東京・墨田区で生まれた。母節子さんを慕い、その母の死ぬ際の「相撲取りになって」の言葉で角界入りを決意。長兄で元十両の鶴嶺山、次兄で元関脇の逆鉾の後を追うように、角界入り。食べても太れない体質で、細身の体は最高でも116キロ。それでも闘志あふれる小気味の良い突っ張りを武器に5年後に新十両、そして入幕を果たした。その後、逆鉾との兄弟同時関脇を果たし井筒部屋の栄華を誇った。昭和38年生まれの「花のサンパチ組」として横綱北勝海、大関小錦、関脇琴ケ梅らと土俵を盛り上げた。また相撲一家に生を受け、3人兄弟の末っ子の愛称「アビ」は赤ん坊だった頃、井筒部屋を訪れた外国人が発した「a baby(ア・ベイビー)」がきっかけで、その愛称は、後に弟子となる阿炎のしこ名につながった。
闘志を前面に押し出す敢闘相撲で、敗れた相撲でも好角家を喜ばせた。横綱千代の富士をあと1歩まで追い詰めながら、つり落としで敗れた一番。のちに横綱貴乃花となる貴花田との初顔合わせでは敗れた悔しさで、さがりをたたきつけながら引き揚げる姿がファンを魅了した。
細身の体でケガの多い力士生活だったが、それでも土俵に立ち続けたからこその勲章がある。通算出場、幕内連続出場など、休むことなく土俵に上がり続けた末の記録で「鉄人」とも称された。
現役引退後は、年寄錣山を襲名して井筒部屋で後進の指導にあたり、分家独立し錣山部屋を創設した。不整脈の持病がありながら、熱心な指導で阿炎、小結豊真将らを育て上げた。次兄は19年に58歳で、長兄は20年に60歳で他界。太く短い人生だったが、果敢に立ち向かっていく真っ向勝負の「漢寺尾」の相撲は、永遠に相撲ファンの心に刻まれる
Posted by きくいち at 15:47│Comments(0)
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